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第五十一話 妄執






「戦勝記念日?」


 いつもにない慌しさを見せる九条の屋敷にて。

 意味はわかるがあまり馴染みない言葉を持て余すように、雫は声をやや裏返す。

 浴衣は小動物のような愛らしさでこくりと頷く。


「そうです。毎年祝ってるんですよ」

「誰に勝ったんだ?」

「おいおい雫、知らねえのかよ」

「……なにをだ?」


 予想通りと言えば予想通りな返答に、問いを発した条は苦笑。そらんじるように少し大げさな調子で言い上げる。


「なんでも条家は四百年前に――人型の魔害物を倒し、その身を封印した。……らしいぜ?」


 四百年前。

 それは魔益師たちの歴史において暗黒の時代のことだ。記録されている内でもっとも過酷で、歴史に刻まれている内でもっとも――多くの魔益師たちが散っていった時代のことだ。

 当時の魔害物の勢力は現代よりもずっとずっと強大で、今時分では到底考えられないほど高位階の魔害物が跳梁し、比較にならないほど膨大数の魔害物が跋扈していた。

 その時代の最たる脅威こそが――


「人型の、魔害物だと? それは……」

「はい。魔害物の進化の最上限界。人に紛い続けたモノの最果て――最強最悪の魔害物です」

「ま、ただの伝説だけどな。倒した云々よりも、俺はそんな魔害物がいたってほうが信じられないって」


 現代っ子な条が肩を竦めて言い捨てる。

 今や武器を扱う魔害物さえ見なくなったのに、人型なんてあとどれほど進化すればいいのだか想像もつかない。正直言ってそれが四百年前には実在したなんて言われても、信じるには無理があるだろう。率直に言って御伽噺の領域だ。

 あはは、と身も蓋もない発言に乾いた笑いを浮かべつつ、浴衣は話をもとに戻す。


「ともかく、わたしたちのご先祖さまが勝利したという日がありまして、それが一ヵ月後の戦勝記念日とされているんですよ」

「だから、慌しいのか」

「はい、一族にとっては年に一度の最大行事ですから、準備にも精を出しているんです」


 ドタドタと部屋の外では廊下を走る音がまた響く。それは使用人が準備に忙しなく勤しんでいるため。

 じゃあ羽織はいいのかよ、という考えに至り、一向に話に加わらない羽織へと雫は視線を強く痛く険しくするが当人は無視。

 浴衣としては羽織が傍にいるだけで嬉しいので言及は控え、条も面倒ということで突っ込まずにいた。

 これでいいのだろうか。雫は天を仰ぎたい思いであった。

 そしてまた、羽織を除く使用人が等しく全員忙しくしているため、


「浴衣、お茶」


 と、自然に浴衣にだけお茶を渡すのはリクス。


「あっ、リクスちゃんありがとうございます」

「ん」


 改造強化人間リクス。

 つい先日の事件の首謀者マッドサイエンティストの実子で、その共犯者。浴衣を、誘拐した張本人。

 ――だがまあ。

 そこは九条家。

 羽織の勧誘のあと浴衣と面会させたのだが、やはり大して事は荒立たず、不自然なくした羽織の提案は笑顔のもと受け入れられたのだった。

 無論に静乃が浴衣の友人を無下に扱うはずもなく、リクスの使用人採用はほとんど一瞬で決定したのである。

 ……過去の経歴は一切、考慮されていなかった。まだしもバイトの面接のほうが厳しいのではないかと思われるほど甘甘な採用である。一応、元誘拐犯なのだが……。

 ともあれ、晴れてリクスは九条家の使用人として迎えられたわけだ。とはいえ、いきなり通常の仕事を任せられるわけもなく、とりあえずは浴衣専属の護衛兼世話役だった。まあ浴衣からすれば、常に友達が傍にいるだけという感覚だが。

