第七十二話 実験
羽織は全力をださない。
それは誓約であり、規定事項であり、絶対遵守の認識である。
――と、それはまあそれとして。少し横に置いておくとして。
話の視点を変えて考えることがある。前提として語られていないことを計量する必要がある。
すなわち、羽織はどこまで力を制限することを自己に課しているのだろうか、という話だ。
全力がだせない。それはいいだろう。では、全力一歩手前はだせるのか。それとも全力の半分程度も出せないのか――どうなのだろう。
魂魄能力に関しては、大本の力の縮小解釈となる“軽器の転移”としている。これも既に判明している事柄なのでよいだろう。
ここで考えるのは不明な部分――つまり、魔益のほうはどうなるのか。
身体能力のブースト、耐久性の向上、魂魄能力の発動エネルギー源。人の魂が生産する魔益は、様々な点で利用活用されているが――羽織は、それをどこまで使うことを容認しているのか。
これはぶっちゃけた話、羽織でさえわからない。
どこまで力を出していいのか、どの程度まで全力に近づけていいのか、いかほど余力を残せばいいのか。
試してみたくても、失敗すれば死ぬほど拙い事態に陥るのは目に見えていたので、軽々とは試せなかった。だから今までわからず、わかろうともしなかった。
――だが、それもそろそろやめにしよう。
いい加減に、力を制限し続けているのも限度がある。
最近になって連続する面倒事――武器を扱う魔害物の発生。狂科学者の登場。“黒羽”との戦争。この流れだと、もしかすると来るべき時は近いのかもしれない。
六条によって予見された未来は、迫っているのかもしれない。
ならば覚悟を決めなければ。
今までは騙し騙しやり過ごしてきたが、時が近いのなら、ここらで自身の戦力をしっかり把握しておかねばなるまい。
とんでもないリスクを負ってでも、できる限りをできるようにしなくては――他の奴らに示しがつかない。
「……ハ」
ごく小さな苦笑が漏れる。自分はこんな奴だったかと我ながら疑問が湧き出る。
まあ、なんでもいい。深く考えるのは後回しだ。
ここは戦場で、眼前には敵が立つ。ならば考えるよりも、今やるべきは――
「アンタの足止めだ、春原 冬鉄」
「お前……その力は……」
余裕よりも強張りがあらわになっていく冬鉄の顔面筋を見て、羽織はケタケタと嘲笑する。
「おいおい、さっきまでの余裕はどこいったよ。手間もかからず、終わるんだろ?」
「っ」
魔益を調節、調節、調節。
羽織の魔益総量はダムほどあれど、放出はか細いホースほどに絞らなければならない。酷くアンバランスな故に、力の精密な制御が必須だった。大きな力の全てを使うのではなく、小さく掬いとって使う。それは存外に難しい。全力を投ずるのは簡単だが、全力の半分を正確に見積もって行使するのは難しいのと同じだ。しかも、その制御を失敗すれば暴発してホースが破裂しかねない。内在魔益を無為に散らすこととなる。
そのための放出の調節。
蛇口を捻るようなイメージで、慎重に慎重に内側から魔益を放出していく。身体強化にあてていく。
本来なら――通常の魔益師なら、別に放出口を細め制限する必要などないのだが、羽織という個人だけは、内にとどめておく魔益が一定量なければならない。全ての力の解放――全力を尽くしてしまえば、抑えこむタガが吹き飛んでしまう。世界で一番、避けなくてはならない事態になってしまう。
だからこそ少しずつ、少しずつ。上手く力を抑制し、制圧し、支配する。その制御技術は雫のそれよりも上、極限の練磨の成果。
後から後から練りあがる力を感じ取り、冬鉄は静かに問いを発する。
「お前は……何者だ?」
わかる。この男が潜在させている力は推し量れぬほどに巨大であることが。
わかる。今はそれの一部を表にだしているに過ぎないということが。
わかる。力の一部を表にだすために、裏にある力がやや漏れて知覚できるようになっているだけということが。
