第四十話 証明
――できないことを証明するのは難しい。
できることを証明するのなら、それを実演してみせてやればいい。誰もが納得するだろう。
だが、できないことを実演して見せても、半数ほどは納得し切れないのではないだろうか。
隠したくてわざと失敗したのではないか? 本当はできるのに、できないふりをしているのではないか?
そういった疑惑を払拭することはできない。
いくらできないと叫んでも、それは本人の弁でしかなく、どうしても客観性は宿らないのだから。
何度も何度も失敗を繰りかえせば、その内に渋々ながらもできないことを納得する人もいるだろう。
しかし、それでも疑いを続ける者も、この世には存在する。確実に確信し、いつまでも囁き続ける。
――本当はできるのだろう?
マッドは、正しくそういう輩だった。
「――できるわけがない」
返答を発しようとする羽織を押しのけて、何故か雫が断言していた。
「さっきから聞いていれば――馬鹿にするなよ」
「んん?」
何故そこで君が答えるんだい? と言いたくて堪らないような表情を見せるマッドだが、雫は気にもとめずにおし進める。
「死を甘く見るな。
死を軽く考えるな。
死を――馬鹿にするな」
それは鋭く硬質な斬り込み。
お前の戯言なぞは紙ほどに意味のないものだと、真っ二つに両断する。
「死んだ者を生き返らせるだと? そんな馬鹿げた行為で死を貶めるな。
生きた命を永遠にするだと? そんなたわけた行為で生を踏みにじるな。
死ぬってことは、そんな簡単で軽量なものじゃないだろう。生きるってことは、もっと重くて取り返しがつかなくて、どうしようもないものだろう。
それをどうにかしようなんておこがましいぞ、神にでもなったつもりか、大概にしろ!」
叫び放つ言葉はどこまでも雫の本音で、大量の反駁が込められていた。非難の思いがそのまま言語化しているかのように、雫は続けてすらすらと否定を叫ぶ。。
「言葉を必死に並べ立てて誤魔化して、夢だなんだと韜晦して装飾して見栄えを綺麗にして――それで正当化しているつもりか!
お前のそれは、夢などではなく単なる欲望だ。子供がオモチャを欲しがり望むと、本質的にはなにも変わらない。
つまりが、お前はただの駄々っ子だ。青空に手が届かないと泣き喚いている子供でしかない。、
そんな無茶を望んで、無茶苦茶を欲して、我武者羅に求め手を伸ばしても、決して空には届きはしないのだと弁えろ。
そうして届くはずもないのに手を伸ばして、そのせいで周囲がどれだけ被害を被ることになったか、科学者などという利口なおつむがあるなら考えたらどうだ!
なにかを為そうとするならもっと考えろ、もっと悩め、もっと苦しめ!
それを放棄し道理の通らぬ無理を押し通し、誰にも迷惑を降り注ぐことを厭わないだと?
ふざけろ! そんなザマでなせることなどなにもない!
まずはその幼さを自覚し、その身勝手を改めろ――話はそれからだ」
「……」
雫の捲くし立てた説教紛いの高らかな主張。否定の弁舌。
それは、きっと道理なのだろうけれど。
雫の主張は、怒りは、確かに正しく真っ直ぐなのだろうけれど。
けれど羽織の口からは絶対に言えないような正論で、怒りだった。口が裂けても言えない、そんな語群ばかりだ。
だって、それは羽織だって納得できないと断言できる論理だったから。絶対に、そんな理屈で曲げられない。改めろだなんて、不可能だ。
――誰彼に迷惑をかけようと、完全に個人的な欲望であろうと、果たしたいことがある。その点では、羽織はマッドに共感できるのだから。
羽織でさえもそう感じるのだから、
「……君は、真っ直ぐだねえ。呆れてしまうほどに、真っ直ぐだ」
マッドなどは一考にすら値しない。肩を竦めて苦笑する。
「だけど、それを向ける相手を間違えてはいないかい?」
「相手、だと?」
「そうだよ。高説は結構だけど、たとえばサルにシェイクスピアを語り聞かせても意味はないだろう? 億年かけてタイプライターでシェイクスピアを書き上げたサルといっても、ね」
「自らをサルと称するか」
「いいや、私は私だよ。私以外ではありえない、あらゆる他ではない私さ」
