第五話 総会
九条 静乃は、羽織からの伝言を聞いてすぐに全条家に総会の要請をした。
急であったために、当主不在の家も無論あったが、十家中七家は要請に応じてくれた。
朝に羽織が雫から事情を聞いて、昼過ぎには全ての準備が整う。この手際の早さからも、条家の優秀さが垣間見えた。
条家の総会は、慣例として本家というべき一条家で行われる。
一条家は他九家のちょうど中心に位置し、さほど遠くはないので妥当ではあった。
さて今回、九条家からは当主として静乃が、補佐として羽織が出席し、そして雫も客人としてともに一条の敷居を跨いだ。
雫は病み上がりの上、一条の屋敷自体が放つプレッシャーで既に倒れそうだったが、必死に気丈を振舞った。そうしないと、静乃に心配されると思ったのだ。実際、幾度か治癒は必要ないかと問われた。流石にそう軽々と九条家当主の治癒を受けるのは分不相応を感じ、丁重に断ったが。
三人が通されたのは総会のための部屋で、簡素だが威厳に満ち満ちたとても広い和室だった。静乃は無言のうちに、所定の座に着く。その後ろに羽織が腰をおろし、雫も真似て座す。
程なくして――条家十門の内、一条、二条、三条、六条、七条、九条、十条の現当主たちが揃う。
和室に備え付けられた長机を条家当主が囲み、その後ろに数人の補佐たちが控える。ちなみに、補佐たちは基本的に許されない限り発言権はなく、彫刻として座るだけである。
誰も神妙な面持ちで、静かに開会を待つ。
重々しいまでに空気が凝り、刺々しいまでに空気が刺さり、室内には厳粛とした雰囲気だけが張り詰める。
凄まじいまでの居心地の悪さに、雫は冷や汗が止まらなかった。喉はカラカラになり、目はせわしなく動く。もう緊張し過ぎて死にそうだった。
一般人代表的な立場の雫は、少し前までこんなことになるなど夢にも思わなかった。今の気分をたとえると、王宮のパーティに紛れ込んだ小市民である。
いっそ逃げ出そうか、という甘く強い衝動に駆られるも、それはどうにか自制した。
気を紛らわすために、横で規則正しく正座する羽織を見やる。
「……ち、落ち着けよ、うぜえ」
すまし顔で罵る様からは緊張感など皆無。羽織はこの圧迫感の中でも、常態を普通に保っていた。
なんだか、雫は負けた気分である。
そうこうしているうちに、キンと澄み渡った金属音が響き、全員の視線が上座に座る一条に集まる。
一条――条家盟主にして、条家を取り仕切る最強の条。
現一条家当主は、まだ雫と同じくらい年若い少年だった。黒い髪をやや長めに整え、漆黒の瞳は斬り裂き貫く刃が如し、ただ在るだけで底冷えするような剣気を放つ剣士――いや、一条が帯びるそれは日本刀であるから、侍というべきなのかもしれない。
一条は抱くようにして刀を肩に乗せ、ただひとりだけ肩膝立てして座っており、無造作極まりない。それはこの満座で最も高い場所に立つが故の無造作。敬意を払う側ではなく、払われる側であるがための――条家盟主であるがための所作ともいえる。
一条は当主内で最も若いその外見に、全く似合わない威厳ある声で朗々と宣言する。
「それでは、条家十門の総会を――ここに開く」
そして、総会は開かれた。
「それにしても、武器を扱う魔害物とはな。六条、お前知っておったか?」
さっそく口火を切ったのは二条家当主。彼は豪放磊落を地でいく元気なおじさんだ。
その二条に名指しされた六条家当主は、酷く低い声で答える。
「いえ、初耳です」
唸るような低い声が特徴的な、六条家当主は年齢不詳の謎の多き男だ。いや、そもそも六条という家自体が同じ条家内でもよくわかってはいなかった。
