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番外編 戦わない魔益師


 番外も番外、超番外。

 これを読まなくても本編には全く影響しませんし、というか読まないほうがいらない設定を考えなくて済むかもしれません。

 正直、誰がこんなの書いて喜ぶんだと言えば……まあ、作者くらいでしょう。











 ――藤原 奈緒の家族は少ない。

 やや歳の離れた兄がひとりいるだけで、父も母も中学に進学した頃には亡くしているのだ。

 だが、彼女はそのことを寂しいと思ったことはない。無条件の愛を与えてくれた二人の不在はとてもとても悲しい。十年以上も自分を庇護してくれた両親がいなくなったのはどうしたって辛い。

 しかし、寂しいとだけは思わなかった。悲しく辛くても、寂しいとだけは感じなかった。両親を亡くして以来、兄こそが父であり母でもあったから――決して、独りではなかったからだ。

 沢山の愛情を手渡してくれて、陰に優しく日向に力強く守ってくれて、いつだって傍にいて味方をしてくれる兄。

 藤原 奈緒にとっての、魂の支え。





 これは、奈緒がそのことを再認識した時の話。

 壮大でもなく、広大でもない。

 言ってしまえば小さく地味な小話。

 どこにでも転がってるとは言わないけれど、特段に珍しいとは言わない。

 ――奈緒が魔益師として覚醒した時の話。





「あー、寒いねぇ」


 しみじみと、奈緒はため息を吐き出す。気だるげに吐き出す息は、周囲の寒さを見せ付けるように白く染まった。

 やはり外に留まっていると少しだけ肌寒い。手はポケットにでもいれて我慢できるが、顔は覆うものなどなく晒した状態。

 それは当然といえば当然なのだけど、マフラーくらいは持ってくるべきだったろうか。

 思いつつも、奈緒は決してこの場から動こうとはしなかった。

 そこは学校の屋上。人気はなく、ただひとり奈緒だけが天を仰いでいる。

 奈緒はこの雰囲気が好きだった。

 埃っぽい匂いがなんとなく心地よい、空が近くてなんだか嬉しい、誰もいなくて――世界に取り残されたみたいで安心する。

 別に、孤独が好きというわけではない。

 ただなんとなく、あまり人と付き合うのは“違う”ような気がして、それで奈緒はあまり友達がいなかった。

 

 ――勘違いされても困るから明言しておくが、別に友達が皆無という意味ではない。

 ちゃんといる。

 無闇に益体無く駄弁ったり、理由なくどこそこへ出かけたり、意味もなく共にボーッとしたりできる友達はいる。

 けど、たまにひとりになりたくなる。

 深い意味もなく、ただなんとなく。

 誰かが隣にいる感覚、あれから少しばかり距離を置きたくなる時がある。

 これはなんという名の感情なのだろうか。奈緒にはわからなかった。

 それとももしかして、自分はニヒリズムに浸りたいだけの餓鬼なのだろうか。孤独と孤高を混同して、それが格好いいとか勘違いする、そんな未だ子供のような思考回路を残しているのだろうか。

 だとしたら――バカみたいだ。

 奈緒は自分で自分に呆れ返る。そういうのは中学生で卒業しておくべきだろうに――と考える奈緒は現在、現役の中学生なのだが。中学、二年生なのだが。

 それでもやっぱりひとりが好きだという性質は変わらず、それでひとりになれるような場所を探し、行き当たったのがこの屋上だった。

 それで屋上を気に入ってしまっているのだから、なんだかなーである。


「ん、そろそろ帰るかー」


 冬は日没が早くて困る。暗くなる前に帰らなければ兄が心配してしまう。兄に心配をかけるのはよろしくない。

 鞄を手にして、それから名残おしげに空へと見切りをつけ、身体ごと反転し――


「やあ」


 そこに立つ少年にようやく気付く。


「……え?」


 気配とか、そんな漫画でもないんだから気付けなくて当たり前だが――だが屋上の扉が開く重々しく軋んだ音は聞き逃すはずがない。そして無論、屋上には自分ひとりきりであることを確認して留まっていたのだから、まさにいつのまに、である。

 少年は制服から見て同じ学園生であると識別できるし、見た感じからも同年齢ていどなのはわかる。その割には立ち居振る舞いが洗練されていて、ニコニコと笑みを絶やさない様はちょっとやそっとじゃ動じないのだと自然と感じる。

 なにか武道でもやっているのだろうか、なんてことを思うのは、奈緒の兄もまた似たような雰囲気を醸すことができる種類の人間だから。奈緒の兄は少しだけ武道を齧っていたらしいのだ。内容までは、知らないが。

