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第七十八話 魂魄賛歌

 更新遅れてしまって申し訳ありません。

 少々忙しさにかまけてこちらを随分放置してしまいました。

 どうか見捨てずお付き合いをお願いします。










「……なぁ」

「あ?」

「ヒントとか、ないのか?」


 それはこの戦争試合がはじまる前。雫が羽織に稽古をつけてもらっていた、その合間の休憩時間のこと。

 言うか言わまいか悩んだ挙句、結局漏らしてしまった弱音のような一言。

 羽織はうざったそうに言う。


「ヒントだ? なんのだよ」

「貴様の言う、隠しコマンドとやらのだよ」

「ふざけんな、なに楽な道探してんだよボケ。自分で考えろアホンダラ、ヒントなんざあるわけねえだろ舐めンな、このゴク潰し」


 何故一言の弱音にこうもボコボコと反撃の罵詈雑言が飛んでくるのか。雫は努めて冷静に悪口を受け流し言う――眉をひくつかせていたが。


「じゃあせめて、『魂とはなんぞや』――これの、その、他の人の意見とかはないのか?」

「……」

「他人の振り見て我が身を直せ――とは言葉の意味が異なるが、先例があるとイメージしやすいと、思うん、だが……」


 言葉は尻すぼみになっていく。

 やはりこれはただの弱音なのだろうかと思うと、自然と勢いは失速していった。

 肩を落とし、どんより落ち込む雫に、流石に追い討ちをかける気にはならないらしい。羽織は面倒そうに舌打ちする。


「ち、まあ、それくらいならいいだろう」

「本当か!」

「ってもな、これできる奴って、おれとあとふたりしか知らねえんだよな」

「貴様のでいいじゃないか」

「とりあえずおれの意見は置いとくとして――」

「おい」

「言いたくない。黙れ。

 ん、しかしそうするとあとのふたりか。あ、いやひとりだ」

「どういう意味だ、それ」

「いや、思い返せば片方のは見たことがないからな、答え知らねえと思って」

「じゃあでも、もう片方の魂の答えは知っているんだろう?」

「……」


 一瞬だけ沈黙。思い出しているのか何故だか少し懐かしげに、誇らしげに、羽織は言った。


「魂とは――“無限に研磨すべき刃”……と、あの人は言っていたな」





“魂魄賛歌”――羽織が隠しコマンドと呼んだその技法。

 それは簡潔一言で言うなら単純な自己暗示である。自己催眠による帯域の切り替えこそがその技法の全て。要はイメージトレーニングの究極形、自己認識の最終形態。

 魔益師は認識により己を改革する者。ならば、その認識を無理矢理にでも変更してやれば、己を如何様にでも変革できるということ。

 ただ、それは無論に誰もが空気を吸うようにしておこなっていること。

 剣を振るう時は敵より強い己を想像し。

 盾を向ける時は誰より硬い己を想定し。

 地を駆ける時は何より速い己を夢想する。

 そうしてそれを信じ、認識した分だけ魔益師は強くなる。

 だが――それにも限度はある。

 魂の限界、否、何かを信じることへの限界だ。

 誰より強い己を幾ら信じても、信じたつもりになっても、それは確実にどこかに穴がある。不信感は誰より己の内に潜み、強固に思っても必ずどこかでボロがでる。

 心は容易くひとつに絞った思考ができるほど、器用にはできていないのだから。



『――私は、一本の刃』



 この限界点をどうにか突破できないか――とある時代の一条家当主は、そう考えた。

 結果、彼は長き修練の果てに故意に己の精神を封じ込める方法を確立する。あらゆる感情の発露を抑え込み、ただひとつだけを残すことで自己認識の限界を一時的にでも破ることに成功したのだ。

