第三十六話 集合
「あ? いねえじゃねえか、騙されたか?」
――三階の一番奥の部屋さ。
ジャックはそう言ったはずだが、見つけて扉を開いてみれば誰もいない。
上級ホテルの一室といった感じの部屋にあるのは、高級そうなベッドとか机とか椅子、テレビくらいのものだ。
とりあえず椅子や電化製品に熱が残ってないか確かめよう――とした時に、テレビがひとりでに映像を浮かべた。
『九条 浴衣なら、つい先ほど移動させてもらったよ』
「!」
マッド。
映像とはいえいきなり現れたマッドに羽織は一瞬だけ驚くが、そういえば先ほどもやっていたので驚くことでもないと気を静める。それよりも、つきつけられた言葉にこそ注目する。
「つい先ほど? じゃあ、もしかして……さっきまではいたってこと、か?」
『そうだよ。いやまさかこの部屋がバレてしまうとは思わなくて、それはもう焦ったけどねぇ。なんだか君の足が遅かったのが幸いしてどうにか私の部屋にまで移送できたよ』
「てことはやっぱり春馬鹿野郎に出くわさなければ間に合ってたかもしれねえってことかぁあ! クソ、最後まで邪魔しくさりやがって!」
いつもいつもホント絶妙にうぜぇ奴だなぁ! 羽織は腹の底から悪態をつき、それから死の祈りをしておいた。
――なにか死ぬほどどうでもいい理由で春原 春が呆気なく死にますように。
とりあえずありったけの憎悪を込めながら三回唱えてから、改めて羽織はマッド――の映った液晶画面に向き直る。
「けど、おれも上の階から下ってきたんだぞ、移動中の浴衣様に鉢合わせにならないなんてことは――」
『いや、エレベーターを使ったからね』
「……は?」
『九条 浴衣の移送にはエレベーターを使用したんだよ』
「……」
『私のビルでは止めてあったけど、こちら側のビルでは通常運行だよ?』
「しっ、しまった……」
演技とかでなく、本気の失敗らしい。声音が真剣に愕然としたものだった。
エレベーターは使えないものであると自然に考えて、こちら側のビルに入ってからも完全に視野から外していた。
なんて迂闊――大失態である。
そりゃこっちのエレベーターは勝手に止められないよな。なんて常識的な感想も、今や遅い。
エレベーターを使えていれば、春の馬鹿に遭遇することもなかったかもしれないと思うと、なんだかやるせなかった。
そんな様をくつくつと笑うマッドに気づき、慌てて羽織は居住まいを正す。
笑ってんじゃねえよ、と睨みをきかせてから改めて話を再開。
「それで、じゃあ浴衣様は結局はてめえのビルの最上階にいるわけだな?」
『そうなるね。全くもう、これでは宝探しじゃなくなってしまったじゃないか。誰だい? 君に告げ口をしたのは』
「知るか」
つっけんどんに対応、一応は返答しないでおく。別にジャックのためではなく、情報ソースを不明にしておいたほうが色々勘繰ってくれるだろうと思ったからだ。深読みして、僅かなりとも思考力を無駄に割いてくれると助かる。
マッドも答えてくれるとは思っていなかったのだろう、そうかと問い詰めるでもなく嘆息した。
『まあ、そろそろこのゲームにも飽きてきた――待つのも、飽きてきたところだ、よしとしよう。
というわけで宝探しはおひらきだ、そろそろ遊びに来てくれよ。早く、私のもとに来てくれ。退屈を弄ぶのは、嫌いなんだ』
できればいつでも笑っていたいのさ、などと似合わぬことを嘯きマッドは映像を一方的に遮断した。
映像が消え、沈黙がおりる。
「ち……気分屋が、勝手なことばっかほざきやがって」
自分からゲームだなんだと仕掛けておいて、飽きたら今度は早くしろだと? 我が侭し放題のガキかってんだ。
羽織は忌々しげに吐き捨て、とりあえず次の行動を思考する。
右往左往したが、行くべきは当初の通りにマッドのビルの最上階ということに確定した。
ジャックに嘘を吐かれたわけではないが、それでも余計な労力を払わされた感があり、なんだかゲンナリしてしまう。
それに、浴衣があの狂人と同じ空間に存在するということが非常に不愉快だった。不愉快で、ストレスだった。
