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第六話 一条





「いやぁ、それにしても一条様とは素晴らしいお方だな。人の上に立つ者はかくありたいものだ」


 九条の屋敷へ戻る道すがら、雫はそんなことを言い出した。

 羽織は唐突な物言いに、頭にクエッションマークを浮かべる。


「あ?」

「貴様も見ていただろう。私とさして変わらぬ年齢だというのに、条家という大組織をしっかりと纏め上げ、なおかつ私などの言葉をキチンと受け止めてくれた。なんとも度量の広いお方だ。それに一条家当主ということは、条家で最も強いのだろう? 一条様とは凄すぎるな」


 どうも先ほどの総会での一条の姿が、未だ色濃く残っているらしい。興奮気味だ。

 様づけで人を呼ぶのは慣れていないと言っていたはずの雫が、自然に様づけで呼んでいる――それほどまでに鮮烈だったのだろう。

 羽織は目をまん丸にし、すぐに吹き出した。


「ふ、く……はは」

「? なにがおかしい。いきなり笑い出して気持ち悪い」


 突然笑い出す羽織に、雫は怪訝そうに眉をしかめる。

 答える気がないのか、羽織は曖昧にまた笑う。


「いや……一条さまは素晴らしいよなー、って思ってなぁ。あと気持ち悪いとか言うな」

「嘘くさい。というか、貴様の言動は全部嘘くさい」

「全部かよ! けっ、別にてめえに信じてもらいたくなんざねえよ!」

「わかったよ、全部は言い過ぎた。九分九厘だ」

「ほぼ全部!」


 立場逆転して羽織がキレよく突っ込む。

 すると雫はなにか宇宙の真理にでも気付いたかのような表情をして、ぴんと人差し指で天を指す。


「待てよ……貴様という存在そのものが嘘なのではないか?」

「意味がわからん上に、とりあえずおれをけなす方向にもってくな!」

「ならば本音を言え、なにを笑っている」


 雫はパッと話を戻して、詰問口調で問う。

 その切り替えの早さは羽織に似通っているが――発言者は気付きもせず、本人に至っては鼻で笑う。


「はっ、聞きたきゃ土下座して三回回ってニャーと言いながらもう一回土下座しながら三回回れ」

「するか! しかも土下座しながら三回回るって、どうやって同時にやるんだ!」

「気合と根性と情熱的ななにか?」

「ならばまず見本を見せてみろ、土下座しながら三回回って見せろ」

「あー……ごめん、気合と根性と情熱は品切れ中でな。またのご来店をお待ちしてまーす」

「いつ入荷するんだー!」

「しねえよ、高いもん」


 そんな感じの会話で、雫が誤魔化されたことに気付いたのは、次の日の朝だったとか。







 その会話と時を同じくして、総会部屋には一条と十条のふたりだけが未だ残っていた。

 他の全ての気配が遠退いたことを確認すると、一条は疲労をこそぎ落とすように深いため息をついた。

 そして、先ほどの公の場では考えられないほどに、へなへなと全身の力を抜く。眼光からも鋭さを取り去り、やわらかく穏やかな瞳となる。

 完全に変わった態度と声音と口調で、一条は十条に親しげに話しかける。


「あー、疲れたー、緊張したー。なあ、十条、僕は上手く一条家当主でいられたかな?」

「ほっほ、見事でしたよ、一条様。今回の総会は文句ありません」


 十条の評価に、一条は心底安堵を浮かべる。


「よかったぁ。二条と三条はまた口喧嘩するし、七条は煽るし、止める時、僕はもう心臓が握りつぶされる思いだったよ」


 毅然とした先ほどの態度が嘘だったかのような弱音。見る者が見れば己が正気を疑うような激変である。

 ふやけた気弱な普通の少年――こちらこそが、一条の本当の姿だった。

 しかし、一条家は条家の盟主。

 このように弱い姿を晒すわけにはいかず、一条は演技という皮で自己を覆っていた。強い自分、立派な一条家当主を、誰にもバレることなく演じていたのだ。

 他者の目がある時全てが演技――驚異の自制心といえよう。


「あ、そうだ。加瀬さんへの判断も、あれでよかったのかな?」

「加瀬殿への判断も、多少は他の当主たちからの非難もありましょうが、九条の意向には添っていたでしょう。上手くまとめましたな、一条様」


 唯一――いや、羽織にバレたので唯二――一条の本当を知る十条は、よく一条を孫のように褒める。それは幼少の頃より世話役をしてきたがための、本当に孫のように思うからこそでる温かみの溢れる言霊。