 その精神を封ずる方法とは、至ってシンプル――つまり、極限まで集中するだけ。

 本当に、集中力だけで彼はこの不可能技法を成立させたのである。なんとも突き抜けたトンデモ加減はまさしく条家盟主と言える。

 もはや催眠に近い領域で己を支配し、より深い自分を解放する。そうして己を意図的に暴走させることで、自己認識を一時的に激変させるのだ。



『私は、一本の刃。

 其は愚直に伸びる殺傷の錬鉄にして、風と嵐とを従えし退魔の刃金。

 胸に突き立つ輝けし不屈の誓いなり』



 通常、その集中を為すために魔益師は言葉を用いる。己を象徴する言葉の連なりが、自己を強く鼓舞するのだ。

 そこに定型はない。

 自分ならばできる、とか。自分は最強だ、とか。自分を鼓舞する言霊をもって己を昇華させんとする。

 自分で自分に与える魂の言霊を宣することによって、自己のもつ力に変化をもたらす。今の己と次の己を完全に切り替えるための、言わば雰囲気づくり、演出――儀式である。



『しかして私は、気付けば冷たい枷に縛られた威を成さぬ(なまくら)に過ぎなかった。

 枷は重く、哀しく、世界を狭めて私を地に落とす。

 枷は強く、寂しく、自由を奪って私を地に縛る。

 故だからこそ――私は私の枷を砕く』



 凱歌は宣言であり、賛歌は誓約。かくあれという絶対遵守の大号令。

 弱気も弱音も常識も限界も残らず掃討し踏み潰し、一切の価値を見出さない――ただ己のみを信奉する。

 常識なんて信じない。自分に限界があるなんて信じない。自分より強い存在なんて信じない。

 信じない信じない信じない信じない信じない信じない信じない、信じない!



『自由を奪う我が枷よ、刃をもって砕け散れ。

 世界を狭める我が枷よ、刃をもって斬滅せよ。

 魂を弱体させし我が枷よ、刃をもって強さと変われ』



 信じるものはひとつだけ――すなわち己、自分、自己、自我、


 我!


 理屈なく、理由なく、理論なく――己は最強であると信じ込む。

 自己の最強という概念以外は信じていない以前に、意識すらしていない。

 


『人を殺すが刃の運命(さだめ)ならば、人を救うは刃の願い。

 さあ行こう、歩むための刃はここにある。叶える刃は胸にある。

 枷はとうに砕かれた――既にお前に縛りはないぞ! ならば風のような自由とともに――きっとどこまでも行くがいい!!


