第六十八話 獲得
真正面から八雲は来たる。なんの小細工もなく、ただ前進。
剣を両手でしかと握り、駆ける勢いを乗せ斬りかかる。
雫は斜め前に飛んでそれをすり抜け様に避け、振り向いて一閃。金属音、別のショートソードが雫の刃を阻んでいた。
「く」
連撃。さらに襲う剣の群れ。
三方向から担い手なく刀剣が舞う。肩口から裂く一、背を貫く一、脚を落とす一。無論に正面の鍔競り合う剣も忘れてはいけない。
雫は鍔競ったままで刀を滑らせ背と脚を狙う二から体を逸らし、肩の一を風で押さえ込む。
八雲の能力“武具の戦舞”は一斉に多方向から攻めることができるが、その一本一本の剣技としての完成度は戦舞させる数が多くなるにつれて低下していく。
同時に操作できる数は百でも、それでは簡単で単一的な動作しかできないのだ。たとえば先の“九十九の檻”は射出のタイミングと向きをズラした以外は、ただ直進しているだけだった。
だから精密に操作するために数を制限して刃を舞わす。これを後方支援とし、同時に自身はショートソードを握って前衛として敵と斬り結ぶ。前衛後衛の役目をひとりでこなす――これが“百剣戦舞”という技の正体だ。
無論にストック――操作せず残る刃も存在する。空にて浮かんだまま停止し、天を覆い日の光を遮ることで雫へと多大なプレッシャーを与え続けているのだ。それはいつでも一挙に射出できるよう引き金に指をおいた散弾銃のようなもので、警戒に意識を割いておかねばならない。
しかも、その浮かぶ刃は浮かぶだけ。先の大技をうけて反省したのか、回転させていないのだ。これでは反撃にでれない。
というか、そもそも雫は回避以外の行動を今まったくとれていなかった。先ほどのように策を抱えたわけでもなく、反撃の隙を見出せずに、ただただ劣勢である。
「どうしたどうしたァ! もっと気張ってこうぜ、加瀬!」
「油断していろ、すぐにその笑みを消してやる」
言ってはみたものの、雫の内実には余裕の一滴もない。
純粋に戦舞する剣の数だけ剣士がいるような状況なのだ、これは。
剣を飛ばして斬りかかる。それだけなら、まあ飛び道具として対処すればいいし、一撃受け流せばよい。だが、“百剣戦舞”は剣技をもって刃を振るい、剣術を駆使して斬りかかる。担い手もなく、柄を握る者もなく、それでも確かに剣士の剣なのだ。
これが厄介となる、非常に厄介。一本の剣が八雲に近い技量の剣で襲ってくる。これでは八雲こそが増えたようなもの。しかも戦舞する刃たちは握る剣士がいないぶん、雫から反撃ができない。一方的に巧妙な剣技に攻め立てられることとなるのだ。多数同時に、多角的に。
確かにこの技は“九十九の檻”よりも、なお脅威の技だ。「終わらせる」と言った八雲の言葉には、嘘もハッタリもなかったのである。
正直――打ち破る術がない。直線に飛来するのなら、背面だろうと死角だろうと回避できる、できた。だが、直接操作された精密な剣戟を死角から繰り出されては、避けるのは困難。ただ単に八雲が複数人というだけでも、勿論勝ちが遠退いている。その上で多角的に攻められたら手も足もでない。
後方上空から雫を狙うショートソード。振り返って対処すれば目前の八雲に無防備となる。だから振り返らずに刀だけを後ろに回し、背の一撃を受け流す。すぐに前から八雲の斬、雫は一歩前にでて八雲の握り手を掴んで押さえ込む。
「む」
雫は握力を緩めず、身をかがめ、片手で背中から引き抜くように刀刃を振り下ろす。後ろの剣をふっ飛ばしつつ、八雲に斬りかかる。別なショートソードの割り込み、防がれた。