ただ――条家十門で、情報収集を担当しているのは内外にも周知のことで、その六条が知らないというのだから他の当主もどよめきだす。
「それはそれは……六条の情報網も、落ちたものだな」
肩を竦めて、批難を織り交ぜた言葉を放ったのは三条家当主。
三条家当主、色白の肌をした皮肉げな笑みを刻む男だ。慇懃な態度ではあるが、彼の言葉にはどこか棘がある。
六条は別段非難には反応せず、淡々と受け止めた。
「それはすみませんでした、以後気をつけましょう」
「……ふん」
その沈着さが気に入らず――それでは無能の肯定ではないか――三条は鼻を鳴らした。
三条の態度に、二条が不服そうに口を開く。
「その態度は六条に失礼であろう、三条」
「はは、失礼でしたか。それはすみませんね。至らない部分を指摘するのが失礼だとは……気付きませんでしたよ」
「その言い方では、指摘ではなく人の神経を逆撫でするだけだろうに」
「難しいものだ。オレには区別がつかないな」
「白々しいことを……三条、お前はどうしていつもそうなのだ」
「そう? それはあなたの気に障るという意味ですかな? だとしたら、あなたがオレを嫌っているからそう聞こえるだけでしょう」
「ちょっと、やめなさいよふたりとも。今回は客人もいるのよ」
いつもの二条と三条の口論に、割って入ったのは条家当主の中でもふたりしかいない女当主のひとり、七条だ。
強気な女性で、女だからと下に見られるのを嫌う傾向にある。
それを知っていながらも、いや知っているからこそ、三条は言った。
「女性は黙っていてくださいませんか?」
「なっ! 三条、女だからと侮るな! その身を永久に閉ざしてくれようかっ!」
「ふ……あなたにそんなことができるのですか? 七条のあなたが、三条のこのオレに」
三条は口元を隠してせせら笑う。
一条が盟主であるが故に、条家では数字の小さい方が強く上にあると――そういう古きに捨て去った慣例を、三条は時々持ち出す。
三条は変にそういった、強さに拘る傾向があるのだ。そういうところが二条の気に障り、七条の怒りを買うということを、さて本人は理解しているのか。
三条の言に、七条は怯まずそういうならと、非難を隠さず言い返す。
「あら、数字に拘るのなら、二条殿への非礼はよいのかしら?」
「非礼? 二条の感情を、何故あなたが語るのですか?
二条、オレの言葉は、あなたの気分を害するほどの非礼を感じましたか? いつもの他愛無い雑談と、オレは思ってましたが」
二条の人のよさを熟知しての三条の発言。
困惑しながらも、二条は愚直なまでに思った通りを告げる。
「いや……まあ、いつものことだからな。そこまで気分を害したわけでもないが……」
「全く、七条、あまり思い込みで話さないでいただきたい」
「三条、貴様っ!」
二条と三条と、そして七条まで混じった見るにたえない争論に。
ため息を吐く男がひとり。
一条はゆっくりと刀へと手を伸ばし、左手は鞘を、右手は柄を握る。
鯉口を切り――収める。
――キン、と刀の鍔と鯉口が打ち鳴らしあう清廉な音が、紛糾の室内に響き渡った。
続けて、一条は静謐な口調のままで告げる。
「静まれ」
ぞっ。
今まで口を回していた者も、そうでなかった者も、等しく全員が悪寒を感じて静まり返る。強烈な剣気を浴びせられ、錚々たる面々である条家十門の当主が、例外なく押し黙る。
恐るべきはその若さでの到達度。強さだけでなく、覇気すら纏う戦士としての完成度。隔絶した実力者集団である条家当主の中でも、さらに上に立つ――条家盟主、一条の名は決して伊達ではない。
二条は口を噤み、腕を組んで静観に回る。三条も、もう一度だけ鼻を鳴らして口を閉ざし、七条も不承ながら黙らざるをえなかった。
