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第六十話 開戦









 条家十門と“黒羽”機関――この二者間における試合という名の戦争。

 その戦争において今回、戦線区域を提供したのは条家側であった。

 森。

 巨大で広大な森林。

 樹海というほどには大きく深くはないけれど、森というには言葉が足りない気はする――そんな規模の樹林である。

 この森はもともと条家十門が古くから保有する領域。七条による強大な魔害物を封印した際の、封印場所だ。

 封印――それは、長き歴史のうちでも条家十門がその場での打倒が不能と結論した魔害物を、七条家が隔離した空間に閉じ込めたもの。とはいえこれでは増えていく一方なため、十数年に一度のペースで開封し、その時の条家が数を減らす作業をすることもある。勿論、戦力を整えて、強力な魔害物を打倒できる条件が揃った場合のみだが。

 そのため森全域には代々七条家の人間が感知結界を張り巡らせており、常に封印の監視を継続している。それは千年も昔より存在する条家十門の秘匿された務めであった。

 この森はいわば巨大な監獄であり、もしも万が一にも封印から逃れようとも、即座に気取られ条家十門の魔益師が森の敷地内で打倒する。

 そういった事情をもつために、戦闘行為には適している。

 巨大な森のそこかしこには網目状の道と呼べるルートが存在するので移動は難しくないし、あちこち数十箇所には円形の草木はえぬ平地があって障害物なしに戦いやすい――これは開封した魔害物とやりあう時に自然とできた空間である――し、無論に森という巨木や草花にあふれた地での不規則戦闘、不意打ちなんてこともできる。

 なによりも、広い。これが今回の戦地として決定した最大にして最重要の理由である。

“黒羽”機関のほぼ総戦力を結集するということは、まずは戦場に広さが求められるのは当然である。

 ゆえに一条はこの森を提案し、理緒はそれを呑んだのだ。








 そんな森の一角、とあるひとつのなにもない円形スペースにて五人の人間が集っていた。

 五人といっても、その内ふたりは部外者のように遠巻きで眺めているだけであり――中央に立つ三人こそがこの場の中心、この戦争の中核。

 三人の中のひとりが、定時となったことを確認し口火を切る。


「この度は条家十門と“黒羽”機関による戦争――失礼、試合に際しまして仲介兼審判を申請され承りました、ソウルケージの日本支部代表――神道(しんどう) (ぜん)と申します。以後、お見知りおきを」


