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第五十九話 前日









「条家が“黒羽”と喧嘩することになった」

「そうか。……それで、なぜ俺のところに来る。俺のところになぜ来る」


 やれやれと藤原 圭也はため息をつく。

 ここは圭也の工房。羽織は大試合を明日に控える身で、ひとりこんなところに訪れていた。

 正直そんな猶予はなかろうにと圭也は思うのだが、羽織としては理由があるらしく簡素に答える。


「いや、今日にあわせて新しい剣、創っといてくれって言っただろうが」

「それはできてる。そして先ほど渡して今お前の手にあるだろう。で、用事は終わったはずだ。それでなぜ居座っている。居座っているなぜだ」


 別に忙しいわけでもないが、ヒマでもない。というか明日が重要なのは羽織のほうだ、益体ない話を咲かせるくらいならもう少し明日に備えろと言いたい圭也である。

 そこはかとない気遣いを察しつつも、羽織はどっかり座ったまま動く気配はなく。


「んー、まぁ、ちょいと情報収集、かな」

「? どういう意味だ」


 羽織は存外に真面目な瞳で圭也の問いに答える。


「お前、昔ソウルケージに所属してただろ。そのツテとか造形師として剣を売る身で“黒羽”の魔益師について知らね?」

「それは……まあ多少ならな」


 頷いて、だが即座にすっと音を低く、硬質へと変えて。


「とはいえ顧客情報を教えるわけにはいかんな。教えるわけにはいかん、お前でもな」

「じゃあわかった。顧客は聞かんから、昔のツテは?」

「む」


 一拍もなく切り返してきた。おそらく圭也がそう言うとわかっていたのだろう。はじめから本命は落とし所としてそこにもっていくことだったのだろう。

 セコイ奴。羽織はそんな圭也の感想に気づかず、嫌な笑みを顔に貼り付ける。


「お前がソウルケージにいた時とかによぉ、仕事かち合ってあいつうぜぇなーとか思う奴……いただろ。そういう奴だけでいいって、罪悪感少ない奴だけで」

「ぐ……」


 本当にいやらしい部分をつく男である。

 その上で、鋭く強い眼光で圭也の目を見つめてくる。搦め手と率直さを混ぜ合わせることで、悪印象をそぐ。いや……その手法がバレている時点で悪印象は増すが。

 それでも、じっと互いに視線を交わし根負けしたのは圭也。

 いつまでも居座られても営業的に困るし、一応は友人が困っているのも、見過ごせない。圭也は義理堅い男だった。


「……仕方のない奴だ」


 はぁー、と重くため息を吐く。

 ニヤリと笑む羽織を努めて視線の隅にやりつつ、圭也は記憶を手繰り寄せる。


「そうだな、すぐに思い至るのは……毒を使う女がいてな、仲間もお構いなしで能力をふるって、不愉快な女だった――」






 九条の屋敷の縁側。

 そこで足をぶらぶらとさせながら、ヒマそうに天を仰いでいる少女がひとり。

 通りがかった浴衣は、不思議そうに首をかしげる。


「? 雫先輩、どうなされました? えっと、特訓はいいんですか?」

「……明日が試合だからと、放り出された」


 声に振り返るのは、険しい無表情の雫の顔。浴衣を視認すると少しだけ顔色をよくしつつも、憮然と吐き捨てた。

 浴衣は一応、というかほぼ反射的に羽織の擁護を言っておく。


「あの、それは……たぶん根をつめ過ぎてもいけないと思ったんですよ。前日だから、休んだほうがいいってことです」

「それはわかっているが……なんだか落ち着かない」

「くす、それを危惧したんですよ。次の日に緊張の一戦があると、何かしてないと落ち着かない。でも、それで次の日に疲れを残したら元も子もない、わたしも言われました」

「せめて口で言って欲しかったものだな」


 ち、となんだかやさぐれ気味の雫である。

 機嫌の悪さが前面に押し出ており、浴衣は苦笑を漏らすほかにない。

 ともあれ、このまま放っておくのも心配である。このままヘソを曲げたまま空を睨みつけているというのも気分は晴れないだろうし、それでなくとも発起して勝手にひとりで特訓をはじめられても羽織に申し訳ない。