舌打ちしつつも雫は突き放すような蹴りを八雲にかまし、八雲は後ろに跳んでそれを回避。直後、突き出した脚を狙い、真横から斬断の剣が飛来。雫は受け止められたままの刀を、剣に沿って滑らせる。微かにでも風をおこす。脚を狙う刃に風の鎖、数瞬の足止め。その間に雫は刀とともにサイドステップを踏んで――左二の腕に熱、斬られた。見えなかった、気づけなかった。死角を狙われた。気にせず脚は動く。
既に雫の身には大なり小なり、様々な傷が生々しく残っていた。血が吹き出たり、流れ出したり、もはや止まっていたり。満身創痍とまではいかないが、あと数分後にはそう呼んで差し支えのない状態にまで陥るだろう。
どれだけ見えるだけの攻撃を防ぎ凌ごうとも、見えないところから――必ず残る死角から刃が飛んでくる。前後左右天地、同時多角的な攻撃を防ぐのは困難で、知覚外からの攻撃を凌ぐのは無茶に近いのである。
「ハァ……っ、ハァ……っ!」
それでも仮借なく襲いくる八雲の斬撃。
避ける――服が裂かれ、肌に些細な切り傷。
風で刃の進路をズラす――数度に一度押し負け、わき腹に傷。
受け止める、受け流す、受け堪える――腕が痺れ、体力が汗とともに流水のように身体から流れ落ちていく。
「ハァ……っ! ハァ……ッ!」
苛烈に踊る八雲の斬撃。
打開案を模索する――剣戟の火花に燃やされる。
思考を働かせ、勝機を探る――頬を過ぎる刃に奪われる。
負けないと、諦めないと魂が雄叫ぶ――精妙な斬撃にゆっくりとこそぎ落とされる。
「ハァ……ッ! ハァ……ッ!!」
このままでは――負ける。
本能と理性が、そう結論した。冷静な戦士としての自分が、そう諦観した。
先に手を全て晒した雫は、あとはもうずるずると追い込まれるしかない。奥の手などないし、付け焼刃では八雲に通用するとは思えない。
負ける。負けて勝てない。勝ち目がない。
それは。
それは――いやだな。
こんなところで脱落して、理緒姉ぇに届かないなんて、そんな不様は御免だ。
だって加瀬 雫は――黒羽 理緒を止めると誓ったのだから。
ならばどうするか。
どうすればこの敵を打倒できるか、勝利しうるか、敗北から抜け出せるか。
考え、考え、勝利のための必要を探し出し――存在しないという事実にまたぶつかる。この場において、加瀬 雫の全力を絞りだし、脳みその限り最善を思考しても、まだ足りない。勝てない。揺るがない。
ただただ純然たる――実力で負ける。
同時に、足りないものが足されさえすれば、勝ち目があるのだという単純な事実に気づく。
それは天啓だった。
落雷のごとき激しく鮮烈な思考の逆転。
そうだ、足りないものを、今すぐに足そう。差があるのなら、それを埋めるなにかを補填しよう。随分に無理のある思考発展であるが、血を失い逆境の雫には――ぶっちゃけハイな雫には、理路整然とした発想と思えた。
すぐに足りないものはなにかと思考の矛先を変える。この場において、この八雲を打倒するために、今の雫に足りないなにか。
なんだろう。百剣の牙を潜り抜け、百剣の盾を砕くかすり抜けるかし、八雲を叩くために要るもの。
思案は加速し、現実から切り離された体感速度で考えが明滅していく。浮かんでは却下を繰り返し、繰り返し、繰り返し――やがて。
あぁ、と思いつく。
――目だ。
目が、必要だ。
あの攻撃を見切れるほどの目が。
多角的に攻められても捉えられるような眼が。
見えなくても総てをありのまま視通すことができる瞳が。
今すぐに必要だ!
さあ、必要なものは判明した。欲すべきものは理解した。あとはそれを自身に追加するだけだ。足りなかったそれを、ここで足すだけだ。
加瀬 雫という人間は、それを今すぐ手に入れることができるのだと――そう強く思うだけだ!