鬱憤は、蓄積し沈殿していく一方。
「くそっ」
苛立たしさに任せて、先ほどマッドが映っていたテレビを殴りつける。
物に当たる――低レベルだった。自分こそ子供のように矮小だった。焦燥と不快の次には、自己嫌悪に陥りそうだった。
子供を誘拐された親はこんな気持ちなのだろうか――片隅で思いつつ、羽織はネガティブに囚われる自己を必死に諌めようとする。あらゆる感情を力づくで抑えつけようとする。
魔益師が感情を揺らがせては命に関わるのだ。
故に冷静に、平静に、尊大に――浴衣のことを思うなら、ここで怒りに呑まれてはならない。焦りも苛立ちも、全て蓋をして隠す。
羽織の、得意分野だった。
「…………」
瞑目し暗闇を眺め、そして羽織はすぐにいつもの調子を取り戻す。感情にきっちり蓋をした。
さくっと思考も転換する。
「ん……そういや雫のほうはどうなったんだ?」
思い出してみれば、落とし穴に落ち、それから一切その動向は不明である。
最悪の場合は落とし穴に落ちて死んだか、さもなければ行動不能なほどの怪我を負って動けないとか。
それとも割とちゃっかり生き残ってて、ビルを上っている可能性もまあある。
そうだったら楽だな、なんて思いながら羽織は携帯電話を取り出し、電源をいれる。戦闘中には念のため電源を切っておくマメな羽織である。
ディスプレイが息を吹き返し、情報を提示する。
と、着信履歴があった。
ずらりと同じ名前で、律儀にも五分ごと繰り返しの履歴。
このビルに乗り込むにあたって一応は電話番号を教えておいたのだが、だからといってこれは――
「……嫌がらせか?」
そう呟いた直後に手の中の携帯電話が震え、着信を伝えてきた。
相手を確認するまでもない――羽織はため息をつきながら、ボタンをおして電話にでた。
『やっと出たか!』
電話を耳に寄せて早々、雫の大音声に耳朶が痛む。
「うるせえぞ、もう少し静かに喋れや」
どうやら無事らしい声なので、やや電話を耳から離して羽織はうざったそうな声で返した。
「たくよぉ、一体全体なんの用だよ、履歴が埋まるほど電話してきやがって。もしおれが隠密中だったらどうすんだ、てめえ。着信に気をとられて命とられましたじゃ堪んねえんだよ!」
『……ちょっと待て、今電話を代わる』
「あ?」
羽織の些か以上に棘の目立つ発言に突っ込むでなく、雫の声は低音だった。なんだか手ごたえのない反応に、怪訝が先立つ。
それに……電話を代わるって、なんだ?
何を言ってるんだ、この女は。羽織の呆れだか疑問だかの独語に、応えるのは陽だまりのような暖かな声。
『あ、羽織? 僕だけど……声でわかるかな?』
「なっ!?」
今までの全ての余裕の態度を吹き飛ばし、切迫緊迫のザマで羽織は絶句する。絶句、せざるをえない。
わかる。わかり過ぎるほどにわかる。声だけで、絶対にここにいて欲しくない男であると、わかってしまう。
「いっ、いいい一刀……なんで、お前が……?」
『九条様が、羽織の様子が変だったし、なによりもあんなにも素直に要求に従うのはおかしいと。なにかあると思うので、調べてくれませんかと。
だから僕と八坂で羽織と加瀬さんをつけてたんだ』
「ぐっ、八坂までいるのか……」
脳裏に浮かぶのは、あの小憎たらしいタレ目。
まあ、一刀と八坂はコンビなので、片方がいてもう片方がいないほうが不自然なのだが。
それにしても――甘く見た。九条 静乃という人間を甘く見た。
九条 静乃は疑うことを知らない生粋の善人ではあるが、それでも決して無能ではない。羽織の態度の差異にくらいは、気がついていて道理。
あれでも九条家当主、あれでも――羽織の主。性格とは別に性能が低いはずがないのである。
それをわかっていたはずなのに、長年ともにあって熟知していたはずなのに、静乃に気を回し尽くせていなかった。羽織は自己の軽率さをやや後悔する――やはり浴衣の誘拐という事件が羽織から平静を奪っていたのかもしれない。
きまりが悪いのか押し黙る羽織に、一刀は絶やさず言葉を投げかける。