 ともかくこの少年、なんだか普通とは違う感覚の人種である。


「やあ、って挨拶だったんだけど……」


 黙っていると、少年のほうからなにやら困った風に告げてきた。

 奈緒は黙っていてもなんだし、とかあまり考えずに言葉を返す。


「こんにちは。さよーなら」

「って、ちょっと待って行かないでよ!」

「暗くなるよー?」

「いや、ちょ、こんな良い感じで登場したのにその淡白さはなんだよ、もう!」

「んー」


 なんだか傷つけてしまったらしい。奈緒は顎に指をあてて上向いて思案。

 してから言う。


「ぅ、うわー、いつのまにーっ!」

「いやそんな無理やりに驚かなくてもいいから!」


 棒読み過ぎて少年のお気にはめさなかったらしい。残念。

 まー、別に初対面の人のお気にめしたいわけでもないかー。奈緒は思って、もういいかと屋上の扉に向かう。

 いきなり現れた見知らぬ誰かなんて、話し込むほうがどうかしてる。素早く退散したい。


「って、もう行くの? 待ってくれよ」

「……待たない」

「ふぅ」


 取り付く島なし、ね。少年は肩を竦めて扉の前から素直に退く。

 思いのほか簡単に通してくれたことをいぶかしみながらも、奈緒はノブを掴む。

 と、そこで少年は掠めるように囁くように、そうそうと一言だけをつけ加える。


「君は――魔益師かな?」

「?」

「あ、知らない。そう、じゃあ未覚醒かぁ」


 それは好都合――歪な笑みを視界に収めたのを最後に、奈緒の全ては暗転した。








 魔益師という存在は貴重である。

 貴重で希少で、奇妙でもあるが、なにより奇跡的だ。

 なにが言いたいのかといえば、つまるところが退魔師機関というのは常に構成員不足に悩まされているということだ。

 特に四大機関を除いた他の有象無象の機関などでは、それが顕著だ。

 その悩みどころの解消のために、少々過激なことをする組織が稀にある。

 たとえば、そうたとえば、まだ機関を定めていないような魔益師を見つけ出して――誘拐する、とか。








「ぅ」


 鈍い頭痛が、暗いところから奈緒の意識を引き上げる。

 ズキズキと頭は痛むし、なんだか気持ち悪い上に望まぬ睡眠に身体中が気だるい。

 正直、最悪の目覚めだ。

 どうして自分は寝ていたのだっけ。未だ朦朧とする思考の中でそんなことを思い、すぐに思い出す。

 屋上。見知らぬ少年。暗転。

 なんだかわかり易い三単語に、薄く笑ってしまう。

 そこで気付くが、どうやら奈緒は椅子に座らされ、挙句に手足を縛られていた。

 少しだけもがいてみるが、動けない。ていうか縛られた手首足首が痛い痛い。ので停止。大人しくしていよう。


「あー、誘拐かー」


 なんてビックリイベントだ。そんな驚愕のイベントに藤原 奈緒ともあろう小市民が巻き込まれるだなんて、誰に予想できよう。いやできまい。

 反語法でズレたことを考えつつも、奈緒は今度は周囲に視線を巡らせる。

 ワンルームだった。特筆するべきこともない、ただの一室。どこかのマンションとかそんなところだろう。小奇麗にしてあるのは、まあ幸いだった。

 と。


「随分と余裕なんだね」


 声が、聞こえた。

 後ろから、百八十度後方から。

 流石に視線を巡らすといっても真後ろまでは届かないので、その声には驚いた。誰かいるとは思わなかった。気配? いやだから漫画じゃないんだって。

 驚いて黙っていると、少年は――声でわかる、先ほどの少年だ――続ける。


「言ったとおり、一応は君、誘拐されてるところなんだけど」

「……」


 奈緒は思案のように天井に目線を移し、だらけ切った様子で述べる。


「なっ、何が目的だー、金か身体か、このゲスー」

「……いや、もう君に真っ当な対応を求めるのはやめるよ」


 疲れ切った顔が、脳裏に浮かび上がるような声だった。

 というか、当初の雰囲気はどこへ飛んでいったんだよ……。

 少年は気を取り直して、少しだけ悪そうに唇を歪める。


「まあ、言うなら身体のほう、かな?」

「……」

「いや黙らないでよ、冗句だよ冗句! 冗句というかたぶん君が考えていることとは意味が違うからねっ!」

「…………」


 ジト目であることは少年からは見えないが、勘付くことはできた。視線は刺さっていないのに、なんか心が痛かった。

 失敗したことを悟り、少年は急ぎ話をすり替えて誤魔化すことにした。


「コホン。ええとね、君にはちょっと聞いて欲しい話があるんだ。なに退屈はさせないよ、楽しい楽しいノンフィクションさ」

「はあ」


 気のない返事にも、少年はめげないで嬉々として語りだす。


「この世界には裏側があってね。一般的には知られていない、必死に隠されている超常的な事実さ」

「……」


 え、なにこの中二。とか、思いつつも奈緒は黙っておく。この手の人間には何を言っても無意味だろうし、なにより話が終わらないことには帰してもらえなさそうだ。

 沈黙をいいことに、少年は気持ちよく歌う小鳥のように語りあげる。


「魔法、超能力、呪い――そんなものが、いや、それに似た常識外の技というのが、裏側には存在するんだ」

「……」

「ま、信じてくれないのは当然だけど――」


 少年は立ち上がり、回り込んで呆れきった様子の奈緒の前にまで移動する。

 そして見せ付けるように手を開き、


「その目にしても、疑っていられるのかな?」


 ぼう、と炎が飛び出した。


「わっ、わわ」


 流石の奈緒も驚き、可愛らしい声が漏れる。

 少年は実に愉快そうに笑った。


「はは、怖がらなくてもいいよ、危害は加えないから。

 これが常識外れの技――魂の力の発現、魂魄能力という。この魂魄能力というのは、個々人ごとに魂の構造が違うため千差万別だ。ぼくの能力は“火炎の発生”だけど」手のひらの火炎を消して、奈緒の瞳を覗き込む「君はまた全く違う能力を有していると思うよ」

「あた、し?」

「そう、実は誘拐ではなく勧誘でした、ってことさ。

 君には才能がある。だからちょっと強引だけど二人きりにならせてもらったんだ、ほんといきなりで悪かったね、謝るよごめん」

「はあ」


 話についていけないわけではないが、性急過ぎて理解にまで呑みこめない。

 おそらく少年は、一気に話し切ってしまうことで、こちらがしっかりと事情を整理できないように仕向けている。

 いきなりこんな常識から思い切りかけ離れた現実を見せ付けられ――手から火ってなんさ――奈緒の判断力は常時よりも数段は下降している自覚があった。


「このように魂魄能力を自在に操ることのできる稀有なる人間を魔益師というんだ。で、ぼくはその魔益師であり、この世界で“唯一”の魔益師が集った組織“バーコード”の一員さ」

