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第六十五話 憤怒









 二条家に伝わりし魂魄能力“一撃の強化”――の、高等応用技法に“発勁連枝法(はっけいれんしほう)”というものがある。

 これはある意味で二条家の奥義にして基本の技術、使いこなす者とそうでない者とでは天と地ほどの実力差がでる程の技――条が父である二条に、十日のうちで教授を懇願した技である。

 ――人がなにかを殴る時、拳を前に突き出す時、ただ腕の力だけで殴ったのでは威力に欠ける。だから、格闘技において拳を突き出す動作の事前、同時に身体中もまた駆動させ、全身の筋力を効率よく繋いで一撃とするものだ。

 脚から腰、腰から肩、肩から腕――こうした連絡を螺旋のように素早く精密にこなすことで打撃は威力を増幅させるのである。

 そして“発勁連枝法”――この技法は筋肉の連絡の一箇所一箇所全てに二条の魂魄能力“一撃の強化”を割り振る、というものなのだ。身体の動きを理解し、筋肉の稼動を把握し、それらを的確に順次連続的に強化することで、放たれる一撃の威力を一挙に底上げすることを目的としている。単に拳を強化して殴るだけよりも、身体全体で練り上げられて膨れ上がった強化の程は段違いとなる。

 しかし、これがなんとも難しい。

 そもそもまず、二条の能力はインパクトの一瞬しか強化ができない。一撃の、という言葉による認識の限定があるためである。一箇所を長時間強化し続けていられないのだ。そのため次に技法として生まれたのが一箇所を連続的に強化する、というものだ。これはコツさえ掴めばなんとかなるレベルの技法であるが――さらに発展した“発勁連枝法”はそう生易しくない。

 連続強化を会得した上で、さらに自己の認識を一部改変することが、この技の前提にはあるのだ。

 つまり“一撃”という言葉を、殴るインパクトの一瞬と解釈する認識を捨て――身体中の動作全てを合わせて“一撃”とみなす認識が必要なのだ。

 殴るために一歩踏み出す脚、捻りを加えて勢いをつける腰、前へと向かう肩、屈伸する肘、狙いへと突き刺さる拳――これら全てをそれぞれ“一撃”と認識し、総括した一連を一個の“一撃”と認識する。

 そうすることで魂魄は二条家の能力の更なる可能性を見せてくれるのだ。





 


 条は毒に朦朧としながらも、今までの人生において覚えた身体の感覚と、十日で叩き込んだ技法を必死に駆使して拳を振るう。

 捻る腰元を強化する。引き絞る肩から腕を強化する。食いしばる顎を強化する。

 跳ねる足裏を強化する。一歩踏み出す足を強化する。突き出す肘を強化する。殴る拳を――強化する!

 

「新城ォ、真綺ィイ!!」


 正常時と比せばやや速度に劣り、不恰好な一撃。

 だが、毒に感染した状態で、朦朧とした意識のままで、放たれた一撃にしては――


「速っ……くそ、がァァァアア!」


 悲鳴のように叫んで、真綺はこの戦争試合ではじめて全力で回避に徹していた。

 先ほど楽に避けて見せた一撃とは根本から異なる速さの拳。毒なんてなかったかのような立ち回り。

 一体なぜ、そんな動きができるというのか。

 毒は確かに散布している。呼気は確認できるので間違いなく毒は吸い込んでいる。絶対確実に条の身体を、真綺の毒素は蝕んでいる。

 それが証拠に条の姿はもうくず折れそうなほどやつれているではないか。

 息は荒れている。脂汗が顔面に広がっている。表情からして深刻な色だ――毒は間違いなく効いている。吸い込んでいる。

 ではなぜ。なぜこうもキレよく動き殴ることができている?

