第八話 準備
今更ですが、“羽織”が名前で、“羽織り”が彼の身に着けている和服の上着です。わかりづらいかもしれませんが、一応はそういう区別をしています。
「ま、そんなわけで二条 条だ。よろしくたのむわ」
「……敬語はやめるんだな」
静乃が退室した途端に恭しさの崩壊した条の態度に、雫はジト目で突っ込みをいれた。いや、まあ途中から徐々に素の部分は見えていたが、それでも豹変されると対応に困るのだ。外見と中身も全然噛み合っていないし。
どうにも条は他人を誤解させるのがよほどに上手いらしい。それが長所なのかは知らないが。
硬派っぽい外見に反したユルイ声、適当な性格、大雑把な思考、こちらが二条 条の素の姿らしい。
全く怯む様子もなく、条は手をパタパタと振る。
「いや、違う違う。なんだか九条様の前だと礼儀正しくしないといけない気がしてな。他の人の前では敬語なんざほとんど使わんて。だからさっきまでが例外」
「わかるわかる!」
既に態度の違いが二重人格といって差し支えのないほどの豹変ぶりな羽織が何度も頷いて同意するも、雫の視線は極寒ほどに冷めていた。
視線に気づき、羽織はわざとらしく肩を竦める。
「九条様は、いい人過ぎる。ありえないほど、善性に偏り過ぎてる。人間から逸脱しているんじゃないかと疑うほどにな。そんな人物の前じゃあ、悪性は引っ込んじまうのさ。自然と、畏まっちまう」
「確かに、九条様は出会って間もない私でもいい人過ぎるとは思うが、その言い方は……」
「じゃあ、お前だったら見ず知らずの死に掛けた奴を助けるか? それで、そいつが大変そうだからって協力するか? そのために色々と手を回すか?
おれだったら絶対しねえよ」
「貴様は貴様で悪性に偏っていると思うが……」
雫はしっかりと突っ込んでから、顎に手をあて思案する。
「そうだな――死に掛けの者を助けはすると思う。だが、九条様ほどに苦労はかけないだろうな」
「だろ? 九条様はいい人過ぎる。そして、そのいい人パワーを前面に押し出して頼まれると断れるわけがない! ある意味、理不尽な人だよな」
いい人パワーに押し負け、口論に敗北した羽織が言うのだから、その言葉の確度は並ではなかった。
あの人の笑顔は、拒絶をやんわりと拒絶してくる。しかもそれは罪悪感を刺激し、奉仕の心をほだすことでの、強制でない湧き出るような良心を浮き彫りにするというか、なんというか。名状し難い凄みがあった。
しかも、それが全て天然である。対処に困ることこの上ない。
羽織の苦悩を無視して、それにしても、と条が口を開く。
とりあえずイマイチ状況を把握しきれていないので、状況を知るために口を動かす。
「武器を扱う魔害物、だったか。強いのか……えーと、雫、さん?」
「雫で構わんさ。私も条と呼ばせてもらう」
「んー、わかった」
雫の提案に、条は気安く頷いた。
「だから直系なんだって。ソッコー過ぎだって。失礼だって」
浴衣や条が特別、そういうことに寛容なだけだ。変に格式を重んじる条家であれば、傍系でさえ無礼に怒り出す者だっている。まあ、羽織も静乃と浴衣以外には一切敬意も敬語もないが……。
羽織がなにやらぼやいていたが、ふたりは気にせず会話を続ける。
「強かったぞ、奴は強かった……加減されていても、私は手も足もでなかった」
「っても、その強いの基準がわからないよな。雫ってどのくらい強いんだよ」
「そうだな……言ってしまえば、正直わからん」
「だよなぁ。俺も条家の直系だから強いとか、よく言われることもあるけどさ。実際俺なんかより強い人たちに囲まれて育ったし、自分の強さがどのくらいなんてわかんね」
「まあ、どんな小敵にも油断するべからず――同じことで、敵は自分より強いと思っておけばちょうどいいだろう」
「……そーだな」
二条 条は適当な性格の男だ。
とりあえず頷いておく、というのが彼の基本姿勢である。
とはいえ無感動というわけでもない。