「ばーこーと……」


 ぷっ、と噴き出してしまった。なんだそのネーミングは。

 どんな状況でも笑うことができる、藤原 奈緒の特徴のひとつだった。それが長所かと問われれば微妙なラインだが。

 とはいえ少年も、奈緒の動じない――いや、内心では驚愕の嵐だったが――態度にも慣れてきた。無視して話を推し進める。


「でも、さっきも言った通り魔益師っていうのは本当に少なくてね、いつでも仲間を募集中なんだ」

「それで、そんなスーパーマンが集まっちゃって、なにすんのさ? 世界征服?」

「まさか。その逆だよ――正義の味方、さ」


 どこか陶酔したように、少年は唇の端を吊り上げる。


「ぼくたちは正義さ。命をかけて悪の手先を倒し、みんなの平和を守る――まるで漫画の中のようなヒーローなんだ!」

「……」


 先ほど冗談のように中二だなどと思ったものだが、その通り彼はその世代。ヒーロー願望に溢れていても、不思議ではないか。

 とはいえ、奈緒にはそういった類の感情は一切皆無なのだが。一瞬も共感できず、話を辟易としながら聞いていたのだが。

 奈緒の様子に気付いた風もなく、口上は続く。


「この世は必ず表があれば裏がある。魔益師という存在にも裏がある、それが魔害物――人間を襲う悪の化物さ。それを狩るのが、魔益師の仕事――否、運命さ」


 喋っている内に、言葉に熱を帯びだす。陶酔が、熱烈へと変わっていく。


「世界を守るんだ、ぼくたちの手で! 影ながら、誰にも気付かれないように正義を遂行する! まさに正義の味方さ! だが手が足りない、いつだって悪は夥しいのに、正義は孤高なんだ。そこで強引だったけど、君を仲間に勧誘しようと――」

「んー、あたしはやめとくよ」

「なっ――」


 熱狂する少年に、奈緒は微かも変じないテンションのまま返した。

 否と。

 否であると。

 ぴしゃりと言い切った。


「あたしはそういうの、いいや」

「……力を持つ者には義務が伴う。もちろん君にもだ」

「はあ」

「なにより、力が制御できなければ君の身だって危ない。そして、君を助けてあげられるのは、ぼくたち“バーコード”だけなんだぞ?」

「はあ」

「命が惜しくはないのか!? 力に呑まれて、魔害物に狙われて、誰にも相談できずに死向かうだけなんだぞ!?」

「――笑わせるな、ガキんちょ」

「っ」


 突然の暴言。声音に変化なく、だがそこに宿る威圧は少年を黙らせるだけのものはあった。

 その勢いのまま、奈緒は乱暴に吐き捨てる。


「正義ゴッコがしたいならヨソでやれ、わざわざあたしを巻き込むな。

 それに――なに? 誰にも相談できず? お前と一緒にするな、あたしには兄がいる」

「……一般人に話してなにになる」

「だから、お前と一緒にするな」


 そもからして、一般人などと。そんな嘲りばかりを注いで他の大多数の人間を呼ぶ時点で、正義とは違うだろう。

 このガキは、ただ単に「おれすげぇぇえ!」とのたまいたいだけなのだろう。

 他の者を侮り、嘲り、侮蔑して、それで己の価値を高めようなど笑えて腹がよじれる理論だ。

 腹がよじれる、子供の理屈だ。

 だから笑ってやった。大きな声で、笑声をあげてやった。


「っ、お前ッ!」


 怒りに任せ、少年は高々と腕を振り上げる。

 奈緒はひたすら無関心の瞳のままで、わざとらしく驚いてみせる。


「おや、正義の味方は縛られて身動きのできない女の子をぶつの。ふぅん、これは知らなかったな」

「っ……!?」


 振り上げた腕は、力なく崩れ落ちていく。

 理性はまだ残っていたか。奈緒はやはり無関心そうに、しかし安堵の息を吐く。

 流石に殴られて痛い思いをするのはご免であった。

 打ちのめされた子供のように、少年は顔を伏せり、床を眺める。

 その姿勢のまま、それでも、絞り出すように少年は掠れた声を漏らす。正義と信じる言葉を吐き続ける。


「君は……君は本当の悪を知らないからそんなことが言えるんだ。本物の怪物を、知らないから」


 どこをどう判断すればそういう思考結果に落ち着くのだろうか。奈緒には理解の及ばぬ領域だったが、少年としては真面目らしく、真摯な瞳で奈緒を見つめる。


「ぼくの仕事風景、見せてあげるよ。ちょうどここら辺で魔害物が確認されたらしいから、そいつを倒すところを見せてあげる」


 いやいや、マガイモノってなんさ。

 問うよりも、衝撃のほうが先だった。

 先ほどと同じ感覚――またかい、と胸裏で呟いて、奈緒は再び意識を失くした。







 ……。

 …………。

 ………………。


「――きて。ほら、起きてよ、起きて」 

「ん、んあ?」


 ぺちぺちと頬を叩かれる感触に、思わず奈緒は目を覚ます。

 寝ぼけ眼でぼやけた風景を眺め、ボーっとした頭を回転させる。


「えっと……」


 なにがどうなったのだっけ。脳内がグチャグチャだ。整理しなければ。

 整理、整理――思い出す。

 屋上。見知らぬ少年。暗転。中二病。超能力。再度の暗転。

 なんだそれ。

 この語群は一体なんなのだろうか、少しも整合性を感じないぞ。

 と。


「やあ、起きた?」

「……」


 悩んでいるところに、少年の顔が割り込んできた。内向していた意識が、一挙に外へと向く。

 どうやら気付けば外。空は既に闇に沈み、少ない星と月、それに小さな外灯だけが闇夜を照らしていた。

 手――は縛られていない。動きの阻害はなし。

 まあ、外で縛られた少女を連れていれば、間違いなく捕まるだろうが。

 しかしさて、何故こんなところに連れてこられたのだろうか――

 ふと、そこに立つ“異常”に遅まきながら気がついた。

 その存在感は他を圧倒し、振り撒く威圧は大地さえ軋ませる――目視しただけで断定できる“異常”。


「ひっ」


 本気で――本気で怖気が駆け抜けた。

 今までの余裕も猶予も無関心も全て吹き飛んで、残るは本能的畏怖のみ。

 絶叫しなかっただけ自分を褒めてやりたい。いや、恐怖に引きつったノドが、その仕事を全うできなかっただけか。

 なんだ、あれは……。

 なんなんだ、これは!

