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第四十六話 終幕と







「――で、どうするよ、マッドサイエンティスト」


 倒れ伏したリクス、消え去った紛い物、気絶中の春。羽織は順々に視線を向け、最後にマッドへと眼光を絞る。このゲームの主催者にして、最後に残る白衣の黒幕。

 羽織は唇の端を歪め、酷く悪者のような表情を作り上げる。


「自慢の娘は転がって、こんなこともあろうかと用意してた隠し玉も消し飛んで――あとは身ひとつのてめえひとりだけだが?」

「……っ」


 わかり切った問い。ほとんどを嫌味の成分で構成された、敗者をなぶるような言葉。

 どうすると問われても、マッドにどうしようもないのだから。

 ヒトガタも紛い物も失った――それは手足をもがれたようなもの。

 どれほど賢明な頭脳でも、手足なくばなにもできやしない。全てを操る演出家も、手駒なしにはなにもできやしない。

 なにも、できやしない。


「くぅぅ!」


 呻く声は無力感のあらわれか、はたまた屈辱に焼かれる者の憎悪か。

 どうにせよ、羽織にとっては同じこと。小剣を手元に転移し、わざとらしくぷらぷら揺らす。脅しつけるように、楽しむように。

 すると、浴衣が羽織をとどめるように先んじて声を張る。


「マッドさん、もうやめにしましょう。もう全部、終わりにしましょう」


 多大な同情を込めて、心底からの悲哀を乗せて、当たり前の優しさを交えて、言う。

 それは降伏勧告。

 こうなってしまえばもう止まるしかないはずだ。もう止まるしかないほど、マッドは打ちのめされているはずだ。観念する他に選択肢など残されていないはずだ。

 弱みに付け入るようで気は進まなかったが、それで止めることができるのなら構いはしなかった。手段を選んでいられるほど、マッドの狂気は生易しいものではない。

 浴衣は嘆願のような勧告。

 決して上からの命令にならないよう、威圧的な物言いにならないよう気をつけた言の葉は。

 しかし、聞き入れられることはなく。


「やめるだと? 終わるだと? ふざけるなっ! 私はやめない、絶対に終わらない。私は私を続ける! 誰が否定し、誰が侮辱し、誰が泣こうと、私は私でしかないのだから!」