『それで、事情を説明してほしいかな。本当は加瀬さんから聞こうと思ったんだけど、彼女「私の口からは言えないので羽織から聞いてくれ」って言ったきり話してくれないんだよ。だから仕方なく羽織に電話してもらってたんだ』
「……ち」
思ったよりも雫の口が堅くて助かったが――雫が何を言ってよく、何を言っていけないのかちゃんと把握しているのか微妙なので、沈黙は羽織的に最良と手放しで褒めてやっていい――とはいえ、これでは羽織から話さざるを得ない。八坂はともかく、一刀はここまで関わったら最後まで関わり抜くだろう。
九条ゆえの、お人よしだ。
それを止める手立てはない。羽織は身体中から力を抜き去るような弩級のため息を吐き出す。
「……仕方ねえ。とりあえず、情報整理のために全員一度集まるぞ」
やっぱ、蓋しきれないかも。珍しい羽織の弱音は、誰の耳にも入ることなく儚く消えた。
で、マッドの住まうビルディング、その一階にまた逆戻り。
羽織は“黒羽”側のビルを通って一端外に出て、その後また正面玄関から侵入し直したので紛い物と出くわすことはなく、辿りつくのは容易だった。
雫や一刀、八坂らに関しても、そのまま地下から階段を上るだけなので苦もなく集まれた。
そして、エントランスホールに鎮座するソファに座り、四人は向き合うことになる。
遠慮なく口火を切るのは一刀。
「じゃあ、うん、羽織、事情を詳しく聞かせてもらおうかな?」
「……。」
「黙秘は許さないよ?」
笑顔だが、有無を言わさぬ雰囲気を纏っていた。どこか静乃に酷似しているのは、これが九条特有の雰囲気だからだろうか。
羽織は押され気味になりつつも――九条は本当に苦手なのだ――どうにか上からの物言いをする。
「浴衣様が誘拐された。誘拐犯をブチ殺すことにした。誘拐犯はここの最上階にいる。以上だ」
「端的過ぎる!」
「それは既に九条様から聞いてここまで来たんだからわかっているよ」
雫は突っ込んだが、一刀は普通に対応した。
字面どおりに受け取った雫とは違い、一刀は察していた。言葉は真実だが、事の端っこしか語られていないことを。
本当に話したくないことがあるらしいと、それでわかる。
話したくないことを自発的に話すことはありえない。一刀は仕方なく、自分から切り込むことにした。
わざとらしく首を回し、周囲を窺うようにして口を開く。
「ここは、“黒羽”の関連施設だよね?」
「……あぁ」
「ということは、浴衣様を誘拐したのは“黒羽”ということになるよね?」
「……まあ、おそらくはな」
「つまり、羽織は抗争を回避するために黙って隠密に解決しようとしたわけだ」
「おっ、おう」
一瞬で事の次第が見透かされた。いや、ここまで来たら誰だってわかることなのだが。
八坂だけなら鈍い――というかあまり外に感心がないので誤魔化せただろうが、一刀は人並みに鋭いので現場を押さえられたら言い逃れができない。
はあ、と一刀はなんだか重量感のあるため息を吐き出す。
「なんで条家から正式に“黒羽”を訴えようとか、そういう正攻法にでなかったんだよ。こっちから攻め入ったら、それこそ抗争に発展するよ?」
どこか先生のように――実は一刀の夢は教師――ゆっくり優しげに問いたてる。
「最初は“黒羽”の人が誘拐犯だとわからなかったんだとしても、ここに来たんならその時点で引き返せばよかったんだよ。
もしも正式に訴えてれば、その……マッドとかいう人が“黒羽”内で罰されて終わってたんじゃないかな?」
「そうもいかねえ。マッドは条家に喧嘩を売ったんだからな」
「喧嘩?」
「お前らはいなかったから、伝聞でしか知らねえだろうが、つい先日の複製の魔害物騒動あったろ」
「あっ、ああ。ちょうど仕事で騒動があった期間は不在だったけど、話は聞いているよ」
「あれの首謀者がマッドだ」
「なっ!?」
「……!」
これにはずっと黙していた泰然自若な八坂も驚いたらしく目を見張る。一刀は言わずもがな。
驚きの感情に気をとられている内に、羽織が会話を進めて主導権を奪いとる。
