第四話 ふたり目の主
話は纏まって。
先ほどの話は、羽織が知り合いの九条に言伝を頼んでおいた。羽織自身は一応当主直々に世話役を申し付かっているので、動くわけにはいかなかったのだ。
まあ、言伝した九条の者は血相変えて当主に報告に向かったので、程なくしてその情報は九条家――引いては条家全体に伝わることだろう。
忙しくなりそうだ。
羽織は静かに布団で休む雫を眺めながらぼやいた。
眺めていて数十分、不意と「あれ、世話ってなんかすることあんの?」と今更思いついた。雫は寝てればいいだけなので、世話なんて必要ないんじゃあ?
羽織は退屈と静寂の中で疑問を弄びだす。
と。
そんな静寂を破る、たたたっ、と廊下を小走りする音が響く。
歩幅の狭さで、羽織はそれが誰だか把握した。寝付けなかったのか雫は布団から半身だけ起き上がり、ただ首を傾げる。
そうしている内に足音はこの部屋の前で停止、声がフスマ越しに投げかけられる。
「羽織さま、いますよねっ!」
「はい、いますよ。どうぞ入ってください」
元気一杯の呼びかけに、羽織もにこやかに返す。使用人モードと化していることから、雫は声の相手が九条の上の方の人間だと思った。
了承を得て、声の主はフスマを勢いよく開き、その姿を現す。
それは可愛らしい――同姓の雫の目からみても、本当に可愛らしい少女だった。
見たところ年のころは十三、四か。墨を垂らしたような漆黒色の髪は非常に長く、手入れの成果か艶やかだ。黒曜石の瞳は大きく、顔立ちは幼げ。清楚な雰囲気を放つが、愛嬌もあり親しみやすそうではある。目をひくのは身にまとう和服。浴衣のような淡い色の着物で、それがとても似合う。
――ちなみに、九条家は基本的には和服を好むが、他の条家では別段そんな傾向はない。
少女は花咲く満面の笑顔で、羽織に向かって駆け出す。
「羽織さまーっ!」
だきっ、と少女は羽織に抱きつく。
羽織は困ったように、けれどしっかり小さな身体を受け止め、苦笑を零す。
「浴衣様、いけませんよ。女の子がそんなに無防備に男に抱きついては。まして私は使用人です」
「ぶぅ。いいじゃないですか、羽織さま」
拗ねた表情で、少女はけれど羽織から離れない。
子猫のように身を預け、力を抜ききった少女の様子から、羽織に全幅の信頼をおいていることがわかる。
羽織も羽織で満更でもないようで、優しげに頭を撫でている。
「えへへ」
「…………」
そんなふたりの傍らで、取り残された雫はどうすればいいのかと固まってしまう。
話しかけてもいいのか。というか羽織の態度変わり過ぎ! と突っ込んでいいのか。雫は悩む。
思案の内に、羽織に抱きつく少女の大きな瞳が、先に雫を捉えた。
「あっ、あなたが母様が言っていた加瀬さんですね」
「母、様?」
それは、まさか。
「はい。わたしは九条 静乃の娘、九条 浴衣と申します」
流石に羽織から離れ――名残惜しげに、だが――浴衣は丁重にお辞儀した。
その内容に、雫は瞠目。
「では、九条家直系ということか」
「そうなりますね」
なんということもなく、浴衣は肯定した。
しかし雫にはなんということもなく、とはいかない。
というか九条 静乃は子持ちだったのかー、というのも驚きだったが、そうではなく。
直系。
条家では血筋により力を受け継ぐのだから、その血の濃さで能力の質が変わるのは当然である。
そのため、傍系たちよりも、やはり当主直系のほうが能力は優れており、伝統的に立場も上とされている。
傍系でも他とは一線を画すというのに――まあ、羽織が畏まった時点で予測はできていたが――直系とは、随分偉い立場の人間が登場したものである。
偉い――という言葉は、実質そぐわないのだが、条家ではない魔益師たちにとっては共通意識だった。
魔益師たちの中で、条家とは本当の意味で名家だからだ。喩えるなら、貴族と一般人のような感覚で畏怖されている。
雫も例に漏れず、浴衣に対して緊張してしまう。
だが浴衣のほうは一切気にせず、気さくに話しかける。
「その制服……加瀬さんも、わたしと同じで嶺盟学園の生徒なんですね」
嶺盟学園。ここらの地域では最も大きな高校だ。
雫の着用する制服は、その嶺盟学園のものに相違なかった。
「えっ!? おっ、同じで? ということは、九条様も嶺盟の?」
「はい、わたしは一年生です。加瀬さんは何年生ですか?」
二重の意味で雫は驚いた。
九条の直系がまさか普通の高校に通っているという事実にも。
この幼げな容姿で高校生であったという事実にも。
声に驚きが伝わらないように努めて、雫は手短に返答する。
「私は二年だ」
「あっ、じゃあ先輩ですね」
ぎこちなくも、雫は会話を進めていく。
浴衣の人当たりのよさにより、雫も徐々に緊張がほぐれていた。
「それにしても、九条様が同じ学園にいたとは、知らなかったな」
「あの先輩。様なんてつけなくていいですよ? あと、九条じゃあ母様や他の九条家の人たちと混同しちゃいます、浴衣で構いません。この名前、すっごく気にいっていますし」