 この期に及んで、まだ止められないという。戦力を失い、その上で降伏を勧められ、それでもマッドは終わらないという。

 ぐいっと浴衣の腕を掴み、切迫した声で叫ぶ。


「こちらにはまだ人質がいる! 私は終わらない!」

「おいおい、本気でそんな下っ端みたいなことすんのかよ……」


 評価だだ下がるぞ、おい。羽織は巨大なため息を吐いて、頭痛を堪えるようにコメカミに手を置く。

 とはいえその目からして本気なのだろう。どんな無様をさらしても、諦めることを拒絶する決意が、マッドにはある。

 それは一般的には美徳とされるべき特性なのかもしれないが、なんにせよ決意の硬度が高い奴は厄介。

 どれほど言葉を駆使しても、雫の真っ直ぐさを見せても、浴衣の誠意をぶつけても、マッドの確信は揺れない。納得できない、しようとしない。

 それほどに強固極まる信念を突き立てているのであり、なにより科学者であるから確たる論拠がなければその確信は微動だにしない。

 こういう奴は信念が折れない限りは往生際が悪い。足掻き止めない。根本から叩き潰さないと終われないのだ。

 ならば――

 羽織はつぃ、と視線をマッドから横にずらす。己が主へと、視線を移す。


「……浴衣様」


 ならば。


「私に「本当は死んだ人を生き返らせることができるんじゃないのか」と、問うて下さい」

「――え?」


 根拠を示せば、それでいい。

 それで根本を突き崩す。足掻きが無駄であると証明してやる。往生際を、きっちり教えてやる。

 いきなり水を向けられ、浴衣は戸惑いからか口ごもる。

 そこに、いつもの羽織なら助け舟のひとつでもいれそうなものだったが――というかマッドの逆上の時点で助けをいれそうなものだが――今に限り沈黙を選んだ。

 咄嗟には誰も羽織の言葉の意味を解せないでいたが、そのうちにマッドは意図に気付く。ひとつの原則を思い出す。


「羽織、君は……」


 そう――羽織は主に嘘をつけない。いや、正確に言えばつかないというほうがいいか。

 すなわち、その質問が浴衣の口から羽織に送られた場合、返す言葉は嘘ではないということになる。

 嘘ばかりの羽織の、それは数少ない本当。

 ――羽織が自分から言えない事実、それを浴衣の手を借りて述べようとしている。

 遅れて気づき、雫の視線も自然と浴衣に注がれることとなる。そして浴衣自身も気がついて、数瞬だけ悩み、すぐに瞳に決意を宿す。

 羽織がそう決めたのならば、浴衣はその意を汲もう。そう思った。


「羽織様、あなたは本当は……死んだ人を、生き返らせることが、できるんじゃ……ない、ですか?」


 たどたどしいのは、少しの恐れ。

 もしもここで。

 もしもここで是などと返されては、それは大きな隔たりを突きつけられるようなもの。

 いつも隣にいてくれていた人が、突然に遠く離れてしまうような、そんな嫌な感覚を覚えるだろう。

 それが怖い。

 とても、とても。

 とても怖い。

 それでなくても羽織は、ことあるごとにどこか余所余所しい仕草を見せることがあるというのに。踏み込めない一線を引いているというのに。

 またさらに離れるだなんて、そんなのは嫌だ。大事な人に手が届かないなんて、それはこの世で一番の恐怖だ。

 羽織はそんな不安そうな浴衣に向けて優しげに微笑みかける、大丈夫だというように。

 ――羽織は、主には嘘をつけない。


「――いえ、できません」


 だから、これは紛れもない羽織の本音に違いなかった。

 浴衣は思わず安堵に息を零すが、


「ばっ、馬鹿な! そんな馬鹿な!」


 それを聞き、マッドは冷静さを欠片として残さず慌てふためく。拒絶に声は跳ね、狼狽に息は弾む。


「君は、そんな……何故、何故、何故? いや、やはり嘘? だがそれでは羽織がここに居る理由が……だが、だからって、それは、いや、否否、どういう、どうして、どんな……?」


 噺家殺すにゃ刃物は要らぬあくびひとつで即死する、という言葉があるが。

 それに則れば、科学者殺すには矛盾のひとつでもあれば充分なのかもしれない。

 マッドは巨大な矛盾に苛まされ、死んでしまったように苦しげな悲鳴を漏らした。





「……」


 激しくうろたえ転げているマッドを横目に、雫はなんだか冷めた調子で傍観していた。

 羽織は主に嘘を吐かない。

 そう。それは確かに前提的な事実だ。既に証明の済んだ方程式だ。

 自分の能力が狙われていることも承知でこんなところにまで乗り込んできたあたり、その忠誠心も本物だろう。

 だが――雫は、その前提が絶対のものではないことを知っている。前提であり事実であるが、それでも絶対にまでは達しないということを知っている。

 主にさえも能力のことを語りたくなかったという羽織。


 ならば、この返答もまた――真実と言い切れるのか?


 わからない。わからない。

 本当に、できないことを証明するのは難しい。

 雫は周囲から乖離してしまったような不思議な感覚にとらわれ、なにかを口にするような猶予は少しもなかった。





 羽織はさらに言い募る。どこか思いつめたような、暗澹たる口調で。


「てめえの本音暴露に礼を払って、本当を言ってやるよ」

「な……に?」

「何故と問うただろうが。答えてやるよ、確固たるそれができない理由をな」

「!?」


 理由、だと?

 そんなものがあるというのか。

 認識とは基本的にどうしても無意識に因るもの。そこに説明できるような理由があるとでもいうのか。

 羽織はそういう疑惑も無論に承知で話を進める。いいから聞けとばかりに。

 とはいえ本気で言いたいことではないのだろう、若干以上の躊躇いを交えながら、あくまで羽織は淡々粛々と語り上げる。


「おれは概念を転移することができる」


 万なる事象、現象、心象、具象、抽象区別なく、あらゆるあまねく転移させる羽織の魂魄の形。

 だが。


「だが――生命に関する概念はダメだ。軒並みダメだ。生とか死とか、そういうのは無理なんだ」

「それは、道理に合わないだろう。万象とは――あらゆる全てという意味のはずだ。そして君は君の能力のことを『万なる事象、現象、心象、具象、抽象区別なく、あらゆるあまねく転移させる』と認識しているのだろう? ならば生死の概念が除かれるのはおかしいじゃないか」

「かもな。

 だが、

 だけど、おれには――おれに“だけ”は無理なんだ。おれには、その認識ができない。できるわけがないと、魂の底から思ってしまっている」

「だけ、だと?」


 雫もやや興味を示して、乗り出すように気にかかる点を突く。

 いい点に着目したと羽織は深く頷き返す。


「他の誰かが同じ能力をもっていれば、確かに万象なんて曖昧広義な定義だ、できたかもしれねえ。だが、この能力を持つおれが、おれだけが、できないと――万象の定義には、生死の概念は入らないと思っちまってるんだ」

「だから、何故だい?」


 繰り返す言葉に苛立たしげにマッドは確信を問う。なんとも羽織らしくない、要領を得ない口ぶりがまた腹立たしい。

 引き換え浴衣や雫からすれば、羽織の歯切れの悪さが疑念を深める。このような羽織は、今まで一度として見たことがなかった。一体、なにを語ろうとしている?

