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第七十五話 再起








『――本当に、大丈夫なのですか?』

「あぁ、どうにかこうにか抑え込んだ。もう心配いらねえよ」

『本当ですか、羽織殿。本当に奴を――』

「しつけぇな、本当だよ。なんならお前の本でおれのこと調べてみろよ』

『それもそう……ですね。では失礼して』


 冬鉄が転移に消えてから数分、羽織は内在する悪意の奔流を気力と根性で魂の底に押し込んで抑えることに成功していた。

 流石に体力はもたないので木を背に座り込んでいたが、それでも存命である。命があるのだ、これ以上に求めるものはない。

 そうしているとけたたましく携帯電話が叫ぶので、億劫ながらもでてみれば似合わない焦燥と心配の声音の六条であった。

 距離がいくら離れていても、六条の魂魄能力には意味をなさない。羽織の危機を感じて慌てて連絡をとろうとしたらしい。

 焦りに彩られ続けていた声も、電話の向こうでようやく安堵に落ちつく。


『あぁ、本当だ……。よかった、流石は羽織殿ですね』

「たく、だから言ってんのによ。変に心配性だな、お前も」

『いえ、なにせいきなり魔益を放出するのですから、驚きましたよ。ずっと自ら封じていたではありませんか』

「ま、そろそろ自分の戦力を把握しときたくてな」

『……扱える魔益の限度、計れましたか?』

「あぁ。これで次からは奴の干渉がギリギリ届かないラインで力をだせるぜ。たく、長ぇ間ビビってた割にはあっさり済んだもんだ」

『それは重畳。ですが、少々不用意ではありませんか? もし、先の干渉で羽織殿が打ち勝てなかったなら――』

「抑えたんだ、いいだろ」

『なにを焦っているのですか――もしや、予言の時が近いと感じたのですか?』


 はっとして問う六条に、羽織は無言。だがその無言は酷く肯定に近いそれであった。

 六条は考え込むような間をおいてから、慎重に言葉を紡ぐ。


『まさかとは思いますが、この戦いで?』

「それはない」


 いやに断定的に、羽織は言った。そこに少し疑問が生じて、六条は怪訝そうな声をだす。


『何故そう言いきれるのです?』

「おれがそう思うからだな。直感っていうと胡散臭いか?」

『……いえ、あなたがそう言うのならそうなのでしょう』


 とても信用できる根拠とは言いがたかったが、羽織の感覚にこそ全てがかかっている。

 断言されては言葉も返しづらい。それにこれ以上は羽織の気に障るかもしれない。六条はそこを引き際と捉え、話を変える。

 未来にある戦いではなく、今こうして身を投じている戦いについて――ひとつ伝えるべき事態がおこった。


『話を変えますが――“黒羽”総帥が動いたようです』

「! そうか、遂に動きやがったか、あの女。なんだ感知したのか?」

『いえ、それが……五条、五条家当主が接敵し敗走したらしいのです』

「なにっ、五条家当主が、敗走だと?」


 思わず声が跳ね上がる。

 条家十門当主が敗走、負けて逃げただと?

 六条は静かに肯定する。


『ええ、接近されて、この間合いでは勝てないと判断して逃げに転じたそうです』

「五条はリタイアしてねえよな」

『していません。逃げ延びて、私に情報を伝えたら、また同じく戦闘を続行していますよ』

「そうか。じゃあ、勝てないことを把握して、撤退を選んだのか。冷静な判断だな」


 単純に勝負の末の敗北、というわけではないらしい。

 おそらく五条は無駄な交戦をせず、実力を見切った瞬間から戦闘をやめたのだろう。勝てない相手と戦う必要があるほど、状況は逼迫してはいないのだから。

 出くわしたのが冷静な五条で助かった、と言える。四条などであれば戦力差など考えずトコトン戦っていただろう。まあ、接近戦の得意な四条が勝てない相手なのかはまだ不明だが。