――落ち着けと呪文のように胸中で呟く。大丈夫だと暗示のように胸中で囁く。
自然と、雫は両の目を閉ざしていた。それが自分には最も集中できる状態であると、わかっていたのだ。
八雲と戦闘中だというのに無防備極まりないが、これはもう賭けだ。このままいってもジリ貧でしかないのだから、ここで賭けにでるというだけの話だ。
ほぼ無意識ながらも攻撃を避ける雫を八雲が倒すか、それより先に雫が新たな認識を追加するか――なんともハイリスクで、望み薄な博打。
だとしても雫は、その薄明を掴み取るために全霊を尽くすのみ。
獲得する獲得する獲得する。強い思いで、己にないものを獲得する。今までなかった異物を、己の中に組み込む。
新たなる視点を。第三の目を。他にはない己を。
勝つために、勝つために必要だから――獲得する!
今この場で手に入れる!
(――私は、)
四方八方から刃が襲う。
致死に至るようなもの、最低限行動の支障になるような箇所を除いて無視する。否、集中していて気が回せない。
痛い、痛い、痛い。
鋭い刃の通過は激痛となって雫を呑み込む。
(――私は――の――ば)
構わない。
気にしない。
どうせ魂にまでは響かない。
ただ――集中する。
(――私は――いっぽ――の――いば)
乱れの混じった映像。
ノイズの多い音声。
似たものを一緒くたに感じる臭気。
容易く変容する好物。
違和感の拭えない感触。
五感が受け取るこの世界、それはきっとどこまでも歪んでいて、精確さなんてどこにもない。
確かに確信できるものなど、そう――どこにもない。
(――私は、一本の刃)
ならば――他の感を。精確に認知できる新たなる感を。誰にも視えないものを知る第六の感を。
ここに。
足りなかった第六を――“風”を――我が手に!
(――私は一本の刃――)
(――我が加瀬よ、刃をもって強さと変われ――)
そして、世界はその姿を変えた。
「…………」
八雲は現状を計りかねていた。
さきほどまで百の刃を危なっかしい体捌きで避け続けていた雫が、突然にその動きを止めた。
なにかまた逆転の手でも仕掛けてくるのかと思い、警戒し探りをいれるように攻めてみた。八雲自身は少し離れながら、“武具の戦舞”で数度斬りかかった。しかし雫はなんの反応もなく、刺されてヤバイところだけ些細な動きで器用にかわすくらいだ。
眉をひそめつつも、好機を逃すわけにもいかず、八雲は刃を舞わして斬りつけ――
――物凄い風が巻き起こった。
即座に百剣を自身の周囲に戻して、八雲は反撃を恐れたが――雫は動かなかった。
雫の周りは膨大な風が支配していたが、本人は髪さえなびかず不動で目を閉じ続けているのだ。
まるで台風の真ん中に立つ風神。
嵐を従え、意図的に静けさをつくりだしているようで――八雲は戦慄の思いに捕らわれた。
これはマズイ。今までとは、なにかが違う。異なっている。
じり、と無意識のうちに八雲が一歩下がった、時。
「!」
「…………」
雫の瞳が――開いた。
森の全景は美しかった。
そこら中で悲鳴をあげる獣たちに少し罪悪感がわいた。
あらゆる匂いは交じり合って自身に届いているのだと思った。
ただの空気が澄んでいるというだけで随分と美味いのだと知った。
世界中に満ち溢れた風の感触には細かな差異があるのだと気づいた。
目を閉じていても見える。耳を塞いでいても聞こえる。鼻をつまんでも匂いがする。舌に乗せていなくても味わえる。身体に触れていなくても感じられる。
――空気中に存在する全てのものを同時に識ることができる。
ああ――これが風の知覚。第六の感。
雫は、風を感覚器とすることで五感以外に世界を知った。そして、全てが変わった。
――今の自分は、途方もなく最強だ。
「…………」
目を開く。
それでも世界は変わらず、精確なままに脳へと伝達されていた。
人が知覚する情報のうちで八割程度が視覚情報と言われているが――今の雫にとっては、おそらく一割にも満たない。
風の知覚は、それほどまでに膨大で精密、精確だった。