 つきつめられた羽織はため息を吐く。そしてまたやはり逡巡して、それから視線を誰からも外す。遠くのなにかばかりを見つめて、ようやく意を決して自嘲のようにして言う。決定的な、言葉を編む。



「――おれは以前、とある人を生き返らせようとした」



「!」


 雫も浴衣もマッドも、その一言には電撃に撃ち抜かれる思いで驚愕する。

 羽織は自分への嘲り笑いを堪えるようにしながらも、消沈の体で言葉を続ける。まるで取り戻せないなにかを懐古するように。


「その人だけは死んでほしくなくて、この世のなによりも生きていてほしくて――おれの生の概念を転移しようとした。

 何度も何度も能力を行使して、何度も何度も死なないでくれと叫んだ。それでも、あの人は生き返らなかったんだ。おれは……死ななかったんだッ」

「そっ、そうか! 一度、確実なる失敗を犯したことで――」

「あの時に――最もできなければいけない時にできなかったことが、次の時にできるはずがないと。そういう思考回路が完成しちまったのさ」


 最上の失敗が、絶大な挫折が、羽織からその可能だったかもしれない認識を奪った。

 もしも、あの未熟な時代に突発的な強行を行わなければ、もしかしたら将来には可能だったかもしれない。だが、一度の失敗で不可能を魂の底に刻み込まれてしまった。もう二度と取り消せないほど深く、染み付いてしまった。

 それは時にある、魔益師の失敗のひとつ。

 充分に成長し、己が能力を強く信じた理想状態には可能であるはずなのに――小さな頃に、未熟で能力を十全に扱えていなかった頃に、犯した一度の大きな失敗のせいで、曲がってしまった能力の認識を永遠に変更できなくなってしまう。

 一言で言えば、トラウマ。

 認識により自己を改革する魔益師には、それは致命的過ぎることなのだ。


「お前がおれに言った言葉、そのまま返すぜ――『お前の認識ではありえないのかもしれない。それでも、おれはお前じゃあない』」

「く……ぅッ!」

「ま、あとは九条にもできない芸当がおれにできるわけがないってのも、入ってんのかねえ」


 自己分析的なことを羽織は呟いて、それからキッと視線を強める。


「どうだよ科学者、根拠は示した。理由は明らかになった、じゃあ納得するしかねえよな?」

「そん、な……」


 馬鹿な。そんな言葉さえ掠れ、確かな形とはなりえない。

 既に思考は真っ白まっさら。納得せざるを得ないとマッドの理性は観念し、だが感情はそんなわけがないと未だ抵抗を叫んでいる。

 矛盾の板ばさみに追い込まれ、マッドの思考はグチャグチャで、マトモに反論さえも返せない。

 その隙をついて


「浴衣様っ」

「ぁ……はいっ」


 浴衣に鋭く呼びかけ、マッドの手の中から離脱させる。

 マッドはほとんど呆然として浴衣になど気を払っていなかったので、振りほどくのは容易だった。無論に他の障害などありえず、浴衣は一直線に走り出す。


「羽織様っ」


 だきっ、と浴衣は勢いよく羽織に飛び込む。端整な鼻を擦り付けて、若干涙ぐみながら、浴衣は全力でしがみ付くようにして抱きつく。

 それをしっかり受け止めて、よくがんばりましたと頭を撫ぜる。不安を取り除くように、がんばりを褒めるように精一杯優しく。

 どれだけ気丈を振舞っても、敵地に孤独のまま放り込まれたのだ、本音はどうしたって恐怖ばかりだろう。

 羽織の体温を感じて、優しい手のひらに撫でられて、ようやく浴衣は本当の意味で安堵したのだった。


「不安にさせてしまって、すみません」

「いいんです、羽織様が助けにきてくれることは、知っていましたから」


 信じていた――ですらない。

 九条 浴衣は知っていたのだ。まるきり当然の当たり前の事実として、常識のように認識の前提として。

 どれだけの危機にあろうと、羽織が助けてくれると。

 羽織は一瞬だけきょとんとした顔を晒して、すぐにもう一度浴衣の頭を撫でた。

 本当にこの主様には敵わない。羽織はどこか誇らしげに微笑をたたえる。

 それから、一転。


「――さて」


 浴衣の安全を確認確保したことで最大値にまで余裕を回復。羽織はもう枷はないとばかりに、無造作に殺気をこめた小剣をマッドに突きつける。


「もういい加減おわりにしようぜ、マッドサイエンティスト」

「いっ、いやだ。いやだ! 私は終わらない、終わりたくなどないっ!

 私は私を続ける! 君がなんと言おうと、誰がなんと言おうと、私の夢は……絶対に終わらせたりなどしない!」



「――全く。まるでもなく、そのまま子供の駄々ね。見苦しいにも程があるわ、本当に無様」



 声は、途轍もなく自然に入り込んできた。

 まるではじめからその場に同席していたように、元から会話に混ざっていたように、誰の違和もなくごく自然に滑り込む。


「あなたが自分で止まることができないというのなら、いいでしょう。私が止めてあげる」


 羽織も雫も、だから反応が数瞬も遅れた。二言目が言い終わって、ようやく別の誰かの介入に気がつき身体ごと振り返る。声の方向に焦り視線を遣る。

 そして――


「――死になさい」

「なっ!?」


 ずぶり、とマッドの胸に刃が突き刺さった。









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