強い敵、結構である。別に自分のほうがもっと強い。
条は自己の強さを名状することはできずとも、感覚的には知悉している。自分に勝てる者など、そうはいないと確信している。だから、雫の言葉に焦る必要もなければ慌てる必要もない。
それが故の適当な返答なのだ。
だから先の言葉は単なる謙遜なのだが……否定されなかったことが、ちょっと悔しい条であった。
そんな条の内心など露知らず、雫は立ち上がる。
「さてじゃあ、行こうか。奴を探し出す」
「おぅ」
にっ、と強い笑みを浮かべ、条も追随して立ち上がった。
しかし。
やる気を漲らせ、善は急げとばかりに立ち上がるふたりに、
「で、それはいいけど――なに、今から探す気なの、お前ら」
羽織は、冷や水のような声音で呼び止める。
雫はむっとして、当たり前だと言い返す。
「当たり前だ。あんな奴を放っておいて、他の退魔師や一般人にまで手をだされでもしたら不味いだろう」
「俺はノリで立っただけだけど」
雫の正義感たっぷりの発言と。
条のかなり適当な理由とに、羽織はため息を漏らす。
「……はぁぁ。ふたりとも、今行きたいならふたりだけで行け、おれはいかない」
「なっ! 貴様、それでも……!」
「場所も特定できてないような敵を探すなんて、専門家もなしで見つかるわけがねえ。一日中、走り回っても無意味だろうよ」
「うっ」
「それに、今朝治癒してもらったばかりで完調じゃない嬢ちゃんの足手まといまでいるとなりゃあ、行きたいはずがねえだろう」
「ぅぅっ」
「なんだ、文句あんのか、言ってみろ」
「うーっ」
確かに、魔害物の居所などわかりはしないし、探査能力も持ち合わせてはいない。それでは探し出せるわけがない。
また、雫の傷は治ったが、体力はまだ取り戻せてはいない。もしも戦闘途中で体力切れなんか起こせば、間違いなく足手まといどころか、足枷である。
気概とは別に、状況は全く整っていなかった。
「そう言われると羽織のほうが正しい、か」
条も考えを改め、腰を下ろした。もともと、長い時間の外出は羽織のせいでご法度とされたので、探索の作業は彼には論外だ。
そうなると雫も立ってはいられず、意気消沈して座り込む。拗ねたように口を尖らせ、非難のように打開案を問う。
「じゃあ、どうするんだ」
「決まってる。情報を集めて、休んで、叩く」
「その情報をどう集めるかを訊いている。私はあいつと遭遇するのに、二週間はかかったぞ」
「……どういう行動をとったのかがなんとなく読めるが、今は突っ込まずにいてやる」
きっとあてもなく町中を駆けずり回ったのだろう。羽織は勝手に確信し、勝手に呆れていた。
そんな面倒かつ時間のかかる方法は使わない。羽織は不敵に笑ってみせる。
「情報をどう集めるか? ここをどこだと思ってやがる」
「……あぁ」
条は思い至ったらしく、納得の声を出す。
ひとりわからない雫は、やはり羽織を睨んで説明の要求をする。
「回りくどい言い方はやめろ。鬱陶しい」
「ったく、短気な嬢ちゃんだな。そういうこと言われると余計に無駄話はさみたくなるが……ま、今回はやめとくよ。
正解は、条家。そして、条家十門にはそれぞれ役割がある」
「役割? ……あぁ、九条は治癒を生業としている、とかか」
「そう。その中で、情報収集に特化している条があっても、おかしくねえわな」
「! そうか、確か“完全予知”の――六条!」
理念にして理想、極致。
『過去を知り、現在を知り、そして未来さえも知る――全ての音はその耳に、全ての事はその眼に、全ての報はその手に入る』
“完全予知”の六条。
条家の情報関連全てを担う一家である。
羽織は鷹揚に頷く。
「六条に受け継がれる魂魄能力は“遠方の知覚”。距離や時間を無視してどんな遠方の場所でも知覚できる――ま、人間が使うんで、そこまで便利じゃあねえがな」
距離の無視といっても、十メートル四方だけでの知覚や、一キロメートル四方まで知覚できるが雑になってしまうなど、術者の力量によって様々だ。時間の無視にいたっては最高難易度の技法であり、現状においては六条家当主にしかできないと聞く。