今なら八雲の百の剣――その全ての位置を把握できるし、おそらく移動しても知覚していられる。己に死角などというものはなくなったのだ。
しかし、
「……っ」
頭痛が迸る。眼球の奥で火花が走った。
強烈な頭痛がわだかまる。まるで誰かが雫の脳みそを鷲掴みにして潰そうとしているような激痛。
通常ではありえないほど莫大な情報を叩き込まれ、脳が過負荷をおこしているのだ。このまま風の知覚を継続していたら、おそらく数分で脳がイカれる。よくて廃人、悪くて死人。
「時間はかけられんな――」
小さく呟きながら、刀を正眼に構える。声を張る。
「いくぞ八雲!」
「! ――あぁ、来いよ雫!」
一瞬キョトンとした顔を見せるも、流石は一級の戦士。八雲はすぐに戦時の顔つきに戻る。いきなり巻き起こった変容に言及することも、疑問を挟むこともない。
ただ真っ向から戦うのみである。
そんな姿勢は、この場において会話を伸ばされても困る雫としては感謝しかない。同時に戦士として敬服を抱く。
本当に、あなたと戦えてよかった――。
雫は強く柄を握り締め、緩やかに刀を持ち上げる。静かに、粛々と、淡々と。
次瞬、雫の腕が霞む。静けさを破って電撃のごとき速度の一閃。追従して猛烈な暴風が八雲に襲い掛かる。
それを読んでいたがごとく――いや、確かに読んでいたのだろう。強者相手に、同じ技は二度通じない――八雲の初動は早かった。浮かび舞い踊るショートソード、それを掴み、自身の身体ごと大きく横っ飛びしたのだ。
人が剣を操るのではなく、剣が人を操っている。否、人が剣を操り、操った剣で自身を操っているのだ。
自身の脚による移動と、剣の操作による移動を掛け合わせ、一動作の速度を上昇させる技法――
「“剣引加法”」
回避し、そして反撃。
天に配した残存戦力、それを惜しまず全力で投じる。百に近い数の剣を、雨のごとく降り注ぐ。
刺刺刺。斬斬斬。断断断。
八雲の采配による剣の群れに逃げる道はない。あまり散発させず、かといって収束し過ぎず、絶妙で精妙な剣の刺突連打。
防いだり受け流すには直撃する刃の数が多い。避けたり逃げたりするには刃の範囲が広い。どう足掻いても凌ぎきれまい。
キン――と鉄のこすれ合う音が嫌に耳に突く。鉄粉の匂いが充溢し、土煙が視界を遮る。
「――ち、なんて奴だよ、お前……」
八雲は舌に広がる血の味に、笑みが否応にも苦々しく染まる。理解できた。胸がひしゃけそうになる苦痛に、理解した。今、自分の魂が一瞬の内に十分の一、砕かれた。
「防げないなら、かわせないなら――砕くって? どんな男前な発想だよ」
「精確に言えば砕き、スペースを空けて、残りは風で軌道を逸らしたんだがな」
剣と剣と剣の合間に立つ少女。
傷ひとつなく、百にも近い剣の豪雨を凌ぎきり、生き延びた魔益師。
雫は湖畔のように乱れない瞳で八雲を正視していた。
その直視に、八雲はどこか気後れを感じる。
雫を中心に囲うように突き立つ刃たち、それを統べるように直立している――自身の魂の欠片だというのに、なんだか剣は雫を守っているようにさえ感じるのだ。絵画にしたらとても美しい一枚になるのではないか。芸術的な興味を一切もたない八雲でさえそう感じた。
美しいものは、少し見方を変えれば恐ろしいものとなる。八雲の感情はそんなところだ。
だが否だ、否である。あれは己の牙で、八雲の魂だ。
だから、
「まだまだァ!」
雫にもっとも近い八本の刃を、操り斬りかかることだってできる。
土を蹴り上げ、舞い上がる剣。巧みに操作され、斬りかかる。突き刺す。横薙ぐ。掬い上げる。
八方向からの攻撃。半数以上は避けられても、全てを回避し切るのは無理という八雲の基本的な戦法。
それを、脱力した姿勢のまま、その場で体をそらす程度で、雫は避けた。
避けた。避けた。避けた。避けた。避けた。避けた。避けた。
まるで全ての刃の軌道を把握しているように。全ての刃の射出順をわかっていたように。
「!?」
確実に先とは違う動作、それは知覚範囲の増大ゆえか。
刃の位置、軌道、順序、タイミング、狙い目、全てが見切られている――八雲は目を細めて一旦、手を止める。このまま無為無策に攻め立てても無駄にしかならないと判断したのだ。