「……独りよがりが」
自分の発言の全てが響いていないことに雫はさらに眉を顰め、ならば届くまで言い聞かせてやると意地によって口を開く。
が。
それを塞ぐように、羽織は雫の口元をおさえこむ
「もういい、お前の説得じゃああいつはきかねえよ」
「もがっ……だが!」
「いいから。それにおれに対しての質問だぜ? おれが答えるのが道理だろうが」
その声がいやに冷えていたのは、羽織こそがこれ以上の正論を聞きたくなかったからなのかもしれない。雫の真っ直ぐさを、直視できなかったからなのかもしれない。
それでも雫は食って掛かろうともしたが、すぐに言葉の正しさを悟り押し黙る。拗ねてしまったように鼻を鳴らしてそっぽ向く。
確認してから、羽織は複雑な表情でマッドに向き直る。
そこにある感情は歓喜のみ。つまりが、自分の期待通りの答えがかえると信じ切っている。
その狂信には、もう呆れることしかできない。
呆れて、笑えて、哀れで。
「いいか、マッド、おれは、人を生き返らせることが――」
だからこそ、羽織は純然たる笑みをもって、
「――できねえよ、バーカ」
そう、答えた。
問いは長ったるく思想的、信念の限りをぶつけたような神妙極まるもの。
だというに。
返答は単調ひとこと。人を食ったように、嘲弄を満遍なくこめて笑い飛ばす。
どんななにを聞かされ、どんな色の感情をぶつけられ、どんな強固な信念を向けられても――羽織の答えに変化は微塵もありえない。誰ぞの主張で動くような軽量な精神は持ち合わせていない。
はじめから最後まで一部の違いも差異もなく、羽織の答えはただひとつ。
否であり、否でしかなく、否なのだ。
ここまできてのこの返答、信じるには足りそうなものだが――
マッドはため息をひとつ吐く。
「……ふう、やれやれ。やはり素直にはなってくれないか、仕方ない。リクス、やりなさい」
やはり、羽織の発言を迷わずに嘘と断定。リクスをけしかける。どこまでも、自分の解答しか信じない男だ。
命令がとべばリクスにも躊躇はない。瞬間で己が魂を編み上げ、武具を具しょ――急停止。
飛び来る鋭刃を咄嗟に受け止める。両手で二本のナイフを掴み取る。
「へえ」
具象化中の不意打ちにさえ対応するか。反応の鋭さに羽織は些か感心する。
「やっぱ一筋縄じゃいかねえな。しゃーね、雫、てめえは下がってろ、おれがやる」
「え?」
「おれがアイツを引き付けてやっから、お前は隙をついて浴衣様を助けろ」
「……私が引き付ける役じゃなくて、いいのか?」
先ほどの拗ねも忘れて物凄く驚いている雫に、羽織は残念そうにふーと息を吐き出す。
「お前にゃまだ荷が重い……」
言いながら、ナイフを四本ずつ両手に転移、計八本を握る。
リクスは一挙に攻めがくるかと警戒し、とりあえず握るナイフを砕いて――砕こうと――砕けない。
「っ?」
ナイフが砕けない。
以前ならば握力だけで――ヒトガタの強化された規格外の膂力によって砕くことができたはず。
それが今の握るナイフは、どれだけ力を込めて握り締めてもビクともしない。ヒビすらも入らないほどの頑強を見せる。
羽織は笑い声をあげる。
「はっ、砕けねえだろうがよ。今回のナイフは負けず嫌いが一層硬く創りやがったからな、てめえでもそう簡単にゃいかねえぜ」
造形師、藤原 圭也の面目躍如。というか意地の業。
よほど一度砕かれたことが悔しかったのか、新たに羽織に渡したものに圭也は念入りに認識を込めたらしい。意地にもかけて今度は負けないと、強い想いとともに創成したと言っていた。
……春には砕かれたが、あれは砕いた側も藤原製なのでノーカウントで。
虚をつかれたリクスに、羽織はナイフを一斉投擲。多重方向から一気に畳み掛けようとナイフをてん――
「ダメです、羽織さま!」
――い、が失敗した。
いきなり主から静止の声が入って、咄嗟に声に従っていた。慌てて発動半ばの能力をキャンセル。ある意味で、それはそれで高度な技能といえた。
転移しなかったために至極単調な一方向の刃八本、リクスは横っ飛びで回避する。
そんなことよりも!