 というわけで、浴衣は上品な仕草で雫の横に座り込み、にっこり笑いかける。


「じゃあ、時間は余ってるってことですね?」

「ん。まあ、そうなるな」

「だったらお話でもしましょう。最近はいろいろあって、ちゃんとお喋りもしていなかったですし、気も紛れると思います」

「それは……そうだな」


 これまであった雫の荒んだ色が、徐々に落ち着いていく。浴衣の笑顔にはやすらぎの成分でも含まれているのだろうか。

 それから、ふたりは仲睦まじげにあれやこれやと言葉を交わしあった。

 当初あった焦りや不安も忘れて、戦の前日とは思えないほどに穏やかに。






「はぁ……っ、はぁ……っ!」

「ここまでだ、条」

「……親父……待て。俺は、まだ、できるぞ」

「その負けず嫌いは誰に似たんだかな。とはいえ、ここらで切り上げねば明日に響く」

「……まだ……っ、まだっ!」

「……ふぅ」


 ぱし、と二条のデコピン一発。

 ギリギリで支えていた身体は吹っ飛んで、条は道場の壁に叩きつけられる。したたか背を打ち、すぐに床にズリ落ちた。

 その一撃は今までの疲労や負傷を一挙に思い出させ、条はそのまま眠るように気を失った。


 それでようやく静まりかえったのは――二条家の一角にある道場。

 二条家の者が鍛錬や模擬戦、他家の者を招いて交流試合などをするために建てられた物である。

 そこに今あるのは気絶中の条と、デコピンを放った体勢の二条家当主のふたりだけ。

 二条当主は疲労を落とすように大きく息を吐き出した。重く深い、過ごした歳月を思い浮かべさせる嘆息であった。


「流石に歳か……」


 九日前、いきなり条は二条家当主――つまり父親のもとに赴いた。

 そしてひとこと――「稽古をつけてくれ」。

 二条は驚いたが、久しく息子に稽古をつけていなかったことに思い至り、付き合うことにした。

 大きな戦を控えるのは二条とて同じ、実戦の勘を取り戻しておきたくもあったので、彼にとっても都合よくあったのである。

 条の課した戦闘訓練のルールには些か感心しつつも、拳を握り殴り合って――もう九日目。

 ひたすらバトりまくって、殴り合いまくって、ほんの少し休憩を挟んだらまた戦って、もううんざりするほど断続的に拳を交えて、それでも条はまだまだと言う。睡眠時間など五時間にも満たなかったし、屋敷に戻る間も惜しむので道場の硬い床で寝た。疲労で死んだように眠るくせに決まって条は先に起きて二条を起こし、また殴りあう。

 それほど強くなりたかったのか、それほどの信念を保持していたのか、それほど――強固な精神力をもっていたのか。

 父親である二条でも気がつけていなかったその激しい気性につき合わされ、正直骨が折れた。

 流石に五十に差し掛かる身体ではそろそろしっかり休まねば明日には動けない。というか、やわらかくて暖かい布団で寝たかった。

 休まなければまずいのは、無論に若いとはいえ条だって同じこと。鍛錬では圧倒的に条のほうが拳をもらっているのだから。だのにまだ立ちあがる根性は拍手してやりたいが、そろそろ無理矢理にでも休ませなければ問題となる段階にある。ルールを破ってでも強制的に失神させる他なかった。

 本当に苦労させてくれる。

 だが。


「――だが、明日の楽しみがひとつ増えたか」


 笑みを噛み殺すように呟いて、二条当主は道場の外に控える九条の者を呼びにいった。







 一方、皆がなにやら勤しんでいる時、ぼけっと過ごす者もいたりする。

 畳に寝転がる八坂に、一刀はジト目で問う。


「八坂、君は特訓とかしなくて大丈夫なの?」

「めんどぃ」

「はあ、君がそれじゃあ僕ひとりでなんかしてもなぁ」


 ここがコンビの痛いところである。

 一刀がひとりだけで特訓なりなんなりしても、結局はふたりで戦うのだから変に片方だけが突出してもコンビネーションに支障がでたりするものだ。

 それを理解しているからこそ、一刀もひとりで特別に何か修練するわけにもいかない。無理に八坂を連れ出しても、それで動く八坂ではないので無駄。

 結局――一刀と八坂のふたりは、このままなんということもせずに一日を過ごしたのだった。






「…………」


 一条はひとり、私室にて瞑目する。

 一条はひとり、精神を静めて暗闇を見つめる。

 一条はひとり、魂の内奥を眺めてその威を研ぐ。


 明日に試合――いや、規模で言えば戦争とさえいって過言ではない――が迫る、つまりこの日は戦前最後の一日。

 誰にも経験あることであるが、大事な日の前日とは緊張がピークに達するものである。

 羽織などは大して表にだしてはいなかったが、雫や浴衣はそれを言葉を交わして解し、条は思考が回らないくらいに身体を酷使することで忘れ、一刀と八坂もなんだかんだふたりで過ごすことで紛らわせている。