 浴衣は渡されたお茶をスと洗練された仕草で一飲む。堂に入った所作は、さすが良家の子女であるといったところか。

 それを見届けてから――話が一端区切れてから――ずっと黙っていた羽織が口を開く。雰囲気を一気に入れ替える。


「で――だ」


 眼光は鋭く雫へと。切り込むように。


「もうそろそろいいかよ、雫」

「…………」

「黒羽総帥との関係、話せよ」


 そう――羽織、九条 浴衣、二条 条、リクス、そして加瀬 雫。また仕事ができて来れなかったが、本来は一刀と八坂も参加する予定だった――このメンツが今日この日顔をつき合わせた理由はそこにある。

 先日のマッドとの交戦、その最終幕において現れた黒羽総帥。それまでの羽織らのあらゆる奮戦全てを掻っ攫い、台無しにした魔益師。雫と――何故か親しげに話していた少女。

 色々と前置きに駄弁ったが、まあ雫の悪あがきだ。あまり積極的に語りたくはないらしく、どうにか本題に入るまでを伸ばしていたのだ。

 そしてそれはやはり悪あがきでしかなく、羽織にぶった切られたのだった。

 とはいえ、浴衣は興味本位で、条も暇つぶし、リクスに至っては浴衣の傍にいるためだけであり、つまり真っ当に事情を知ろうとしているのは羽織くらいであった。

 それでも羽織はめげやしない。孤軍奮闘、聞き出すために口を回す。


「先代の総帥は、確か黒羽(くろば) 源五郎(げんごろう)。初老ていどの厳ついオッサンだったはずだ――それがなんでこんな突然交代してんだよ」

 

 黒羽総帥の代替わりは、あれから数日後に全退魔師機関に知れ渡ることとなった。

 前総帥の強さは周知のことであったため、それが何故いきなり退いたのか。そんな疑問とともに、公表された新たな総帥の若さも相まって誰も驚愕し、また強く注目を集めたのだった。

 まあ、羽織は前総帥についてはつい最近に調べたことなので驚きは少なかったが。今回の件がなかったら、興味も示さなかった情報だろうが。

 雫はぽつりと問いに答える。あまり熱をこめず、あくまで質素に。感情を挟まず事実だけを述べるように。


「“黒羽”では、総帥は最も強い者がなるのが慣例なんだ。そのために、特殊な制度がひとつ存在する」

「特殊?」

「――黒羽総帥は、いついかなる時にも構成員からの挑戦を受けなければならない。そして“黒羽”の構成員は全員が例外なく総帥に挑む権利をもっているんだ。挑戦権を行使し、晴れて勝利すれば、そいつは新たな総帥に就任することとなる。つまりが下克上だよ」

「そんなんじゃ、総帥はすげえ勢いで代替わりすんじゃねえのか?」

「いや、そうでもない。なぜならその戦いは命懸けだからな。負けたほうは、殺されても文句を言えない。そういう前提のもとに成り立っている制度なんだ。そして、現在総帥の職に就いている者はその時点で最強なのだから、挑もうとする者は少ない。よほど自信がなければ、命を無駄にするだけだからな」

