第七十六話 相対
「で、これからどうするんだ?」
ようやっと合流してひとつ落ちついた頃合、雫はとりあえずそう切り出した。
その雫の傍らには、真剣そのものの表情で浴衣が自身の能力を行使している。
羽織は浴衣が懸命のあまり頑張りすぎないよう眺めつつ、雫にさらりと答える。
「黒羽 理緒を倒す」
「――は?」
「は、ってなんだよ。それが当初からの目的だろうが」
「えっ、いや、それはそう……だが」
突然過ぎるというか、心の準備ができていなかったというか、間隙を突かれたというか。
雫は呆けたように黙り込む。
代わりではないが、条が木を背にして肩を竦める。
「それはいいけどよ、相手の場所はわかんのかよ」
「ああ、六条に聞いた」
「……そういえば羽織は六条様と謎の繋がりがあるんだったな」
忘れていたことを誤魔化すように、条は頭を掻く。
不意と掻く手が止まる、思いつく。
「ん? あれ、じゃあそうなるとどうして他の当主は“黒羽”総帥のとこにいかねえんだ? 倒せば決着なんだろ?」
「頭だけ叩いて即終了じゃあ、条家が数で押される前に蹴りをつけたと思われるだろ。まずは数的な不利を覆して見せてから、総帥を叩く。これが一番力の差を見せ付けられる」
「あ、なるほど」
「数を覆すために当主様たちが他に手を割いている、今この内が雫先輩にとって戦うチャンスということですね」
「その通りです浴衣様。って、もう喋る余裕があるのですか?」
治癒に集中して沈黙を保っていたはず。
それなのに喋る余裕を確保したということは、
「はい。少し時間はかかりましたが、治療は完了しました。これで万全ですっ」
「む、そうか。ありがとう、浴衣」
浴衣の治癒を実感するように、雫はぐっと拳を握り締めた。
傷だらけだった身体も、使い果たした体力も、底をついた魔益も、全てを元にもどして加瀬 雫という存在を治癒し切る。九条の魂魄能力“存在の治癒”の規格外の力は、その身で体感した雫をして苦笑が隠せない。
振り切って、先ほどからずっと気にしていたことを条に問う。
「だが、本当によかったのか、条? お前が治癒をうけなくて」
「いいさ。今日はもうだいぶ戦ったしな」
「すまないな」
雫は殊勝に言うが、羽織は肩を竦めて薄く笑う。
「はっ、条まで治すと“黒羽”総帥と戦いたいとか言い出しかねないからな。このままでいいんだよ」
「言わないって。これは雫の因縁だろ? 無粋な手出しは俺だって気が引ける。観戦くらいが関の山だって」
「わかってりゃいい」
羽織は頷き、それからもうひとつの懸念を思い出したように今度はリクスに声を向ける。
「あぁ、あとリクス、お前もちゃんと我慢しろよ。割って入るとかはなしだ、今回はサシの戦いだからな」
「……」
リクスは一度、黒羽 理緒に全てを投げ打って襲い掛かったことがある。
それほど憎む理由があり、襲撃するに足る動機があるのだ。
そこらを見越してあらかじめ言い含めておこうと思ったのだが、
「わかっている」
予想外に無感情に、リクスはそう言った。
いや、もとから感情を表にださない少女ではあったが、それが思った以上にいつも通りであったのだ。
「私は浴衣の守護役、無闇な攻撃で以前のように浴衣を危機に晒すわけにはいかない。それに加瀬 雫が敗れた場合、せめて浴衣だけでも守るために、力を残す必要がある」
「いい返答だ。護衛の自覚はでてきたらしいな」
「……」
やはり言葉少なで、表情はなく。羽織の言葉はどこか宙に浮かんでしまう。
羽織は自分ではリクスに対する詮索追求など無駄だと断念し、改めてもっと単純な雫に向き直る。
わかり易い奴の内面に探りをいれるべく、問うておくべきを問う。
「んで、覚悟はできたかよ、雫」
「……」
羽織の一声に、雫はすぐさま返せずまた言葉を失くしてしまう。
なにかを迷うように目を泳がせ、やがて探し物が見つからなかったのか目を伏せる。
わかり易すぎて呆れかえる。羽織はため息と言葉を一緒に吐き出す。
「おい?」
「そう容易く、腹を括れるはずがないだろう。相手は理緒姉ぇなんだぞ?」
「知るか、敵が誰でもてめえのやることは同じだろうが」
「それでも、やっぱり、私なんかが理緒姉ぇと戦うだなんて――」
「雫先輩は、強いですよ」
「え?」
雫の弱気を遮って、浴衣は言う。
「雫先輩は、強いです」
何度でも、力強く、言う。
「そうだな、雫は強いよな。俺もそう思うぜ?」
条まで賛同を示し、偽りなき笑顔を咲かせる。
とても感情的で、どこまでも主観的で、なによりも身内びいきな断言は――しかし、雫の胸を突いた。
幾千万の理屈と論理を並べ立てられるよりも、ずっとずっと心に響いた。
「浴衣、条……」
そうだ、弱気でどうするというのか。
