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第五十二話 謝罪






「――既に聞き及んでいる者もいようが、ここにしかと言葉とさせてもらう」


 一条が朗々と言い放ち、その一声を総会の始まりとした。

 此度、集まった各条家当主は――総会を要請した張本人たる一条に加え、二条、三条、五条、六条、九条の六家当主。

 その全員が上座の一条の言葉に黙して傾聴し、傾注する。


「“黒羽”から――その総帥から、謝罪があった。なんでも、“黒羽”構成員のひとりが九条の直系を誘拐した、そうではないか」

「――!」


 一同、驚きを隠せずに目を広げ、顔色を様々な形で歪めて揺らす。

 無論にもっとも驚いたのは誰でもなく羽織である。この場で唯一、全ての事情を把握している分、総帥――理緒の行動に強い驚愕を禁じえない。

 まさか――まさか事を表沙汰に引き上げるとは。あの女、何を考えてやがる。

 羽織としては、このまま事態に言及せず、暗黙のまま事件に幕を引くのだと思っていた。そうすれば互いになにもなかったで済み、組織として条家十門と“黒羽”の関係は維持されていたはずだ。個人的な因縁はさておいて、それは結末として悪くない落とし所と言える。

 なのに、ここで謝罪という姿勢であるとはいえ、事件を公にバラすとなると――果たして、どうなる?

 そこは羽織にすら予測のつかない未来だ。そしてどうなるかは、これからの総会の展開で大きく変じるであろうことは誰の目にも明らか。

 というか……これで羽織の隠蔽のがんばりは全て無に帰したことになる。隠蔽に関して細心の注意を払い、随分と心を砕いてきた羽織としては、呆気なく公開しやがった理緒がものすごく恨めしい。

 いつか覚えとけよ。魂に仕返しを誓いつつ、羽織は総会に意識を移す。

 状況を眺めてみれば、この場の当主全ての視線が痛いほどに鋭く静乃へと突き刺さっていた。

 誰もが、言葉もなく静乃に説明を要求している。

 一条が代表して、それを口にして問う。


「我々は関知していない。謝罪があるまで、事件の存在さえ報告されていない。どういう事だ、九条? 事の仔細を語ってもらおうか」


 言葉とともに、ジロリと名刀よりもずっと切れる眼光を静乃へと向けた。

 思わず、静乃はびくりと親に叱り飛ばされた子のように肩を狭めた。真っ向から一条の視線を受け止めるのは、かなりの胆力を要する。

 とはいえ震えてばかりもいられない。

 酷く申し訳なさそうに、静乃は進み出る。

 

「……はい。遅ればせながら、報告をさせていただきます」


 反射的に後ろに控えていた羽織がフォローすべく口を挟もうとする。


「説明なら私が代わりに――」


 が。


「使用人風情が総会の場で喋るな、弁えて控えろ」

「っ」


 間髪いれずに三条がぴしゃりと言い捨て、それを阻む。

 この場において発言権があるのは条家十門当主だけであると、羽織の越権を踏み潰す。

 歯噛むしか、羽織にはできなかった。

 静乃は振り返って羽織に大丈夫と笑いかけてから、前を向いて当主たちの険しい視線を受け止める。一連の顛末を、たどたどしく語り始める。


「数日前のことです――」


 突然に誘拐されたと駆け込んでくれた雫のこと。すぐにかかってきた誘拐犯からの電話のこと。身代金を渡しにいった羽織のこと。

 ――だが。

 静乃は知らない。

 マッドサイエンティストのこと。

 複製の紛い物との関連のこと。

 羽織が――本当の原因であるということ。

 静乃は、なにも知らないのだ。

 そのため説明は拙く、本質とは一切異なった外観だけの無意味なものとなってしまう。その上もとより説明が上手いほうでもないのでつっかえつっかえ。

 それが、羽織には見ていられなかった。口添えしたくていてもたってもいられない、だが許されなくてもどかしい。助けになれなくて、心底不甲斐無い。

 最後の最後に、身代金受け渡しに触れた折、羽織も少々の発言を許されたが本当に少しだけでなにも弁明になるようなことは言えなかった。いや、言わせてはもらえなかった。当主たちの――特に三条の眼光が、羽織の口を押し留めたのだ。

