第八十話 目標
条家十門と“黒羽”機関の試合と銘打たれた、実質的な抗争――戦争。
その結末は“黒羽”機関の敗北で幕を閉じることとなった。
ソウルケージの記録した最終的な結果として。
条家十門参加者二十六名中――残存十名、脱落十六名。
“黒羽”機関参加者一万四千七百二十九名中――残存四千八百四名、脱落九千九百二十五名。そして代表の敗北。
数字の割合だけ見れば実際両サイド際どく、接戦のようにも感じられる。もう数十分もあればどちらかの参加者八割の脱落という敗北条件に突入しそうではある。
だが、注目すべきは個人の撃墜数。条家で残存した十名――つまりが当主十名は、戦闘不能の二名を除けばひとりで千人は打倒している。比喩でもなんでもなく、まさに一騎当千という言葉そのままの所業である。
そもそも開戦の段階での数が違い過ぎる。二十対一万、公平な審判を心がけたソウルケージでさえ困惑するほどの参加人数の差異。その数的圧倒的不利を真っ向から破って見せた。少数精鋭の極みを見せ付けた。
この結果は世界中に轟き、そして魔益師たちを震撼させる。一万を二十で返り討ちにしたという事実は、誰にとっても衝撃的過ぎた。
まして“黒羽”機関の強さは日本国内は当然として、外国にも認められている。世界で数えても十本の指にはいる大組織、強豪勢力。その“黒羽”が――ほぼ全戦力を投じて負け。たった二十人の魔益師に、容易く敗れた。その上、総帥が真っ向勝負して完敗を喫した。
ずっと無益な争いを避け、爪を隠し続け、その力を秘め続けていた最古にして最強の魔益師集団。語られるだけでしかなかった条家十門という驚異が、世に公然と認知されることとなったのだ。
もはや誰もが理解する他なかった。その武威を認め、口を揃えるしかない。
――条家十門は最強であると。
「ま、順当というか、当然というか……身内からしたら特に驚くような結果じゃねえわな」
「まーな。てか、余所とうちじゃ、なんか温度差凄いな。ちょっと笑える」
「そんだけ条家が無闇に力を喧伝してなかったってことだ」
「慎み深いからな俺」
「お前はそーでもないだろが」
九条家屋敷。その一室で、男四人と女三人が膝をつき合わせていた。
先の戦争試合に際して負傷して、そのせいで屋敷の主に休むようにと厳命された羽織たちである。
負傷はおおよそ静乃が治癒したが、静養は必要。途中で脱落したとはいえ彼らも奮迅した、随分と疲労が大きいのである。
とはいえ、戦争から既に数日経過している。魔益のほうもほぼ回復したし、一番深手だった雫の怪我も完治した。もう普通に話すくらいは全く問題ない。働こうとしたりすると静乃に止められるので部屋からはあまり出られないが。
なので現在の情勢なんかを話題の種に雑談していた。
特に条家の力が世にようやく認められたくだりは羽織や条がなんかニヤニヤしながら幾度か口にしていて、八坂などややうんざり。横からぼそりと加える。
「脱落した身で豪語することでもないけどね……」
「なんだよ、この手の話は嫌だったのか? だったらそう言えよ」
「つーか俺たちの脱落は運が悪過ぎたって。あの樹木オッサン強過ぎ。親父でも梃子摺るんじゃねえかな」
「そういえば……羽織、どうやってあの人相手に時間稼いだの」
基本ぼーっとしてるくせに鋭いところを突く八坂。
どきり……としたのは何故だかその件に関与のなかったはずの雫。羽織の方は何食わぬ顔であっさり返す。
「まあ、小手先でちょいちょいとな。お前らとは年季が違うんだよ、ひよっこども」
「……本当にいくつなんだよ、お前」
「そりゃ外見見て判断しろよ」
「いや、見た目年齢に反して色々と磨かれ過ぎだろと」
条の疑いの眼差しに、一刀も乗っかってみる。前から実は気になっていたのだ。
「あー、そうだね。羽織、技前も完成してるし、知識も豊富で、魂魄制御も抜群……あれ? 弱点ないんじゃ?」
「能力が貧弱で威力に欠けるぞ」
“軽器の転移”のほうは。とは言わない。
雫の表情と目線がなんだか微妙なものに変じたが、気にしない。他に羽織の発言に違和を感じるはずの浴衣とリクスはふたりで談笑していて聞いていない。
一刀も気付かず話を続行。
「うん、それは知ってる。でもそれは先天的なもので変えようがない部分だよね。けど他の、つまり努力でなんとかなる部分はもう完璧なんじゃない、ってこと」
「上に見積もっても二十代前半な外見で、そんだけの練度ってなんか凄すぎないか」
「まあなんだ……がんばったんだよ」
ふたりの追求に、なんとも簡素な返答。一刀も条もまた適当なことをと思ったが、端の雫はなんとなく違う感想を抱いていた。
曰く、重い一言であったと。
ありふれた言葉が、どこまでも重い。極限まで圧縮された覚悟を垣間見た気がした。
羽織は、そう、がんばったのだろう。その度合いが計れぬほどに、その深度が見えぬほどに。
「…………」
ああ、やはりわからない。