姉を止めてあげられるのは、この世に加瀬 雫しかいないというのに。
「!」
自分の思考内に、致命的な勘違いを発見する。今までの迷いに、根本的な間違いがあったことに気付く。
そうだ、そうなのだ。
雫は、別に理緒を倒したいわけではない。負かしたいわけではない。
ただ、止めてあげたいだけなのだ。
あの自らでは止められない、悲しい暴走を果たしてしまった姉を、休ませてあげたいだけなのだ。
ならば、そこで戦力の上下など二の次ではないか。まずは、強い意志で、彼女と向き合うこと。
それからあとは、その時にでも考えればいい。
結論をだした、という顔の雫に羽織はニヤリと笑う。
「よーし、これでバッチリだなぁ」
「えっ、いや――」
「なんだ、浴衣様の激励受けてもウジウジしてる雑魚なのか、お前」
「それは……うん、そうだな。確かにふたりから力をもらった気がする。励ましてくれてありがとう。ふたりの言葉だけで、私はきっと戦えるよ」
微笑みかけるその顔に、既に気負いは失われて。
だから、浴衣も条も不安なく笑い返す。がんばれと、ただひとことそう添えて。
唯一ひとり、羽織は笑わない。同じ問いを繰り返す。
「最後だ――覚悟はいいな?」
「あぁ」
今度は確かに即答して見せる。
浴衣と条にもらった力が、確固たる自信に繋がっていた。
「大好きで、負けなしのお姉ちゃんに挑む覚悟はできたな?」
「あっ、あぁ」
「なんで口ごもってんだ阿呆」
「いや……貴様が迷わせたんだろ」
「ボケ。この程度で迷うな、迷って雑念が混じれば加瀬 雫という刃は途端に切れ味がガタ落ちする。お前の刀が願うものはひとつ限りだ、ただひとつだけを願い求めろ。そうすれば魂は応えてくれる。負けなし姉貴にも、勝てる。
お前は刃のように澄んでいるのだけが取り柄なんだからよ、できんことはないはずだ。がんばれよ」
「……珍しく、褒めるじゃないか」
「言葉で力をもらえた気がするんだろ? なんとも安い奴で助かるぜ」
「最後の一言で台無しだ、馬鹿者」
なんて言いながらも、しっかり羽織の言葉からも力をわけてもらえた気がした。
ああ、今なら本当に、あの無敗の姉と戦うことができるかもしれない。
雫は微かな笑みとともにそう思うのだった。
「……?」
暖かい風が、黒羽 理緒の頬を撫でるように吹き抜けた。
それは心温まるような優しげな風であったけれど、なにかを予感させる気がしたのは警戒のしすぎだろうか。
「それとも、思い出したのかしら」
風を扱う妹のことを。この戦いの後に謝りに行こうと決めていた少女のことを。
だが、姉妹の再会は、そんな穏やかさとはかけ離れたものとなって実現する。
「えっ」
今ここで理緒の前に立ち塞がったのは、誰でもなく理緒の妹たる雫だったから。
「――雫?」
「ええ、私です、理緒姉ぇ」
静かに肯定を告げる雫に、場違い感もなく。むしろ戦場に立つことが自然といえる凛々しい相貌と立ち居振る舞いであった。
だから、この問いかけは無用でしかあるまいが、それでもこう問わざるを得なかった。
「何故……あなたがここに――この、戦場にいるのかしら?」
「今この一戦においてのみ、私の名は加瀬ではなく九条だからです」
「っ! それは……」
「私は九条 雫。あなたの枷ではなく、妹ではなく――敵としてここに立っている」
魂の具象化――刀を握り締め、その先端を理緒へと向ける。まるで刃を敵意の具現としたように、これからあなたに挑むと言わんばかりに。
明確な、宣戦布告だ。
「……そう、約束、果たしてくれるの、雫」
一瞬焦った理緒だったが、すぐに余裕を取り戻して微笑を浮かべる。
勇ましくも剣をとる妹に、姉は無手のままに肩を竦める。
「でも、少し早過ぎるんじゃないかしら? 今のあなたが、私に敵うつもりなの?」
「いえ、勝てないでしょう。私では、理緒姉ぇを倒すことはできません」
「じゃあ、そこを退いてくれないかしら? 私は今、とても忙しいの。妹と言えど、相手をしている暇はない」
「それはできません。私は、あなたと戦うためにここに立ったのですから」
「……敗北を予見しながら戦いを挑むだなんて、いつからそんなに頭が悪くなったのかしら、雫」
「ふ」
そこで、雫は不意に笑った。
論点のズレを理解し、修正するよう声を大にし宣する。
「私はあなたに敵わない。でも、それで構わない――私はあなたに勝ちたいんじゃない、止めてあげたいんだから!」
「っ!」
「だから絶対に、負けない!」
勝ちがなくても、だから敗北に直結するわけじゃない。回答は二択に限定されているだなんて、そんな条理は斬り裂くのみ。
強い雫の宣言に、理緒は肩を竦めて見せる。視線を雫の後方に生える一本の木に移し、恨み言のようにぼやく。