わかる。その想像を絶する量の魔益の底は見えず、さらに言えば見事に制御している技術の驚異が。
わからない――何故、こんなにも化け物染みた存在が、この世に実在しているのかが。
「あ? 条家十門が一門、九条家の使用人だよ」
羽織はしごくあっけらかんと言った。明確に答える気など、ハナからない。せいぜい困惑しながら沈んでいけと思う。
指を一本ずつ閉じて拳を握り締め、軽く膝を曲げ、腰を落とし、構えをとる。
ナイフは使わない。あくまでナイフは“軽器の転移”のための道具であり、なにより羽織はもともと武器を使わず戦うほうが得意である。
羽織は少しでも有利を確保するため、さらに揺さぶりの言葉を投げる。
「安心しろ、全力はださん。つか、だせん。
使える力は、ま、精精が半分くらいか。目算だがよ。――それでもお前には余分だろうがな」
「……ふん、なにか全力を出せぬ理由があるのか」
だがそれは逆効果だった。
冬鉄は波立つ精神を静めて、自己を鼓舞するように言葉を紡ぐ。羽織の発言を努めてポジティブに受け止める。
「なにかリスクを伴ってのその力、というところか。おそらくそう時間も長くもつまい」
「さぁ。それはどうかねぇ」
というか、それは羽織こそが知りたい。
力を放出することに危険はあるのか。時間制限があっての力の使用なのか。
これもまた、実験である。
「であれば、俺はここでお前を全力で抑えるということだ。俺の勘は正しかった、お前を逃すわけにはいかん」
この広い戦いで――一個人同士の戦闘の勝敗など、微々たる影響しかあるまい。
冬鉄ひとりでこの化け物を少しでも抑えられるなら、全域にはプラスだ。“黒羽”の絶対的な有利のひとつは、数の利にあるのだから。
――つまり、この時たしかに、両者の目的は上手く噛み合ったのだ。
「お前を他には行かせんぞ」
「上等だ、ダラダラ長々付き合ってもらうぜ」
声と同時。
踏み込み。
振りかぶり。
拳を突き出す。
時間を稼ぎたいのは両者共有の思惑だったはずなのに、ふたりとも迷わず今出来る最大の拳撃を容赦なくぶちかます。相手の戦闘不能こそが一番の時間稼ぎになると心得ているがゆえだ。
拳は捻じ込むように互いの腹に打ち込まれる。それだけで、激しい衝撃が迸り木々をも揺らす。どちらも、並みの魔益師ならば一撃で戦闘不能へ追い込む程度の威力はあろう。下級の魔害物なら消し飛ばせた。
だが、
「けっ、邪魔な鎧だな」
「なんとも。規格外はその魔益量だけではないか」
両者、健在。
羽織は具象武具による守りで無傷。
冬鉄は樹木の鎧によりダメージの半分をカットし、衝撃のほとんどを相殺した。そして身代わりに砕けた鎧も即時に再生を開始し、より強固となって冬鉄の身を覆う。
「適応して、さらに強く――厄介な能力だな、ほんとに」
「その具象武具には劣るがな。我が全霊を完全に通さぬか。ならば、生身の部位を狙う他なさそうだ」
「お前のそれは全身だもんな、生身の部分がねえ。しゃあねえ、真っ向から打ち破る他ないようだな」
一撃で敵戦力を把握し、やるべきことを定め、二撃目で実行する。全ての攻撃が打倒を目的としつつも、無為となれば戦力判断の材料とする。歴戦の猛者同士の戦いに、無駄などない。
突き出していた腕を引き――そのまま引き手として逆の拳の威力に貢献。腰の捻りも忘れず、震脚も駆使して相手を殴る。ぶつ。打ちのめす。
殴打、殴打、殴打。その場から不動、泥沼の殴り合い。
冬鉄はダメージが通る部分を目掛け一撃を放つ。最小の動きで羽織が身をそらし、羽織りの具象武具で受けて無傷。衝撃さえも全て遮ったので反撃に転ずるは容易である。羽織は今一度、先と同じ箇所へ打撃する。樹幹の如き堅牢さの鎧に受け止められる。それでなお鎧にヒビが走る。冬鉄に小さく損害がでる。痛みに構わず間隙を縫うような冬鉄の貫き手、羽織は捌いて潜り抜ける。もう一度同じ点に追撃――その頃には既にヒビ割れは再生し、より強固となって立ちふさがる――軋んだ音をたてて拳は停止する。
