第四十三話 乱戦
春原 春という馬鹿――もとい、思考能力が少々乏しい男が、なぜ媒介技法などという高等技術を修得しているのか。
彼の家系は別に歴史ある魔益師の一族というわけではないし、そこまで知識の深い者を師と仰いでいるわけでもないのに。
なぜ、魔益師にとっての裏技たる媒介技法を扱えているのか。
それは彼の単純さと、なにより強固な信念による。
春原 春は、人に自分が何者かと問われたら、常に剣士であると答えることにしている。
魔益師ではない、退魔師ではない――己は剣士であると。
そのため春は、魔益師としての力を意識的に使っていないのだ。
剣士なのだから、剣と自分の身体以外に何がしかを武器とするなど考えられない。
魂魄能力? なんだそれ。そんなものは剣士に不要だろう。春にとっては、魔益師の魔益師たる所以とも言うべき魂魄能力さえ卑怯な外法以外に思えないのだ。
実際、幾度も戦闘というか喧嘩をしている羽織でさえ、春が魂魄能力を使用したところを見たことがないし、どんなものかさえも知らない。
剣士であるという誇りから、魔益師である自分を封じこめているのだ。
しかし春がいかに意識的に能力を封じようとも、魔益師であるという事実はどうしたって覆せない。
そう、魔益師である以上は認識によってその力が左右されることとなるのだ。
春の自己認識と役割認識は、その信念の強固さから他の魔益師とは桁外れの強度をもち、春を強くしている。
それはまあ、春も流石に割り切って恩恵を受けている。剣士であろうとすることと、魔益師である自分を否定することは違うと心得ているのだ。
意識できる部分は封じ、無意識な部分は活かす――春のスタイルはそんな感じだ。
意識できる部分を封じる――そのため春は具象化さえも拒む。具象武具さえも扱わない。
だから、その剣は圭也に特注で創製してもらったもの。それを長年のあいだ愛用し、愛剣としている。
ここが焦点だ。
春は、具象化を使わずに通常の――圭也製作なので具象武具並みの強度と威力を保証されてはいるが――剣を愛剣としているのだ。
そしてそうして、その剣だけを握り戦い、戦い、戦い続けた。あくまで剣士として、刃だけを友として。
そうしていると、やがてその崇高なる信念に魂が応えた。
ある日突然、愛剣が強くなったのだ。それはいつも握っていた春には感覚で理解できたし、魔益師の本能で把握できた。
この剣には、遂に魂が宿ったと。
そう、媒介技法だ。
常時ともにあり、いつだって生死を預け、握っていないと逆に違和感をもつほどに一体化して。
何時の間に――剣が、春原 春という存在の一部に、半身になっていた。
そうした経緯で技法を取得したため、春はその現象の名前さえ知らなかった。媒介技法などと、羽織に出会うまで聞いたこともなかった。
ただ結果として剣に魂が宿るようになり、それで愛剣が強くなった。ラッキー。それだけである。
春原 春には、それで充分なのだ。
「だらァ!」
春は裂帛の気勢を上げる。
鎌のように大剣を横薙ぎの一閃、羽織と紛い物を同時に斬り殺しにかかる。
羽織はリーチを読みきり二歩分退いて避ける。紛い物は右の小太刀で受け――
「らァァアッ!」
砕かれる。すぐに二本目の小太刀が受け止めたため損傷は軽微。そしてすぐに右の小太刀を再生、春に斬りかかる。左手を離し、春は小太刀を柄で受け止める。
「壊してもすぐ直すんじゃ意味ね――」羽織の小剣襲撃。「――って、ぅお」
春は力を抜いて紛い物にわざと押され、その力を使ってバックステップで回避。
代わりに紛い物はナイフを三本、コメカミ辺り、右肩、脇腹に突き刺さる。
「不意討ちか! 絶妙に卑怯な奴だな!」
「乱戦に不意討たねえ奴なんざいるか!」
「カタカタ!」
春はこれ以上、不意討たれぬように今度は羽織に向かって斬りかかる。すると紛い物も敵を求めてついてくる。
ふたりの敵をまとめて捌かねばならないのは辛い。
サシはどんどん上達しているが、乱戦はまだまだ経験不足だろう雫には向こうをやらせてよかった。
羽織は片隅でそんなことを思いつつ、春の斬撃に備える。
思い浮かべるは回避の極意。
――攻撃の誘導。
――回避の先だし。
浴衣に体術を仕込んだのは羽織である。
そのためというか、当然ながらというか、羽織もまた回避動作が酷く巧妙で洗練されている。