 そして、たっぷりと十分もかけて語り終えたところで、一条が総括のように確認をとる。


「ふむ、つまり九条は誘拐した相手が“黒羽”の人間であるということを、知らなかったのだな?」

「はい」


 明快な答に、一条は些か考え込むように視線を落とす。

 静乃が嘘を吐くような人格でないことは、この場の誰もが知悉している。一条はもちろん、他の者も疑うようなことはしない。

 そして同時に、羽織は軽く息を吐いて肩の力を抜き去った。

 一条がこの時点で話を帰結し納得した、ということは――どうやら理緒は、本当に誘拐したという一点のみしか語らなかったようだ。

 紛い物のこと、マッドサイエンティストのこと。

 そういう、確実にまずい事情には触れず、表面をなぞるだけの謝罪。

 これなら、まあ抗争にまでは発展すまい。亀裂となって不仲が続くかもしれないが、絶対的な対立にまで行き着くまい。

 羽織の鋭意努力も、無駄ではなかったということだ。

 ならば何故、そんな中途半端な謝罪を申し出たのかはやはり不明だったけれど、最悪の回避ができただけでも今はよし。そういう面倒なことは総会が終わってからにでも考えることにする。

 総会の場という緊迫の空気さえ気にせず、羽織は思わず全身から力が抜けて気が緩みそうになる。

 が。

 それでも、最悪の回避を知るのは羽織のみ。静乃への対応の非難は免れない。

 三条がきつい口調で、棘をこめて舌を滑らせる。


「だが何故、黙っていた」

「それは……」


 羽織が黙っていろと言ったから。

 だが、静乃の口からは別の言葉しかでてこない。


「――すみません」


 羽織は、歯噛みして自分の膝を強く強く握り締める。緩みかけた気性が、瞬時に締め上げられて加熱した。

 自分のせいで主が責め立てられている、自分を庇うために主が責め立てられている。

 なんて耐えがたき光景か。身を裂くような、臓腑を暴かれるような、心臓が潰されるような状況か。

 なにを自分ひとりで安穏としているのだ、おれは。一瞬前の安らぎが、今では既に自己嫌悪へと変貌してしまっている。

 耐えられない――全ての責は自分にある、羽織はそう叫ぼうとして――だが抑える。理性が制止する。

 わかっていた――ここで感情に任せて立ち上がれば、阿呆のように叫び散らせば、累が及ぶのは九条家であり、当主である静乃だ。

 それを理解しているからこそ、羽織は猛りを自らの内に仕舞いこんでおかねばならない。沈黙こそが、静乃への最大の寄与となるのだから。

 ギリ、と歯を噛み砕かんばかりに噛み締めながら、続く総会を限り無く無感情に俯瞰する。

 総会では、三条が感情をむき出しにして静乃への非難を叫んでいた。


「誘拐犯の卑劣な言葉に従うなど、いくら非戦闘員といえど条家の人間としては論外だ! 条家の威光に泥を塗るつもりだったのか!」

「そのようなことは……!」

「事実そのようになっているのだ! それすらわからぬか、呆れるほど能天気な頭だな」

「っ」

「ふんっ、戦えぬ者には欠片の誇りもないか。命をかける覚悟もなくして条家十門を名乗るなぞおこがましい! だからその程度の脅しに屈するのだ!」

「……」


 頭を垂れ、静乃はもう反論さえ許されずただただ怒声を受け止める。

 その態度すら気に入らない――どのような場面でも毅然とあれと三条は思う。条家十門とは、強き者の集団のはずなのだから。

 湧き上がるように募り積もる苛立ちは、さらなる発散先を求め吐き出される。


「六条も六条だ、気取ることはできなかったのか? 少しもお前の網にはかからなかったのか? 一瞬でも勘ぐれなかったのか?」

「…………」


 沈黙は雄弁な肯定。

 三条は高らかに嘲笑する。


「はっ、揃いも揃って無能ばかりか! 役割も碌にまっとうできないのでは、なんのためにお前はいるんだ。全てを知る賢人が聞いて呆れる! 戦うことのできぬその身が、せめて役立てる部分さえもその体たらくではどうしようもないな!」

「三条、いい過ぎだ」


 二条が見かねて口に出して止めをいれるが、熱を帯びだした三条は聞く耳もたず独走する。


「いいや、これでも言い足りないくらいですがね。誰がお前たちを守っていると思っているのだか、誰のお陰でこの条家が存続していると思っているのだか、正しく理解を――」

「――それは皆のお陰であろう?」

「っ」


 そこに、ヒートアップした三条の舌さえ凍える錬鉄の声――一条。


「我らが条家十門、それはどの一門が足らずとも成り立ち得なかった共存集団のはずだ。皆が力を寄り集め、適材適所、長所を認め合い、助け合い、その家門を保ってきた。

 そこに上下はない。階級も位階もない。伝統的に一条が盟主として取り仕切ってはいるが、俺はお前たちと同じ立場だと思っている――お前たちは違うのか? 俺の知らぬところでなにか異存があったのか?」