 魂とは――“ただひとつを願う刃”なり!!』



 そして魂は認識により限界を超えた最強を体現する。

 世界理法を無視して、加瀬 雫のルールを遵守する。

 ――“魂魄賛歌”ここに成せり。





「なによ……それ……」


 理緒の声は、隠しようもなく震えている。見逃しようもなく動揺に陥っている。

 気付けば今までの冷静さをかなぐり捨てて、妹に向けて思い切り叫んでいた。


「なんなのよっ、それは!」


 明らかに先ほどまでとは格が違う。領域が違う。次元が違う。根本的な存在規模が徹頭徹尾異なっている。

 強化というよりも、これは変身。原型がもはやないのだから。力の上昇が激大過ぎて、根源であったものが霞んでいる。

 いや、相貌だって、仕草だって、あらゆるだってあれは加瀬 雫であると理緒に伝えている。力の変動という一点を除けば、雫はなにも変わらず雫でしかない。

 なのに、なのに、なんでこんなにも――目の前の少女はこんなにも違う。


「一体、なにを……」


 ぐるりと首を回し、怨敵を睨み殺さんばかりに視線を刺す。怒声をぶつける。


「雫になにをした! 羽織!!」

「はっ、強くしたんだよ。てめえに勝てるくらいな」

「そんな曖昧なことは訊いてない! 雫は今、どうなっているのか訊いているのよ!」

「んん、まあ、一言で言えばメッチャ集中してるんだよ――ただひとつを願ってな」

「願い? 一体なにを……」

「てーか、おいおい。おれにばっか気ぃ割いてないでもっと妹ちゃんを見てやれよ。構ってくれって刀振りかぶってんぞ」

「!」

「――――」


 理緒の混乱に雫は無言、否、無反応で刀を振りかぶる。振り下ろす。


「っ」


 ずぱん、と火炎が一撃で斬り裂かれた。

 視認はできても回避は不能の速度で飛来した風刃は、理緒を捉えた。だが、発動した“火炎の守護”がその身を庇い――剥がされた。

 先まで五撃の風刃をくらっても残った守護炎が、たった一撃でぶっ飛ばされたのだ。

 理緒は慌てて“一歩の加速”を行使し、次の風刃を避けようとして――移動先に風刃を飛ばされた。


「っっぅ!?」


 空気中の全ては、既に雫の知覚範囲。どう動こうと把握される。

 理緒は掠った脇腹を左手で押さえながら、右手人さし指を伸ばす。能力を行使。


「『転べ』!」


 そしてもう一度加速――理緒は雫へとはじめて自ら肉薄する。

 あの高速にして高威力な風刃を無制限に放たれては身がもたない。接近戦にでる他ない。

 雫が静止状態から不自然に転倒した直後、理緒が一瞬で間合いを詰める。振りかぶった振動剣を振り下ろす。


「――」


 言葉はなく、焦りもない。雫は中空に投げ出された身を風によって姿勢制御、ふわりと着地する。思った以上に隙を作れず、雫は理緒の斬剣を刀で受け止めることができた。

 激しく嘆く金属の悲鳴が轟く。火花散り、結ぶ剣と刀が刃を競う。

 次瞬、それぞれの力が牙を剥く。

 雫の風が鍔競りとともに飛来し理緒を狙い。

 理緒の振動が衝突とともに伝導し雫を襲う。

 ごふり――と血を吐いたのは雫。荒れ狂う振動の塊を臓腑に叩き込まれ、腹の中が掻き乱される。

 反して理緒は再び燃え上がった盾が風刃を防ぎ、対消滅。本人にまで届きはしない。

 雫は即座に撤退を選択。素早くバックステップを踏んで距離を置こうとする。

 だが理緒も逃がさない。追走して間合いを保つ。その間にも振動剣は舞う。横薙ぎ、袈裟懸け、刺突。移動と斬撃を同時に行う。雫はそれを風の知覚で始発の時点で見切り、跳び退きながら紙一重で避ける。避ける。避け


「『転べ』」


 足がもつれる。体勢を崩す。地が遠のく。

 刀を地面に突き刺す。転倒を耐える。同時にあがった足をおろす。ついで理緒に蹴りを見舞う。“火炎の守護”が発現、足ごと燃や――吹き飛ばされる。


「え」


 蝋燭を吹き消すように、蹴撃は守護炎を吹き消す。

 何故――理緒の拡大された視力は答えを視る。足には高密度の風が付加されていたのだ。

 驚きに反撃の斬撃は寸分遅れる。振り下された踵が理緒の頭頂部にヒットする。


「ぐっ」


 付与された風は守護炎と相殺したお陰でただの蹴りであったが、単純に強打。脳を揺らされ理緒の思考は一瞬間だけ空白に陥る。

 その隙に雫は大跳躍、間合いを今度こそ広げる。ここまで離されては深追いだろう、追撃は断念。理緒は警戒を強め、脚を止めて構え直す。


「雫……」


 ふたりは視線を交錯させ、次撃をどうすべきか極々短時間で思索を巡らせる。

 理緒は考える。混乱して怠った現状の把握を今更ながら考え出す。

 究極的に集中した雫に、もはや声は届いていない。ただひとつの願いを除いて、全てを意識から外しているのだ。

 おそらく痛覚も遮断している。でなければ鍔競った時の内臓のダメージで動きが鈍るはずだ。視覚も聴覚も、願いのための必要不必要によって選別され脳に伝わっている。

 だが、ここまでの集中を人間がそう長く継続してはいられないはず。それに、完璧な集中であるが故に一瞬の動揺で全てが瓦礫と崩れ去るはずだ。

 今の雫に抗するには時間を稼いで集中力が切れるのを待つか、またはどうにか精神を揺らして正気に戻す他ない。

 選択すべき道は――そのどちらでもない。

 真っ向勝負。理緒の選ぶのはそれ。

 今挙げた選択は、即ち現状の雫には敵わないと認めるようなもの。今は勝てないから弱るまで待とうと、そういう雑魚の思考回路だ。

 そして、魔益師はそんな選択を選べば即自己の弱体化を招くこととなる。半端な魂ではいけない。

 勝つ。理緒の魂魄はそれしか思ってはいない。魔益師らしく、ただ己を信じて。




 対峙する雫はなにを考えていたのか――すっと懐から持てるだけの柄を引き出す。柄からは無論に刃が伸び、だがそれは短い。小剣である。

 短い刃は鏡のごとく陽光を反射し煌くほどに磨き上げられている。柄は簡素だが握り心地がよく、吸い付くような触感を覚える。なによりも、至高の刀剣鍛冶師が熱意の限りをつぎ込んだ入魂の一作のごとく刀剣美として類を見ぬほど純粋だった。

