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第八十二話 謎






 病室を抜け、病院から出て、羽織はすぐに携帯電話をとりだす。荒々しく操作し、呼び出し。コール音をもどかしく思いながら待ち、相手が出た瞬間に口火を切る。


「六条、おれだ」

『……どうなさいました、羽織殿』


 唐突な電話、焦った声音。電話向こうの六条を驚かせるには充分な要素だった。

 六条の心情など一片も考慮せず、羽織は用件だけを端的に告げる。


「ここ最近に、地下封印に訪れた奴はいるか?」

『……どういう意味です?』


 わけがわからない――意味が掴めず問い返す。

 至って当然、真っ当な反応の六条にさえ、羽織は苛立ち混じり。察せよと無理な要求を言外に漂わせ、説明をいれる。


「今、上条 理緒――ああ、元“黒羽”総帥に聞いた。謎の女が魂を学習する欠片を寄越したと、それを使って複数の能力を使用したと」

『魂を、学習する? それは、まさか――』

「ああ、奴の能力だ」

『!』


 電話の向こうから、動揺が伝わってくる。ようやく羽織と同じ温度となって焦りが表面化する。


『でっ、ですが、欠片で能力が発現するのでしょうか?』

「なったんだろ、奴の規格外振りは――ああ、お前は知識としてしか知らんか。じゃあ想像より倍はヤバイ奴だと考えとけ」

『…………』

「それにするしないじゃなく、欠片でも欠片ほどの能力を発現した事実が既にある」


 理緒の遺魂能力は、六条だって話に聞いているはず。故に論議するべくはそこにない。

 六条は黙考の間を置き、期待せずに問うてみる。


『……他のなにかの原因ではなく、偶然の一致でも、彼女の発言が虚偽であるでもなく――奴であると、あなたがそう判断したのですね?』

「おそらく」

『っ。ああ、そうですか。そう、そうですか……』


 ぎしり、と奥歯が軋む音がする。些か言葉が乱暴になってしまったことを、羽織は責めなかった。


『いえ、違いますね。猛るよりも思考しましょう。欠片が存在するということは、奴から欠片を採集した人物がいるということ、ですね?』

「間違っててほしい推測だがな」


 誰かが、誰かがやったのだ。自然と欠片が本体から削れ、外へ漏洩するわけがないのだから。

 欠片を本体から採集し、理緒に渡した誰かが存在する。

 そしてそれは、まず間違いなく――


「上条の会ったっていう女、そいつを探し出す必要がある。おそらくそいつは、条家十門の関係者……だろうな」

『……奴の封印された場は、条家十門当主しか踏み入ることを許されておりません。ですが、逆に言えば当主であれば一年に一度必ず訪れます――戦勝記念日に』

「そうか、そうだよな。じゃあ、当主の中に裏切り者がいるってことか?」

『女性なら、七条でしょうか』

「わざわざ当人が渡しにいくってのもアホっぽい、確定はするな」

『そう、ですね。いえ、そうだ、そうです。近い内に、見つけ出せるかもしれません」』

「ん、どういう……ああ、そういうかことか。今年の戦勝記念日は、三日後だったな……」


 羽織は呟いてから天を仰ぐ。

 ひとつの終わりは次のはじまり――抗争がやっと終わったというのに、それ以上の面倒事が持ち上がるだなんて。

 太陽の眩しさが、今日はとても恨めしかった。






 今日もいい天気だ。

 リクスは少し前まで気にもとめなかったことをぼんやり考えた。

 “黒羽”との戦いも終わり、日常への帰還を果たしたリクス、それに隣の浴衣。ふたりは平和に学園生活を過ごして、そして現在は帰途である。

 一応リクスは護衛の役を負って学園へと潜入しているわけだが、今まで護衛らしい仕事はしたこともなく、気持ちが緩むのも致し方ない。空をぼんやり見上げるくらいの暢気さが、リクスにはあった。