「んなスパルタンな……」


“黒羽”の魔益師はそれを目標に研鑽を重ねるので、時代を経るごとに全体的戦力は向上していく。

 総帥の側からも、その制度によって見せしめを行い、力の誇示や自分の権威を強めたりもする。

“黒羽”機関設立当初から存在する制度なだけに時代がかった過酷な制度だが、既に組織として伝統的であり根本となっている。


「おそらく理緒姉ぇは、それであの男を倒し――殺した、んだと思う……」


 雫としてはそれが信じられないのか、言葉は尻つぼむ。

 反して気軽に条が言う。


「へえ、面白い制度だなそれ。けど、制度として成立してんなら、別に問題ねえんじゃねえの?」

「いや……だが、理緒姉ぇが人を殺すのは、おかしい」

「おかしい? なにがだよ、マッドの野郎もブッ殺してたじゃねえか」


 まああれはマッドではない公算が高いが。羽織は言わず追求する。


「ありゃ手馴れてたぜ、殺しははじめてって手際じゃあなかった」

「それは……」

「でも羽織様、黒羽総帥さんは前総帥さんを……その、殺したと決まったわけではないじゃないですか」

「あ、いえ、前総帥は死んだらしいです」


 浴衣が澱みながら言うも、羽織がすぐに明言していなかっただけの事実を告げる。

 調べた限り、黒羽 源五郎は死亡している。そして雫の説明を聞くに、まず間違いなく理緒が制度に則って殺したと考えるのが妥当だろう。

 だが、それの。


「黒羽総帥が人を殺した。それの――なにがおかしい?」

「……」


 そこにこそなにかがあるのか、雫は鎮痛な面持ちで顔を伏せり、口を噤む。

 その姿に、羽織は頭を乱暴に掻く。先ほどから連発するらしからぬ仕草に、苛立ちが募っていく。


「たくっ、はっきりしねえ奴だな。いつもの威勢がどうしたんだ、ええ、おい?」

「てーか、羽織、そんなに聞きたいようなことなんか?」

「あ?」


 条が見かねたのか、特に考えていないのだかわからない発言をする。

 羽織はそんな問いがくるとは想定しておらず、目を見開き、それから顎に手をあてやや思案――


「……まあ、勘だが、なんかある。聞いとく必要がある……気がする」

「俺の言えたことじゃないけどさ、適当だなぁ」

「うっせ」


 言い合っていると、雫がどこか楽しげに目を細めていることに気付く。

 なんだよゴラ――言おうとして、雫はその時に口を開く。言い澱んでいた言葉を、一挙に吐き出す。


「……私と理緒姉ぇは、昔“黒羽”に所属していた」

「あ? お前はともかく、黒羽 理緒は過去形じゃねえだろ」


 いや、と雫は首を振る。


「理緒姉ぇもだ」

「ち、わっかり辛ェな、まず最初っから話せや」

「ああ最初、か。そうだな順を追って話すべきだよな。最初となると、そうだな、まずはあの男の野望――妄執についてか」


 相槌はいれない。

 いれる間もなく雫はトントン進める。


「男は名を黒羽 源五郎と言ってな、ああそうだ、先から話にあがっている先代の黒羽総帥だ。

 奴はひとつの妄執にとりつかれていた。とりつかれ、挙句とり殺されたのだろう」


 くく、と薄く笑う様は、雫こそがとりつかれてしまったようにも見える。

 浴衣は心配そうに顔色を曇らせ、条は面食らったように目を広げる。それだけいつもの雫からは思いもよらない笑い方で、表情だった。

 周囲の感情には気付かず――いや、意図して無視しているのか――雫は続ける。


「奴の妄執、簡単に言えば――条家十門の打倒、一条家当主の打破だ」


 つまりが最強だよ。雫は常になく、そしてどこまでも似合わない侮蔑を露わに嘲る。


「最強になりたかったのだろう、最強に憧れたのだろう。それは当然の感情と言えるが、どうしてもあの男のそれは許容できないんだ」


 そうだな例えば、と雫は条に視線を向ける。


「条は、強くなりたいのだったな」

「あっ、ああ」

「うん、条の向上心は素直に敬服できるんだ。ああ、気持ちのいい向上心だなと思う。共感できる。だが――あの男のそれは、何故か到底認められない」


 単純に、個人への好悪の感情のせいだろうか。


「で、その男への恨み言はどーでもいいんだが?」


 首を傾げ悩み始める雫に、羽織は冷ややかに早く先に進めと言い捨てる。

 あるいは――そんな風に語る雫など、見ていたくはないと言うようにも、聞こえたかもしれない。


「ん、すまない。そうだな、愚痴を聞かされてもつまらなかったな」


 素直に謝罪。

 そこにはいつもの潔い雫が見て取れ、浴衣などは大いに安堵した。

 雫は自分の感情部分をどうにか切り取りながら、再び口を開く。


「話しを戻そう。