 それその通り――雫の取り出したそれは藤原 圭也という至高の造形師による刃である。

 羽織からの、借り物だ。


「あら雫、刀以外も使うようになったのかしら」


 返答は期待せず、それでも理緒は自己の余裕を努めるために言っていた。

 返答はやはりない、間断なく行動を続ける。雫は今、自分だけで全てを完結させている。会話という他者との繋がりは断絶している。ただひとつを願って……。

 ほい、と無造作に握る小剣全てを空へと放り投げた。刃はくるくると回り上昇するが、次には重力によって落下――しない。


「!」


 小剣が落下しない。

 持ち主なき刃が重力を無視している。

 何故――風。

 雫が刀を緩く回し生じた空気の揺れを制御、小剣へと付与した。風による浮力で重力に抗い虚空で回転を続けているのだ。

 それは先ほど戦った男の技。自分自身が苦しめられ、厄介と認めた戦法。

 その――アレンジ。

 オリジナル――織部 八雲の場合はその能力と、浮かせていた刃が具象武具であったために可能だった戦技。

 それをアレンジし、風によって再現してみせたのだ。

 しかも浮遊する小剣たちは自らをくるくると回転させいる。まるで自家発電する車輪のように、風力発電する風車のように、その回転をエネルギーとしている。

 つまりがやはり風だ。回転により空気を乱し風とし、自重を支えている。

 八雲のように自在に小剣を舞わせて攻撃もできるが、同時に小剣が作る風を溜め込むことも可能という二段構え。


「……他者の技前をも自分のものとするその性質、本当にあなたは実戦向きね」


 理緒は知っていた。

 雫の為したそれが“百剣戦舞”と呼ばれる技法であると、黒羽支部長のひとりの技法であると。

 そして、雫が戦闘中であれ観戦中であれ、何時いかなる時も自己の向上を怠らない少女であるということも。

 それが……理緒には『■■■た』。


「ふふ、でもそんな付け焼刃で私に勝てると思っているの?」


 振り払うように、理緒は強気に笑って見せる。

 理緒は新しい技をだされたからと言って気圧されたりはしない。逆に、自分の優位を思う。

 自分の周りに剣をくるくると回して――よほど接近されるのが嫌と見える。近距離ではまずいと先の攻防で判断したのだろう。だが――


「どうなっても、やはりあなたは甘いわね、雫」


 理緒は、左手を持ち上げた。





「他人の技をパクるとか……なにあいつひとりで最終回みたいなことしてんだよ! いや、風は応用力高ぇけども!」


 ちなみにその前の蹴りに風を込めたのは、条のパクリであると羽織は睨んでいた。今まで刀以外に風を込めたことなんてなかったはずだ。極限の集中は、そんなことまで可能としたか。

