第四十九話 懸念
小気味良い機械音が響く。
それはエレベータが目的の階に到着したと知らせる音。
羽織はただ一人きりで再びマッドの支配していたビルディングに訪れていた。
ビルディングの最上階――マッドの死した場所。
当初は階段を使うつもりだったが、主を失い、別の者の手に委ねられたことでエレベータは起動してくれた。正直、行幸だった。
悠然とエレベータから降り、羽織は歩を進め、部屋の中央付近にまで移動。
当然だが数時間も待たずに戻ったのだから、その情景に変化などほとんど存在しない。
数少ない変わった点といえば、春がいなくなっており――流石に目覚めて帰ったのだろう――そして、マッドサイエンティストの亡き骸が放置されていたことくらいか。
おそらくはあとで適当に処理する気なのだろうが、こう野晒しにしておくのは如何なものか。それとも、それだけマッドを毛嫌いしていたのだろうか、あの総帥サマは。
ともかく、死体処理のために来る“黒羽”の職員より前に懸念をぶちまけておこう。
羽織は決め、視線をぐるりと一周。
そののち一点に焦点を定め――視点の先はなんの変哲も無い壁――おもむろに口を開く。いやに確定的に、なんとも断定的に。
言う。
「お前……生きてんだろ? マッドサイエンティスト」
…………。
返る返事は、無論にない。
この場に居合わせるのは語り手たる羽織と、物言わぬ骸しかないのだから。
構わず羽織は続けた。やはり確定的に、断定的に、決定的に。
「上手くやったもんだよ、ホントに。最初はおれすら騙されたよ、いや見事見事」
誰もいない空間で、羽織の一人口上は続く続く。
「マッド、お前の能力“人形の創成”は、姿かたちも任意で創り上げられるな? 敵対したヒトガタは、全員が似た容姿だったが、あれはカモフラージュだった。男のヒトガタを創成できることを隠すための偽装だった」
「――そして、自分と全く同じ外見の生命を創った。死んだのはそいつだ」
雫の阿呆は騙せても、おれは騙せんよ。三日月に口元を歪め、羽織は冷笑してやった。
「確信をもったのは、魂魄能力“彼我の対話”を扱う魔益師の不在だ。能力は確かに使われたが、あれに距離は関係ない。
じゃあ、“彼我の対話”のヒトガタをどこへ行ったのか?」
謎解きをする探偵じみた口調で述べ立てる。それは聞き手の耳に残り、心をざわつかせる手法か。
羽織はそこにあった死体を遠慮なく踏みつけながら言う。
「死んだこいつこそが、“彼我の対話”のヒトガタだったんだろ? そして、こいつがお前の声を能力であたかも自分で話しているようにした。言うならアテレコだな、まあ。
だが、一個失敗したな。最期の宣言、死に際の叫び――あれは流石にクリア過ぎた。直前に喀血し切れてねえってのに、声はなんら不具合なく鮮明だ? んなことありえるか」
血が喉に詰まっていて、普通、言葉は紡げまい。
だがあの時は状況が状況なだけに、言及すべきことは他に多々あり見逃していた。
見逃して、済ませてしまった。
とはいえ、あの段階で見破ったとしても、どうにもならなかったろうが。
羽織は強気に声を張り上げる。
「なんでこんな回りくどい真似しやがったのかは知らんが――騙しあい化かしあいでおれに挑んだってのがお前の敗因だ。
お前の無様を笑ってやっから声だせよ、なあ、おい、負け犬!」
…………。
…………。
…………。
返る返事は、やはりない。
「ふん、ダンマリか……。言っておくが、ここで黙っててもおれの中ではてめえは生きてる。警戒は死ぬまでやめねえからな」
羽織は一方的に言い放ち、これ以上の収穫はないだろうと背を向けた。
部屋には、静寂と遺体が残るのみ。