 慇懃な態度でもって、ソウルケージ日本支部代表は条家十門盟主と“黒羽”機関総帥に柔和な笑みを浮かべた。

 ――現状、日本四大機関のうち、三組織のトップがお目見えするという物凄い事態が巻き起こっているわけだが、それを気にする者はいない。

 誰も、それどころではないのである。

 漸は臨戦態勢半歩手前にある双方の意を汲み取り、手早く進行していく。


「でははじめに、この試合のルールについて確認をとりたく思います。ルールといっても、確認をとりたいのは敗北条件についてだけですが」


 戦闘自体に関しては、ほぼルールなんて必要ないわけだし。


「敗北条件は三つ。まずは代表者の敗北でありますが――双方、代表者は決めてありますね?」

「条家は当然に盟主たるこの俺が代表だ」

「“黒羽”も、総帥以外には不在に決まってるわ」

「わかりました。では、お二方にはそれぞれ専属の監視がつきますが、これは代表敗北による終戦を即座に確認するためですので、ご了承願います」

「了承した」

「変にでしゃばらなければ気にはしないわ」


 ふたりが肯定の意を示したのを見て、漸もひとつ満足げに頷く。割と反発の不安を伴った提言だったのである。


「ありがとうございます。

 では次に、八割以上の戦力の脱落。これに関しましては――おい、かなら」

「はいはーい」


 言葉を区切って後ろの部下のひとりに目線をやると、返事が元気よくやってきた。

 かならと呼ばれた少女は、あまり――いや全然気負いなく、一条と理緒、それに漸の会話の中に入り込む。


「どーも、かならです。ソウルケージ所属のしがない魔益師だよ」


 なんて自然体。

 日本四大機関の三組織、その長の会話の輪になんとも自然に踏み込み、かならは自己紹介していた。

 しかし――大物な態度をとっていいのは、大物だけなのである。


「こら」


 すぐさまがつん、と容赦のない拳が落ちた。

 頭を押さえ、痛みに涙目になりながらもかならは抗議の声をとばす。


「痛ッ! なにすんのさ代表!」

「お前という奴は……礼儀も弁えないのか! 相手は巨大な魔益師機関を率いる長がただぞ、せめて畏まれ、敬語を使え!」

「別に代表にもいつもこんなんじゃない、今更今更」

「俺はまだ同僚だから許さんでもないが――って」


 どういう場であったかを思い出す。言い争っている場合ではないと気づく。

 ぐいと無理にでもかならの頭を掴み、下げさせる。漸は父親の気分である。


「うちの部下が無礼を、申し訳ない。これはまだまだ未熟な小娘でして」

「うー、ごめんなさい」


 流石に漸の必死さに押されて謝罪を口にするかなら。

 その態度に反省の色は薄いが、一条は苦笑で済まし、理緒は気にした風もなく目を細めるのみ。

 それでも悪いのはこちら、漸はつれてくるべきではなかったかとやや後悔したが、それでも――


「失礼な娘ですみませんが、これを外すわけにはいきません」

「? 外すわけにはいかない?」


 思わず一条は問い返す。

 この程度の無礼は気にもしないが、漸の言い方は気にかかった。


「ええ、これの魂魄能力――“存在の数値化”は、今回に必要不可欠なのです」

「数値化……なるほどね」


 理緒はふむと顎に指を置く。大体の事情は察せたらしい。

 漸はそれでも説明の義務がある。舌をなめらかに滑らせる。


「察しはついたと思いますが、念のため説明を致します。これの能力はつまりが物質、概念、感情その他のあらゆるを数値として視認することを可能とする。無論、人数を数として視ることもお手の物というわけです」

「なかなかユニークな能力だな」

「ユニークでも戦闘では使えないわね」

「我々ソウルケージは個性豊かな人材を常に求めておりますよ」


 素直に感心する声に、冷徹な声。最後に肩を竦めて微苦笑する声。

 組織の姿勢が、そのひとことからは見て取れた。


「まあ、それではそろそろ――かなら」

「はいはい、りょーかい」


 音もなく具象化――かならの魂を物質化したそれは、コンタクトレンズ。

 正直、そのように小さく透き通ったものでは変化に気づきづらい。それでも流石というか、やや変色をおこした瞳に一条と理緒は判別して、反射的に警戒心が反応していた。そんなことも気にせず、かならはレンズを通した世界で数字を視る。……大物な態度というより、ただ鈍感な奴なのかもしれない。

 まずは理緒に目を向け、目を凝らし、認識強化の言霊を唱える。


「んじゃ、“黒羽”さんから――『今回の試合に“黒羽”機関として参加する魔益師の数』、は……一万四千七百二十九人、だね」

「それで数に違いありませんか? 黒羽殿」

「ええ、間違いないわ」


 ほっとする漸とは対照的に、気をよくしたかならが視線を一条へと移す。


「よーし、条家さんは、と――『今回の試合に条家十門として参加する魔益師の数』……って、ぇえ!?」

「? どうした、かなら」


 漸が不思議そうに首を傾げて、いきなり声を上げた部下に問う。


「え、いやっ、そのぅ……条家の盟主さん、これマジ?」

「ああ」


 かなり慣れ慣れしくて、だがその言葉の内にある驚愕の色が、漸に注意させることを躊躇わせた。

 戸惑い躊躇うと言えば、当のかならこそが最も戸惑い躊躇っていたが、簡素に返されさらに困惑してしまう。それでも一応は上司である漸が急かすものだから、まとまらないままの頭で意を決して言葉を紡ぐ。


「……えっと、条家十門の参加者人数は――にっ、二十、六人」

「なっ! まさか、そんな馬鹿な! 条家十門の所属人数は確かに少ないだろうが、それにしても!」


 これまで冷静を通していた漸でさえ、その少人数には驚きを隠せない。まさかこんな大一番で、“黒羽”機関という大組織との真っ向勝負で、その数というのは――勝負を捨てたとしか、思えない。