 その“異常”には足があり、足があり、足があり、足がある四足歩行。

 まるで獣のようにしなやかな体つきをした、全身極彩色の脅威。獣のようと言ったが、確実にそのような可愛らしい存在ではありえず、もっともっと殺傷に偏向した化物である。なにせ顔があるべきそこになにもない、いや、大きな牙を揃えた口だけがぱっくり開いており、目と思しきものはその口の中に大きくひとつ眺めるのみ。なんて醜悪、なんて凶悪、なんて――化物。


「あっはは。流石の君でもあれは怖いか」


 少年はなんだか上機嫌に笑う。ようやく一般的反応をしてくれた奈緒の様が楽しいらしい。

 口上もまた浮ついてくる。


「あれこそがぼくら魔益師の打倒すべき最悪の化物――害なす魔の物、魔害物さ」

「まがい、もの」


 震える自分の身体を抱きしめるように、奈緒は身を縮こませる。

 それが悪だと、それが死だと、それが害だと、身体中が喚き散らしているようだ。

 そんな奈緒に、今までで最高の笑みを浮かべて、少年は立ち上がる。


「さて、じゃあ見ているといい。あれが悪で、ぼくが正義――正義の執行をとく照覧あれ」


 言うと少年は見せ付けるように右腕を掲げ、左手で掴む。ぐぐっと力を込めて、不意に左手を離すと――そこには一瞬前には存在しなかったはずの黒く禍々しいデザインの腕輪が具象化していた。

 なんだ、と奈緒はさらなる不可思議に後ろに数歩下がる。なにか、この場にいては危険だと本能が告げている。

 予感が的中した――ぼう、と少年は己が手のひらに炎を発生させ、格好つけるように魔害物に笑みをやる――あれと、戦うつもりなのだ。

 魔害物は笑みなど意にも返さず、ただ向けられる敵意にのみ歓喜を覚え、大きな口で歪な形を作る。

 それはたぶん笑顔で――なにより殺意だった。

 しゅん、と大地を蹴飛ばす四本の剛脚。風も置いてけぼりに炎を宿す少年へ突貫する。

 対して少年は炎を投げ、後方に跳ぶ。直後、炎は酸素を喰らって瞬時に肥大化し、爆破。爆風を追い風とし少年はより後ろに着地し、直線的にしか駆けない魔害物には見事に爆破が直撃、僅か脚が緩む。少年は追撃のように炎をまた発生、発生、発生。

 複数同時に発生させた炎を混ぜ合わせ、重ね合わせ、より強大なる轟炎へと昇華する。

 そして放たれるは――


「火は炎に乗倍し。

 炎は火炎に昇華し。

 火炎は――地獄に変貌する! 

 焼け果て落ちよ! “地獄至る(エターナル)永劫進化の(ブレイジング)烈火炎(ヘル)”!!」


 でた、中二病的ネーミングセンス! 奈緒は危機的状況下だというに未だ突っ込む自分に呆れ返る。

 呆れた頃には少年の放つ炎が大地へと打ち込まれ、周辺一体を呑み込み火勢を増す。轟々と、ボウボウと、火は空気を餌に熱量をどんどん向上させて、火炎区域を拡大させていく。荒れ狂うような炎はその場の全てを焼き払い、またさらに溶かし切るべく炎熱を加速していく。それは言うなれば成長する火の海――否、地獄の顕現か。

 正直、近くの奈緒も熱くて溶けそうな気になるが、何故か燃え移ることはなかった。そう言う風に制御されているのだと、それくらいは奈緒にも気付けたが、じゃあだったら熱も全く感じないようにしろよと言いたかった。それとも、まだ未熟なのだろうか。

 無論に、その地獄さえも名乗る炎の中心部には倒すべき魔害物が存在しており、猛火が容赦なく最高熱量で焼き尽くしていく。

 燃えて、燃えて、燃え失せる。

 魔害物を焼く内にも地獄の拡大は進み、巨大な火柱が幾本も林立しだす。それはこの技の最終段階だった。

 このまま火柱が上がり続け、やがてそれが融和し一本の野太く巨大な火柱へと化すことで、この地獄の成長は止まり、消えるのだ。

 そして残すは灰もなく――。


「ふ」


 炎の成長が火柱にまで発展したことで、少年は勝利を確信した。ここまで成長して、直撃をしていて、生き残る魔害物などこの世に存在するはずがな――硬直する。


「な……にっ」

「カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ!!」


 笑っていた。

 火炎に呑まれ、猛火に包まれ、劫火に焼かれているというのに。

 それは笑っていた。

 

「そんな、バカな……。ぼくの“地獄至る(エターナル)永劫進化の(ブレイジング)烈火炎(ヘル)”を受けて消滅しない魔害物なんて……いるはずが……っ!」


 動揺し切った声に、奈緒は現状がまずいのであると悟る。

 おいおい、最初の余裕はどこへいったんだ。と、自分のことを棚にあげて非難するも、それは何の解決にもなりはしない。

 魔害物が跳んだ。

 周囲の炎など委細気にせず、少年にむけて大口開けて飛び掛った。


「ぅっ、ぅわぁぁぁぁぁああああぁぁぁあああぁぁあアァアあああああぁぁぁぁあああああああああああああ!?」


 自己の最強必殺技をもってしても目立った行動に支障がない。そんなバカな。

 ありえない光景に、少年こそが行動に支障をきたしてしまい。

 噛。


「ひっ――」


 噛噛噛。


「ぃいいぃいぃ」


 噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛噛。


「ァああああぁぁアアアアアァアアアアアアアアあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!?」


 噛まれ、齧られ、砕かれた。

 少年の左腕が、肩口から根こそぎ奪われた。

 赤い液体を振りまきながらも、少年は必死で――いやもうなんの思考もなく本能で、泣き喚きながら魔害物を蹴飛ばす。

 ちょうどよかったのは、腕が綺麗に切断されたこと。下手に苦痛がないほどの速断で、だから少年は痛みに支配されてのた打ち回ることなく、恐怖に支配されて逃げ出す選択を選べた。