さらに言えば羽織は浴衣とは違い、具象武具が纏うタイプなので“攻撃を受けてもいい箇所”が存在し、よりダメージをもらいにくい。
とはいえ、だが、羽織は浴衣のように回避にだけ専念し、傾倒し、偏向することはできない。自分から攻めなくてはならないのだから、集中と注意の割り振りが些か繊細となる。
現状、春の直線的だが技巧的な斬剣舞と紛い物の我武者羅な乱剣を前に、羽織は回避に七割、攻め手に三割を割り振っている。
ふたつの脅威の刃三本を前に三割も他ごとにあたれるのは、これが乱戦だから。
春とて紛い物とて、羽織だけを狙っているわけではない。平等、とは言わないがほとんど均一に敵手ふた方にも攻撃を繰り出しているのだ。
一方を攻めればもう一方に攻められ、一方を防げばもう一方に追撃される。全くどちらも攻めてこない時もあれば、ふたり同時に攻め立てられることもある。
羽織はこの乱戦状態を脱しようと後方に跳び退きたがるも、それを気取り春が邪魔をし、紛い物がその両者に刃を剥く。
丁々発止の剣剣拍子。
三者三様剣術で敵を仕留めんと斬り結ぶ三つ巴は、まだ終わりそうにない。
「つーか、春てめ! 刃向ける方向間違ってんだろ! 魔益師なら魔害物をまずなにより優先して倒せや!」
「阿呆! 俺は魔益師じゃねえ、剣士だ!」
「だぁもう、なんでバカのくせに口ばっか達者なんだよてめえ!」
「バカじゃねえからだよ!」
「ああ、大バカだったな、間違って悪かったな!」
「だったらてめえは超バカだな!」
叫びつつも春の刺突を構えの段階で左に逸れてかわし、結果的に紛い物から見れば羽織より春が近くなりその双刃を向かわせる。春は刺突の勢いに乗り身体ごと前に移動、腕を引き戻す勢いで肘を紛い物の顔面に。
手透きとなった羽織は適当な方向に小剣を三本ほど投擲し――肘うちに仰け反る紛い物の後頭部に二本、春の首元へ一本――転移。紛い物は気にした風もなく刃に突き刺さりつつも羽織に増殖させた腕を飛ばす。春は膝を落とし小剣を噛み掴み、即座に吐き出すようにして羽織へと吹き矢のごとく投げつける。羽織は春に投げられたナイフを転移し紛い物の腕へと突き刺しやり過ごす。
「ちィ!!」
――あぁもう、鬱陶しい!
思考の中で、羽織は叫ぶ。
なんて面倒な戦いだ。あっちに気遣い、こっちに気遣い、一方に気をやりすぎても抜きすぎても不味い。微妙な集中力の割り振りが面倒極まりなかった。
などと悪態をつく羽織だったが、実は乱戦形式に最も救われているのは当の羽織である。元より羽織の現在の地力では春には敵わず、紛い物にも届くかどうかというところ。故に戦力的に考えて現状、最も戦力に劣っているは羽織に他ならない。それがこうして渡り合えているのは、やはり乱戦だから。羽織は理解していたが、神経をすり減らすことで積もる鬱憤はどうしようもない。
とにもかくにも、こうなった以上はできれば春と紛い物の相討ち共倒れを狙うべきだろう。だがそう上手くはいくはずもなく。
どうする――ひとつ思い浮かぶ。
羽織は攻めを捨て回避に七割、そして思いつきのための下準備に三割を割り振った。
ブゥオン、と鈍い風切り音が無骨な銃身から響く。
リクスは巨大銃砲をまるで鈍器、というか棍棒のように扱い振るい雫と対峙していた。
これがリクスの近接戦闘法らしい。
具象武具が巨大銃砲ということでよく勘違いされることだが――雫も今の今まで勘違いしていた――リクスは接近戦も充分にこなせる魔益師だった。
彼女の魂魄能力“爆撃の生成”はなにも弾丸にのみ有効なわけではなく、同じく具象武具である“銃身”からも爆撃を生成することが可能。
よって全長二メートルもある棒状の大砲を巧みに操り、敵に叩きつける。触れた途端にそこを爆撃、敵を討つ。
それはまるで拳銃で行うガンスピンのように重さを感じさせず、また洗練された杖術の舞を見ているように鮮やか。
ガンプレイと杖術を掛け合わせたような独特の戦技だった。およそこれは具象武具がああいう巨砲で、なによりも強化処理を受けたリクスのみにしか為しえないバトルスタイルだろう。それが実戦に通用する域にまで達していることは正直、驚愕を禁じえない。
またさらに別の選択肢として、当然に引き金を引き弾丸をブチかますことも可能なので、受け手としては対応が複雑で厄介となる。