一度破砕する度に、硬度が増している。
「くっそ、適応の早い野郎だな!」
「それが人などに及びのつかぬ歳月を生きる大樹という存在の力だ!」
叫び、大樹の化身は頭頂部を狙い垂直の手刀が振り下ろす。
すぐに斜め後ろに跳び退こうとする羽織の足首にはツタが這い、蠢き、捕らえる。
回避行動の強制停止。
「ぐ」
その機を逃さぬ頭蓋ごと砕く手の刃。羽織はツタを外すのは時間がかかると判じる。だから動かぬ足を軸にして、首を必死にズラして、どうにか肩へ撃点を逸らす。肩なら纏う武具が威力を殺す。落雷の如きチョップが羽織の肩に振り下ろされたが、ダメージはなし。
だが、ツタはさらに伸び、茂り、足から順に侵食していく。このままでは木々に全身がからめとられ、行動不能に追い込まれる。
羽織がツタを引き千切ろうとすれば、冬鉄の薙ぎ払う豪腕が狙ったように襲い来る。その防御に意識を向けねば一撃で敗北するかもしれない。ツタを棚上げにするしかない。
防御に構え腕払いを受け止める。その頃にはツタが脇腹にまで這い上がって繁殖を続ける。
やばい、片方に気を割けばもう片方の攻撃に詰む。どちらにせよ、このままではサンドバッグ状態。
「ち――」
仕方ない。
もう一段階――もう一歩、力を引き出す。余力を削り、攻めに転化する。
魔益を魂より生産し、身体中に循環させる。さらなる己の強化に充てる。
「なにっ」
跳ね上がった魂魄の力に、冬鉄は戦慄する。
まだ、まだ力を解放できたか。制御し、支配できたのか。
莫大なキャパシティは仕方ないが、認識によって制限された分まだ付け入ることはできるはず――そんな判断は、あっさりと崩された。
ひゅん、と。
「っっっ!」
また速く鋭くなった拳が、冬鉄を打ち据える。殴り飛ばす。冬鉄の巨体が、数メートル先に吹き飛んだ。
その間に羽織はツタを引き剥がし、拘束を解く。尋常ならざる成長力も、根こそぎ潰されては意味をなさない。
このまま追撃して一気に片をつける。それも可能だったはずだが、羽織は少し顔色を歪めて立ち尽くす。
ノイズが走る。眩暈が襲う。頭の中で、なにかが蠢いている感覚に苛まされる――遠くから耳障りな声が聞こえた気がした。
「――ァア? ちょっと、一気に出しすぎたか?」
少しずつ、段階的にいかなくては。
焦りは禁物で、集中の途切れは最悪に直結している。
抑えて、抑えて、止める。
感覚的にしかわかりはしないが、ここら辺でやってみよう。羽織は体内に残す魔益と体外に出す魔益の比率を巧く調整し直す。
まだ、大丈夫のはずだ。これくらいなら、大丈夫のはずだ。
薄氷を踏む思いで、引き出せる力を計りながら、羽織は立ち上がる冬鉄に視線を向けた。
羽織と冬鉄の戦闘場所から離れた、少し先の茂みのどこか。
そこまで走って来て、五人は一旦止まり、息を整える。目的は逃走ではない、打倒なのだ。あまり離れるわけにもいかない。
「……羽織なしの作戦会議なんてね」
「ま、こういう場面じゃ頼ってばっかだったからな、割とあいつがいないっていうのは不安だな」
自信なさげに一刀は呟き、条も難しい顔で応えた。
強い言葉を言った手前、なんとかしようと思う。なんとかしたいと思う。だが現実問題、それは困難で、果たせるのかは疑問がある。
それでもやらねば――条は、いずれ当主になる男なのだから。
後ろ向きからはじまった会話に、浴衣がやや語気を強めて修正をいれる。
「とにかく、できるだけ早くなにかを考えましょう。羽織さまが心配です」
「それもそうか」
「羽織ひとりじゃあ、流石にほとんど足止めはできないだろうしね」
「でも考えるって、なにを」
気まぐれのように言う八坂だったが、確かに言われてみればなにを考えるのだろう。
目的はともかく冬鉄の打倒であるのだが、その方法は?