羽織、本当に不明ばかりで秘密主義である。最近になって断片的に変なことをぽろりと漏らすようになってはいるが、大体が今のように本質には届かないものばかり。羽織の隠すなんらかの核は未だに分厚い幕に覆われて隠されている。
その隠し事とは、なんなのだろうか。
雫は今更になってそれが酷く気に掛かった。ここ数ヶ月ともにあり、はじめて――羽織という人間を知りたいと思うようになった。
いきなりどうしたのだろう。雫は自分が自分でよくわからなかった。
ああいや、そうか。なんだかんだ言っても、今回の件では多く助けられた。
力の使い方を教わり、戦い方を教授され、 “魂魄賛歌”などという謎の秘技まで伝授してくれて、理緒との戦いを整えてくれて……それに、それに。
負ぶってくれた背中が、どうしようもなく心地よかった。安心できた。
羽織もなにか裏で利益があってそうしてくれたのだろうと思う。なにか隠し事のための打算があっての施しなのだろうとはわかっている。
けれどそれでも――利他に繋がる利己というのは、とても大切なものであると思うから。
自分の足で立って歩けるようにしてもらったのは、純粋に有り難いことだから。
感謝を、思っているのだ。
加瀬 雫は羽織に、深く感謝を思っている。
だから、羽織の隠し事が、もしも手伝えるのなら手伝いたいと感じた……のでは、ないか。
自己内面を考察するに、たぶんそんな感じ。
いや、待て待て。感謝してるなら、手伝うとかそういうのの前に必要なことがあった。
そうまずは、ありがとうと――言おう。
と、いう所まで思いは辿りつくが、そこで急に恥ずかしさがこみ上げてくる。今更になって羽織にありがとう……なんかすごく言いづらい。こう、胸のあたりがムズムズする。寒くもないのに震えがきて、暑くもないのに体温が上がる。激しい緊張が身を苛む。
だがここで言わないとタイミングがないだろう。思い立ったが吉日と言うし、それに、このありがとうを先延ばしにしたらなんか「いつの話してんの、お前」とか言う羽織を凄く想像できてしまう。
思い切って、名を、呼ぶ。
「はっ、羽織」
「あん?」
視線がこっちに向く。余計に緊張が増大し、ノドが掠れる。
礼を言うだけ。感謝を伝えるだけ。ありがとうと言うだけ――なのに、何故こんな……。
「わっ、私は……」
ああやっぱり言えない。わからないが全然言えない。魂が全力で拒否してしまっている。
だがもう言葉は投げてしまったし、なにか他に言わないと変だ。どうしよう。他……他に……。
「私は、ひとつの目標を定めたぞ」
「いきなりなんだよ……」
なんか全然違う方向性になってしまった。自分で自分に驚く。
それは言われた方の羽織も同じ。なに言ってんだこいつという不可解がひしひしと伝わってくる。が、他のメンツが強く反応を示した。
「目標ですか、聞きたいです」
「俺も俺も」
「ひとつの目標を終えてすぐに次へ。向上心が高いね」
「そこは素直にすごい」
浴衣は笑顔で、条は興味津々で、一刀は褒めるように、八坂は無表情ながらも尊敬するように。
なんか退くに退けなくなってしまった。思索していた方向が全く別方向なので、目的目標なんて……あ、いや、あるな。
ちらと窺うように羽織を見遣る。するとため息が返る。
「はいはい、わかったわかった。聞いてやるよ」
面倒そうに、ダルそうに、それでも聞いてくれると言ってくれた。よかった。
ならば、ここでしっかり宣言しておこう。当初とはズレたが、それでもこちらも大事なこと。
雫は羽織の目をしっかりと見据え、言う。
「私は、私は貴様に勝つ」
「……へえ」
一瞬、羽織が目を見開いた。すぐに細く鋭角に尖る。
馬鹿にしている、わけではない。ただ言葉をありのまま呑み込んだだけ。
「 羽織よりも強くなって、いつか必ず羽織に勝つ――それがこれから私の目指す頂だ」
羽織が饒舌に語り尽くせぬほどにがんばったと言うなら、雫はその背を追いかけよう。
だって、いつまでも下に見られていては、悔しいじゃないか。いつまで経っても同じ景色が見れないなんて、悲しいじゃないか。
だから追いつく、並び立つ――追い抜く。
そうすればもしかすると、羽織の方から助けてくれだなんて言ってくるかもしれない。手伝うことができるかもしれない。その未来予想図は、思い浮かべるだけでとても楽しかった。
とはいえそれは酷く愚かしい、馬鹿馬鹿しいほどの大言壮語、無理で無茶な現実知らずな宣言だった。
雫は、それでもいつものように――ただ真っ直ぐ。
「覚悟しておけ、すぐにその背中を追い越してやるからな」
「ハ。やってみな、期待しないで待っててやるよ」
肩を竦めて――なんだか嬉しげに、羽織は口元を綻ばせた。
“黒羽”編終了。
三十話ていどなのに、何故、狂科学者編よりも長い期間かかってるのだろう。謎です。
ともあれ終わりは終わり。そして次の幕でようやく完結、終幕です。
今までの伏線とか布石とか全部解決――できるかな。