「しかし……狙撃が主体の五条とはいえ、戦闘特化の当主に逃げの一手を選ばせる、か。流石は“黒羽”を束ねる総帥サマだな」

『どうしますか?』

「んー、そうだな、そろそろこの馬鹿騒ぎに決着をつけるかぁ」

『では真面目に“黒羽”総帥の居場所を探ってもよろしいですか?』


 六条の魂魄能力“遠方の知覚”。あらゆる情報を具象武具たる書物に記し、読み解く能力である。

 だが現在、六条は“黒羽”総帥の居場所は探れないでいた。彼女への探査を妨害する能力者がジャミングしているからだ。

 ――というのは建前で、まあ大方の予測通り、本来彼の能力に妨害など意味をなしてはいない。

 当主たちが推測したように見せしめのためと、羽織に止められていたために調べなかっただけだ。

 だったのが、ここに来て羽織が制止は解いた。この長きに渡った戦争に、終止符がうたれるということである。


「あぁ。けど、まだ当主には伝えんなよ。おれに伝えろ。あと、加瀬 雫の現在位置も探ってくれ」

『……加瀬 雫、ですか。ご執心ですね』

「なっ、ちげぇよ! そんなことねぇよ!」

『そんなに懐かしいですか? あぁ、それとも……羨ましいのですか?』

「――別に。もう懐古もわかねえし、羨望もねえよ。ただ、昔の自分を見てるみたいで腹が立つだけだ」


 あんな馬鹿のせいで、こんな馬鹿のせいで、九条様は――

 いや、どうでもいい。思考を打ち切る。

 今は目の前の戦いを切り抜けなければ。後悔なんていつでもできるし、飽きるほど悔いてきたではないか。ここでする必要性はどこにもない。


「で、時久どうだ。見っけたか?」

『はい、見つけました』

「はやっ。で、どこだ」

『そうですね……ちょっと手を伸ばして指をさしてもらえますか?』

「ん、あぁ、それでおれを軸に回してけってことか」


 羽織は六条の意図を汲み取り、びしりと何もない空間を指差す。そしてそのまま、己を中心に円を描くように腕をゆっくり動かして、動かして――


『そこです、その指差す方向真っ直ぐ九百三十二.四九メートル先に、加瀬 雫殿は倒れています』

「おう、そうか……って、倒れてんのかよ、あのアホ。いや、動いてねぇほうがやり易い、か」

『では一旦、電話を切りますよ、羽織殿』

「ん? なんで? “黒羽”総帥は?」

『そちらは流石に妨害がありますからね、集中しなければ見つけ出せませんよ』

「そうか。じゃ、見つけたら連絡いれろよ」

『了承致しました』


 用件を終えて、通話を打ち切る。

 これで条家十門が“黒羽”総帥の居場所を知ることとなる。倒せば終わりの敵の頭目の所在を知ることとなる。

 もう待ったなし。終結に向けて一直線に駆け抜けるだけということ。


「さて……」


 そのための一歩を、はじめないと。

 羽織は指で九百メートル先を指しながら、大きく息を吸い込んだ。







『――きろ! バ――ろう!!』


 声が。


『――何遍言わせんだ、ボケ! 起きろバカ野郎! 起きろ起きろ起きろ!』


 暗く沈んだ意識の底にまで。

 声が、聞こえた。


『そこで寝たまんまで後悔すんのはてめえだぞ! わかってんのか!?』


 いつもの声。

 いつも罵ってくる、馴染み深くも忌々しいあいつの声。


『なにもできてねえ! お前はなんにもできてねえ! それでいいのかよ、ァア!?』


 あぁ。


『起きろ、起きやがれ! 黒羽 理緒はてめえが倒すんだろうが!』


 あぁ――もう。


「ぅ、……さい」

『アホボケ雫! バーカ、バーカ! お間抜けヌケサクやいやいやーい!』

「うる、さい……わ」

『起きろ、起きろ!』

「あーもーうるさいわぁ!!」


 雫は疲れ傷ついた身で跳ね起きる。

 頭に響き渡る羽織の不愉快な声のリピートに、気絶なんてしてはいられなかった。というか、最初は奮起の声っぽかったのに、いつの間にかただの悪口になってなかったか?