 少年は一も二も無く一目散に後ろ向いて逃げ去った。既に奈緒のことなど欠片も頭にはない。ただ生き残ることだけを欲し、全力で脅威から遠退くことだけに専心していた。

 魔害物は蹴飛ばされたせいで即応できず、また二瞬目には少年の戦意の消失を感じて追撃はしなかった。

 代わりに――


「人生最大のピンチの到来、かー」


 そこにへたり込む藤原 奈緒を、その口腔内の巨目で見やる。

 奈緒は声だけはとぼけてみせるも、表情は引きつり冷や汗に身体中は満たされていた。大きな目にギョロリと睨まれて何故か身体が指一本神経一寸も動かず、しかしそのお陰で涙を流すような無様は晒さずにおれた。

 ――死が迫っていた。

 ゆっくりゆったりと、しかし着実確実に。

 リアル過ぎるほどに間近に、最も忌避すべきものが避けようもなく足音立てて近付いていた。

 一歩の足音ごとに奈緒の中のタガが崩れ落ちていくのがわかる。自分を飾っていた虚飾が剥がされていくことに気付く。

 強がりの自分。冷静のフリをやめない自分。自分事を、他人事として捉え続ける自分。

 それらが死の恐怖という明確な感情の奔流により洗い流され、藤原 奈緒という存在が消し潰されそうになる。

 ――足音が止む。

 最高潮に膨れ上がった畏怖が胸をひしゃけさせ、心を握り締め――口が、ただどうしようもない本音だけを零した。

 恐怖に殺されかけた藤原 奈緒の、断末魔の悲鳴。


「たす…………けて、にぃ……さん」


 最期の言葉は、それだった。

 否。

 それは最期の言葉にはなりえなかった。

 何故なら、




 ――無数の刃が流星のごとき勢いで降り注ぎ、鉄粉振り撒き全てを叩き潰したのだから。




「え……?」

「大丈夫か、奈緒。奈緒、大丈夫か?」


 そして、誰よりも待ち望んだ兄の声が聞こえ――だから藤原 奈緒はその存在を急速に取り戻した。









 藤原 圭也の家族は少ない。

 やや歳の離れた妹がひとりいるだけで、父も母も二年前には亡くしているのだ。

 両親を失った時は悲しくって悔しかったが、彼には妹がいたので、それを表にだすわけにはいかなかった。

 泣くのではなく妹を励まし、悲しむのではなく妹を気遣い、寂しがるのではなく妹に味方した。

 両親を亡くした息子としてではなく、両親を亡くした妹の兄として振舞った。

 圭也はせめて妹の前でだけでも、強くあろうとしたのだ。

 だが気付けば、依存していたのは圭也自身だった。

 親のいない寂しさ――それを、妹で誤魔化していたのだ。

 それに気付いた時、というか指摘された時には酷くうろたえた。自分が守ろうとしていた者に、本当は自分こそが守られていたなんて、そんな格好のつかない話があろうか。

 それも、自分は兄なのだ。。

 なにがあっても、どうしたって、妹を守って味方してやるべき兄なのだ。

 なのに、それなのに自分は……。


「なら守ればいい」


 ――と言ってのけたのは、依存を指摘した圭也の店の顧客であり友人でもある皮肉げに笑う男。

 曰く、守ってもらったのなら、そのぶん守り返してやればいい。

 いつもは冗談か益体ないことしか語らないそいつの表情は、その日に限ってやたら真摯で、遠き日を思い出すように深遠な瞳をしていたのが印象的だった。

 圭也はその日、彼の言葉と表情を心に刻み込み――決意を魂に突き立てた。


 妹の――奈緒の身の安全だけは、この身を賭してでも、魂を燃やしてでも――絶対に守ってみせる!


 それは藤原 圭也が己が魂に創り上げた決意という銘の“(ツルギ)”。

 魔益師としての、全ての根幹。








「ふむ――駄作だな、駄作だこれは」


 創り上げた刃への評価は己が事ながら辛口。

 まあ、奈緒の危機を見て、即興で創り上げた刀剣でしかないのだから、及第点にも至らぬは当然といえた。

 圭也は魔害物に視線を遣る。

 どうやら先の一撃は掠った程度でバックに避けていたらしく、損傷は薄い。あるのは強烈な敵意の眼差しのみ。

 口の中から不躾な視線を浴びて、圭也はやれやれと肩を竦める。

 竦めたまま、肩越しに顔だけで振り返る。途端に不安そうに瞳を揺らし、妹の安否を確認する。


「帰りが遅いから探してみれば」

「にぃ、さん……?」

「大丈夫か、奈緒。奈緒、大丈夫か?」

「ぇ、うん、だいじょぶ……だけど」

「そうか。奈緒、話は後だ、後だ話は。とりあえず兄の後ろにいろ」


 何か言いたげな奈緒に安堵とともに先んじてから、圭也はため息のように独りごちる。


「……どこぞの組織が強引な勧誘を図り、実演などと阿呆を言って返り討ちにあって、勧誘相手をそのまま放置、か」


 些か以上の怒気と寂寥が混じるのも致し方ない現状である。

 怒気は無論に大事な妹になんてことをしてくれたのかというもの。

 それに、またひとつ寂寥の要因は


「――ああ、とうとうこの日が来たか。この日が、とうとう」


 奈緒の覚醒。

 圭也がなにより恐れていた事態だ。

 圭也から見ても奈緒には魔益師としての素質があった。素質があり、血統もある。なんらかの切っ掛けがあれば、容易に覚醒することは推測できた。だが、できればそれは訪れて欲しくはない未来であったのだ。魔益師などという危険極まるモノに覚醒など、してほしくはなかった。