奇策を練るか。連携の段取りを組むか。それとも別の手段を考えるか。咄嗟には誰も返答できなかった。
ふうと条は考え始めたばかりの割にすでに頭痛が響く頭を抱えてぼやく。
「ほんと漠然と作戦って言われても、困るよな」
「んー、ともかくさ、みんなの得意なことを挙げてみようか」
一刀は指を立てて提案してみる。
全員が短く即答。
「殴る」
「耐える」
「なっ、治しますっ」
「……撃つ」
「で、僕は斬る、と」
あまりの簡潔さに苦笑しながらも、一刀は明るい調子で頷く。
「うん、やっぱり僕たち、バランスはいいよ」
最大の攻撃力を誇る二条の直系に、守りの要となる八条。その守りが突破されても治癒能力者は三人も抱えている。また、近距離戦闘だけで勝てなくても遠距離戦闘のエキスパートもいる上に、一条の能力を保持する者までいるのだ。
戦力面で見て、充実し過ぎている。これで勝てないなんてほうがおかしい。
それを上回る怪物が春原 冬鉄なわけだが、だからと言って敗北に直結しているわけではない。勝ちの目は充分にある。
「あの攻撃を防ぐ樹木の鎧も、僕ならすり抜けて攻撃できるし、条なら鎧なんて砕くはずだし、リクスさんだって威力なら条にも劣らない。突き崩せないことはないんだ。
彼の攻撃に関したって、こっちは八坂がいる。樹木による変則的な攻撃は八坂でも間に合わないかもしれないけど、それでも一番威力があるのは、たぶんあの拳だと思う。それを防いでくれれば一撃で戦闘不能にはならない」
「つまり?」
「僕たちが押されてた理由は、技術的な面と経験の量、そして無策だったことにあったと――羽織はそう判断した、んだと思う」
じゃないと、こうしてわざわざ作戦を立てさせる理由にならない。
一度、戦線を離脱させて冷静を思い出させる――技術はきっちり学んで身体に刻まれているはずで、頭を冷まして思い出せ。
作戦を考える経験などないだろうから、この機会にそういう経験を積んでおけ。
無策では勝ち目がなさそうだから、なんでもいいから考えてみろ。
羽織は、おそらくそう言っている。そう言って発破をかけている。
ふと思い出したように、浴衣が口を開く。
「思い出しました、羽織さまが言ってました。作戦には二種類あるそうです」
相手の力をださせないで敗北に追い込む作戦――奇襲や待ち伏せなどによる、相手になにもさせないで負かすやり方。
こちらの力を出し尽くして勝利する作戦――布陣や手順を敷いて適確に動く、連携による相乗作用で勝ちをとる方策。
その二種類にわけられると、羽織は言っていた。
「今回は後者、俺たちの力を出し尽くして勝利する作戦のほうになるわけか」
「そうだね、僕らが――このメンバーが揃って、十全に力を引き出して戦って、勝てないことはないはずなんだ」
戦力は既に整っているのだから。
実力も技量もハナから備わっているのだから。
必ず、勝てる。
「問題はどうやってこっちの攻撃をあてるか、だな。あいつの対処はすげー上手い」
「うん、そうだね。さっきの攻防でも彼にダメージを与えたのは不意打ち気味の僕の初撃くらいで、僕の斬撃も次には警戒される」
「持久戦も、ちょっと厳しい、かも」
「治癒も、猶予を与えてくれるか不安ですね」
うーん、と四人――リクスは直立不動のまま何を考えているのか浴衣以外には不明――は腕を組んで頭を悩ませる。
今回は八坂も一緒に考えている辺り、状況の切迫さが如実に表れている。
考え込む一堂の内、ふと浴衣は思いつき、だが少し逡巡。あまり重要なことではないかもしれない。それでこの場の空気を変に刺激するかもしれない。
思ったが、結局は勇気を振り絞っておずおずと小さく手を挙げ発言する。なにか思いついたなら、なにかの足しにはなるかもしれないから。
「あの……そういえば羽織さまの言葉で、ひとつ違和感がありました」