 言い換えれば心の余裕、とでも言えばいいのか。そういうものが、今のリクスにはあった。心を凍りつかせていた頃と比べれば、それは絶大な変化である。

 その変化の要因は、考えるまでもなく今横で笑う少女にあった。九条 浴衣。リクスのはじめての友達にして、今は主とも言うべき少女。日向のように微笑み、太陽のように暖かい、リクスにとって大切な人だ。

 彼女とこうして並んで歩ける今が、リクスにとってはささやかだけどかけがえのない幸せ。

 ああ、この平和がずっと続けばいいのに。

 ――と、なんとも儚い夢を抱いて。

 不意に、ポケットから振動が発生していることに気付く。リクスは浴衣に断りをいれて携帯電話を取り出し、送られてきたメールの内容に目を通す。

 そして雷撃の如き衝撃を受けることになる。


「!」

「? リクスちゃん、どうかしましたか?」

「……なんでも、ない」


 努めて無表情で返すが、浴衣の目は誤魔化せない。頬を膨らませて追求される。


「本当ですか?」

「本当」


 追求も避けられると、流石に深くは問えない。不満げに唇を尖らせつつも浴衣はそれ以上の問いを断念した。それでもせめて、友人として一言だけは残す。


「……言いたくなったら、ちゃんと言ってくださいよ?」

「ごめん」


 また浴衣に心配をかけてしまった。反省せねば。もっと上手く表情を消す方法を検討すべきか、などとなんともズレたことを思案する。

 ああ、浴衣のことならばこんなことでも心暖まる。

 なのに、なんで、まさか、嘘でしょう。

 錯綜する思いを胸に、リクスはメールの内容を苦々しく思い出す。


『やあ、久しぶりだねぇ、リクス。

 元気かな? そこは居心地がいいかい? そうであるなら私も嬉しく思うよ。私のほうはなかなか窮屈なところにいてねぇ、潜伏というのも存外つまらない。最初は秘密基地に篭る子供のようにうきうきしたのだがね。まあ、なんにでも飽きはくるということかもしれないね。君はいつごろそのぬるま湯に飽きるのかな? ――なんて、意地悪を言ったかな。すまないね、つい一言多いのが私の悪い癖だ。

 おっと前置きが長くなったね、私はやはりお喋りなのかねぇ。おや? 文書で送ってお喋りというのは、なにか違うのかな? 筆が滑り易い質、とでも言えばいいだろうかね。君はどう思う?

 ああ、いや。すまないね、また逸れてしまったよ。ともあれ本題を語るとしよう。

 三日後に、指定の場所に来てくれないかな? 場所は添付した地図に示しておいたから、迷うことはないと思うよ。

 では、君との再会を楽しみにしているよ、リクス。


 父より』







 生憎と明日は雨らしい。

 今日はこんなに晴れてるのにな、と条は天気予報を眺めながら思った。

 条は傷が治っても特にやることもなく、暇な一日こうしてテレビと睨めっこしていた。


 天気予報は情報を垂れ流し続ける。ぼうっと眺める条にも勝手に情報は入ってくる。明日の天気から週間予報へ映像は切り替わる。どうやら三日後にはまた晴れに戻るらしい。それはよかった。一応は御家の行事、天気がいいに越したことはない。

 特に今回は、“黒羽”との戦争試合の祝賀会も兼ねているので、余計にだ。

 とはいえまあ、戦勝記念とか言っても毎度のように飲んで食べての宴になるだけだろうが。それはそれで、条はいいかと思うのだが。あまり会わない他の十門の者との交流の機会でもある。