地に居並ぶショートソードを再び天へと再配置して、それから様々な感情を落ちつけるようにため息。
「……ハァ。いきなり強くなったな……なんか切っ掛けになることでもあったのか?」
「強いて言うなら、この状況だな」
「逆境で覚醒ってか? 主人公かよ、お前」
そうでもない。
実際パッと見、雫が突然に強くなったように感じるかもしれないが――八雲がそう感じているかもしれないが、基礎能力値には変化はない。
変化と言えばただ視野や風の制御範囲が広がったくらいで、しかも実は実力的に言えば雫は当初からこれくらいの芸当は可能のはずであった。それほど魂制御に長けた魔益師なのだから。
しかし、遠き日にて理緒から与えられた風への認識「風は刃でしかない」により、風を攻撃以外の用途で扱うという発想がなかったのだ。認識が、存在していなかったのだ。
それを羽織が少しずつ改善してやり、雫もよく呑みこんだ。
そして今、敗北の絶対的な否認により、勝利への飽くなき欲望により、認識を自前で変容させた。理緒のもたらした認識を克服し、超越したことにより、こうして雫は本来の実力を全部発揮することができたのだ。
とはいえそんな内情、雫でさえほぼ気づいていないのに、八雲が理解できるわけもない。少々誤った解釈のまま言葉を続ける。
「けど、まあ、いい。関係ねえ。勝つのは俺だからな」
いくら雫が強くなろうと、八雲はもとよりさらに強いのだから、問題ない。
織部 八雲は敵の実力を知って自信を失くすだなんて、そんな雑魚じゃあない。ないのだ。
だが、現状も正しく曇りなく把握すべきであるとも知っていた。自分の多角攻撃が、今の雫には限りなく意味をなさない。一斉攻撃もまた似たような結果。
雫は攻撃的な能力の向上はあまり見受けられないが――防御、回避、迎撃に関する能力が飛躍的に伸びている。逆境で生き延び、生き足掻く術を手にしていた。
おそらくは八雲の斬撃に脅威を感じ、それに対処するために――対処するためだけに、なにかを認識的に追加したのだだろう。魔益師として一日の長がある八雲は、雫でさえ気づいていないことを、敵という立場ゆえにいち早く理解していた。
――ならば長期戦は不利か。
対八雲――他の者にも無論に有効であろうが、根本は八雲に抗するための認識追加であろう――のため、八雲の攻撃はほぼ全て意味をなさない。この場合、あとは体力勝負にもつれるが、その時、周囲の風を奪い戦う力の源とする雫相手にはやや不利である。
だからこその短期の内に仕留めようと考えたのだが――八雲も人間。ここではじめての、そして致命的な勘違いを犯してしまう。雫のこの全力は、あと数分ももたないというのに。短期決戦は、雫の最も望むところだというのに。
無論に、その勘違いを正してくれる者などなく、愚直に突き進む。
「なあ、加瀬」
「どうした、八雲」
「お前は強いな」
「それは……あなたにこそ似合う言葉だ」
「はは、ありがとうよ。認めた奴に認められるってのは、やっぱ嬉しいぜ」
「そう思う。誇らしいよ、あなたと戦えて――あなたに勝つことができて」
「ばぁか。勝つのは俺だよ、そこは譲らねぇ。次で終わりにするぜ」
「譲ってもらうさ、私はこんなところで立ち止まるわけにはいかないのだから――」
「それを言うなら俺だって、総帥になるその日まで走り続ける。お前は上等な壁だったが、突き破れないなんて思わない」
見据えるは、奇しくも同じ背中。同じ女性。
抱く感情は全く違うけれど――目指す場所は同じ。
なればこそ、この巡り合いは必然だったのかもしれない。この一刀交える一瞬は必然だったのかもしれない。
さあ――そろそろ決着をつけようか。
八雲は剣を掲げる。天を突き刺すように高らかに。
「一撃で仕留める――すぅ」
息を吸う。吸う。叫ぶ。
「――俺はこれに負けたら、希咲 翼に告白するぞぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」
緊張の糸が切れた。
雫は耳を患ったのかと思い、聞きなおしてみる。