だが、雫は難しく考えることはしない。とりあえず近付いて斬る。そのくらい単純のほうが雫には合っているのだ。
「ふ――」
短い呼気は踏み込みと同時。
雫は脇から引き抜くように片手で刃を振りぬく。リクスは絶妙な位置を踏み、間合いから外れ鋭刃を危なげなく回避。
だが風が飛ぶ。振りぬく刃が空気を揺らし、刀が届かぬ位置のリクスを襲う。
事もなげにくるりと銃身を回転。風刃なぞは容易く砕く。そのまま回転の力を利用して、リクスは払いのけるように銃身を振るい薙ぐ。
刀には届かぬ間合い、風の斬撃には届く間合い、そして巨大銃砲も届く、やはり絶妙な間合い。
雫は薙ぎ払いを受け止めるわけにもいかず――受けた場合、爆撃されて受けた刀が腕ごと吹き飛ぶ――必死でスウェーバック。
ただでさえ強化された腕力から繰り出す一撃は速いというに、遠心力までもが伴われては通常かわし得るものではない。
のだが、雫はどうにか避けていた。
何故。考えるよりも前へ。
雫は間合いを潰さんと大股で移動。もはや体当たりの勢いで突っ込む。リクスは近寄るなとばかりに大砲を振り回し雫を牽制。雫は目を細め、手首を回す。微風を起こし、リクスの銃へと纏わりつかせる。風の鎖が行動を阻害する。
無論、そんな鎖など強化された筋力により引き千切られるが、隙は作った。
「勢ッ、刃ッ、討ッ!」
刹那の三連斬。
リクスは一撃目を銃身で受け、二撃目で肩を裂かれ、三撃目は回避が間に合う。
「……っぅ」
「逃がさん!」
跳び退くリクスを追い、雫はどこまでも前進する。
――いける。
雫はリクスと戦うその最中で、意外さを込めてそう思った。
初回――学園の屋上で少しだけ争った時には、中々勝ち目の薄そうに見えたリクスだが、何故か今はそこまでの脅威とは感じないのだった。
外部の風を奪い取ることができるとアピールしたのが大きかったのだろう。雫はそう考える。
それによりリクスは下手に迂闊に引き金を引けなくなったのだ。
もしも弾丸を放ち、避けられたら、また爆風を奪われ大技を決められてしまう――リクスはそう危惧している。否、せざるをえない。
先ほどの激突で、リクスも威力では同程度の攻撃を放てるだろうが、それは何度もできる芸当ではあるまい。あれほどの高出力だ、かなり魔益を消費して放った一撃だったに違いない。
対して、雫の風はほとんどが外部のもの。消費魔益はリクスと比すれば随分と低コストと言えた。
これでは最大攻撃の撃ち合いになった場合、どちらに分があるかは一目瞭然。
だからこそ、リクスが射撃を再びするならば、直撃を期したその瞬間だけ。
そしてそれがわかっていれば、雫は隙を見せずに離れすぎずにいればよい。それで相手の射撃は封じられる。後は接近戦で決着できる。
リクスが杖術にも似た近接戦闘ができたのは驚いたが、それでも流石に本職たる雫には劣る。
この一戦、充分に勝機のある戦闘だった。
また、目に見えない部分でも、雫には有利がふたつほど存在していた。
ひとつは雫が新たに獲得した役割認識――“己は刀である”というもの。この認識により、技のキレや動きなど身体能力がやや上昇しているのだ。
とはいえ役割認識は認識の中でも自己改革度合いは低いので、確かにあったリクスとの差を埋めるには至らない。
それよりも、その認識の微細な上昇よりも、その認識自体が重要なのだ。
活殺自在の刃であるという認識が、雫の人殺への恐怖を和らげている。
屋上での斬撃は、やはりリクスが人間であるということで迷いがあり魂が弱まっていたのだ。
だが、今回は違う。
認識が固まったことで覚悟が据わり、斬撃に迷いは薄れた。
そのためあの時にはだせなかった本来の実力の全てを、雫は出し切っていた。
二つ目は……これは雫のあずかり知らない話だが――リクスには、小さな翳りがあった。
迷いとも呼べない、些細な気がかり。だが確実に存在する黒点、いや白点。
それは浴衣の存在だ。
浴衣の言葉に、リクスという存在の根幹が揺らいでいる。気付けぬほどの微震を生じさせている。
それがリクス本人も気付かない内に作用し、その性能を低下させているのだ。
――これこそが、魔益師同士の戦いの妙。
瞬間瞬間の感情が、ささやかな一言が、自覚ない無意識が――その戦況の明暗を天地がごとく分け隔つ。
この勢いのまま畳み掛ける!
雫がさらに刃を加速させ、ようとした時に。
――雫。
声が、聞こえた。