第七十話 勝利条件
「おい、浴衣様はまだか」
「それ、もう二十四回目だよ。で、僕がこう返すのもやっぱり二十四回目――落ちついて、きっともうすぐだから」
「もうすぐもうすぐって、無責任に何回おんなじこと言ってやがる!」
「だから、二十四回だって」
「数えてんじゃねえよ!」
森の外れの道端で、苛々と叫ぶ羽織に、一刀は冷静にたしなめようと言葉を積み上げる。落ちつこうよと態度で示す。
「電話した時、浴衣様は無事だったんでしょ? リクスって娘も随分強いし、大丈夫だって」
「にしては合流が遅い。寄り道したお前や寄り道先だった条が既にこの場にいるのに、特に問題ないはずの浴衣様のほうが後ってのはおかしいだろ」
「んん、僕たちは結構急いできたしね。それに女の子の足にはこの森は少し厳しいのかも。雫もまだだし」
「だけどよ――」
「あ、そうえいば羽織、手はもう痛まない?」
そろそろ同じ話の繰り返しにも飽きた。一刀は話を逸らしにかかる。
羽織だって待つ他なく、なにをここで喋ったとて事態の好転にならないのはわかっている。不満顔だが、少しは建設的な路線変更に付き合うことにした。
「あぁ、問題ねぇ。お前と八坂の二重だ、治癒に不備はないだろうよ」
「わ、八坂、聞いた? 羽織が僕たちを褒めたよ」
「……へぇ」
おどけてみせる一刀だが、八坂はいつものテンションで相槌を打つだけ。八坂とて羽織の反応には内心ではやや驚いてはいるのだが、わかりづらい。
一刀は爽やかにこやかに羽織に笑いかける。
「最近、羽織もなんとなく僕たちとの距離が縮まったよね」
「――あ?」
「それは俺も思ったな」
条まで入ってきて、羽織は不愉快そうで、不満そうな表情を隠せない。
羽織の顔色など気にもせず、一刀は顎に手をおいて思い出すようにして言う。
「以前の羽織は、なんていうか、もっと排他的で、僕や八坂、条とも明確に線引きしてたよ」
「今だって線引いてる」
「だけど、今はだいぶその線も緩いよな」
「なに言ってやがる。おれは変わらねぇよ。今も昔もおれだ」
一刀の指摘も条の発言も押し切るほどに断固たる口調であったが、苦笑で受け流される。
「いやいや、いい変化なんだから素直に受け取ろうよ。最近は表情も柔らかくなってる気もするし」
「時期としてはたぶん、雫が九条家に担がれてきた辺りからか?」
「あぁ、なるほど。なんだかわかりやすいね」
「仲悪く言い争ってても、なんだかんだふたりでいること多いしな。俺には断った修行つけたりしてるしよ」
「喧嘩するほど仲がいい、だね」
あはは、みたいに朗らかに笑う一刀と、ニタニタとにやつく条。
羽織は苛立った声で文句を飛ばす。
「ふざけんなよ、誰が――」
飛ばそうとして、不意に言葉を急停止させる。
こちらに接近してくる気配を、この場の全員が感じ取ったのだ。静かに戦闘態勢に移行し、感じ取れる気配の方向に警戒を――
「羽織さまっ!」
「ッ! 浴衣様!」
一瞬で緊張感は霧散し、構えはゆるゆると崩れる。
現れたのは待ち望んでいた浴衣とリクスだった。なぜだか浴衣はリクスの小脇に抱えられた状態だったが、突っ込むよりも安堵による脱力のほうが先立つ。
心配でたまらなかった主が無事な姿を見せてくれる、それだけで精神的な余裕を取り戻す羽織である。
だが、そんな従者に反して、当の浴衣は極めて焦って慌てた様子であった。
「羽織さまっ、その……春さんが大変で、逃げてきて――じゃなくて、逃がしてもらいまして、リクスちゃんでも勝てないらしくて!」
「? なにかありましたか? 落ちついてください、浴衣様」
浴衣の慌てようではうまく仔細が把握できない。羽織は冷静を保つ少女に視線を向ける。事情を問う。