 奴の行動理念は最強となることにのみ重きを置かれた。自己と、そして組織の強化に専心したんだ。

 条家に勝利するためにどの総帥よりも組織の強化を図った――兵力の増強、個々人の戦力の向上、色々と強化のためのプロジェクトが複数進行していたらしい。

 マッドの研究に投資したのも、そういった計画のひとつだったのだろう」


 ヒトガタという兵士への期待。戦力強化を求める源五郎にとっては、金をかける価値のある研究だったのだろう。


「……」


 自然にリクスへと視線が集まるが、リクスはしれっとした顔のまま無言を貫いた。

 ヒトガタの強さは、そのリクスが証明している。

 あのまま研究が進み、もしも量産の目処がついてしまっていたら大変なことになっていただろう。

 それを理緒は自らの手で叩き潰したのだが――それはやはり、源五郎の意図のもと存在した計画だからこそ潰しておきたかったのではないか、雫はそう推測する。

 理緒は、雫よりもずっと黒羽 源五郎を嫌っていたから。その男の残響だなんて、抱えておきたくはなかったのではないか。

 本心は、やはり理緒にしかわかりえないことだろうが。


「――そして私と理緒姉ぇもまた、そうした計画の一端として扱われた駒のひとつだった」

「!」


 驚きは、雫以外全員同時だった。

 何時の間に、条も浴衣も、さらにリクスまでもが話に聞き入っていた。

 いかな計画なのか、誰もの視線からそれを問う意思が感じ取れ、雫は肩を竦めてどこか他人事のように言いほうる。


「死亡した魔益師の、遺児――子供たちを集め、魔益師としての英才教育を施す。そんなふざけた計画があったのさ」


“黒羽”に属する者は無論、魔害物との戦闘によって死亡するケースが珍しくもなく茶飯事だ。だから、子持ちの者が戦死することだって、またありうるケース。


「私と理緒姉ぇは、“黒羽”で育った孤児なんだ」


 親を亡くし、保護者を亡くし、身寄りを亡くした孤独なる子。


「突然、伝えられた訃報。当時の私は意味がわからなかったよ。しかもその頃は魔益師だなんだの事情も全く関知していなかったし、両親がそんな危険な仕事をしていることも夢にも思っていなかった。

 理解もできずただ呆けていた私は、見知らぬ大人に連れて行かれ――」


「そこで、理緒姉ぇに出会った」


 ――あなたもおかあさんとおとうさんがいなくなっちゃったの?

 ――うん……ふたりとも、もうかえってこないのかなぁ。

 ――わかんないわ。でも……あなたはいるね。

 ――え?


 ――おかあさんもおとうさんもいなくてさびしいし、ねえ、ともだちになろっか。


 そう言って、差し出してくれた小さな手のひらは、今もずっと雫に残る大切な思い出。

 控えめに、浴衣は感想する。


「姉と言っても、血のつながりはなかったのですね」

「それでも姉さ」

「はい、わたしもそう思います」


 花咲くように、浴衣は微笑む。

 浴衣もまた、血の繋がらぬ男を兄のように慕っているのだから、気持ちはよくよく理解できた。

 その兄のような男は、あまり情動を揺らさず――あくまで冷静に雫の話の矛盾を突く。


「だが……子供の頃から教育と言っても、覚醒はある程度の年齢にならねえと無理だろ。なにを教えるんだ」


 不意に雫は目を逸らし、唇を噛み締めながら答える。堪えきれずを堪えるといった風情で、答える。


「魔益師の子供は、魔益師の素質をもって生まれることが多いから――無理やりに覚醒させるんだ」

「んな、ことして――」


 大丈夫、なのか?

 羽織は眉を曲げて渋い顔をする。そんな羽織の顔ははじめて見た、雫は場違いにくすりと笑い、すぐに沈んだ。


「大丈夫ではなかったさ――およそ半数は、覚醒のショックに耐え切れずに……死んだ」


 土台がなりたっていない。認識が確定されていない。魂が、まだ途上。

 そんな未熟未完成な肉体精神では、魂の力を制御できずに自壊するのは当然で。子供の魔益師が少ないのは、それがためだ。

 ただし。


「えっ、魔益師は生まれつきの力じゃないんですか?」

「それは条家だけです」

「マジで!? 途中覚醒って少数派じゃねえの!?」

「条家以外はだいたい途中覚醒だ」

「「…………」」


 唖然。驚きの余り絶句する浴衣と条に、羽織は些か困った顔をする。そういえば、そういうことを教えていなかったな。

 ――条家十門は、その魂の特異性から“生まれた時から力を宿し覚醒させている”。

 とことん魔益師の常識から外れる一族である。いやまあ、稀に傑出した才の持ち主が生まれつき覚醒していたという例もなくはないが、それは世界で数えても極々小数。条家のように、一族丸ごとだなんて到底ありえない現象と言える。


