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第四十八話 帰還







「あー、なんにしても、みんなで生きてここに帰ってこれて本当に良かったよ」

「そーな」


 九条家の荘厳なる正門を前にして、一刀は既に懐かしささえ感じるほどの安らぎを覚えていた。

 たった数時間だったはずなのに、何故かもう何ヶ月も帰っていないような心地である。

 それほど濃密で間一髪の戦闘であり、経験だったのだ。

 その原因たる浴衣は心底申し訳なさそうに弱い声を絞る。


「ご迷惑をおかけしてすみません、一刀兄さん、八坂兄さん」

「あっ、いやいや! そういう意味じゃないよ!? ただ単純にみんな無事でなによりって言いたかっただけで――っ!」


 慌てて否定を挟む一刀。少し配慮に欠ける発言だったかとやや後悔する。しかも同意していたはずの八坂は既に別の方向を向いて、なんだか悪役を押しつけられた感があった。一刀は君も謝らないのかとジト目で刺すが、八坂は視線すらくれない。

 無言で喧嘩するふたりを見て、雫が会話に口を突っ込む。補助を入れる。


「身内同士、迷惑などかけ合えばいいだろう。それを助け合ってこそだと、私は思うぞ」

「それを言ったらお前は身内じゃねえだろが」


 すかさず羽織が茶々を入れるも、雫は動じず。


「私は責任があったからな、当然だ」


 ――私のせいで浴衣はさらわれた。

 そのことについてはきちんと頭を下げ、別に謝ることではないと言われた雫だったが、負い目は当分残りそうだ。割とこういうところは強情な雫である。

 浴衣は深くは踏み込まず、にっこり笑顔を自然と浮かべる。


「いえいえ、加瀬先輩ももう身内のようなものじゃないですか」

「む」

「あっ、身内なら苗字で呼ぶのも余所余所しいですね、雫先輩って呼んでいいですか?」

「むっ、むぅ。それは……もちろん構わないが」

「じゃあ、雫先輩」

「はは、仲良しでなによりだね」


 一刀は微笑むが、八坂はダルそうに息を吐く。


「はぁ、喋ってるのはいいけど、早く入らない? もう疲れた……」

「あっ、はいそうですね」

「お前らの言葉が発端だろが……」


 文句を囁くが、羽織もそこに異存はなし。

 門を開いて、ようやくの帰還だ。







「すぅ――」


 玄関に足を踏み入れつつ、羽織は息を吸い、吸い――屋敷全域に響き渡るように大きな声で帰還を告げる。

 自分の無事を、任務の完遂を、助けた者の生存を報告するように高らかに。


「遅くなりまして羽織、ただいま帰りました!」


 するとすぐにいつもの優雅さからは考えられないような物音をたて、静乃が出迎えに走ってきた。

 その勢いのまま


「浴衣っ」


 わが子の無事を肌でじかに感じたいとばかりにぎゅっと抱き寄せる。ぎゅうっと抱き締める。

 浴衣も抱きついてきた静乃の背に手を回し、安堵に浸るようにして言葉を紡ぐ。


「母様……浴衣は大事ありません。羽織様が、みんなが助けてくれました」

「よかった、本当によかった……」

「はい……はい……っ」


 親子はしばらくの間、抱き合い泣き合い、ゆっくりと互いの存在を確認し合った。

 暖かな体温を感じて伝えて、ただいまと、おかえりと、告げあうかのように。




「流石に割り込めないね」

「ああ、少しそっとしておこう」


 一刀と雫は頷きあい、なんとも微笑ましげに表情を綻ばせた。

 触れがたく侵しがたい、九条親子の醸す美しく優しげな雰囲気になんだか見ている側のほうが心安らぐ。

 この光景が見れてよかった、このふたりを悲しませることなく終わらせることができてよかった。

 心底から、そう思える。

 浸っていた雫だが、不意に我に返る。ひとり少ないことに気付く。


「って、そういえば八坂は?」

「あー、うん。たぶん先に戻ったんだと思う」

「……なんというか、マイペースな御仁だな」

「はは、違いない。まあ、僕もお先に失礼するよ。実は前の任務の報告すらしてないんだ」


 実は一刀と八坂は任務から帰り、報告すらすっ飛ばして援軍として向かったのだ。割と強行軍だったのである。

 雫は改めて頭を下げる。誠意が伝わるように、深く深く。


「ああ、本当に今日は助かった。ありがとう」

「うん、どういたしまして」


 苦笑で礼を受け止めて、一刀はそれじゃあねと廊下を歩いていった。現れた時と同じように颯爽と、また人のよさそうな笑みを浮かべて。


 ――そして、自然と残るのは羽織と雫の両名のみ。


 雫は一刀に向けていた笑みが崩れていくのが自覚できた。なんだかすこぶる居心地が悪い。

 ビルに侵入してからすぐに分かれ、そのまま終わりがけまで合流することはなく、そして最後のほうは驚きの連続で――まあつまりがしばらく羽織とマトモに言葉を交わしていなかったのだ。