 だが――事ここに至ってしまえば、覚醒は免れまい。

 魔害物と出会い、魔益師の技前を目視し、死の直前にまで踏み込んだ。これで覚醒しないわけがない。

 覚醒は困るがまあ、ここで見つからず死なれていたら最悪だったのだから、それを回避しただけ良しとしよう。

 圭也は前向きにそう考え――震える気配の後ろに気づき、もう一度だけ振り返って優しげに声をかける。


「だいじょうぶだ、奈緒。兄が守ってやるから。兄が守ってやる、だいじょうぶだ」


 二度言って、ああまたアイツに突っ込まれるなと、圭也は苦笑。

 とはいえ、もうこれは癖になってしまっているのだから仕様がない。いくら突っ込まれようとも、なおせない。

 圭也はふと疑問に思う。

 そういえば、なんで自分は言葉を二度言うようになったのだったか。


「……にぃさん?」


 思い出した。

 震える妹を見て、胸は苦しくなり、それで思い出す。

 そうだ。

 確か父さんと母さんが死んでしまった日の夜。

 奈緒がずっと泣き止まないから――まあ当時、小学生だったのだから仕方のないことだが――圭也は言ったのだ。


『だいじょうぶ、だいじょうぶだ、奈緒。奈緒、だいじょうぶだ』

『……ぐす、ぅぅ、にいさん?』

『泣くなよ、兄さんがついてる。父さんの分も、母さんの分も、兄さんがいてやるから』

『ぇ?』

『ほら、こうやって頭を撫でる時も両手でやる。父さんと母さんの分だ。だいじょうぶだって言葉も二回言う。父さんと母さんの分だ。だから、だいじょぶ、だいじょうぶだ奈緒』


 そんな、我ながら無茶苦茶なことを言ったのが発端だ。

 あの時はそれくらいしか、奈緒を宥めてやることができそうになかった。それくらいしか、思いつくことができなかった。

 それが今や癖になるほど染み付いたか。


「因果なものだ」


 最後にふっ、とおかしそうに笑んでから、圭也はもう意識の全てを殺気漲る魔害物へと注ぎ込む。

 今までよくぞ待っていてくれたと思うが、それは戦闘好きの魔害物としては戦意を和らげた対象と戦うのが嫌だっただけである。

 しかし。


「戦意の有無を明確に判断するか、随分と進化した魔害物らしいな」


 低級の魔害物ではこうはいかない。本当に闘争本能しかもっておらず、状況がなんであれ、目前の誰がなんであれ、即座突貫しかしない。

 おそらくこの四足歩行の魔害物は中級か、もしくは上級に分類されるべき魔害物。

 一般的な魔益師には荷が重く、圭也としてもそこまで易くは勝ち得ない。


「だがまあ妹がいる、負けるわけにはいかない。負けるわけにはいかない、どうしても」


 ひゅん、と圭也は片手にもつ得物で天を指す。

 その得物は鎚の具象武具。鍛接や鍛造する際に用いる鍛冶師にとっては必需品――腕であり、魂そのものと言っても過言ではない道具。

 本来は戦闘に駆り出すべきアイテムではない。というか、戦闘用に拵えた武具ではない。そして刀工である圭也には、それは致命的といっていい認識だ。

 戦闘用ではない、という認識ひとつで魔益師の武具は弱体を避けられない。

 だから、圭也の持つそれもまた、物理的攻撃力は随分と低く、およそ本物実物の鎚よりも低く設定されているほどだ。圭也の魂が編んだこの鎚が本領を発揮するのは、刀剣を叩くその時だけなのだ。

 藤原 圭也とは刃を打ち鍛え創り上げる者であって、振るい斬り裂き共にある者ではない。ゆえ剣術技法に関してもほぼ門外漢。

 よって圭也の戦闘には、武具や能力から見れば驚くべきことなのだが――接近戦がない。

 あるのは、


 ――振り上げた鎚を、縦一本線引くように振り下ろす。


 投剣による中距離、遠距離攻撃のみ!

 鎚の振り下ろされた軌道から刃が九つ即時創製され、勢いを持って前方へと飛来する。


「カカカカカカ!」


 嘲笑う魔害物。

 四肢に力をこめ、直進しかしない刃を跳んで回避。そのまま飛び掛るように圭也へ大口開いて襲い掛かる。

 鎚を振り被った直後、反撃は難しい。


「――甘い」


 こともない。


「カッァア!?」


 ずぷり、と剣が魔害物の背を貫く。

 その刀剣の鋭さは一級品、僅かな抵抗も許さずに“上空から落下中”だった刃は魔害物を貫通し、そのまま大地へ落ちて突き立つ。


「最初、どこから刃が来たのかもう忘れたのか? いくら位階が上がろうと、それでは俺には勝てない。俺には勝てない――それではな」


 言い終わる頃には、第二第三の刀剣が天より舞い落ちる。無論に魔害物目掛けて落下する刃は、まるで豪雨のように幾本も幾本も降り注ぎ、降りしきり、降り荒ぶ。

 刀が降って、直刀が降って、曲刀が降って、太刀が降って、脇差が降って。

 剣が降って、長剣が降って、短剣が降って、大剣が降って、小剣が降って、銃剣が降って。

 ロングソードが降って、ショートソードが降って、レイピアが降って、サーベルが降って、バスターソードが降って、バスタードソードが降って。

 降って降って降って。

 降って降って降って降って降って降って。

 降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って。

 降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って降って――降った。

 そして。

 ようやっと降り終えた時には総計して五千七百四十二本の様々な形の刃が大地に積もり積もっており、魔害物は塵も残さず斬滅していた。






 圭也は実は媒介技法を会得している数少ない魔益師のひとりだ。

 そしてその能力は“剣の創製”。

 そう、刃物を創り上げるだけでしかないのだ。そこに運動量を付与することは――少なくとも今の時点では――不可能だ。運動なくば――静止した状態では、剣刃物業物とはいえ、ただの鉄の棒切れに過ぎない。