「『条家が可能なのだから、才能ある子らならばできぬ道理はない』――と、あの男は言ったそうだ」


 愚かしい理屈だった。愚かしく失笑が漏れる理論だった。

 そんな阿呆の理で、どれだけの子供が命を落としたのか――あの男は理解できていたのだろうか。

 自分の理念を崇高だと勘違いして、己が対抗意識を他者にまで押し付ける。なんて身勝手でどうしようもない人格か。

 雫はまた話を逸らしてしまいそうになると気づき、死者への文句は口からださずに終えた。その代わりの言葉を吐き出す。


「生き残った子らは、その日から壮絶な教育を――教育という名の拷問を施されるのだが……そこでなされた様々な教育については、正直話したくはない」


 けどひとつだけ。


「そこで最初に教えられたこと、なんだと思う?」

「? 魔益師の常識とか?」


 適当に条は言ってみる。

 いや、と雫はゆるやかに否認。そして変調。鋭く正答を切り込む。


「――“人間を殺してはいけません”」

「っ」

「何故こんなにも人道的で当然のことを? 私も最初は戸惑ったさ、当時の私は小さかったが、それでもそれくらいは常識的に理解していた」


 羽織が目を伏せてため息とともに、どことなく嫌そうに吐き捨てる。


「裏切りの防止のため、か」

「ああ。私たちには、だから人を殺すのに強烈な忌避感がある」

「……」


 いつかの雫の取り乱しようを思い出す。

 人を斬り、それだけで魂魄を減衰させてしまうほど消沈した雫の姿。

 あれは、こういう認識があったせいか。羽織はひとり納得する。

 そしてまた


「だから、黒羽総帥さん――理緒さんが人を殺してしまったことが、信じられないんですね」

「……ああ」


 その現場を直視したというのに、雫は未だ信じられない。

 あの教育による強制力は己が身で実感しているし、なによりも――あの優しい理緒姉ぇが、そんな……。

 いや、今は自問ででない答の考察など意味をもたない。

 振り切って話を続ける。ようやく、黒羽 理緒の話を。


「ともかく、私はそこで理緒姉ぇと会った。出会い、関係がはじまった。歳も一番近しかったし、なにより理緒姉ぇは面倒見がよかったから、私たちはすぐに仲良くなったよ」


 声音は少しだけ弾んでいた。教育の記憶は忌々しくとも、理緒との記憶だけは良い思い出となっているのが、傍目によくわかる。


「仲良くなって、いつのまにか私は自然とあの人のことを姉と呼んでいた。私のことを、理緒姉ぇは妹と呼んでいた」

「ふふ、優しいお姉さんだったんですね」

「ああ」


 しみじみと深々と、雫は染み入るように頷いた。

 そのまま誇らしげに、我がことのように自慢げに雫は理緒を語る。


「理緒姉ぇは綺麗で、優しく、賢く、機転もきいて、ユーモアもあるし、面倒見もよく、そしてなにより強かった」

「――強かった?」


 ぴくりと眉を反応させたのは条。

 大体は聞き流すくせに、そういうところだけは耳聡い。

 雫は躊躇わず首肯。


「ああ。理緒姉ぇは、天才だったんだ。天才で秀才で、誰よりも強かった」

「天才ねぇ」


 やや皮肉げに、羽織は袂に手をいれ微かに笑う。

 そのような言葉を、この条家十門の内で発言することの不遜さに呆れが混じっているのだろう。

 だが、雫は一片の迷いもなく理緒を天才と断ずる。


「天才だよ、理緒姉ぇは天才だ。

 その才気はあの男でさえも認めざるを得なかったらしい。理緒姉ぇはそのぶん特別に教育が増やされ、一足先に現場にさえ駆り出されていた。他の、理緒姉ぇよりも年上の人だっていたのに、理緒姉ぇだけが特別視されていたんだ」