「え……は? なんて?」
「だから、負けたら希咲 翼に告白するって」
「意味がわからんぞ」
さっきまでの緊迫感はなんだったんだ。雫は頭を抱えたくなった。あ、もとより頭痛は酷いんだった。
八雲はあっけらかん。
「お前もやったろ? 速成瞬時の認識強化だよ――己に誓いをたてそれを遵守するとか、自分を追い詰めて底力引き出すとか、な」
「それで……告白か」
「おう」
「いや、これは素朴な疑問なんだが――別に負けたらとかじゃなく、普通に男らしく告白しないのか?」
「それが……その、なんだ……」
いやに歯切れが悪い。八雲らしくもない。なんて旧友のごとき感想を、出会って数分の雫は思ったりする。
とはいえ、確かにらしくない風で、なんだか恥ずかしそうにコメカミを掻きながら、八雲は言う。
「彼女な……好きな男がいるんだよ。だからつまり――」
「玉砕覚悟か」
「あぁ。あの娘は純粋で一途だからな、間違いなくフラれるんだ……」
どんよりとだいぶ落ち込む八雲。
そんなザマではやりづらい。雫はどうにか真面目な方向に話を修正する。
「……なんというか、自分を追い込んで強くなるものなのか?」
だとすると、魔益師って本当に謎な生き物だよな。自身もそうであるのに、雫は他人事のように感想した。
「なっ、なるんだよ! 背水の陣って言葉知らねぇのか! 実際俺はこれを宣言して負けたことは一度もねぇ! まだ告白してねぇ!」
「聞きようによっては情けないな」
「うるせえ! そんなこと言って負けたらお前こそ残念だからな!」
「ふ、どちらが残念か、すぐにはっきりさせてやるさ」
雫もまた刀を思い切り振りかぶる。風を束ねて刃を研ぐ。全力を注ぎ込み、全霊を賭す。
刃を、魂という名の刃を、風という形の刃を――雫は振り下ろす。ブッた斬る!
「私は負けん――来い、恥ずかしい告白させてやる!」
「するか! 勝つのは俺だ、百剣収束――!」
風が集う。剣が集う。
集う、集まる、収束する。自身に残る総ての力を、意志を、魂を、この一撃に注ぎこんで圧縮する。
互いに現在現状において可能な限りの全力を――放つ!
「我が風よ、断ち斬れ!」
「“百花繚乱”!!」
雫の全霊を捧げた刃と雄たけび。
八雲の魂魄を尽くした剣と叫び。
刹那も揺れずに正面衝突。
木々に激震が伝わるほどの激突音が森を突き抜ける。
ぶつかり合う風の刃と百の剣。正面から一歩も退かず逸れず、剛毅に強気に真っ向勝負。それは雫と八雲の魂の答え――戦うのなら前を向け、斬り合うのなら向かい合え。
故に、もう本当になんの小細工もない単純な威力と破壊力だけを競う力比べ。
雫は戦技までも明快。振り抜いた一撃は、いつもと同じくただ思い切り風の刃を放つだけ。ただし、今の雫は周囲の風の強奪を当然のようにこなしている。それも範囲は大幅に拡大し、半径三百メートル前後、直径六百メートルにまで及ぶ。自然に巻き起こる風を、人や動物が動いて生じる風を、風と風がぶつかり合って高められる風を、全て奪い自己の力にしている。
一方、八雲の剣技“百花繚乱”は百の剣を全てを収束し固め、巨大な一本に見立てて振り抜くという技である。百を一とする斬撃は、まさに“百剣”と呼ばれる八雲に相応しい奥の手である。そのぶん、技単位で認識強化が大幅に起こっている。他の技にも名はあるが、この技は名と奥の手であるという認識が交じり合っているのだ。
どちらも強力無比の自身にできる最強斬撃。必勝の戦技。最強の矛と最強の矛の激突という、盾なき矛盾。
衝突してみれば、威力はやや八雲がまさった。雫の一撃を圧迫し、踏み潰さんと吼え猛る。
だが――雫の斬撃は、常に風を喰らい続けている。今発生した風さえも取り込み、延々と威力を向上させていく。八雲の振りかぶったぶんの風、ぶつかりあったことで生じた風。
それすら奪い、自らの刃とする。
「!!」
押していたはずの刃が、どんどん押し返される。八雲はそれを実感し、戦慄する。
こんな――馬鹿な話があるか。
ぶつかり合って、攻撃がヒットして、それから威力が後付けで増えていくだと?