「これは……あなたの仕込みなのかしら、羽織?」
「流石にバレてたか」
樹木の裏に隠れていた羽織が、ひょっこりと顔をだす。
続けて浴衣、リクス、条もまた、警戒しつつも現れる。
つまらなさそうに、理緒はそのメンツを流し見る。
「九条の姫君、あの時の人形、それに……」
「二条 条、雫の友達だ」
「そう。なにかしら、雫に一騎打ちと言わせておいて不意を討つつもりだったのかしら?」
「いや? おれたちはただの観戦だよ。てか、戦うだけの余力はもうねえ。なによりも、もう雫以外はリタイア済みだ」
「リタイアですって?」
「あぁ。なあ、ソウルケージの人」
羽織は馴れ馴れしく言い、またさらに木の裏から見知らぬ男を引っ張り出す。
ソウルケージの構成員であり、この試合において審判の役割を担う者のひとりである。
彼に向けて、羽織は確認をとる。
「おれらはもう試合からリタイアしたよな?」
「は、はぁ。そのように承っております」
「ほれ、これで安心したか」
ニヤニヤ笑う羽織に、理緒は冷静に言葉を返す。
「リタイアしたのなら、どうしてこの森から去らないの、邪魔じゃない」
「それはほら、お前と雫の戦うの、見たいし。アンタも見たいよな、ソウルケージの人」
「えぇ、まあ、それは、確かにそうですけど……」
「というわけだ。気にせず続けろ。姉妹喧嘩をよ」
「……そう」
理緒は“黒羽”総帥。
その戦いを見てみたいという好奇心が起こるのは道理。しかしこの場で他の誰かがリタイアしては、その誰かを誘導するために森から出ねばならない。つまり、ここで起こる戦いを観戦できない。羽織はソウルケージの彼のそんな懊悩を突いて、一緒に観戦してから退場しようと丸め込んだのである。
「雫の言った通り、いやらしい手口を使うのね」
「あ? 褒め言葉か?」
「……あなたは、なにがしたいのかしら、羽織」
「なにがって? 今はお前と雫の喧嘩が見たいかな、面白そうだしな、姉妹喧嘩」
「のらりくらりと嘘ばかり、あなたの本音はどこにあるのかしら」
「さあ?」
「はぁ、馬鹿馬鹿しい。付き合っていられないわ。私が戦う必要なんて――」
「雫を倒せたら、一条の居場所を教えてやるよ」
「!」
その一言に、理緒は電撃的に反応する。
まるで落雷に撃たれたような衝撃に、しばし理緒は動きを止めて、それから再起動。慎重に羽織に問いを投げかける。
「今――なんて?」
「雫を倒せたら、一条の居場所を教えてやるよ」
なんてことのないように、羽織は一言一句違えず繰り返した。
それから、なんとなし視線を別に向けて、空っとぼけたような口調で独り言を声音おさえず言う。
「さっき六条に確認してもらったけど、もう総戦力的に“黒羽”は敗北条件八割以下を満たしそうだよなー」
「……」
「五条と六条は危険を芽のうちから除いとくタイプだから、たぶん“黒羽”の探査役は大体リタイアしてるだろーなー」
「…………」
「時間かけてたらたぶん、八割以下になって負け。一発逆転狙いで一条倒そうにも探査できる奴がいない。あれー? これって“黒羽”詰みそうじゃないのー?」
「…………っ」
羽織のわざとらしくも鋭い煽りに、理緒は歯を軋ませる。
おそらく、理緒や“黒羽”は――否、他の退魔師機関だって、条家十門がここまで非常識な強さとは想定できていなかった。
条家十門の強さを、理解できていなかった。
だから、“黒羽”は――“黒羽”総帥は、様子見の段階で既に敗北寸前の危機的状況に追い詰められている。
「足手まといが多いと大変だな、おい。お前は傷ひとつないのに負けかけだぞ、瓦礫の山の大将」
「言ってくれるじゃない」
「そう怖い顔すんなよ、そんなお前にお得な情報をやるってんだからよ」
「一条の、居所かしら。それを私に教えるなんて、裏切りになるんじゃないの?」
「なるかよ。お前程度が、いや、誰であろうが人間じゃあ一条に勝てるわけがねえんだよ。ただこの試合の決着のつけ方が変わるだけだ」
「ふん、傲慢な物言いは条家の十八番ね。でも、だからあなたたちは負けるのよ」
「……」
一瞬も揺らがぬ自信。
ここまで条家十門の力を見せ付けられ、未だに己の勝利を疑っていない。それは容易なことではない。
それだけ魂が強いということか。それとも、まだ見せぬ自信の源があるということなのか。
「まあ、いい。とりあえず了承と受け取ったぜ。
――じゃ、行け雫。ぶっとばしたれ」
「あぁ、羽織――助かった」
珍しく羽織に向けて素直に礼を述べて、雫ははにかんで見せた。
驚いた表情を晒す羽織に満足。雫は、もうあらゆる迷いを断ち切って刀を振りかぶり、地面をぐいと踏みしめ――
「理緒姉ぇ――尋常に、勝負ッ!」
一足でもって理緒へと斬りかかる!