 だから、天才で正しいと、私はそう思う。特別気負わず、熱をこめず――まるで常識を語るような口ぶりだった。


「「……」」


 と、そんな風に言われても、条や羽織としてはあまり認めたくない。そう容易く天才などという強い言葉を許容できない。軽々しく使っていいとは思えない。それは条家で育ったがためだ。血統によりかなりの強度を獲得している紛れもない天才集団内で育ったため、条家十門の人間は生半な才気で天才とは称さない傾向があるのだ。条家内でさえ――外部から見れば全員漏れなく天才と言って過言ではないのに――天才と称される人物はほんの僅かだけしか存在しない。

 条家の人間にとっては、天才の定義は一般人よりもずっと困難で、その枠が随分と狭いということだ。

 だがよく知りもしないことに、否定を告げることはできない。もちろん、肯定もできやしないが。

 条も羽織も、一応は黙ることにする。

 黙っている間にも、雫の理緒へのべた褒めは続いていた。


「挙句に理緒姉ぇは“上条(かみじょう)”という姓を与えられた」

「かみ、“条”?」

「そう――“条の上に立つ者”上条 理緒」

「あ? てか総帥の姓は黒羽だろ?」

「いや、それは総帥になった者が受け継ぐ名だ。遺児たちは精神的に“黒羽”に取り込むために、元の姓を捨てさせられ、新しく名付けられるんだ」

「あー、前総帥も黒羽か……」

「嫌なことを、しますね」

「にしても上条な。ちょっとばっかし、気に入らねえな」


 羽織と浴衣は普通に感想を述べるだけだったが、条家十門二条家――つまりが戦闘特化――直系であるところの条は、獣が唸るように剣呑な気炎を吐く。

 それは強さの自負の故か、強さを見てきた故か。

 どちらにせよ、気に入らない。

 羽織もおおよそ同意。


「ま、不遜極まる名ではあるな。名前で喧嘩売ってくるってのも割かし珍しい」

「大仰過ぎると思うかもしれないが、私は別にそこまで馬鹿にしたものじゃないと思う。それほど、私の目から見る理緒姉ぇは強かった」

「それほど、ですか……」


 浴衣は感嘆するが、条は認めたくないのかそっぽを向いた。


「反して、私は落ちこぼれだったよ。その姓は“加瀬”――つまりが“枷”だよ。いつも理緒姉ぇと一緒にいることから“天才の枷”と、私は“黒羽”の奴らに名付けられた」

「……」


 雫は自己嫌悪のように言って、すぐに周囲の目に気付いて慌てて両手を振る。


「いや、私の事はどうでもいいな。そうじゃない、理緒姉ぇのことだ」


 微妙な雰囲気になってしまった。雫はそれを振り払うようにして話を一気に述べ立てる。


「ともかく、理緒姉ぇは天才で――ああ、いや認めがたいなら言い換える。理緒姉ぇは皆に天才と呼ばれていて、だからそれがために特別視されて、上条などという姓を与えられ――果てには特別にあの男に直接の教育を施された……あの男の妄執を植え付けられてしまった」

「! それって……」


「そう、理緒姉ぇの求めているものもまた――最強」


「あの男の妄執を望まずに魂に刻み込まれてしまい、本心ではなく追いかける夢。糸を操る者を斬り捨ててなお残る、魂にこびり付く呪い」


 幼き頃から叩き込まれた夢。望まずに刻み込まれた志。仕立て上げられた、思想。

 他者の感情を、無理やりに己がものとさせた。

 認識のズレ、というやつである。

 ――たとえば。

 たとえば子供に色を教えるとしよう。

 この色は赤であると、誰かが子供に教えると、子供はそれをスポンジのように吸収し呑みこむだろう。無邪気にその色を赤と思い、認識するだろう。そんな認識のまま、大人になるだろう。