 真綺にはさっぱりわからなかった。

 二条家に伝わりし奥義を、ただの魔益師である真綺が知る由もない。

 すぱん、と頬のすれすれを通り過ぎた拳。戦慄した。直撃した時の苦痛を想像し、冷や汗が流れる。

 転がるようにわたわたと条から離れ、真綺は怒声を上げる。


「なんだよっ、お前! お前は、なんなんだよ! うぜぇんだよ、足掻いてんじゃねーよ! どく……毒吸ってんだ、毒だぞ!? しっ、死ねよお前。死んどけよぉ!」

「うるっ、さいッ!」


 真綺の言葉に耳などかさず、ただ己を貫くことに専心する。

 条はふらつく己を鞭打って、再び拳を握り締めた。

 倒れそうになる身を必死に支え、足には瞬間瞬間ごとに強化を加える。

 ――微かにでも集中が乱れたら、それで倒れるだろう。一瞬でも気を抜けば、意識をもっていかれるだろう。

 ならばもうあとは意地と根性の世界だ。

 怒りと戦意を燃料に魂を燃やす。魔益を絞りだし、魂から能力として発現する。連続的に自身を強化する。強化する。強化する。

 それでも長くは続かない。絶対に数分ももたずにか細く残った意識は霧散するだろう。

 毒が体力と気力をズタズタにしているから。呼吸は荒れ、汗は土砂降りのように流れ、身体が警告を訴え続けているから。筋肉全てが針金にきつく縛られている気がするから。

 苦しくて苦しくて、死にそうだ。意識をなくし、暗闇に飲まれて死んでいきそうだ。

 だが、その前に――


「お前はッ――ぶん殴る、新城 真綺!」


 体重移動。倒れこむように前へ。ふらつきならがも腰の捻りを忘れずに、大地を踏みしめる震脚は力強く。

 突く。

 恐々として真綺は逃げる。受け止める気はない、受け流すつもりもない。そんなことをしても、深手となるだろうと理解しているからだ。

 彼女は常に敵をいたぶる側にいた。どんな相手も毒によって苦しみ悶えている状態で対峙し、踏みにじるくらいしかしなかった。

 そう、実のところ彼女は戦闘行為をしたことが、一度もなかった。全てはワンサイドゲーム――一方的な虐殺だ。

 だから彼女は酷く苦痛というものを恐れている。痛みに耐える精神力が脆弱。

 条のように、逆境でも立ち向かう意志力が――ない。

 そのため出会ったことのない不屈の男に対峙し、選ぶ行動は全霊での逃避。避けるというより、本当に逃げ回るような格好で、真綺は条の拳から離れるために苦心する。


「くそっ、くそっ、くそっ!」


 なんでまだ戦えるのだろう。真綺は悪態をつきながら、本気で理解不能にぶつかっていた。不明が過ぎて、強いストレスが真綺の魂を襲う。

 条の立ち姿はふらふらとおぼつかない。しかし拳は真っ直ぐで。

 条の足元は千鳥足のように歩みはグチャグチャ。しかし体捌きは乱れなく。

 体力も気力も底を尽きかけていて次に倒れたら立ち上がれないだろうに。しかし意気は高まるばかり。


「まだ……まだァ……」


 突き出した一撃に体が流れ、転びそうになる。しがみつくように身体に力をいれる。踏ん張って堪える。


「まだ、倒れねぇぞ。お前を殴るまで……倒れねぇぞ……」

「っ」


 ゾンビのようなその姿に、真綺はついに折れた。キレた。タガを外した。


「――畜生ッ! ちくしょうがっ! もういい、もう知るか! 戦争なんざもうどうでもいい! ぶっころ、ぶっ殺してやるッ、ここでぶっ殺してヤル!!」


 ふわっと、瞬間で世界のにおいが切り替わった。

 森に特有の木々や土の匂いがなりを潜め、代わりに鼻につく異臭が条を襲う。

 まるで血のような鉄臭い匂い。人の死を具現したような生々しい、腐臭。


「ハハッ! 今、毒の種類を変えた。致死性の猛毒だよっ! 匂いを消せないレベルの強力な毒さ! はは、はははっ。死ぬ、お前はししし死ぬ! 死ぬんだ、アタシに殺されてねぇ!」


 あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!

 と、壊れたように哄笑をあげる。今までのぶんを取り返すように、怒りや恐怖を覆い隠すように、高らかに真綺は笑い続けた。

 これで“黒羽”は反則負けとなるだろう。人殺しはご法度な試合なのだ、当然である。だがそんなこと知らない。知ったこっちゃない。アタシは殺したい奴を殺した、それだけ、それだけなん――


「――やれやれ、いつも間一髪に間に合うのはどういうわけかな?」

「演出?」

「僕は狙ったことなんて一度もないよ」

「!」


 突然に割り込んできたふたつの声に、真綺は驚きと戦慄に振り返る。いや、振り返る必要はなかった。ずっと凝視していた条の、すぐ傍らに声のふたりはいたのだから。

 ふたりの内、長身で温和そうな青年が、条の肩に手を置きながらその容貌に似合わぬ厳しい顔つきで言う。


「まあ、さておいて――条、大丈夫? 一応、毒はできるだけ洗浄してるけど」

「あぁ……だいぶ、楽になった。すまん」

「なっ!?」


 毒を、洗浄!?