 一条は、それがいつも照れくさい。けれどいやでは決してなく、誤魔化すように苦笑する。


「あはは、ありがとう、十条。

 全く、いきなり九条が頼みがありますなんて言ってきた時は驚いたよ。それも今朝会ったばかりの少女を助けたい、だなんて」

「加瀬殿の意志の強さが気に入ったのかもしれませんな……いや、九条は誰にでもああいう態度でしたか」

「まあ、人助けは大事だよね。

 ……うーん、それにしても加瀬さんか。凄かったねえ、彼女。条家十門の前で、あれだけ言ってのけたのは、彼女がはじめてじゃないかな?」

「ふむ、わしの記憶の中でも、あそこまで言い切った者はいませんな」

「やっぱり凄いなぁ。僕、少し憧れちゃうな」


 羨望のように、一条は息を吐いた。

 演技で自分を偽って、一条家当主を演じているだけの――自分のことを信じてやれない一条は、意志の強さを持つ雫のような人物に惹かれてやまないのだ。

 意志の強さとは、すなわち自分への信頼だ。自身に疑いをもたないがために、意志を貫ける。

 それが一条にはない。ないからこそ、自分を偽る。ないからこそ、雫が羨ましい。

 ないからこそ、自分を信じる勇気を――一条はなにより欲していた。





 一条には、名前がない。

 正確に言えば、名を捨てたのだ。

 また一条家には現在、当主である彼を除いて、他にその姓を背負う者は存在しない。

 何故か。何故か。


 七年前、一条家は何者かの手により――滅ぼされたのだ。


 当時の当主は殺され、その妻も殺され、直系のひとりも殺され、数人いた傍系の者も殺され、使用人に至るまで殺された。

 まるで一条の血を断とうとしたように、その時一条の屋敷にいた者全てが殺し尽された。

 一体誰がそんなことをしでかしたのか。魔害物だったのか人だったのか。個人だったのか集団だったのか。理由はなにか。そもそもどうやって最強たる一条を倒したのか。

 なにもかもが、現状にあってもわかっていない。条家の情報収集を司る六条でさえ、少しも情報を掴めていない。

 その殺戮から唯一生き残ったのが、もうひとりの直系である一条だった。偶然にも、一条は十条家に遊びにいっていたのだ。

 そして条家の構造は、その事件で少々の変容を余儀なくされた。

 例えば一番顕著なのが、十条だ。十条家は全員で一条家に移り住み、一条の世話と護衛をする役目を負った。

 他にも、防衛のため戦えない条家には戦闘特化の条家の者が居候し、護衛の役割を振られている。

 このように、様々な意味で条家の長年の歴史に傷をつけた七年前の事件は、未だに調査を続けられている。

 名もなき一条の心にも、深い傷を残したままだ。

 一条はその事件を境に名を捨て、一条であること以外の全ても捨てた。個を捨て一条という家名を背負ったのだ。

 当時、彼は十二歳である。

 その年にして、一条は覚悟を決めた。

 一条家当主を、受け継いだ。

 慣れないことばかりだったが、それを努力で補った。もともと気弱な性格だったが、それを演技で覆い隠した。戦闘力はまだまだ足りなかったが、それを鍛錬で強化し続けた。

 誰よりも、一条の当主であらんと自己を律した。

 しかし。

 一条はその血の滲むような努力に反して、自虐的なほどに謙虚だ。普通は努力をすれば自信が伴って身につくものだが、一条は己を卑下する。それは、彼が目指す“一条家当主”という理想に届かないからだ。少なくとも、彼自身が届いていないと思っているからだ。

 他の一条が死に絶え、自分だけとなった一条には比べる対象も、目指す対象もいない。そのために“一条家当主”という幻想は、補正の掛かった幼き日の記憶――果て無き極致点と認識してしまっているのだ。

 他の者たちからどれだけ褒め称えられようと、一条は満足しない。まだまだ足りないと思う。こんな程度ではだめだと思う。自分は弱いと思う。


 自分のことを、どうしても信じてやれない。


 一条は、だから絶え間なく研鑽を続ける。精進し続ける。自分を信じたいがために、一条は強くあろうとし続ける。

 それこそが彼の強さであり弱さ。そして、それが故に彼の成長は止まらない、終わらない。

 そんな彼にこそ、一条家の掲げる理想、目指すべき極致である――“無限斬撃”はよくよく似合う。


『一撃、二撃、三撃四撃――一撃一撃、重ね続ける斬撃。それはやがて無限へと至る。無限とは即ち、最強なり』


 そんな、無茶苦茶な理想が誰より似合う。

 自己を信じ切れず、無限の修練を続ける少年は、


「ん、そろそろ修行でもしようかな」


 いつものように、気軽にそう呟いた。





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