「……リクス、端的に説明しろ」
「春原 春と遭遇。ただし、彼は敵対行動はとらず、友好的な態度だった」
「あの馬鹿、やっぱ参戦してたのか。んで?」
「直後に春原 春と同行していたという彼の父親、春原 冬鉄が現れ、浴衣に襲い掛かった。その一撃と立ち居振る舞いから私では春原 冬鉄の打倒は不可能と判断し逃避を選択――」
「その時、春さんが足止めをしてくれたんです。その間に、わたしたちはこうして逃げて……春さんを、置いて……」
浴衣が青ざめるほどに悔やむ顔を見せ、羽織は微かに胸に痛みを感じる。
春がどうなろうと知ったことではないが、浴衣が悲しそうにするのはよろしくない。
どうしたものかとリスクとリターンの天秤を考慮し――ふと気づく。
「んん? 待てよ……じゃあ、春は親父と戦うことに躊躇いはない感じだったのか?」
「ええ」
「で、その春とリクス、お前がふたりがかりでも勝てないと――そう判断したのか?」
「肯定」
「……まじか」
それは、思った以上に強敵だ。
羽織は春の実力もリクスの実力もよく知っている、把握している。春を認めたくはないが、ふたりともかなりの実力者だ。並大抵の魔益師、魔害物ていどなら歯牙にもかけない。
そのふたりが揃って、それで勝ち目がないだと。春は親とやりあうのに消極的だと思っていたが、それもなく勝ち目がないとすると、相当にまずい。
春原 冬鉄――下手をすれば、条家十門当主クラスの実力者だ。“黒羽”もやはり数だけが取り柄ではない、ツワモノも交じっているか。
即決即断、羽織は提案のようにして決定を告げる。
「全員、逃げるぞ」
「えっ、でも春さんが!」
「雫もまだ合流できてないのに動くのはまずいんじゃないかな」
「戦ってもないのに逃げるってのかよ」
無口なリクスと、喋るのを面倒とする八坂以外から猛反発。
予測していた。素早く羽織は言い返す。文句のひとつひとつに対処する。
「浴衣様、春はもとより敵です。それに相手は父親、そこまで手酷いことにはならないと思われます。
一刀、雫についてはおれが責任もって合流する手立てを考える。今はここを離れるほうが先決だ。
条、お前はさっきやりあったばっかだろうが、誰彼構わず拳を向けてちゃキリがねえぞ」
とにかく急いだほうがいい。
口早に説得を試みるが、残念ながら納得の顔をした者はいない。
言葉が焦りで雑になっている。急ぐ心が言葉の選定に曇りを及ぼしている。もっと丁寧に話さねば人は動かない。だが、言葉を選ぶ時間も、言葉を重ねている時間もない。
いや、春の実力からして、まだ少しは時間を稼いでくれるはず――
「――そう慌てるな、どうせ逃がしはせんぞ」
「!」
突きつけられる現実は実に無慈悲で、早過ぎた。
あまりの急展開に羽織は引きつった笑みを浮かべてしまう。冗談だと願いながら、ゆっくりと声の方向に振り返る。
そこに立つのは木々を割いて現れる巨躯の男。壮烈な威圧を放つ、無骨な戦士の面持ちをした――春原 冬鉄だ。
いや、羽織は彼の顔を知らない、別人の可能性もある。言い訳じみた思考を浮かべつつ、目配せでリクスに確認をとる。あえなくリクスは首肯を示し、状況の最悪は決定してしまった。
予想を超えた速攻の襲撃に、選択肢はほとんど消されてしまった。
こうなった以上はまず逃避は難しい。説得は半端だし、敵が想定したレベルの実力なら背を向けるのは拙い。
だが、だからと言って戦うというのも決断しかねる。敵は強大で打倒しうるかわからないし、誰かひとりでも欠けては試合的に敗北に近づく、なによりも浴衣が守り切れなくなる可能性がある。
迷いは複数、思考は数瞬、結論はでない。時間を引き伸ばすために口を開く。
「……春の野郎が時間稼ぎしてたんじゃなかったのか?」