 誰より驚いてみせたのが漸なら、誰よりも剣呑な声を吐くのは、無論に舐められた当人たる“黒羽”総帥。組織の名を姓に冠する少女。


「――どういうつもりかしら?」

「どういうつもりも何もない。この数で充分に勝利すると確信しているだけだ」

「貴様ッ――!」


 一瞬、激昂しかける。タガを飛ばして斬りかかりたいとさえ思った。だが、それを押さえ込む。衝動を静めこむ。

 理緒は自己制御に長けた少女であった。

 それでも一刺し程度は言ってやらなければ気が済まない。挑発と確認を織り交ぜて、一条の不動の目を見据える。


「いいでしょう、好きにするといいわ。けれど、それを敗北の言い訳としようだなんて、まさか考えていないわよね?」

「言い訳? 何を世迷言を。我々が勝利するのに、言い訳が必要か?」

「っ。その傲慢、地に伏した時に存分に悔いるがいいわ」


 揺らぎなき大地のごとき返答に、理緒はまた加熱しかけるもやはり自制。どうにか悪態ひとつで頭を冷やす。

 戦闘がはじまってもいないのに、血を沸かせて、頭を熱していては勝ち目などない。魔益師は精神状態でいとも容易く敗北する者なのだから。

 理緒が了解したのを見ては、漸ももう言うことはない。仲介という立場上、事務的に言質だけとる。


「……では一条殿、条家十門の参加者数は二十六名で……よろしいのですね?」

「委細、間違いない」


 ひとつ頷き、もうさっさと話を進めることにする。漸はほんの微かに息を吐いてから、また口を開く。


「最後の敗北条件は――相手側の者を殺してしまった場合。

 これにつきましては、森の中にソウルケージの者を多数配置しておきましたので、即座に察知いたします」


 一条や理緒も気づいていた。森に足を踏み入れた段階で鋭い視線が幾つもこちらを見ていることに。今だってこの場には漸とかなら、それにもうひとりの部下がいるだけのようで――視線は数え切れないほどある。向こうも隠す気があまりないのだろうし、気にしても仕方ないので無視しているが。

 ふたりの意識が少しだけ漸以外に向いた、その隙間を突くように――漸はあぁとついでのように、もうひとことだけ付け加える。


「無論のこと、目を逃れて隠れておこなえば大丈夫――などという我々を甘く見た行為は敗北に直結することをここに確約いたしましょう」


 我々を下に見ることは許さない――氷柱のように凍え、刺殺に向いた声音が厳粛に響いた。

 その点だけは、ソウルケージの日本支部を預かる身として強調しておかねばならなかったのだろう。

 ふっと表情は無へとかえる。声の調子ももとの慇懃で余裕のあるものへとすぐに戻る。

 

「と、まあ確認しておきたいのはこの辺りでしょうか。お二方、なにか今のうちに訊いておきたいことでもありますか?」


 瞑目して沈黙を選ぶ一条。

 ないと短く断ずる理緒。

 ならばもう言葉はいらない。漸は懐中時計をとりだし、針の位置を確認してから顔を上げる。


「ではこれよりちょうど一時間後に開戦といたします。それまでの間に移動は許可しますが、能力の発動やそれ以外に罠の設置などはお控えください。

 ――では、武運を」


 










「――それでどうだ、かなら」

「なにがさ?」

「条家十門盟主、“黒羽”機関総帥――この両者の実力の程だ。具象化したまま視認したのだ、強さを数値として確認したのだろう?」

「あはは……バレてた?」

「当然だ、お前は抜け目ない。とはいえ、このような機会は確かに滅多にないのだから、気持ちはわかるがな。それで、数値は?」

「んー、それがさぁ、ふたりとも強過ぎて上限超えちゃった。解析不能って感じ」

「やはりか。まあそうでなくては、機関の長など務まらないだろうな」

「ちぇ、がんばって能力の向上しなきゃなぁ。せめて代表の強さがわかるくらいには」

「ふ、努力することだな」

「へーへー。

 ……ね、代表。これどっちが勝つと思う?」

「これ、とは試合のことか?」

「そー」

「さてな。条家十門は最強――だが、あの少人数だ。いくらなんでもあれは少なすぎる。負けの目がないとはいわんだろう」

「んじゃあ、“黒羽”が勝つと思うんだ?」

「まあ、そちらのほうが一般的であるだろうな。“黒羽”機関ならば仕事がかち合うことがあったりして、現実的に強さを我々は知悉している。なにより、機関のほぼ総員を尽くしている。負ける姿は想像できないな」