「それが知れれば、条家も黙っていられない。報復を求める輩も出てくるだろ。それに――」
少し言いよどむ。これは、予想の中でも最も嬉しくない形の想定だから。
それでも、言葉にせねばなにも伝わらない。羽織は一刀に目を合わせ、実に苦そうにそれを口にする。
「それに、もしも“黒羽”の方が抗争を望んでたらどうする?」
「えっ」
「もしも“黒羽”上層部がマッドを庇ったらどうする? いや、マッドの行動は“黒羽”の統一意志であるだとか、そんな後付けなこと言われたらどうする?」
「……それは、」
「“黒羽”は最近急成長中の機関で、好戦的だと有名だ。そこら辺の事情に疎いおれでもそういう情報を自然に知ってんだ、ガセじゃねえだろう。抗争を望む意志があっても、おかしくねえわな。いんや、虎視眈々と狙ってるって考えるのが妥当だろうぜ」
九条家直系誘拐が、“黒羽”の総意であるだなどと言われれば無論、条家の怒りを買い――戦争だ。
躊躇や妥協はあるかもしれない。話し合いや反対意見はあるかもしれない。だが、最終的には戦争が開催されることは間違いない。
条家の直系を誘拐されて、おとなしくしているほどに条家は甘くない。
そしてそんな選択をとるのだから、“黒羽”も嬉々として戦争に乗り出すことだろう。
しかも、そのように進み本当に抗争が勃発してしまうと、“黒羽”は絶対に負けられなくなる。
何故なら引き金が最悪だ。条家の直系を誘拐だなんて、他の全ての機関から責め立てられるのは必至。勝利すればもみ消すこともできようが、敗北すれば敗北者の上に卑怯者。そんな汚名をつけられては、もしかしたら組織自体が解体の憂き目にあうかもしれない。
つまり、絶対に負けられないのだ。
そんな決死の覚悟をもった相手と、事を構えたいなどとは露ほども思わない。
また、四大機関の一角でも崩れると世界情勢的にかなり不味い。それは魔害物討伐総数が単純計算で四分の一減少するということ。それだけ魔害物が暴走する可能性が増大し、被害が拡大するということ。もしかしたら四百年前のような暗黒の時代に陥ってしまうかもしれないのだ。
――そんな最悪の想定ゆえに、可能性は芽の内からでも叩き潰しておきたい。
羽織は酷薄に笑んで、決定事項の通達のように断ずる。
「だから、おれは隠密秘密裏に浴衣様を奪還、首魁の斬断を決定した」
「うん、そうか、それは……困ったね」
真実だけど、事の端っこしか語っていない。今度は、流石に一刀も見破れなかった。
まあ、一刀は羽織の能力については知らないし、マッドと羽織の個人的繋がりなんてわかろうはずもないのだが。
とはいえ、なぜ事件の首謀者と誘拐犯が同一人物であるという事実を羽織が知っているのか、という疑問を呈されては別の言い訳を用意しなければならないのだが。
うんうん悩む一刀を見て、羽織は安堵の息を吐いた。どうやら、思考の路線を上手いこと逸らせたらしく、気付いた様子はない。
満足げな顔で黙っていると、一刀はその間に考えを纏め結論していた。悩んだ末に、結局観念したように両肩から力を抜き去る。代案がないなら、現状の案に乗る他ない。
「でも、殺すのはやりすぎでしょ」
「んなことねえ、浴衣様を誘拐したんだからな。拷問の算段ももうついてるぜ?」
「しなくていいしなくていい」
「えー」
「えー、じゃない。それこそ抗争の発端になるでしょ? できるだけ穏便に、穏当に済ませよう」
「ま、それができればいいがな……」
マッドと対面したことも会話したこともない一刀には、あの話の通じない人格はわかるまい。そして羽織といえど言葉で表現し切れるほど、マッドは簡略な人格ではないので曖昧に流しておく。
「ともかく、ここまで来た以上は浴衣様救出、てめえらにも手伝ってもらうぜ?」
「うん、それは当然だよ」
「ぇ?」
と、そこで長話にやや眠そうにしていた八坂が眠気を飛ばしてビックリした表情を見せる。
いい流れに水をさす声に、羽織が面倒そうにとりあう。
「……え、ってなんだよ」
「いや、おれは帰っていいかな」
…………。
「なんで」