「稼がれたさ、数分だけな」
「!」
デタラメ。
本当にあの春を――しかも時間稼ぎに努めた春を――こうも短時間で下し、追いかけてくるなんて。
そんなこと羽織でも無理があるし、この場にいる全員でかかってもやはり困難な課題である。それをたったひとりで。
じり、と足は後退していた。ほとんど反射的に逃走の選択肢が色濃く無意識に現れたらしい。
だが、そこでふと気づく、森がざわついている。小動物がうごめくような、虫たちがひしめいているような、わかりづらいが確かなざわめき。
違和感に周囲を探ると――道がなくなっていた。
「は?」
ここは森の合間に均された細い通路である。森に挟まれながらも、伸びる道の先は前後にあったはず。
それが、ない。なくなっている。百八十度が木々に遮られ、隔離されている。
これは――
「彼の能力は“樹木の創成”。おそらく会話の間に、閉じ込められた」
リクスがやや苦い口調で情報の開示と分析を述べる。
言うのが遅い。羽織は苛立ちを吐き出したかったが、そんな猶予はなく。
短剣を手元に転移、構える。
「全員、覚悟を決めろ。やるぞ」
逃げるのなら森に飛び込み木々に身をくらませるのがよいだろう。だが、冬鉄の能力が“樹木の創成”ということは、つまり森の木々全てが彼の味方ということ。そんな敵の領域に逃げ込むなんて自殺行為に他ならない。
敵の能力が発覚したことで逃避の選択肢が、明確に消えたのだ。
ならば戦うしかない。羽織は未練なくスッパリ逃走の選択肢を排除し、思考を完全に戦闘へとシフトする。とはいえ戦闘といっても打倒が絶対条件ではない。倒さずとも、負傷させるていどでいい。こちらの逃避を追撃できない程度に痛めつけられれば十全である。こちらは六人、冬鉄はひとり――不可能ではないはずだ。
羽織の言葉に、嬉々として即座に臨戦態勢に入るのは条。特に変わりなく佇む八坂とリクス。発言の百八十度転換に驚く一刀と浴衣。
せめて最後のふたりの精神が落ちつくまで、戦闘開始はこちらに不利か。
「けどよ、おれたちみたいな雑魚をいくら削ったって、結局は当主を倒さないとお前らに勝ち目はないだろ」
時間稼ぎに適当な話を吹っかけてみる。
問答無用の速攻――とはならず、返事がやってきたのは行幸だった。
「そうでもなかろう。参加人数の八割を倒せば勝利なのだから」
「その八割に、当主もどうしたって含まなきゃならんだろうが。こっちは数が極端に少ないんだからな」
条家十門の試合参加人数は二十六名。そのうちで当主は十名である。
二十六の八割は倒す、つまり約二十名ほど倒せばいいわけだが――そうなると、確実に当主も倒さなければいけない二十名に含まれてしまうのである。
数が少ないぶん、倒せる標的が自然と限られるのだ。
「こんなところで無駄に体力削るより、当主に向かっていったほうがいいんじゃねぇの?」
できればこの戯言たわ言で去ってくれたりしないかなぁ。と心の隅で願う羽織であるが、冬鉄は鼻で笑って斬って捨てる。
「ふん、そんな世迷言に騙されると思っているのか? 倒すべきに、なにも当主の内で戦闘特化の者を選ぶ必要などなかろうが」
「……ち」
春の父親の割に、馬鹿ではない。頭は回る。それだけに厄介。
「先にお前ら雑兵をなぎ倒し、戦闘に向かぬ当主を蹴散らせば、おのず我ら“黒羽”の勝利だ。戦闘特化の者と戦う必要はない」
「弁えてはいるかよ、めんどくせぇな」
まあものは試しに言ってみただけだ。
本命は果たした。一刀は戦闘姿勢で冬鉄を睨み、浴衣はじりじりと後退している。
「じゃ、やるしかねぇな」
「まとめて掛かって来い!」
「お言葉に甘えて――いくぞ!」
そして戦闘ははじまる。