 なにがどう――


「僕の名は九条 一刀。条家十門を敵にまわして、九条の意味を知らないなんてことはないよね?」

「くじょっ――治癒師かッ!」

「その通り。君の毒は効かないよ」


 一刀は見せ付けるように右手の指輪を輝かせる。九条の能力は“存在の治癒”。これを己に連続行使することで、毒の影響を受けては即時治癒、受けては快復――それの繰り返しをしているのだ。

 これにより一刀と、もうひとり付き添うように立つ八坂は毒に感染しながらも無事なのである。それどころか、逆に毒の存在は魔益師が付近にいること、そして戦闘中であることまで教えてくれた。毒の濃度――どの程度の能力行使で打ち消せるかの度合い――からこの場所を見つけ出すことまでできて、一刀たちには都合がよかったと言える。


「変に能力の有効範囲を広げたのが仇になったね」

「ち……っ!」


 真綺はにわかに顔色を変え、躊躇い泣く背中を向けて逃げ出した。二条に治癒師まで追加されては、勝ち目がない。あの勢いだ、どう見積もってもボコボコにされてしまう。それは怖い。痛いのは嫌だ、怖い。

 戦う者としてはどうしようもなくふざけた――腑抜けた思考発展である。

 だが、


「待てよ――どこ行くんだ?」

「ひっ」


 回り込むようにして、条が立ちふさがる。

 治癒を受けてだいぶマシな顔色で。逃がしはしないと瞳で語って。散布している毒を吸いながらも不敵に。

 真綺は今まで一番の悪寒を背に感じながら、慌てて口を開いた。必死だった。


「まっ、まてまてまて! 待ってくれっ。アタシは女だぞ。おっ、女を殴るつもりかよ、お前!」

「――」


 呆れたような顔が漏れてしまう。

 まさかこんな土壇場でくだらない命乞いをされるとは。

 この女は、本当に、どうしようもない。

 ――あぁ、いや、そうか。

 この女にとって、戦いは、遊びだったな。条は思い出し、合点がいったと同時にきつく拳を握り締めた。


「ああ、殴る。お前は一回ぶん殴らねえと気が済まない。一回ぶん殴らねぇと、一生わからない。

 だから受けてわかれ、思い知れ。遊びなんかじゃ味わえない――本当の戦いの怖さと、痛さって奴をな!」

「やめ――っ!!」


“発勁連枝法”――地を蹴り身体を前に押す力を強化。捻った腰を回転する力を強化。振りかぶった腕を前へと進める力を強化。殴りつける、拳を強化。

 一連の動作を根から枝にまで栄養を運ぶ樹木のように速やかにおこなう。練り上げた力の全てを、積み重ねてきた憤怒の全てを、敵に――新城 真綺に存分に叩きつける!


「破ッ!!」


 ごがん、と重圧的な打撃音が響き、直撃した真綺の頬は歪み、その身体は耐え切れずにぶっとんだ。そのまま百メートルは殴り飛ばされたかと思うと、どでかい木にぶつかって停止。あまりの勢いに真綺を受け止めた木は大きく揺れ、木の葉が荒々しく舞い落ちた。気絶した真綺の上に、静かに落葉が積もる。まるで汚いものを覆い隠すように。


「――うし」


 条は清清しい笑みで満足にひとつ頷く。

 ムカつく奴も殴ったし、今の一撃は条にして実に会心の出来栄えだったし。

 満足満足。

 楽観の条に、一刀は急いで手をあてる。


「ん?」

「無茶をして。条、君は致死性の毒を吸い込み続けてたんだよ? 死んだらどうするの」

「あー、はは。殴ることに夢中になって忘れてた」

「まったく……」


 ともかく早急に治癒をしよう。一刀は指輪から治癒を放ち、条の中の毒を根こそぎ洗浄していった。

 ――その横で、八坂は心配するでもなく、ぼうっと落ち葉に埋まる真綺の姿を眺めていた。今の一撃は見事なものだった。攻撃を受けることに関してはプロな八坂でさえ感心してしまうほどに整った体捌き、肉体操作能力操作。思わず、ぼそりと聞こえないようにひとこと呟いていた。

 

「――まさに一撃必倒かくありき、か」


 落ちる葉がまた一枚、真綺に積もった。












「ねえ、条。思い切り地面とか木を殴って、その拳圧というか衝撃で毒の香水を吹き飛ばすとかは、できなかったの?」

「……あっ」





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