 一条の視線はこの時、三条ならずも全ての当主たちへと向けられ、その瞳には常にある貫くような鋭さよりも陰にある穏やかな意思が見えた気がした。

 全員に目を合わせ終えると、一条はふうと一旦息を吐いて肩を落とす。誰からの反論もないことに、安堵しているのかもしれなかった。

 それから今一度、強い視線で三条を刺す。


「確かに非があった者を責めたくなる気持ちもわかる、失敗した者を叱るのは道理だ。だが、だからといって必要以上に口汚くてはただ人を貶すだけの雑言に過ぎないぞ。

 三条、お前は至らぬ者への叱責を口ずさんでいたのか? それとも、まさか己が苛立ち怒りに任せ九条や六条を罵りなじっていたのか?」

「……申し訳、ありませんでした」


 上の者――強い者には礼儀を忘れない、三条は己の非を認めるわけではないが、ここでは謝罪を選んだ。

 一条はため息。そういう殊勝な心がけを、他の皆にも配ってほしいものだ。

 まあ、三条の性質上、それは無理なのだろうけれど。

 全ての価値基準の判断に強さを置く思考回路――条家の人間としては割と典型例であるが、三条のそれは少々度が過ぎている。

 そして、強さのない者を下に見積もる辺りもこうした争論を生む要因なのだが――当人は熟知しながら思想を曲げることはないのであった。

 確固たる己を保持しているという点では、優秀な魔益師なのだが。

 歩み寄りがない性根は、こういう場で厄介である。

 なにはともあれ、一条の介入でようやく三条のよく回る舌は止まり、総会は元の本題に修正を果たす。

 今までの出来事をまる無視して、本当に何事もなかったかのように五条がここにきてはじめて口を開いた。


「それで……相手の対応は?」


 質素に。簡素に。言葉少なに。

 五条家当主は基本的に無口無言、あまり主張のない男だった。

 だから先ほどのひと悶着にも口を挟まず静観していたのだし、気にも留めずにすぐに別の話題――もとの本題への修正――を進言できるのだった。

 一条は久しく聞いた五条の声にうなずき、聞いた報告をそのまま返す。


「その犯人となる構成員は、既に“黒羽”内で処断されたらしい。それと一週間後には黒羽総帥が我が屋敷に直々に謝罪に訪れるそうだ。

 俺は、それで良いと判じたが、皆はどう思う?」


 即座に口を開くのは三条。


「甘いでしょう、それだけでは足りません。“黒羽”には相応の報いをくれてやらねば」


 二条は腕を組み、座椅子に背を任せながら言う。


「わしは、そうだな、今回は九条の意見に従う。当事者なのだからな」


 五条は特になんのこともなく手短に一言。


「……意見はない」


 六条は静かに瞑目。


「私も、九条殿が決断すべきだと思いますね」


 そして――


「九条、お前はどう思う?」


 一条が――いや、この場の全員の視線が再び九条家当主、九条 静乃に集まり、固唾を呑んで意見を待つ。

 厳しい視線も、穏やかな視線も、無関心な視線も。

 等しくしっかり受け止めて――静乃は、迷いなく答える。


「わたくしは、構いません。娘も、もう嘆いてはおりませんし――謝罪を示してくれるのなら、それで充分です」

「そうか。それで……よいのだな」

「ええ」


 一点の曇りもない晴れやかな笑顔に、一条はなんだか苦笑が漏れてしまって。

 すぐに引き締めて声を黒金へと硬質化させる。


「では、此度の総会において条家十門の総意をここに下す――今回の件は“黒羽”の謝罪によって不問と致す。

 三条、構わんな?」

「……ふん、無論に」


 言葉と違って表情はまったく了承の意を映してはいなかったが、決定に文句は挟まなかった。

 総会の決定とは、当主ひとりががなっても変動の起こるような軽いものではないのだから。一条の決断は、十門にとって最も重いものなのだから。

 三条が不承であれども、総意は揺るがないのだ。

 それでも一条が名指しで訊ねたのは、唯一の反対者へのせめてもの情けのようなものだ。


「あぁ、それと――九条、お前が報告を欠いたという事実は揺るがない――しばらく謹慎を申し渡す」

「はい、自室にて深く反省を致します」

「うむ。では、これにて総会を閉じる」

 

 開始と同じく、一条の力強い宣言により今回の総会も無事に終わりを迎えた。

 ただ、なにか些細な不穏さだけを羽織の胸の内に残して。














「……」


 九条への処罰までその程度。

 甘い――本当に、今の条家十門は総出で――甘いことだ。

 三条の憎悪にも似た囁きは誰の耳に留まることもなく――ただ暗く冷たく響いた。





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