「一般的って、代表の意見はどこにあんの?」

「――わからない、というのが本音だな。どれだけ文句をつけても、なにを積み重ねても、条家十門は千年の歴史を誇る日本――いや、世界最高峰の退魔師集団であるという事実は揺れない。しかし客観的に見て一万と二十では話にならない。

 だから、わからない」

「いや、それじゃ賭けにならないじゃん」

「賭け事の話だったのか……。俺は賭け事はしない」

「いやいや、今日来てるうちの奴らたぶん全員賭けてると思うよ?」

「全く、叱り甲斐のある部下ばかりで上司としては頭を抱えざるを得ないな」

「はっはー、そう褒めないでよ代表」

「……阿呆」











「いやいや、まさかよぉ――当主が揃って戦う日が来るとはねェ」


 笑いを堪えきれないのか、四条は子供のような破顔で周りを見渡す。

 一条から十条までの当主が、そこには勢ぞろいしていた。なんとも壮観な画だ。

 六条もあごもとに手をおいて怪しげに笑う。


「確かに、このような事態はこの世代でははじめてですね」

「四、五年前の開封時期はどうだったか」

「あれは一条様、二条、三条、四条だけだたったでしょう。わたしたち七条家は支援に徹して戦闘には参加しなかったわ」

「そうか、あれだけ大規模でも四家だったか」


 それに引き換え、今回は十家。戦闘のできない当主も多いが、その支援の影響力は戦力の向上にどれだけ貢献するか。単純に戦闘要員ばかりよりずっと厄介さは増すのは確実である。

 そんな古強者どもの中、緊張を微塵も感じさせない仕草でやれやれと肩を竦める余裕を見せるのは、やはり最年長の十条。


「ふむ、この歳になっての大仕事、骨が折れそうですな」


 静乃は戦意高揚、負けん気充分な当主勢にそれでも警句を忘れない。


「皆様お強いでしょうが、くれぐれも油断はなさらぬよう。怪我をしたらすぐにわたくしのもとへ来て下さい」

「それは四条に言ってやるのだな」

「うっせ、負けなきゃいんだろぅが」


 そっぽ向く四条に、それでも三条からの追求は深くにまで刺さる。


「次に不様を晒すようなら、オレはお前の当主退任を進言するぞ」

「ち、わーってるよ」


 そんな会話さえ、割といつも通り。八条は笑みを口の端に浮かべて準備運動のようにゆっくり腕を回す。


「血沸き肉踊る、でごわすな」

「最後ので台無しよ」


 ため息は七条から。

 一条も軽く笑って、それから刀を引き抜き天へと掲げる。


「ふ、八条が肩の力を抜いてくれたところで、いこうか」


 皆の視線がその刀身に集まるのを感じながら、一条は強く喝をいれるように声を張る。


「当主たちよ存分に暴れろ、ただし敗北は許さない。お前達の肩にかかるは千年に渡る不敗の戦史、受け継がれゆく最強を冠する魂――まさかそれに恥じるような戦はすまいな!」


 応、と。

 有言でも無言でも、答えぬ者はひとりもおらず。

 是、と。

 有言でも無言でも、肯定しない者はひとりもいない

 何故なら彼らは条家十門を率いる当主たちなのだから。名にし負う最強の魔益師集団なのだから。


「なればこの一戦にて次の者たちへ魅せよ、条家十門当主かくあるべしというべき生き様を。その戦技を。その魂の輝きを!」


 誰もが伝播する炎に魂を燃やし、一条の大喝を受け止め戦意が盛る。

 勢いよく、掲げた刃を振り下ろし――いざここに、


「さあ条家十門――出陣だ!」


 ――長く熾烈な一日の。

 ――広く大規模な試合の。

 ――深く感情渦巻く戦争の


 開戦。













 ソウルケージ日本支部代表――神道 漸


 魂魄能力:不明

 具象武具:不明

 役割認識:不明

 能力内容:不明

 その他: 考えてない、とも言う。


 



 数え終わらない数列――伊藤 かなら


 魂魄能力:“存在の数値化”

 具象武具:コンタクトレンズ

 役割認識:数読師

 能力内容:物、概念、感情などを数値として視認することができる。ただし能力を保持する魔益師の実力により、限界は存在する。






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