とはいえ、六条の能力は情報収集に適したもので、条家の歴史を陰ながら支えてきたことは確か。
「総会で雫に任せることが決まったんだ、六条だって情報を渡してくれるだろ」
さて、と。
羽織は自らの羽織りの袂から携帯電話をとりだし、流暢に操作、電話をかける。
「いや、貴様の羽織りは四次元ポケットなのか?」
雫の突っ込みも虚しく、羽織は既に携帯電話に意識をやっていた。
気安く気軽に、全くいつもの不遜さで喋りかける。
「よう――時久。六条家、当主さんよ」
『羽織殿、ですか』
六条 時久――六条家当主に、羽織は直接電話をかけていた。
羽織のコネクションに激しく疑問は抱くも、情報収集において右にでる者なしと呼ばれる六条家、その当主から直に情報が得られるならと、雫は突っ込みを全力で我慢する。
ちなみに条も口をわななかせて驚いていた。
ただし、条の驚愕のポイントは雫とは少々ズレていた。
そもそも条は、六条家当主の下の名前など知りもしなかった。というか、おそらく六条家の者くらいしか聞き及んでいないと思われる。
それは六条に限った話ではなく、条家当主は基本的に名を伏せる。条の名で呼ぶことが、条家の仕来りとしてそれで尊称となるから、姓で呼ばせるためだ。
流石に一家のうちでは知れているが、他家――条のように居候している者は例外として――にさえ知られていないことが多い。
こういった慣例がある故に、一条は名を捨てたのだが――閑話休題。
つまり、羽織が六条家当主の名を知り、なおかつ呼び捨てするほどに親しいことに条は驚倒しているのだった。……結局、驚きの点は雫と変わらなかった。
ふたりを気にもとめずに、羽織は至って普通に会話する。
「用件はわかるだろ?」
『武器を扱う魔害物、その位置ですね?』
電話越しだと六条の声はさらに低く、そこにはかなりの迫力を伴っていたが、羽織はいつも通りと苦笑するだけだ。
「流石に察しがいい。今、探してるんだろ。どれくらいで位置を特定できる?」
『我らの全力を注いで――そうですね、明日の正午には見つけましょう』
六条家は優秀極まる集団だった。先ほどの総会を解散してから捜索をはじめたとして、町の中だけと範囲を設定したとして、それでも早すぎる。広い町からたった一匹の標的を探し当てるには、一日では早すぎる。その早さ、普通の情報屋で聞けば与太話の領域である。しかしそこは六条家――与太話であるはずがなかった。
羽織は額を手で押さえ、ゲンナリした声を漏らす。
「ありえねぇ……」
『はい?』
「いくらなんでも早すぎる! もっと時間かけろやっ!」
わかりやすい不真面目な発言に、六条は不気味に笑う。
『ふふ、羽織殿、我ら六条家の理念は?』
六条は低い声のせいでわかりにくいが、極小の楽しげを織り交ぜた声音を奏でる。
羽織はそれを把握しつつ、ただ舌打ちのように吐き捨てる。幾度も問われた、わかりきった問いの答えを。
「……“完全予知”」
『その通り。我ら六条家は情報の中で最も有益な、未来の情報を掴まんとする者――たかが一匹の魔害物の位置を探るなど造作もないのです』
誇らしげに語る六条から、己が能力への絶対の自信が垣間見える。
無論、理想は理想で、完全などとは程遠いものの、確かに六条は未来を知り、そして同時に現在や過去さえも知る賢人。
羽織はやれやれとため息を吐いた。
「ま、お前の凄さは知ってるよ……じゃあ、発見しだい位置を伝えろよ」
『わかっていますよ、総会での決定ですからね――では、ごきげんよう』
怪しげに含み笑いを漏らし、六条は通話を切った。
相変わらずの胡散臭さに眉をしかめながら、羽織は携帯電話を袂に仕舞いなおす。
胡散臭さは否めないも、しかしそこに疑いの念はない。なぜならいくら胡散臭そうでも腕は確かだと承知しているのだから――あとは待つだけだ。
次回、戦闘。