三者三様の態度を見納めてから、一条は十条に目で指示した。十条は無言で頷く。
十条家は、一条家を世話する役割も負っているのだ。そのため、一条とは関係が深い。アイコンタクトさえ可能なほどに。
十条は――現行の十条家当主は御年六十四歳にして現役の、条家最年長当主だ――静乃に向かって言う。
「九条、あなたのところの客人が、情報を持っているという話でしたな」
「ええ、その通りです」
静乃は穏やかな笑みで答えた。先ほどの争論も、一条の剣気も、まるで気にした様子もなく平然と笑んでいた。
好々爺の十条も、老人特有のやんわりした笑みで言葉を連ねる。
「客人に、直接話してはもらえんかね?」
「そうですね。……加瀬さん、頼めるでしょうか」
「……はい」
緊張しきった顔色で、いままで推移を見守っていた雫は立ち上がった。
途端に全員からの視線を感じるが、雫は深呼吸をして心を落ち着けようと努力した。
あまり効果はなく、握った手のひらには汗が滲む。
横の羽織があまりの緊張度合いに笑いを堪えているのが見えて、雫は後でぶん殴ろうと決意した。
雫は胸に手をあて、目を瞑る。
落ち着けと呪文のように胸中で呟く。大丈夫だと暗示のように胸中で囁く。
完全には拭えないが、大分マシにはなった。
雫は、目を開き語り始める。
「――私は昨晩、武器を扱う魔害物と交戦しました」
雫の一言で、一同はざわめきたつ。
とはいえ緊張しっぱなしの雫は周りの様子に気付けず、話を進めるのみ。
「私はその魔害物に敗北しました。とどめをさされることはなかったのですが、動くことはできず死を待つだけだったところを、九条様に助けていただきました」
「ふむ、加瀬殿といいましたな」
十条が合いの手を入れる。
「その魔害物の形状、戦闘法など可能な限りお教えいただきたい」
「わかりました」
頷いてから、雫は記憶を辿り思い起こしながら口を回す。
「外見は、黒いペンキを塗りたくったような肌をした人間に、獅子頭を被せたような異形でした。獅子舞とかでよく被る、あの赤い獅子頭です。
戦闘法は、両手に持った小太刀を達人並の腕で振るい、時にその獅子頭で噛み砕こうとしてきます。あ、あと一度だけ、胸からもう一本の腕を生やして襲ってきました。腕を生やすのは、何度もできるのかはわかりません。ただ、おそらくその腕は伸縮自在と思われます」
「なかなかの観察眼、お見事です。そして情報提供、ありがとうございます。もう座ってくださって結構ですよ」
「あっ、ありがとうございます」
にっこりと十条に言われて、雫はそそくさと座りなおした。
もう心臓がバクバクうるさくてかなわない。雫は戦闘後のような疲労感に、思わず正座を崩した。
だが、雫への視線は話が終わった瞬間に離れていたので、誰にも咎められることはなかった。それよりも、すぐに内容の論議がおこなわれる。
「達人並とは……厄介だな」
「十条よ、確かお前たちも小太刀を武具とするはずだったな。敵とするとどうだ」
「そうですな、魔害物の膂力や速度を考えると、おそらく途轍もなく速い。それに両手に持つというなら、変幻自在の太刀となるでしょうな」
「速い、か。速さ比べなら四条か?」
「二条では攻撃があたらないものな」
「馬鹿にするな、二条はそれほど弱くはない」
「ふふ、そう言う三条は敵が強すぎては無意味じゃないのかしら?」
「ふ……どれほど強いと嘯こうが、我ら三条の前には弱いも同じだ」
「なんだ、三条がいくのか?」
「構いませんが、確実性を考えるなら七条に隔離させ、五条で射殺せばいいだろう」
「ふむ……それなら確かに――」
不意に。
唐突に。
言葉を交わす当主たちに委細の遠慮もなく。
ダンッ!