 戦勝記念日――伝統行事とはいえ、長い年月の果てに今ではただの無礼講の日となっていた。

 一応、当主だけで少しだけ席を外す時間もあるが――はて、あれはなにをしているのだろうか。当主以外は知らないことだ。自分もいずれ知ることになるのだろうか。

 ぼんやりとどうでもいい思考をする条に、慎ましやかな足音が届いた。廊下を走る不届き者がいるらしい。別に気にはしないが。

 と、意外なことに足音は条の部屋を通り過ぎず、止まった。

 疑問符を頭上に浮かべていると、透き通った声がフスマ越しに投げかけられる。


「条さん、いらっしゃいますか?」

「ん……んッ!? ぅお!」


 驚愕はワンテンポ遅くに条を襲った。

 いやまさかいきなり九条 静乃が自分に会いに来るとは想定も甚だしい。声の調子を努めて丁寧に変換して素早く返答する。


「どっ、どうなさいましたか、九条様」

「羽織を知りませんか? 姿が見えないのですけれど」

「あ、羽織なら雫と一緒に姉の見舞いに行ったらしいです」


 と、雫に聞いた。断じて羽織から聞いたわけではない。

 というか、あれ?

 羽織は、静乃にそのことを話していないのか? なんか、違和感が、ないか?

 浮き彫りになりそうだった疑問、静乃のため息に掻き消される。


「そうですか……」

「なにか、用事でも? 私でよければ手伝いますが」

「ああ。本当ですか? でしたらわたくしのお茶に付き合ってくださいな」

「は。お茶ですか」


 なんだそりゃ。あまりの予想外に反応に遅れる。いや、そうか、静乃の趣味は日向ぼっことお茶であると、羽織が以前言っていたような。言ってなかったような。

 まあ、ともあれその程度なら問題なく付き合う。

 条はテレビを消しつつ、立ち上がった。




「そういえば九条様」

「はい?」


 屋敷の縁側、柔らかな陽光が心地よいそこが、静乃の選んだお茶の場所だった。

 使用人に頼んで用意してもらった適温の緑茶を、庭をにこにこ眺めながら時折口につける。

 それだけ。

 本当にそれだけ。

 世間話も交えるが、基本は無言でぼんやりとするだけ。なんという穏やかさだろうか、なんという凄まじいまでの優しい雰囲気だろうか。

 そういえば羽織とよくこのように縁側に座り込んでいたが、静乃からのお願い事だったのか。

 ――平穏過ぎて溶けてしまいそうな錯覚に陥る、と羽織は言っていたか。条としては先ほどの無為と大差ない状況で、まあそこまで文句もないが。

 とはいえ沈黙というのもやはりあれなので、少々話を振ってみる。


「羽織はその、いつごろに雇い始めたんでしたっけ」


 数日前の話で、気に掛かっていたことである。

 ――羽織の練度は常軌を逸している。

 あの年齢――外見で判断するしかないが、外見通りなら二十代――で、あの知識、あの技術、魂魄制御。いや、魂魄制御は雫もズバ抜けている、あれは才能と呼ばれる凄さだろう。であれば羽織も実は全方位的な天才だったのか? イメージに合わないが、そう判断するのが妥当。

 それでも、その妥当に納得がいかないから、足掻きのように投げた静乃への問いだった。


「もう十数年前になりますねぇ」


 早いものです。と、静乃は和やかに言うが、条は面食らう。


「え、は? 十数年? ってことは、羽織が小さい頃からって、ことですか?」

「いえ? 羽織はその時もう成人していると言っていましたよ」

「なっ……てことは、今の羽織は少なくとも三十代後半……嘘だろ、ありえねえ」

「本当に。若作りだと言っていましたけど、どうやって若さを保っているのかしらねぇ」


 のほほんと静乃は言う。だが条はそう安楽した態度ではいられない。思考が走る。

 魔益師は魔益の活発化で通常より老いを遅らせるというが、それか?

 いや、羽織の魔益総量はそう大したものではないはず。俺が知らないだけ? それとも、本当にただ若作りなだけ? だが、思い返せば――条がはじめて羽織と出会った時と、現在の羽織には、一切の差異がない。これは若作りとかそういう次元ではないし、老化の遅滞もまたズレがある気がする。

 あれ? あれあれ?


「一体どうなってんだよ……」


 条は、眩い太陽に向かってひとり呟いた。







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