 それはやはり数時間の出来事のようで、体感としてはもっともっと長い時間の隔たりな気がしてならない。

 なにを話せばいいのか。いや、このまま沈黙していてもいいのか。

 雫が変に悩んでいるところに、大して考えもなく羽織は口を開く。


「……そういや」

「なっ、なんだ」

「そういや、帰ったらお前に文句ブチまける予定があったな」

「む……」


 ――てめえをなじるのは浴衣様を助けてからだ。

 浴衣がさらわれた直後に、確かに羽織はそんなことを言っていた。そして浴衣を助け出すことには成功し、終了している。

 つまり。

 ――思い切りなじられる! 雫は確信し戦慄した。

 そんな前フリあってのなじり――一体どれほどの言葉の束を錬成し刃とするのか、雫は耐える準備のように縮こまる。だが同時に、浴衣本人には良しとされてしまい宙ぶらりんとなった罪悪感にとっては、なんだか責められて順当じゃないかと思う気持ちもあった。

 と、殊勝な心がけでいたというに。


「けど、ま、いいや」

「ぇ、ええぇえ!?」


 羽織が!

 あの羽織が、人をなじる機会があってそれを捨てるだと!? まあいいやで済ませるだと!?

 ありえない!

 雫をして心臓が飛び出るほどの驚きである。

 羽織は心外そうな視線を向けるが、すぐに九条親子に優しげな眼差しを送る。


「驚き過ぎだ阿呆。あのふたりの雰囲気を壊したくねえんだよ」

「それは。」


 同感だが。


「ま、後はそんな気分じゃねえってだけだ。

 ――んなツラされたらな」

「……ツラ、だと? 私はなにか変な顔をしていたか」


 いきなり話の矛先が自分に刺さり、瞠目を隠せない。

 そんなに変な顔していたのか、雫は自分の顔をつねったりしてみたが、実感は湧かなかった。

 それでも羽織は嫌になるほど断定的。


「そう言ってんだろがよ――黒羽総帥のことか?」

「あー、たぶん……そうじゃない。理緒姉ぇのことは、正直まだ考えたくないからな、頭の中で保留にしてある。連絡をくれると言っていたから、それを待つ」

「じゃあ、なんだよ?」


 別にもとから変な顔をしていた覚えなどない。だからそんなに追求されるいわれもない――とは言い切れなかった。

 考えていたことは、あったから。曖昧に漠然と思案していた事柄。それが羽織に問われて明確化した。言語として自分にも説明できた。

 おそらく自分が懊悩しているのは――


「……あの狂科学者のことだ」

「あいつか。へっ、総帥登場でインパクト薄れちまったよな」


 緩く笑って、羽織は表情もまた緩ませる。

 終わった事項にはあまり興味がないようだ。既に思考は理緒に向けて、先に来る何がしかを危惧しているらしい。

 雫はだが、どうも気にかかる点が残る。気にかかり、気に刺さり、気に残る。

 他に訊ける相手もなし。雫は思わず問うていた。


「なあ羽織、マッドは……あの男は、本当に妻のことなど考えてなかったのだろうか?」

「んだよ、そんなこと考えてたのかよ」

「ずっとそればかりが気にかかっていたさ」


 マッドと対面し、対峙し、直接対話をしてからずっと。ずっと気にしていた。

 マッドが夢を抱く根源となった人物。それほどまでに大切に思っていたであろう人物。だがそんな彼女を、マッドは己が口で既に理由でないと言ってのけた。その言葉の真偽は、真意は?

 わからない。

 わからなくて、だから気にかかる。引っかかる。

 ――叶えた夢の景色は、果たしてどういう姿をしていたのだろうか?