 流石、流石は“魂魄賛歌”である。一条様の編み出した魔益師最大戦闘補助術である。

 くつくつとノドで笑みを殺し観戦を続ける羽織に、条は声を荒げる。


「待て待て待て! なにあれ、なにあれ、なんだよありゃあ!」


 羽織は露骨に面倒そうに言葉を繰り返す。


「だから、“魂魄賛歌”」


“魂魄賛歌”――それを編み出した男は、この技法についてこう語った。

 その技法成立させし者、甚大なる力を引き出すことを約束す。

 系統位階を位ひとつ上げ、

 存在強度を領域ふたつ広げ、

 魂魄能力を出力三倍引き出し、

 魂の魔益総量を桁よっつ増やし、

 ――そうして最強へと至るであろう。


「んな……馬鹿な……自己認識だけでそんなに強くなれるわけが……」

「なれんだよ、ボケ。お前は魔益師って存在を舐めすぎだ」


 羽織の断言に、条だけでなく浴衣もリクスまで驚愕を隠せない。ここまで急激な能力向上が、たかが認識ていどでできるという事実に。魔益師の可能性の広大さに。

 とはいえ実際、雫の極端な強化をまざまざと見せ付けられては、否定もできない。

 これが、魔益師の深奥なのだろうか。追求すれば終わりなどないと勝手に思っていた、魔益師という存在の極形なのだろうか。

 羽織はやれやれとばかりに一息吐く。どうでもいい方向に思考が迷走している。今はそうじゃあないだろうに。


「まあ、深く考えんなよ。今は“魂魄賛歌”よりこの戦いのほうが重要だろ」


 気楽げに肩を竦め、羽織は条らから意識を外して戦況を見守る。彼我の力量を俯瞰する。

 絶対に負けられないと思っている雫と、強がってるが迷いと躊躇いのある理緒――これで勝負はわからない。

 魂の認識による魂魄の上下。

 雫は覚悟の念に魂を増大して、理緒は迷いに魂を減衰している。

 両者の地力は、“魂魄賛歌”も相俟って現在においてのみ然程の差はない。


「さあ、どっちが勝つか」


 羽織は酷く愉しげだった。





「――『捻じ曲がれ』」


 ぐにゃり、と。

 くしゃり、と。


「っ!」


 雫の左手が突如ありえない方向に歪み、よじれた。折れた。小枝でも折るように、容易くぽっきりやられてしまった。左手はもはや使い物にはなるまい。

 だがそれでもまだマシ。咄嗟に危機を感じて一歩退いてなければ、胴をやられていた。一発で終わっていた。

 予兆もなく、空気を伝わず遠距離からの不可視の一撃、それは魂魄能力によるものに相違なく――つまり、理緒のまだ残していた遺魂能力だ。

 黒羽 理緒、正真正銘最後の遺魂能力“空間の歪曲”。強力な空間系の魂魄能力、彼女の奥の手だ。


「雫、痛かったわね、ごめんね。でも、もう私も加減していられない。邪魔できないよう手足砕いて転がってもらうわよ」

「――――」

「次は、右腕ね」


 閉じた手の平を開き――前に刀を振り下ろす。雫は即座に風を放つ。嵐を圧縮した風の斬撃。

 だが。


「『歪み逸れろ』」

「!」


 超高密度の暴風が曲がった。不自然に進行方向を歪められた。

 違う。歪んだのは空間。風が走る空間そのものが歪められたのだ。故に風の刃は逸れ、あらぬ方向に着弾するのみ。

 ふふ、と理緒は優位を笑う。わけのわからぬ技法などで埋まるはずのない実力を誇るように。


「これであなたお得意の遠距離攻撃はもう効かない、届かない」

「…………」


“魂魄賛歌”の効用は、一言で言えば元あるスペックのブーストに過ぎない。新たななにかを追加するわけではない。

 雫は風を操るから、その規模と容量と指揮能力が拡大する。だが、いくら威力が上がろうと、風は空間内の現象であることをやめたりはしない。空間ごと曲げられてはどうしようもないのだ。まさしく格が違う、領域が異なるのだから。

 つまり、雫の遠距離攻撃は封じられたに等しい。最も得意とする分野を縛られては向上した能力も十全には活かせまい。理緒はここぞとばかりに攻め立てる。

 左手の平が開く――雫は急いで跳び上がる――握り締める。歪む空間、透明の顎門。かわし切る。

 流石に素早い。先のような不意打ちでもないと直撃狙いは厳しいか。理緒はやり方を変える。全てを出し惜しみなく出し尽くす。


「『転べ』そして『捻じ曲がれ』」


 転倒の因果的強制。雫はまた風で抵抗しようとするが、次の言葉に中断。転倒の勢いに風を乗せ、余計に大移動する。歪曲を避ける。代わりに着地の体勢がやや悪い。隙。


「破ァアッ!」


 加速――斬撃。

“一歩の加速”で間合いを潰し剣を振るう。使えぬ左手側を狙う横薙ぐ一閃。

 防ぎ得ない――防がれた。


「ち」


 周囲の小剣の一本が飛来し阻んだのだ。すぐに第二第三の小剣が理緒へと降り注ぐ。火炎が逆巻き押しとめる。その刹那に剣閃飛来、小剣を弾き飛ばす。

 だが手間をとられて雫の行動を許した。またも大跳躍で理緒から一気に離れる。雫は森に入り木々に紛れる。


「無駄なことを」


 左の赤き瞳が隠蔽を暴く。

 どこに隠れようと、どうやって潜もうと、この目を逃れることなど――

 ひゅるりと――風が啼いた。


「……え?」


 怖気立つほどに、震えだすほどに、なにかが今起きている。

 どこで、なにが、一体。理緒は本能的にばっと天を仰ぐ。上天を睨む。


 ――多重渦竜巻。

 