 

『ばーか、あーほ、マヌケー! お前の姉ちゃんデーベーソー!』


 起き上がった雫であったが、羽織の声は止まらず悪口を連呼していた。

 これは確か、以前もあった羽織の声だけを転移する技法か。この技法ではあっちからはいくらでも声をかけられるが、こっちからは一切が無為だったはず。

 じゃあ、起きたことを伝えられず、ずっとうるさいままじゃん。

 雫は心底辟易し、額を手で押さえる。数瞬だけ思案して、決断。

 きっと――今の自分ならば。


「できる」


 言葉にすることで、自己認識は強化される。それは微細な、強化というのもおこがましいレベルではあったが、確実に上昇はしている。言霊とは、よくいったものだ。

 さて。

 雫は刀を具象化し、しつこくもうるさい声を無視して目を閉じる。耳や鼻は閉じられないので、意識的にシャットダウンするしかないが、それで充分。

 一旦、全ての五感を閉鎖する。世界の接続から外れる。ただ一個の存在として孤立する。

 そうして、代わりに風と意識を――魂を接続させる。

 第六の感として――己が目であり耳であり、鼻となり舌となり、なによりも手として風を“制御”する!

 閉じていた世界と新たに接続。世界を五感でなく知覚する。

 そう、第六の感――風の知る世界へと接続を果たす。

 蒼天はどこまでも澄み渡り、深緑は広々と葉を広げている。そよ風の小唄は優しくて、木々や草花は香ばしい。五感なく六感で、それら全てを同時に感じる。

 そして、風であるならば、どこまでだって行ける。まあ、実力的な制約は無論にあるけれど、五感のどれよりも遠くを知覚できるのである。

 目を細めるように、あるいは遠くに手を伸ばすようにして、周囲を俯瞰する。調べ上げる。

 三百メートル四方に人体は存在せず、ここより三百八十九メートル地点にて誰かが交戦中。無視。そうではなく戦闘していない人物を探り当てる。

 探る。伸ばす。そよぐ。見つめる。

 ――見つけた。

 視点を固定し、拡大。細部まで調査。探し人たる人物に該当――羽織だ。

 ここから約九百メートル先の少しだけ開けた空間にて、虚空に向かって罵倒している。滑稽だ。笑える。

 風の手を、羽織に伸ばす。できれば気付かれないように、警戒して警戒して――あ、バレた。


『……誰だ。見て……が……な?』


 敵意溢れる声が風を通して雫の意識にまで届く。少しだけノイズが混じった。修正修正。ラジオをチューニングするようにして、雫は音を伝播する風の流れを弄る。


『こりゃ、風か? カッ、雫もこのくれえの制御力がありゃあな。まあ、あのボケにそんな過大な期待をするのは酷か』


 うん、クリーン。

 だがそのせいで悪口が綺麗に聞き取れてしまった。ナチュラルな悪口だな。

 雫はため息を吐き、それから羽織の周囲の空気を風で震わし、自分の声と同音となるようにまで調整する。微細で微妙な制御だが、雫は自分ならばできることを知っている。

 遠距離の羽織へ、風を通じて喋りかける。


『私だ。その雫』

『っ。なんだと?』


 本気で驚いたような顔、雫はなんだか可笑しくて笑ってしまった。

 風の振動でなんとなく理解したのか、羽織は憮然としながらも、状況を推測し、理解する。


『お前……風を、』

『ああ、私はどうやら生まれてはじめて、真の意味で“風の制御”が成せたらしい』

『……どういう認識だ』

『風は私の目であり耳、鼻として舌として、なによりも手である』

『おれの言葉が影響したか』

『おそらくは、な。

 ああ、あとあの武器を扱う魔害物、あれも想起した』

『ん、無数に伸びる手のイメージか。そうかそうか、なるほどな。で、どうだ?』

『――私は、今まで一体どうやって生きていたのだろうな』

『ほんとにな。お前はおれと会った時からそれくらいできてもおかしくはなかった、今の今までできなかったのはもうマヌケ過ぎる』

『耳が痛い』

『ハァ……。で? おれが散々手をうってもできなかった認識の克服は、どうやってやったんだ?』