「まあ、推察でいいなら語ってやるが?」

「それで構わない、自分以外の意見が聞きたいんだ」


 ふん、そんなに気にすることかね。羽織は肩を竦めてから、意見を言ってやる。どうもでいいが、一応は思考の隅にあったそれ。


「ひとことで言って、否だ」

「……」

「あの長ったるい演説でも言ってたけどよ、“彼女のためじゃない”――だ? んなことわざわざ言う奴が本当にそうなわけねえだろ。必要以上に力んで否定してたらバレバレだっつの、なにが目的かなんてな」

「!」

「異常つってもあれも結局は人間だ。怖かったんだろうよ、自分の所業を大切な誰かのせいにしちまうのが」

「誰かのせいに、したくない?」


 己が行為が悪だと自覚しているから。

 己が思想が歪だと自認しているから。

 己が信念が狂気だと自負しているから。

 だから、それを誰かの所為になんて、したくはない。

 大切な彼女に――悪の、歪の、狂気の――責があるだなんて、そんなふざけた理屈を認めたくない。

 死んでも、認めない。

 自分は自分の所為でしかないのだ。誰の所為でなく己が責であると、そう声高に主張していたかった。そういうことだろう。


「……そういうものなのか、よくわかるな」

「ああ、よくわかる。そういう考え方ならおれにもあったからな」

「ぇえ!?」

「……そんなに驚くな、ボケ」

「いや、だって……なぁ?」

「……はぁ」


 ため息ひとつで片付け、羽織は強引に話を戻す。


「たぶんマッドはな、愛し方がわからなかったんだ」

「愛し方?」

「そう。妻の愛し方、死者への愛の示し方、娘の愛し方――それがわからない。わからないから擦れ違って傷つけてしまって、わからないから不安定で、わからないから狂ってしまった。だがそれでも、愛し方なんてわからないけど、わからないなりに懸命に愛そうとしていた。

 ――のかもしれない」


 愛そうとして、でもどうすればいいかわからない。

 どうやって愛せばいいのか。どうすればこの愛情を示せるのか――わかってもらえるのか。

 それがわからない。


「愛そうとしてそれが上手くできないでいると、自分に愛なんて元からなかったのではないかと思いはじめちまう。原初であった夢の理由は、現在においても根本を支えているのか――わからなくなる」


 だから本人はああ言ったのだろう。主観的には、妻のためと言い切れないでいたのだろう。

 まあ、客観的には一目瞭然であったが。

 夢を叶えた景色には、きっと妻の微笑みがあったのだろうと勘繰れるが。

 本人だけが、自分の思想に気付いてやれなかったのだ。


「それは……そうだとしたら、少し悲しいな」

「ま、他人からじゃどうしようと本音までは辿り着けやしねえんだ、あんま鵜呑みにするなよ」


 一応は結に不確定を言っておくが、雫はあまり聞いた風もなく考え込む。

 いや、それは考え込むようでいて、自分の理念には通らないマッドの理屈に戸惑っているようにも見えた。戸惑って迷う、迷子の子供のように見えた。

 羽織は、また巨大なため息。


「考え過ぎんな阿呆。

 人間はな、大切な誰かを失くすと、どっか狂うんだよ。自分でも気付けないほど微細な狂い方かもしれないし、人生が転覆するほど狂っちまうかもしれねえ。でも人それぞれ絶対にどっか狂うもんだ。

 マッドは、人よりその狂い方が狂ってただけだろうよ――結局はそんだけだ。螺子が外れたひとりの男の哀れな末路、他に奴を評する言葉なんざいらねえのさ。根っこからしてお前とは違う、納得も理解も無理にする必要はねえ。同情なんて、するだけ無駄だ」

「……。なら、貴様は」

「さて」


 はぐらかすように肩を竦めて、自分のことだけは黙秘する。そのスタンスに変わりはなし。

 挑むように睨みながら、雫はその緩んだ表情の先にある何かを見抜こうと苦心するも――唐突に気付く。

 あれ――もしかして、気遣われた?

 今の話の流れは、もしかして雫を気遣ってのものだったのではないか。これが羽織でなければそう言う風に捉えることもできただろうが、羽織であるからおかしい。

 羽織が、雫に気を遣う? 

 またまたご冗談を。まさか、そんなはずがあるわけがないじゃないか。

 思いながらも、視線がより鋭くなっていることに雫自身は気付いておらず、そしてやはり、羽織の顔色からはなにも見抜くことはできない雫であった。








「ま、こっちはこれで片ついたかね。

 後は懸念をひとつ――いや、ふたつほど片付けてくるか」







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