 だが――本当は、その教えた色は大多数の人間の視点では、青と呼ばれる色。

 それでも、全世界の口が揃ってその色を青だと言っても――大人になった子供にとっては赤なのだ。

 いや無論、通常の場合は子供の時代に誰か他の良識ある人が優しく諭してくれる。ズレを修正してくれるものだ。

 しかし理緒は誰にも修正されなかった。誰にも、それが間違いだと教えてはもらえなかった。

 認識のズレ。

 それを、子供の頃から刷り込んだ。歪んだ知識を蓄えさせ、誰にも否定させなかった。

 そうすることで、誤った認識をもう取り払えないくらいに己とさせる。魂の、根本とさせる。

 羽織は酷く苦い笑みを浮かべる。それはもう苦笑というには苦すぎる笑みだった。


「そりゃ教育じゃなくて洗脳だろが」

「ああ、私もそう思うよ」


 雫は真っ直ぐで強い憤りをどうにか自制し――喚きたてる相手を間違えてはいけない――声を沈めて全面的に同意した。


「いずれは他の者にもそのような思想の刷り込みはする予定だったのだろうが、やはり理緒姉ぇは特別扱いされて、誰よりも最初に、そしてもっとも強力に思想を刷り込まれてしまった。

 せめてもの幸いは、それが最強を目指すこと、条家を打倒するという思想だった点だろう。だから――私たちは、理緒姉ぇはあの男を憎むことができたし、拒絶することも――逃走することもできた」

「逃走……それは、雫先輩」

「ああ、この間、少しだけ言ったな。“黒羽”からは無茶をして抜け出したと。無茶をして、理緒姉ぇとふたりで強行突破で逃げ出したんだ」

「よく逃げ出そうなんて決意できたな、お前らそん時いくつだよ?」

「確か私が十歳そこらの時だな、理緒姉ぇは私よりひとつ上だから十一か」

「んなガキが、保護者もなく頼りもなく抜け出すなんて無謀過ぎる――って、その天才サマはわからなかったのか?」

「……っ。」


 敬愛する姉貴分への侮辱。頭が湯立ち沸騰し、即座に異議申し立てを叫びたかった。だが黙殺。

 暖簾に腕押し。羽織の悪態にわざわざ反応をしても仕方なし。というか、羽織としても天才という言葉に未だ反感があるらしい。反発に反発で返すのは、亀裂しか生まない。

 しかし羽織は、そこまで天才という概念を特別視しているのだろうか? 条家直系の条は納得できるが、羽織は単なる使用人ではないか。長年、仕えた家も戦闘をしない九条家であるし、そこまで強く反感を募らせているのは、何故なのだろう。

 話の主導は自分にあるのに、雫は疑問を膨らませてばかり。それもおよそ解消されない疑問ばかりで、肩の凝る思いである。

 もういいから話を進めよう。悩むのは、後でもいい。

 雫は気合を入れなおして、言葉を続ける。話したくもない話だ、つぎ込む気合は多いに越したことはない。


「――私と理緒姉ぇは、聞いてしまったんだ」

「あ?」

「孤児たちの親、その多くは――戦死にみせかけた、見殺しだったのだと」

「そん、な」

「こと!」


 半ば予測の範囲であり目を伏せる羽織、愕然とするしかない浴衣と条。三人とも、すぐには意味ある言葉をだせない。

 ただ雫だけは、険しい表情で意味ある言葉を紡ぎ出す。


「子供が欲しかったから、そして戦力としてあまり高くなかったから――見殺しにした、そうだ」


 なんて手前勝手なのだろうな。憤怒は既に常態で、だから言葉は激しさもなく流れる水のよう。深い深い、奈落のよう。


「そして理緒姉ぇは迅速に決意し、その場で私に逃げようと言った。羽織の言うとおり、保護者も頼りもなかったが――それでも、その場に一秒だって居たくはなかったんだ、私たちは。全力で、あの男から離れたかったんだ、私たちは」

「いやまあ、それでもやっぱ無計画過ぎだろ」

「今思えばそうかもしれないな。だが、意外にもすんなり事は運んだ。おそらく、逃走など考えてもいなかったのだろう。常識で考えて十歳そこらの子供が逃げおおせるとは思わなかった、ということか。

 しかし私はともかく理緒姉ぇについては、あの男も執心だったからな。追っ手がかかるであろうことは容易に思いつく、それでとりあえずは追っ手から身を隠すために潜伏に選んだのが、この町だった」