 膨大暴虐な風の猛威が天を覆っている。それは竜巻、暴風の塊。しかもそれが無数に踊る。巨大な一本の竜巻を中心に無数の竜巻が取り巻いて回転している。

 ひとつひとつが民家を吹き飛ばし、車体を舞わせるほどのどんてもない竜巻。中でも親渦のそれは圧倒的だ。竜巻という災害の強度分類で言っておそらくF5クラス、観測史上最大級のそれに匹敵せんばかりの風量である。もう荒唐無稽、冗談にも笑えないレベルの大破壊が空では顕現していた。


「なんて、規模……」


 赤い瞳はその風の甚大さを写し、桁違いの破壊力を理緒に教えてくれる。雫のなす所業の恐ろしさを直視して、理緒は戦慄していた。

 竜巻は今なお成長を続ける。それを作り出し操る者がある限り、その者の現在の力量が可能とする限り、風力は増し竜巻の数さえも増えていく。

 加速する天上の嵐は地上にまで降り立ち、まるで巨大な柱の如く聳え立つ。天地を繋ぐ神の指として地をひっかく。木々が、岩が、大地さえ剥がして竜巻に呑まれていく。粉微塵になって暴風の中に消えていく。

 まるでブラックホールのようにあらゆるを吸い寄せ、磨り潰し、無へと還す。

 理緒もまともに相手取るのはまずいと判断。大きく距離をとって、自身の周囲を空間的に歪めて風を逃れる。

 しばらくすると、周辺は更地と化していた。森に隠れたはずの雫がその身を堂々と晒す――まるで風を負う魔王のように。


「――――」


 ゆらりと、雫は刀を掲げる。竜巻どもを指揮するかのように。はたまた破壊を手中に収めた魔王がその全てを滅びに行使しようとするように。

 ギョッとする理緒だが、嵐は攻性をもって襲い来ることはなかった。

 ――喰っている。

 天を衝かんばかりに掲げた刀の切っ先に、竜巻が収束する。あの巨大な竜巻を、雫は取り込んでいる。膨大な風を震わし狂騒させ掌握し――刀へと注ぎ込む。多重渦竜巻が残らず一本の刃に喰われていく。


「……馬鹿な、あれほどの力を統率し切るなんて……できるわけがっ!」


 瞬間世界から音が消えた。一瞬前の竜巻など嘘のように凪いで静寂だけが取り残される。

 だがそれは暴威の消失を意味しない。大災害クラスの暴威が刃一本に収まるという規格外を示している。

 なんて掌握力、制御力――支配力。


「けれど……無意味よ。それは先ほど証明したはずだけれど?」


 遠距離攻撃では、攻撃が理緒に届く前に空間ごと曲げられ届かない。それがたとえどんな破壊力を有しようと、空間上を走るのならば無意味でしかないのだ。

 ――本当にそうか?


「っ!」


 理緒も気付く。雫の溜め込んでいる力の総量に。馬鹿げたほどに巨大な竜巻の暴威に。

 まさか、空間的歪曲作用を力だけで押し通る気か。世界法則を物理的な強度だけで崩すつもりなのか。馬鹿な、威力なんて関係ない。力の大小など無関係だ。風は空間に在るもの。それは絶対的なルールだ。それはそういうものではないか。

 知るか、やってみなきゃわからない――雫はおそらくそんなシンプルで馬鹿真っ直ぐに考えている。理緒には、それがよくわかった。わかってしまう。

 いつもいつも、本当に真っ直ぐで純粋。自分とは違い、曇りなき刃のようなその生き様はなんて美しいのだろうか。

 ああ、理緒はそれが心の底から――『■■った』。


「……ける」

「え?」


 嵐去り次の嵐の直前ゆえの極短時間の静けさ。故に理緒の耳はなにか声を拾っていた。極限に集中しているはずの、雫の声を。

 一体なにを――雫は掲げた刃を振り下ろす。喰らった風の全てを、一撃に注いでぶちかます。


「!!」


 回避は不能、その風は巨大過ぎるから。

 防御は無為、その風は強大過ぎるから。

 ならば、受け流す。竜巻十数分の風刃を、全身全霊一意専心、逸らして耐えてみせる!