そんなの、一時こちらが押し込もうと――いずれはひっくり返される未来が確定しているではないか。
しかし八雲はその時、すぐに対抗策を――打開策を思いつく。
簡単だ、もとから取り付く島のないほどの高出力でぶっ飛ばすことで、後からの威力拡大をさせない。
これしかない。だが、これは、この打破の方策では
「遅いか! 一度、拮抗に持ち込まれた時点で、思いついても意味がねえ――!」
八雲はこの一瞬で技の性質を理解し、打破の方策を思いつき、そして自らの敗北のビジョンを見た。
このままでは優勢は反転し、拮抗は終わりを告げる。八雲が負ける。負ける。負ける。
負け――
「――ちくしょっ、それでも俺は!」
負けたくない!
八雲は強くその一念を思う。
好敵手が現れた、よい戦いをした、楽しかった。
だからと言って負けていいわけもない。
確かに負けても清清しく認めることはできると思う。敗北を受け入れ、次の戦いのために歩みだすことができるだろう。
だからと言って負けていいわけもない。ないのだ。
織部 八雲は勝つと誓ったのだから。
なによりも――翼にフラれるという悪夢を現実にしたいはずがなかった。確定し覚悟していても、それは絶対に八雲の魂に深い痛みをもたらすだろうから。翼にまで、いらないものを与えてしまうだろうから。
だから、織部 八雲は――
「絶対に、負けん!」
百の剣に力が漲る。斬撃が加速する。劣勢になりはじめた戦況を、再び斬り返す。盛り返す。
「ひっくり返す!」
「!」
力を蓄える前に、一気に一撃で叩く。
鋼鉄の魂は無色の風を斬断し――
「逆境でも諦めることなき魂、勝利への強い思い――あなたは確かに強者だった」
静謐な雫の声は、暴風が荒れ狂い百剣が犇く激突渦中においても何故だか八雲の耳に運ばれてきた。まるで直接、風が届けてくれたように。
「だが、負けられないのは私も同じだ!」
姉を倒すには、こんなところで敗北を喫するなどありえない。
理緒は、一度も負けたことがない。ならば雫も、せめてこの戦争試合中だけでも負けないでいようと誓った。
雫は、魂の熱を力にせんと吼えた。
「私は勝つ! 勝つんだ!!」
ふたりの魔益師の膨大な感情は激しく鮮烈で、かくもその業前は美しく壮烈。剛勇伯仲、勇武熱烈。
どちらが勝利をもぎとってもおかしくない、どちらが敗北に沈んでも道理にかなう。実力は天秤では計れぬほどに近似していたのだから。
それでも、戦いに終わりは訪れた。決着は着いた。勝負は、決した。
「――いい戦いだった、ありがとう」
爆風と百剣の嵐は互いを削りあい、壊しあい、やがて縮退し消え去る。
その場に残るはもうほとんどの力を使い尽くした雫と八雲。
ふたりはここまで競った相手に賛辞を贈りつつ、笑っていた。こみ上げる笑みを抑えきれぬとボロボロの体で微笑みあっていた。
「あぁ、そうだな。いい、戦いだった。けど――」
言葉を区切り、八雲は天を仰ぐ。この頬を撫ぜる風を、ほんの少し忌々しく思いながら、誓約をひとつ告げる。
「次は俺が勝つ……」
言って、八雲は破られてしまった百の具象武具の反動を背負って――遂に膝を折ったのだった。
そう、勝敗を決定したのは、勝ち負けの境目を線引いたのは、両者がぶつけあった存在にあった。
八雲は言わずもがな自身の魂たる具象武具。だが雫の打ち破られ、砕かれたものは魂の能力で操っていた――風であった。相殺し、砕けても、雫自身には反動が一切ないのである。
ゆえに八雲は倒れ、雫は残ったのである。
とはいえ――
「駄目だな、これは……」
八雲の一撃は、最後の踏ん張りで雫にも大きなダメージを与えていた。互いの攻撃が消え去る瞬間に、折れた刃の欠片が雫を貫いていたのだ。