「面倒」
「……そんだけか」
八坂はなんの躊躇いもなく、こくり。
「はっ倒すぞてめえ!」
一撃でブチ切れ、羽織は叫ぶ。
それでも八坂は微かもぶれない。
「べつにいいよ」
「くっ!」
防御性能の問題で、羽織では八坂に毛ほども痛みを負わせることはできない。それはわかりきったことだった。
殴っても、痛むのは羽織の拳ばかり。
どうしようもなく拳を戦慄かせていると、今度は雫が会話に参入してきた。ちょうどよい話題になったのを見てとったのだ。
「……なあ、すごい疑問なんだが」
「あん?」
「貴様じゃない。一刀さんと八坂さんのことだ」
「さんはいらない」
「あ、僕も呼び捨てでいいよ?」
無関係そうに余所見をしつつも、八坂がこそばゆそうに訂正を要求。一刀もまた、それに乗っかる形で気安くしてほしいと微笑んだ。
雫はそう言うのならと少しも反発なくすぐに言い直す。そういうところに遠慮のない少女なのである。
「む、じゃあ一刀と八坂のことだ」
「どうかしたの?」
「あー」
結構の躊躇いを残しつつも、雫は問いを発する。
「ふたりは……その、九条なのに、何故戦えるんだ?」
「…………」
「…………」
問われたふたりは揃って押し黙り、迷うように視線を交わす。
その反応から、やはり訊くべきではなかったかなと雫はやや後悔したが、覆水盆に返らず。向けられるものが拒絶であれ、反応を待つしかなかった。
不意に一刀の視線が羽織に向く。
「羽織、言ってもいいのかな」
「ま、これから斬った張ったをともにするんだ、能力を互いに説明するのは当然だ」
「だよなぁ」
というか別にどうでもいい、というのが羽織の本音である。まあ、本音は得てして語られないもので、一刀は羽織の建前を受けてまたもう一思案。
「あの……やはり訊いては不味かったか?」
おずおずとした問いを敢えて黙殺し、一刀は逆に問う。
「まずさ、加瀬さんは条家の特殊性についてどれくらい知っているかな?」
教師を目指しているだけあって、順序だててまずは前提的な部分からはじめた。
雫も前知識の量を測られているのだと気づき、すぐに返す。
「そうだな。特殊性となると……血筋によって魂魄能力が受け継がれているということくらいだな」
「うん。世に知られているのはそれだけだね」
十家はそれぞれ特有の魂魄能力を保持し、それは血筋によって受け継がれている。
つまり条家の魂魄能力をもつ者が父、母どちらでもいいから親となれば、必ずその子供は条家の魂魄能力に目覚めるということ。
そこに一度の例外もなく、一人の特例もない。ひとり残らず条家となる。そこまで条家の血は濃く強いのだ。
一刀はそこまで説明し、そしてここでひとつの仮定を追加してまた問う。
「じゃあさ、もしも、もしも――両親ともに条だったら、どうなると思う?」
「え?」
「たとえば……九条の母と、一条の父をもつ子供がいたとしたら――どんな魂魄能力を発現すると思う?」
「それ、は。それは……どうなるんだ?」
条家同士の子。
条家の血を受け継いでいるのなら、その子は条家の能力を身につける。それが厳然なる前提。覆ったためしはない。
ならばその血が――その強烈なる血統が、二種類もその身体に流れているのだとしたら、一体どうなるというのだ。
その答えがここにある。一刀は自分と八坂を指差して、言う。
「ここまで言えば予想できると思うけどね、僕は九条と一条の混血さ。で、八坂は九条と八条の子にあたる」
「その場合能力、能力は――!」
「結果、両方の魂魄能力を、僕たちは扱える」
「!」
一体全体、魂はどんな構造になっているのか、想像も及ばないけどね。一刀は苦笑した。
一刀の言葉は、既に雫には届いていない。驚愕が大きすぎて、外界の全てが遠退いてしまっていた。
両方、両方だと。
それじゃあ、一刀は“存在の治癒”と“斬撃の結果”という片方だけでもとんでもない能力を、両方とも保持しているというのか。どちらも、扱うことができるというのか。
そんなの規格外過ぎる!
規格外の条家の、そのまた規格外じゃないか!