「この町、ですか? どうして、この町なんですか?」


 浴衣が大きな瞳をさらに広げて首を傾げる。

 雫は微笑と苦笑の中間辺りの笑みを浮かべた。


「浴衣や条が居たからだ」

「?」

「つまりが条家十門の存在さ。条家ある限り、お膝元であるこの町に退魔師機関は不要だ、“黒羽”だって手出しは難しいと踏んだんだ」


 まあ、その判断もやはり理緒姉ぇだったが。


「そうしてこの町でフリーの退魔師としてふたりでひっそり暮らして、理緒姉ぇは学校くらいはでておくべきだろうと私を中学校にまでいかせてくれて――私の人生の中で最も充実したひと時だったよ」


 大切で大切で仕方がない思い出を抱きしめるように、雫は穏やかに笑んで見せた。

 その笑みはどこまでも透徹で、果ても無く透明で――侵しがたい雰囲気に思えて、誰も何も言えなかった。


「だが――蜜月には終わりが来る」


 一転。

 喜色は悲哀へ。

 祝詞は呪詛へ。

 懐古は悔恨へ。

 地獄のように、変じる。


「五年前、遂にこの町にまで“黒羽”の支部ができてしまったんだ」

「そういやそうだったな……」


 羽織は思い出す。

 いつだったか一条に説明された、“黒羽”支部について。

 数日前にマッドと対立した舞台について。


「私は、そこまで大きな問題になるとは思っていなかったのだが、理緒姉ぇはかなり深刻な顔だった。私が声をかけるのも、躊躇われるくらいに」


 そして次の日には、理緒は姿を消していた。

 置手紙にただひとこと「ごめんね」とだけ残して。

 上条 理緒はこの町から、雫の前から――去ってしまった。


「呆気なさ過ぎて、涙も湧かなかったよ。いや、現実味が全然なかった。一週間も経って私はようやく理緒姉ぇの不在をリアルだと知った――その時点において、人生の半分を共に生きた最も大切な人との別離を、悟った」

「雫先輩……」


 浴衣は泣きそうで――いや、もう大粒の涙をボロボロ零して、ただ名を呟く。それだけしか、浴衣にはできなかった。

 そんな風にされると、なんだその、困る。雫は頬を掻く。


「でも私はどうしようもなくてな。だから、どこへ行くもできずに、いつか理緒姉ぇが帰ってくるんじゃないかと思い、この町に留まっていたわけだが――」

「再会は、ああいう形になっちまったってわけか」


 こくりと、否応無く頷く。

 過去を思い起こす作業は、現在から目を逸らす作用となり、だからそれが終わると強制的に現実に立ち返って、雫はまたうな垂れた。

 何故、理緒姉ぇは。

 どうして。

 どうなって。

 どういうように。

 なってしまったのだろうか。

 五年もあれば、人は変わる。良くも悪くも、月日は人を留めてはおかない。

 わかっている。わかっているが。

 だが。


 雫と離れ離れになっていた五年の間に、一体なにがあったというのか?


 沈黙が澱のように室内に積もり、静寂が闇のように深く渦巻く。

 雫がどんより落ち込んでいるせいで、なんとも口を開くのが憚られる雰囲気となってしまっていた。

 慰めるとか、励ますとか。そういう最低限のことさえ口にできず、しばらく全員は静寂に任せて閉口していた。

 ――そんな暗い静寂を破るように、不意に、柔らかな声が割って入る。


「――もし? 羽織はいますか?」

「! 九条様っ、どうなさいましたか?」


 フスマの向こうからの声――九条 静乃の呼び声。即座に判じ、ほぼ反射的に羽織は応える。


「ああ、やはりここに居ましたか。よかった」


 ほっと息を吐く。

 にこやかな安堵が、フスマ一枚の向こうに透けて見える気がした。


「今、大丈夫ですか? 少々、用ができました」

「無論に。なに用ですか?」

「一条様が――総会を要請しました、その補佐に随伴してください」

「なっ、一条……様が、直々に?」


 一瞬、敬称を忘れてしまうほどの驚き。

 条家盟主が直々に総会を開くなど、そうあることではない。

 一体、なにがあったというのか。

 いや羽織は、なんとなくだが予測がついてしまった。本当に単なる予想でしかないが――

 それでも羽織の視線は、消沈している雫へと向かう。

 視線を受けてなにか言うでもなく、雫は眉を落として儚く笑った。









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