ごふりと吐き出した血塊は、思いのほか多量だった。
歩く、歩む、進む。
どうにか飛ばされた方向を指針とし、雫は芋虫のように遅々としながらも、進む。
手足は痺れ、意識が朦朧とし、魂が千々に飛散してしまう気がする。
「っ……諦める、ものかッ」
だからと言って倒れるわけにはいかない。
ここで倒れては、そこらから感じる視線の主に回収されて戦線脱落となってしまう。
それでは――理緒にたどり着けない。八雲に勝った意味が、全くなくなってしまう。
理緒に申し訳がたたない。八雲に顔向けができない。己が、赦せない。
このまま誰にも遭遇せずにもとの場所に戻ることができれば、もしかしたら浴衣と合流できるかもしれない。一刀や八坂と偶然にでも巡りあえるかもしれない。そうしたら、この怪我も治してもらえる。まだ戦える。
なんとも儚い希望であるが、縋るには充分な希望でもある。雫は絶望を努めて意識から外し、もしかしたらを追いかけ歩み続けた。
ズタボロで、それでも一歩一歩、前へと進み。
そうしてどれだけ歩いただろう。重たい足はさらに重く地に縛りついている。足裏はぺたんと大地にひっついて離れない。無理に足を上げようとして、バランスを崩して倒れそうになる。踏ん張って堪えるも、踏ん張る力が既になかった。
どうにか目の前に樹木があったお陰で倒れこまずに済んだ。木に寄りかかることができた。だが、そこから歩みを再開させるのは、肉体的にも精神的にも随分と困難だった。
その時。
「――よぅ、雫。なんだ、傷だらけだな、助けてやろうか?」
そんな、そんなどこまでも憎らしい声が聞こえた。
朦朧とした視界には、嫌ににやけた顔がある。猫背で、羽織りを纏って、雫のザマを見て笑っている。
「あーあー、死にそうじゃん。おら、言えよ。助けてください羽織様って言ってみろよ。おい」
底意地悪く言いながら、ゆっくりと雫へと近寄る。雫が死に掛けていることを理解しながら、あくまでゆっくりとした歩みは嫌がらせか。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいて、ようやく目の前にまで来て。
そこで――
「誰だお前」
そんな偽者の羽織に、雫は刀を突きたてた。
「エ?」
いっそ儚く血塊を吐き出して、羽織の姿はブレるように雫の見知らぬ男へと姿を変えた。
「ナ――ゼ?」
ハロルド・ティターン。この戦争試合の、ある意味での元凶。
魂魄能力“魂魄の変装”を使い、他者の姿を模することのできる魔益師。
そんな彼は、当然この試合に参加していたのだが――最初のターゲットに雫を選んだことで、意味不明を顔に描いたまま崩れて落ちた。
ふんと、雫はいっそ哀れみすら浮かべて言ってやる。
「ふざけた……能力だ。外面だけあれに似せて、私を騙せるか」
「馬鹿な、外見だけではない、性格や言動も真似たはず、加瀬 雫との関係性も調べた……それなのになぜ、なぜ?」
「性格? 言動? それで真似たつもりか阿呆――そもそも、あれと私の関係を貴様程度が推し量れると思うなよ」
私でさえ、わからんのだからな。
だが、それでもわかることはある。
「あいつが……助けるなんて言葉、使うわけがない」
助けを求めるな、自分でやれ――羽織ならばそう言う。
ハロルドは、呆気にとられた表情のままで、刀傷に苦しんですぐに意識を飛ばした。
それを眺めながら、雫はもう一度自分に渇をいれる。羽織という存在を思い出し、自身を奮い立たせる。
そうだ、弱気でどうする。
自分を助けられるのは、自分だけだというのに。
雫は再び決意し、足を一歩踏み締めて――そこで。そこで今度こそ力尽きて崩れ落ちた。