「ちょっ、えっ、なんで止めるんですか浴衣様!」
「ダメです! リクスちゃんを殺しちゃダメです!」
「えっ、ぇえ!? 何故ですか、あれは敵ですよ!?」
「敵でも、リクスちゃんはわたしの友達ですっ」
「は?」
ともだち? 友だち……友達っ!?
友達だぁ!?
思わず、羽織は理解とともに激痛を訴えてくる頭を抱えた。
浴衣にとって友達という定義は実に広い。仲良く話せば、もとの立場など関係なくそれで友達と扱う。
だから、いきなり友達――いや、何時の間に何があってかは知らないが――だと主張するのは浴衣にはよくあることだ。よくあるし、慣れた発言だ。
なのだが、これは……これは厳しい。
この手の我が侭には慣れているつもりだった羽織も、これは渋面を隠せない。
友達だから殺すなという。常識的な見解だが、お願いだからもう少し戦況も考慮してほしい。
――殺してもいい戦いと、殺してはいけない戦い。どちらがより高度で困難かは言うまでもない。
急所が狙えない、一撃必殺が許されない、加減しなければならない。制約が多く、また殺せないことが敵に知れていては、敵も相応の態度で臨んでくるので厄介さが増す。
不殺とはよほどに大変な戦法と言える。
それもリクスほどの手練を相手になど、もう無茶振りといっていい。
羽織といえど音を上げるのは仕方がない、のかもしれない。
「いや、ちょ、それはキツイですって!」
「羽織さま、お願いします! リクスちゃんは自分で自分を止められないんです、どうかもう休ませてあげてください!」
「休むってのは殺すの比喩ですか?」
「違いますっ!」
願望の混じった素での発言に、浴衣は膨れて首を振る。
そしてそれから言葉よりもなお思いを伝達できると判じたのか、浴衣は思い切り真摯な瞳で貫いてくる。
リクスの戦力は考慮の上で、それでも羽織ならばそれが可能であると信じている。そんな目だ。
「ぅ……」
だから、そういう目には弱いんだって――羽織は膝を折った。
「わかった! わかりました! わかりましたよ! 主の命は絶対です! というわけで――雫タッチ!」
「え? ぇえ!?」
無茶振りをさらなる無茶振りの形で押し付けてきやがった!
「おれがやったら殺しちまうだろうが! だからお前やれ! おれが浴衣様を助けるから隙作れ!」
「私では荷が重いんじゃなかったのか!?」
「しゃーねーだろうが! 浴衣様がああ言うんだからよ! 大丈夫大丈夫できるできる、雫はできる子がんばる子!」
「喧嘩売ってるよな!?」
なんか思いっきり面倒ごとを投げつけられたみたいで――事実その通りだが――雫は納得いかず絶叫した。
絶叫して、頭を抱え――腹を括る。
だって。
だってまあ。
「……わかった、私が奴とやる」
「? 嫌に素直じゃねぇか」
「――まあ、私としては再戦できるのは嬉しいからな」
そう、雫はリクスにどうしようもなく一度負けている。返さなければならない借りがある。
浴衣を助けるほかにも、借りの返済も心残りだったからこそ雫はここまで来たとも言えるのだから。なればこそ、ここで戦えるのは行幸だ。
あの敗北だけは――あの屈辱だけはどうしてもそのままにしておきたくはない。雫のプライドにも賭けて、それは赦せない。
それに端から殺しを拒否している雫なのだから、別に浴衣の課した条件に文句も苦もない。
治癒してもらった身体を確かめるように手を開いて閉じる。そしてまた手を開き――具象化、刀を自然に握り締める。
一刀に治してもらったので体調に問題はなし。浴衣も目前であと一息と魂魄も揚々。ならば、後は全力をぶつけるだけ。
ス――とリクスに握る刃の切っ先を向け、雫は強気な笑みを刻む。
「浴衣を易々と奪われた屈辱、ここで返上させてもらう――いくぞ!」