 そしてご多聞に漏れず、一条もまたかなり緊張していた。緊張しまくっていた。

 無論に表にはだしていない、強気で不敵な一条家当主を被せて明日への不安など一瞬も外面にはだしていない。

 だが一条には言葉を交わす友人も、身を削るほどの修練の相手も、黙って隣にいてくれる相方もいない。

 だから――どうしても本音では明日が不安で、不安定。

 己への信頼感の薄さが、こういうところで響いてくる。孤高を貫いてきた反動が、こういう時に返ってくる。

 ――一条は、絶対の強者への挑戦というものをしたことがない。

 生まれてこの方、真剣交えての殺し合いにおいて、自己を上回る存在と相対したことがない。

 それは一条こそが最強で、それを超えるなにがしかが一条の前に現れたことがないからだ。

 本気をだしたことはある。負けたことはある。

 だが、そこに強者への畏怖はなく、次があれば勝ちを収めるとも確信、否、理解している。無論にその場においても逃避くらいはできるという自負もまたあった。

 つまり負けを本当の意味で意識したことが、ない。逆境を味わったことがなく、圧倒的な力に叩きのめされた経験がない。

 勝って勝って勝って、たまに挫けてもそれは敗北ではなく一本とられた程度。完敗を喫したことがない。

 だからこそ、一条は時々思う。

 もしも。

 もしも自分を遥かに上回る、そんな強者が眼前に現れたら、一条は受けて立つことができるのだろうか、と。

 圧倒的な力というものが一条の目の前に襲い掛かって、それに抗い刃を向けることができるのだろうか、と。

 弱者であったことがなく、弱者の心境で戦ったことがない。

 強者への畏怖を抱いたことがなく、圧倒された経験がない。

 だから、そんな時に自身の行動や思考がどう転ぶのか、全くわからない。

 ともすれば、一条は気弱な本心に塗り潰され、戦うことができないかもしれない。挑戦できず、逃げ出してしまうのかもしれない。

 一条の剣は、自身よりも弱い者にしか振るえない――単なる弱いものイジメの駄剣なのかもしれない。

 そう思うからこそ。

 一条という、確かなる強者に挑むことのできる敵手に、一条は常に敬意を払う。

 敬意をもって戦い、敬意をもって倒す。

 自分には至れぬかもしれないところに立つ、そんな敵手を敬いて倒す。

 そして――黒羽 理緒。

 彼女は、どちらなのだろうか。

 彼女は一条をも上回る圧倒的な強者なのか、それとも一条を見上げながらも戦う勇気ある戦士なのか。

 どちらであれ、気を引き締めなければならない。油断は敗北に直結する。

 たとえ後者であっても、油断すれば足元をすくわれる可能性もある。そして今回のただ一度でも足をすくわれてしまえば、それでお仕舞い。

 たった一度の敗北でも、今回ほど大きな戦であれば――もう二度と覆せない世評となる。

 一条は、黒羽総帥よりも弱いと誰もが思う。

 もう、一条は自分だけだから……自分ただひとりが一条だから。

 だから、自分が弱いということは、一条が弱いということになる。一条の血脈全てが貶められることになる。

 そんなことが許せるはずがない。絶対に、絶対に、絶対に

 一条とは――最強なのだから。

 誰にも負けず、誰にも敗れず、誰にも勝つ。

 最も強い者の名こそが、一条なのだから。









 最後まで情報収集に余念がない者。

 友と語らい緊張を解きほぐす者。

 ひたすら我武者羅に拳を握る者。

 静かに振舞って無言の内に牙を研ぐ者。

 無言の意味を悟って苦笑する者。

 ただ己が魂に向き合い瞑目する者。


 ――どのような戦前の一時を送ろうとも、例外なく戦争は明日だった。








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