「『歪め』ぇぇぇぇえええ!!」


 ぐわん、と世界が急激にたわんだ。理緒の前方が真上へと不自然に空間的に歪んで位相を変化させる。

 もはや自然の法則には絶対ありえない大変な異常現象を顕現して――対抗するのは大自然の猛威そのもの。

 強制的に曲折されそうになる風は、強烈な裁断力ともはや音速を突破する速度で直進を突き進もうとする。

 そして風は確かに真っ直ぐをゆき、斬り裂いた。

 ただし歪んだ空間上での真っ直ぐでしかなく――理緒にはそよ風すら届きはしない。


「……っ」


 流石に理緒でも安堵を晒す。

 そうだやはり威力や風量なんて関係ない。空間と風では相性が悪過ぎる。これは順当の帰結に他ならない。

 ――そんなことは雫にもわかっていた。


「な」


 突貫。

 雫は吹き荒ぶ風の向こうから、全力疾走接近していた。


「まさか!」


 先ほどの風は、囮!?

 阿呆なのか、あんな大規模な大災害を囮にするか普通!?

“魂魄賛歌”とやらで魔益総量が激増したからと言って、無駄遣いに過ぎるだろうが。

 意表を衝かれ、驚愕し、そして隙を晒す。その間に雫は走る、間合いを詰める。


「っ」


 理緒はここで、何故か極端に接近を恐れた。

 思わず歪みで雫を捕らえる。握りつぶす。狙いは右手、残る刃執るための手である。

 回避する気もなし。雫は疾走緩めず右腕すら砕かれる。零れ落ちる刀――風で浮き上がり、雫の口元へ――柄に噛み付き不恰好ながら刃を逸らさない。刺突を貫く。


「!」


 流石に顔は狙えない。雫が死んでしまう。試合のルール上、殺害はだめだ。なにより、理緒に雫を殺すなど無理に決まっている。

 では脚を潰す。

 接近しきる前に。刀の間合いに入る前に。


「もう沈め!」


 両足まとめて捻じ曲げる。骨ごと折り曲げ雫を達磨の身に落とす。

 これで終わり――

 終わらない。風が雫の背を押し、最後の距離を踏破する。間合いに踏み込んだ。


「……ける」


 両手を潰した。脚も砕いた。それでもなお進撃する。

 そんな信念揺れぬ雫が理緒は『■■った』。

『■かった』!

『怖かった』!!


「!」


 気付いてしまう。

 過日から抱いていたその思いを。姉と慕われながら募っていた暗い念を。

 刹那呆ける理緒に、容赦なく雫はもう全ての力を刃に込めて斬りかかる!

 

「……ける――助ける――!」


 火炎が盾となる。貫かれる。理緒は無心ながらも身体が対応しており剣を振りかぶり――


「私は――あなたを助ける!!」


 そして雫の絶叫とともに、最後の斬撃が交錯した。










 どーでもいいキャラ紹介



 “黒羽”総帥――黒羽 理緒


 魂魄能力:“振動の支配”

 具象武具:西洋剣

 役割認識:剣士

 特殊技能:遺魂能力

 能力内容:振動を支配する。

 その他:遺魂能力の武具の能力。

 黒く野性味あふれ強靭そうなブーツ――魂魄能力“一歩の加速”を有する媒介武具。

 左手を優しく覆う白く上品な絹製の手袋――魂魄能力“空間の歪曲”を有する媒介武具。

 右手人差し指に嵌められた金色に輝く円環――魂魄能力“転倒の強制”を有する媒介武具。

 火炎を固定し石の形に押し込んだような首飾り――魂魄能力“火炎の守護”を有する媒介武具。

 なにもかも貫き見通すかのごとく鋭く紅い片目の義眼――魂魄能力“視力の拡大”を有する媒介武具。




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