と音をたて。
会話を黙って聞いていた雫が、耐え切れなくなったとばかりに荒々しく立ち上がった。
その目には、仄かな怒りが見え隠れしている。
再び視線を集めると承知しながら、雫は懇願のように叫ぶ。
「待ってください!」
その声に物議は止まり、全員の意識は完全に雫へと集中する。
不思議そうな顔。煩わしげな顔。困惑ばかりの顔。不機嫌な顔。無表情な顔。様々な面持ちと感情で、立ち上がった雫をねめつける。
雫は怖気づくも、けれど気圧されずに自分の意志を告げる。
「この魔害物の討伐は、私が退魔師として請け負った仕事です! たとえ条家といえど、私の仕事を奪うのは許せません!」
凛とした態度で言い終えた雫の内心は、実はかなりパニック状態だった。
いっ、言ってしまったー! 条家十門当主の目の前で許せないとか言ってしまったー!
実際、退魔師としてもう活動ができなくなる可能性すらある、神をも恐れぬ所業である。
雫は外面では怒りの表情を見せ、内面では泣きたくて堪らなかった。
「ほう、見上げた仕事意識ですね。しかし、あなたのような市井の退魔師に、倒せるとは思えませんのでね。実際、負けたのでしょう?」
真っ先に三条が雫をたしなめる。
既にお前の存在意義はないのだから黙っていろ、と言葉に排泄の意思を乗せて。
七条もそこには同意のようで、嫌そうながらも賛意を示す。
「そうね。条家に後は任せて、あなたはもう帰りなさいな」
「ま、威勢のよさは認めるが、条家に情報が入っちまった以上、なにもしないわけにはいかんしな」
二条までも言って、雫は俯いてしまう。
確かに彼らの言う通りなのだ。
雫は単なる一退魔師。条家という強大な組織から見れば、弱小もいいところだろう。そんな小娘に、任せられる案件ではない。それにメンツというものもあることだし。
仕方のないこと――納得いかずとも、雫は引き下がるしかなかった。
のだが。
「いや……そう言うのなら構わない」
「え?」
雫は驚いてしまう。
なにせ、構わないと言ったのは――条家盟主、一条その人だったのだから。
次々に他の条たちが慌てて反論を述べる。
「いっ、一条様、なにを仰るのですか!」
「そうです、あんな子供ひとりに任せられるとでも?」
「さあな」
一条は肩を竦めた。それから雫を見定め、その瞳の意志を汲み取り、言葉を続ける。
「だが、彼女の言い分も確か。一度決めたことは、最後まで貫くべきだ。一度くらい、彼女に任せてみてもいいだろう」
「しかし、それでは条家としての……」
「ただし!」
反論した七条、それと雫がびくり、と竦みあがってしまうような一喝。
一条は雫をしっかりと見据えたまま条件があると言う。それは――
「我ら条家の協力を受け入れてはくれないか?」
「え?」
「これはあなたの仕事。だが、あなたを助けたのは九条だ。その九条が手助けをしたいと申し出たのだ、その協力を認めてくれないか?」
「えっ、え?」
意味がわからず、雫はずっと黙りこんでいた静乃を見る。
静乃は、穏やかな微笑で雫の視線に応えるだけ。しかしその笑顔から、全てを悟った気がした。
おそらく、静乃はこうなることを最初から望んでいた。
屋敷で武器を扱う魔害物の話を聞いた段階で、なんとか雫の力になりたかった彼女は、けれど雫なら協力を拒むとなんとなく察した。
だから、一条に頼み、この状況が出来上がることを目論んだ。条家のメンツも、雫のメンツも保たれる、そんな状況を。
まあ、本来は静乃自身が進言するつもりで、雫の行動は予想外であったろうが。
雫はそこまで読み取って、それでも躊躇いを見せる。
「しっ、しかし!」
「――頼む」
「っ!」
条家盟主から、直接公の場での頼み事――単なる退魔師に、断れるはずがなかった。
逡巡の末に雫はゆっくりと、本当にゆっくりと頷いた。
「――わかり、ました。私に、力をお貸しください」
「よろしい。では――これにて総会を閉じる」
有無を言わせぬ圧力で他の当主を黙らせ、一条は強制的に総会を終わらせたのだった。