「む、そうか? 助かるよ、浴衣。私も様づけで人を呼ぶのは慣れていないんだ」
「ソッコーで呼び捨てってのも、失礼だがな」
ぼそり、と羽織が囁いて。
浴衣は花花しい笑顔で首を振る。
「いえ、いいですよ、羽織さま。わたしは呼び捨て嬉しいです。できれば羽織さまも呼び捨てしてほしいくらいです」
「使用人ですから……主にそんな口のききかたはできません」
「ぶぅ」
口を尖らせて、浴衣は不満を表現する。
それでも、認めたただふたりの主には――羽織は本心から忠を尽くしていた。そのため呼び捨てなどもっての外だ。
知ってか知らずか、よそよそしい態度に浴衣はぶぅたれながら言い募る。
「呼んでくださいよー」
「ダメです」
そんなやりとりを続けるふたりに、雫はなんとも形容しがたい表情となる。
少しだけ迷って、でもやっぱりこれは聞いておくべきだと判断し、思い切って言葉をぶつける。
「……なぁ、羽織」
「あ? なんだよ」
浴衣の頭をまるきり自然に撫でながら、羽織は雫に顔を向ける。
立派な成人の顔した羽織が、高校生とは思えぬ童女な浴衣の頭を撫でている。
雫はその様子にまた言いよどみ、戸惑って、目を閉じる。暗闇の中で決意を固めて、瞳を開いたと同時に極めて真面目な声音で問う。
「貴様は……ロリコンなのか?」
「ぶっ殺すぞっ!」
即座に羽織はブチ切れた。
あまりにあまりの発言に、冷静でいられるはずがなかった。
だって、と雫は直視できないとばかりに、視線をそらしつつ言葉を続ける。
「なんか……すごく懐かれてないか? それに、貴様も満更でもない様子だし」
「……そうか?」
羽織はすっとぼけるようなことを言ったが、全く意味をなしていなかった。浴衣の懐き具合は、一目瞭然と言えた。
使用人と主の娘、というには仲が良過ぎる。てか、どこの世界に使用人に抱きつくお嬢様がいようか。
それに答えたのは、何故か浴衣。
「はいっ、わたしは羽織さまのことが大好きですっ」
「……羽織」
この好感度は尋常ではない。まさかもしや、この幼い主の娘に手を出したんじゃあ――雫は睨むように問いただす。
どう答えたものか、羽織は怒りを抑えて平静な対話を試みる。ここで心乱しては肯定するようなもの――羽織は全霊の力で感情に制動をかけていた。
「あー、なんというべきか。まずよ、おれが九条家の使用人になったのは十六年前なんだが――」
「は? 十六年? 貴様、年いくつだ?」
外見は、どう見ても二十歳かそれより下。それではこの屋敷に来た時の年齢は子供ではないか。それで、使用人とはどういう――
「細かいことは気にするな。いいから、話を続けるぞ」
「む……むぅ、仕方ない」
納得はできないが、問うたのは自分なので、話の続行のために雫は頷いた。それに、おそらく羽織にそっちのことを話す気はない。というか言いたくないのだろう。追求しても口の上手い男、はぐらかされるのは目に見えていた。
羽織は、素直な態度にひとつ頷いてから続ける。
「それで、その時の当主、つまり浴衣様の父は、浴衣様が生まれてすぐになくなった。で、親代わりとしておれが育てたというわけだ」
ちなみに名前も羽織と似せて、衣装シリーズで浴衣になったらしい。
いや何故だ、と雫は思わないでもなかったが、まあ親があの親、と無理に納得した。
ふと、雫は浴衣の前言を思い出す。
「そういえば、名前は気に入っていると」
「はいっ、羽織さまと同じですから」
輝く微笑みに、歓喜が満ち満ちており、浴衣は再び羽織に抱きついた。
正直、雫には羽織の説明とこの光景に、違和感を覚えざる得なかったが、もう黙ることにした。賢明な判断といえよう。
羽織はそんな雫の態度に頬を引きつらせ、しかしなにも言えなかった。浴衣の醸す雰囲気のせいで、羽織の言葉はあらかた説得力を失っていたのだ。
なので羽織は雰囲気を一掃しようと目論み、話を変える。
「そういえば浴衣様、どうしたんですか?」
「え?」
「いえ、その……わざわざ訪ねていらっしゃいましたので、なにか用があるのかと思いまして」
「ああ、そうです!」
今、思い出したように、浴衣は雫を向く。
視線がきて、雫は思わず居住まいを正す。
「母様が、全条家に総会を要請したそうです」
「なっ、総会ですかっ!?」
羽織が驚きの声をはさむ。
雫には驚きの理由がよくわからない。しかし、浴衣の強い視線で自分も無関係ではないということだけはわかる。
浴衣は続ける。
「はい、総会です。それで加瀬先輩、その総会に加瀬先輩も出席してほしいんです」
「私も?」
「そうです。武器を扱う魔害物について、条家十門の当主に語ってもらうために」
「十門の当主!? では、総会とは――」
雫の言葉を、羽織が継ぐ。
「総会ってのは、条家十門の当主全員が集まって開く、緊急会議のことだよ」
雫はあまりのことに、失神しそうになった。