『一度戦闘をして、そのショックでな。代わりに今、なにげに冗談なく死にそうだ』

『…………』


 謎の沈黙。雫は正しく意味を理解する。


『……見捨てようか吟味してるだろ』

『ああ。だが、わかった活かす』


 今、ニュアンスが違った気がした。生かすんだよな、羽織さん。


『お前の能力はそこまでくるとかなり有用だからな。お前の位置に浴衣様をつれてく。まだ戦争に付き合ってもらうぜ』

『あぁ、では、風を切るぞ。そろそろ接続が厳しくなってきた』

『ふん、まだ長時間のシンクロは難しいか。わかった、そこで待ってろ』


 羽織のその言葉を最後に、風との接続は途切れ、暗闇だけが雫の目の前に残った。

 目を開き、視界を確保。

 それから身体を引きずるようにして近くの樹木に寄って、体重を預ける。

 傷ついた身、失った魔益。羽織相手には強がって見せたが激戦直後だ、意識を保つだけでも随分としんどい。


「ふぅー」


 息を吐き出し、天を仰いで脱力する。

 今はもう、ここで待つ以外に選べる行動はないのだから、大人しくしていよう。

 ――ひとつ思い出す。

 きょろきょろと周囲を見渡す。なにかを探すように、視線を彷徨わせる。


「……?」


 誰もいない。

 どころか、風による知覚で三百メートル四方に人がいないことは確認した。

 だが、ついさきほどまで、誰かがここにいたような気が、したのだけれど。気絶している雫を見守るように、観察するように眺めていた視線があったように、思えたのだが。


「――気のせいか?」


 







「浴衣様! よくぞご無事で!」

「羽織さまこそっ! 大丈夫ですか? すぐに治しますね」


 とりあえず再会と同時にひしと抱き合う羽織と浴衣。

 条は頬を掻きながら、呆れ目を向ける。


「俺たちのことは無視かよ」

「えっ、あぁ、いたの?」

「いたっつーの!」

「ふうん? で、じゃあ他は?」


 治癒をはじめた浴衣の顔色が僅かに翳る。

 反して条は結構気軽げ。別に死んだわけでもなし、と現状を手短に述べる。


「ああ、うん、見ての通り、残ったのは俺と浴衣ちゃん、それにリクスだけだよ」


 少し離れたところで周囲の警戒にあたっているリクスをちらと目線を向けて確認し、羽織はひとつ頷く。


「そうか、一刀と八坂はリタイアか……」

「あと、春さんもです、羽織さま」

「ん? あぁ、私の意図に気付いてくださいましたか」

「はい」


 それはよかったと羽織は浴衣の頭を撫ぜる。


「まあ、春の野郎はもとからボロボロだったでしょうし、仕方ありません。一刀と八坂は――」

「俺とリクスの傷を治してくれて、もう動けないってことでソウルケージの人に棄権を申し出た」

「正しい判断だわな」

「最初は浴衣ちゃんが治そうとしたんだけど……」

「おふたりに止められました。雫先輩を治すために余力は残しておけと。今回の戦いは、雫先輩が主役なんだからと」


 確かに、そこで浴衣がふたりを治癒していたら、彼女は力を使い果たしていただろう。雫の治癒を誰がするという話になっていた。

 九条の治癒、傷や損傷は再生できても、消費した魔益まで補填するとなると高等技法――一刀や八坂ではまだまだ不可能な地点である。

 魔益補填が現存可能な九条など、当主である静乃と直系である浴衣くらいのものだろう。

 一刀と八坂はいい判断をしてくれたものだ、羽織は頷き撫ぜる手を少しだけ強める。


「そうですね、じゃあおれの治療も適当なトコでやめて、あとは雫にとっておいてください」

「その前に雫と合流しねえと」

「あぁ、雫の位置ならわかってる。後は向かうだけだ」

「は!? なんで場所わかってんだよ……」

「秘密。それより、雫もだいぶ深手を負っててやばいらしい」

「! それは大変です! 羽織さまを治したらすぐに行きま――」


 ――そして浴衣の言葉を切り裂いて、羽織の携帯電話から終幕を告げる電子音が鳴り響いた。

 






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