 ならば創製するだけの能力で、どう戦うか。それは創製物にどう運動量を与えるかという部分に焦点があたる。

 故に圭也は創製の際に鎚を振り、運動量を与えてやった。

 そしてまた――今のように媒介技法の特性を活かして遠距離にて能力の発現。遠距離とは、つまりが空高くだ。そうすることで上空高くに刃を創製し重力によって加速させた。後はもう、語るまでもない。結果は既に示されているのだから。






「……ふぅ」


 少々――いやかなり無駄にオーバーキルしてしまった。

 それだけ怒り爆発だったのだろうが、それにしてもやり過ぎである。魂に内在する魔益をほぼ使い切ってしまった。圭也はやや自省。

 守るということは、敵を倒すのとは違う。

 たとえばここでまた別の敵が襲い掛かってきた時、圭也は魔益がほとんどないのだ。それでどう守るというのか。

 言うは易し――か。

 一人ごちて、それから振り返る。奈緒と視線を合わせる。


「何度も訊くが――無事か、奈緒。奈緒、無事か?」

「うん、へーき」

「そうか」

「…………」

「…………」


 それきり、ふたりして言葉を失くしてしまう。

 奈緒にとっては意味不明な世界に、さらに兄まで参入してしまい混迷を極めていたし。

 圭也としても、突然過ぎてどうなにを言うべきか迷ってしまう。

 あぁ、と先に言葉を思いついたのは奈緒だった。


「ね、兄さん」

「なんだ」

「あたしにも、その……魔法とか、そういうのの才能、あるの?」

「……」


 一瞬だけ返答を手間取った。それを答えていいのか戸惑った。

 だが、結局は嘘の苦手な性格。圭也は素直に頷いた。


「ああ。俺の妹で、父さんと母さんの娘なのだからな」

「父さんと……母さん?」


 何故そこでふたりがでてくるのだろう。奈緒は不思議そうに首を傾げ。

 すぐに思いつく。思いついてしまった。

 圭也の沈んだ表情は、その思いつきの肯定でしかなかった。


「――奈緒、こうなってしまった以上、お前に話さなければいけないことがある。話さなければならない、こうなってはな」

「…………」

「父さんと、母さんのことだ」

「! それじゃあ、やっぱり……」

「ああ。父さんと母さんは、魔害物――いま倒した奴の同類に……殺された」

「っ」


 短い悲鳴。噛み殺す。黙って兄の話に聞き入る。

 

「ふたりの生前には俺も含めて、三人で魔害物を倒すことを生業にしていたんだ。それで、とある仕事で、ふたりは敗北し――殺された」

「……兄さんは、どうしたの?」

「俺は……俺は父さんに突き飛ばされて、意識を落とされて――目覚めた時には、既にふたりは――」


 悔しそうに、苦しそうに、苦渋を噛み締めて圭也は言う。

 自分を責め立てるような、そんな見ているほうが辛くなる顔色だった。

 正直いって少し薄情かもしれないが、奈緒は衝撃の真実よりも兄の苦悩のほうが見ていられなかった。

 どうにかしてあげたいと思う。どうにか、気にしないでほしいということを伝えてあげたかった。責任感の強い兄に、それはあなたのせいではないと教えてあげたかった。

 慰めかなにかの言葉を考えはじめ――ひとつ気付く。


「! そう、だ。じゃあ、兄さんはまだあんな化物と戦ってるの!?」


 まさか自分が安穏としていた裏で、兄は血を流しあんな恐怖と対峙し退治し続けていたのか。

 壮絶な危惧は、しかしさらりと否定される。


「いや。父さんと母さんの件があって俺も退魔師は――魔害物を倒す仕事は廃業した」

「……なんで?」

「……」


 一瞬だけ言葉が途切れる。だがすぐに再開。


「怖かった、からだろうな。両親の亡き骸を俺はこの目で見、この手で触れた。あの震えるほどの底冷えした肌は、気が狂いそうになるほどの赤は――思い出したくもない」

「…………」

 

 幸いにして、圭也の能力は戦わずも人の役に立つことのできるものであり、金を稼ぐにも適したそれだったのでそちらに専念した。

 すなわち、


「俺はそれから戦うことを避け、刀鍛冶になることにした。いきなり家に工房を設置したりして、お前も驚いただろう?」

「あー、うん」


 両親がいなくなり、兄が唐突に始めた鍛冶工房。奈緒は兄がそんなことができるなんてその時まで一切知らなかったので、大層驚いたものだ。

 それで本当に収入を得ているのだから、また驚いた。

 よく知らないことだが、刀鍛冶というのは……その、なんというか、難しい職業なのではないか。兄のような若さで、そんなことが本当に可能なのだろうか。

 そう思っていたのだが、そうかそんな事情があったのか。


「退魔師だった頃のツテもあって、どうにかこうにか拙いながらも店は回っている」

「……兄さんは」

「ん?」

「兄さんは、それでいーの?」

「俺はもう戦わないが、それでも、後方で皆の助けになれる。ならば、それでいいさ」

「そっか」


 そう言うのなら、奈緒はもう追及するのをやめた。追求するのだけは、やめた。


 ――圭也は気付いていた。聡明な妹ならば、自分の下手くそな嘘など見破られているだろうことは。

 ――奈緒は気付いていた。兄のついた、下手で照れ隠しな嘘の本当を。


「独りに……させないように、だよね」


 圭也が退魔師をやめた理由。

 怖かったから? ――違うだろう。

 そんな理由であるはずがない。藤原 圭也ともあろう男が、まさか怖いのひとことで己の決めた道を反するなどあるわけがない。妹としてずっと眺めた背中が、そんなにも小さなものであったとは到底思えない。

 本当の理由は、本当の理由は――奈緒を独りにさせないため。奈緒は、きっとそうだと確信していた。

 圭也が戦いにでれば、当然ながらその間、奈緒はひとりぼっちになってしまう。程度のほうはわからないが、家に留まる時間が今より確実に減少するだろう。それでは、奈緒を寂しがらせる。両親がいない家で、また兄まで不在で寂寥を感じないわけがない。圭也はできるだけ妹の傍にいようと決めていたのだ。

 それに――最悪もしも死んでしまったら、奈緒は本当に天涯孤独の身となってしまう。両親を亡くし、そのうえ兄まで亡くす。そんな過酷な境遇で長い人生を過ごさなければいけなくなる。

 それは駄目だ。絶対に。それだけは駄目だ。

 両親を間近で失くした男は、孤独の苦い味をほんの少しだけ味わったから。そんな味を、妹に負わせたくはなかった。

 だから、圭也は戦わないことを選んだ。

 戦わず、傍を離れないで、命を危険に晒さない。一見すれば逃避ともとれる道を選択した。

 だが、


 武器をとり争い背に庇うだけが“守る”という言葉の全てではないはずで――


 つまりが兄は、戦わないことで奈緒の日常を守ったのだ。


 ――そこでふと、ひとつ奈緒は気付いた。

 自分がひとりであることを好むのは、きっと兄がいてくれるからだ。

 絶対に独りにはさせないでいてくれる兄がいるから、ひとりであることが怖くない。確信が根本を支えているから、魂にブレが生じない。

 そう、藤原 奈緒はニヒリズムに浸りたいだけの餓鬼でなければ、孤独と孤高を混同してそれが格好いいとか勘違いする子供のような思考回路を残しているわけでも、まして中二な人でもなかった。

 ただの――そう、ただの妹だ。とても頼もしい兄のいる、どこにでもいる妹だ。

 そう思うと、自然に笑みが零れ落ちていた。


「あははっ」

「……? どうした」

「んーん、なんでもなーい」

「そう、か――まあいい、帰るぞ奈緒。奈緒、帰るぞ」


 ぶっきら棒に言うけれど、そこに籠められた暖かさは瞭然で。

 一歩先に歩き始めた背中は随分と大きかった。

 当たり前のように、あらゆるから常に見守り守ってくれた背中。

 その背をしばし見つめて、それから返事を告げる。


「うんっ」


 最大級の笑みを浮かべ、奈緒は兄の背を追いかけた。

 今までずっと遠くにあって、あらゆる危機を遠くの位置で退けていた兄。

 だけど、今なら――これからなら、少しは兄に近づけるだろうか。

 背中ではなく横顔を、この目で見ることができるだろうか。

 奈緒はそんなことを考えつつ、兄と並んで家路についた。













 戦わない魔益師――藤原 奈緒


 魂魄能力:“時間の遅刻”

 具象武具:懐中時計

 役割認識:なし

 能力内容:その名の通り、あらゆるものの時間を遅らせることが可能という驚異の能力。他の能力と同じく時間の遅刻は武具である時計を始点とし、少しずつ侵蝕するように遅刻させる空間を広げていく。そのためあるていど離れて対処すれば能力の影響は受けない。しかし近付けば――人、物区別無く――動きが遅くなり格好の的となってしまうし、いくら素早く攻撃したとしてもスローになるので簡単に回避されてしまう。また遅刻領域は時間をかければ広げられるので厄介さは変わりなし。近付くこともできず、遠距離攻撃もほぼ意味をなさないため、打倒は困難と思われる。

 その他:実は兄妹だったふたりの妹。まあ、実はって言うほど隠していないが、明言はしてなかったはず。

 その能力は多種多様な魂魄能力のうちでも上位能力たる時間系であり、戦えば恐ろしく強い。戦わないけど。

 具体的には、現時点に限れば雫は勿論、一刀もタイマンなら、そして条家直系たる二条 条にも場合によっては勝利しうるという一般の魔益師としては破格の実力者。戦わないけど。

 ただし、その戦わない性分のために成長は見込めず、絶賛成長中の雫たちにも後々負ける未来が確定している。戦わないけど。

 結構お気に入りのキャラのひとりなのだけど、性格上、立場上、あまり物語に参加してくれない。戦ってくれないし。



 至高の刀剣造形師――藤原 圭也


 魂魄能力:“剣の創製”

 具象武具:鎚

 役割認識:造形師

 特殊技能:媒介技法

 能力内容:刀剣を創製し、そこに自分の認識を付与することができる。創る際には通常の鍛冶作業も並行して行うのだが、これはそうしたほうが剣が強くなるような気がするという圭也の認識による。その実、パッと創った物より、鍛冶作業込みで創った剣のほうが遥かに強力となる。売りにだすのも必ず鍛冶込みの刀剣。

 その他:実は兄妹だったふたりの兄。こっちもお気に入り。

 戦わない魔益師の元祖(?)。僅かとはいえ戦わない魔益師の戦闘シーンを書けてよかった。

 ちなみに「重力による刃の加速」戦法は皮肉げに笑う男から伝授された戦法です。

















 おまけ



 名も無き仮初の正義者――白羽(しらば) (すぐる)


 魂魄能力:“火炎の発生”

 具象武具:腕輪

 役割認識:正義の味方

 能力内容:火炎を発生させる。

 その他:書く前は完全なるヘタレなやられ役を想定していたが、書いていて面白くなった奴。

 当初は名前さえ考えてなく、だから本文ではずっと少年で通した。けど面白かったので後付けで名前を与えたのだが――名前をつけたせいで「名も無き」は変になってしまったかもしれない。まあいいか。



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