未だ整理つかずに驚いたままの雫に、羽織は頬杖ついた状態でダルげに付け加える。
「これは、条家内でしか知れてねえことだ。
条家はこれがあるから、結構、混血を推奨してる。ま、勿論、当人たちの合意の上での話だがな」
「一昔前は、力欲しさに無理やりに、って時代がなかったわけではないらしいけれど、今は流石にないよ」
心なしか声を低くして、一刀は言った。
雫としてはそんな話よりも、今現状のことのほうが重大だ。抜けない驚倒のままに声を上擦らせる。
「待て! じゃっ、じゃあその、混血のさらに子供はどうなるんだ?」
その問いは予測がされていたのだろう、素早く回答を返される。
「混血ってのは、一代限りの変異体だ。変異体の子は、親の能力を片方しか受け継がない。その受け継ぐ方は、なんでか必ず数字の大きい方なんだとよ。だから混血児の子は、絶対に一条の能力は受け継がないらしいぜ。
ま、混血の相手がまた条家だってんなら、その相手の条家の能力になるらしいけな」
「だから――結局、九条の子しか生めないから、僕たちは九条の姓を名乗ってるんだ」
どうせいずれは九条でしかないのだから。
だから一条と名乗るなどとはおこがましい。八条と称するのは不自然だ。
九条 一刀は九条 一刀で、九条 八坂は九条 八坂であり、そうでしかない。
「そんな……ことが……」
「ありえねえって思うか? そうだな、普通に考えてありえない。だが、条という血は、それほどに特別なんだよ」
世界全部を探し回っても、こんな事例は条家だけだ。
羽織でさえも不思議で仕方ない、条家という存在の特異性。その血統の特殊性。
その魂の、独自性。
「しかし、ではそうすると……」
雫はその驚愕の事実をなんとか受け止め、そうするとわき上がるものがあった。今までよりもやや尊敬の念を交えた視線を一刀へ送る。
それの何故に気づき、一刀はまた苦笑。
「ん? あぁ、そうか。言っておくけど、僕は一条様より格段に弱いよ?」
たとえ半分でも一条――最強の血と能力を受け継ぐという事実。
そして、雫は一条の強さを文字通りその身で味わっていたので、当然に一刀も随分な強さを秘めているのだろうと思ったのだ。
先ほどの戦闘も、その考えを後押しする材料でしかなかった。
とはいえ、一刀からしては一条と並べられるなんて畏れ多い。凄まじく畏れ多い。月のように綺麗ですねと言われたスッポンの心持ちで、否定に首をぶんぶん振り回す。
「僕は結局、半分しか血をひいてないし、九条の能力の修練もあったから、それで鍛錬の時間は半減なんだ。実力も勿論、格段に下だよ。比べるのが申し訳ないくらいに、一条様よりも弱っちいんだ、僕は」
すかさず羽織がニヤリと笑う。
「具体的に言うと、お前より十歩強くて、条より十歩弱いって感じ?」
「ぐっ、具体的か? それ」
というかその順番には条も組み込まれてるんだな、という突っ込みも忘れない。
やっぱり雫の言は無視。羽織は続ける。
「ま、一刀は個人でやることは少ねえから、やりようによっては勝ち目があるかもな」
「? 個人でやることは少ない、とはどういう意味だ?」
「まんまだよ、一刀は基本的に八坂とコンビ組んで戦闘するからな。個人戦は経験値的に苦手なんだよ」
へえ、と雫は感心のような声を漏らす。
二人で組んで戦うだなんて、少し昔を思い出す。雫も、少し前までは二人で退魔師をやっていたのだった。頼りになる相方と、ともに修羅場を潜り抜けてきた。
僅かに、懐古の念にかられる。
「って……そうだ、八坂だ」
懐かしさを噛み締めている雫を無視して、羽織が思い出したように手を叩く。
「そういや雫、お前一条の能力なら身をもって知ってっけど、八条の能力は知らんだろ?」
しかして内容は意外にも真っ当なもので、雫は懐古を振り切り今に思考を正す。
「む、そういえばそうだな。教えてもらえるか?」
「八条の魂魄能力は“耐久の増幅”だ」
「身体を丈夫にする能力」
羽織の端的な説明に、八坂がまた端的な補足を付け加えた。
雫は困惑に眉を寄せる。
「身体を、丈夫に? ほっ、本当に、身体が丈夫だというだけ、なのか?」
「そうだけど」
八坂はなんということもなくあっさり肯定。本人としては、他に説明のしようがないのだ。
雫は、それはそれは微妙な表情になる。不満というかなんというか、落胆というかどういうか、ともかく微妙な表情だ。
それを見咎め、羽織は底意地悪くあげつらう。
「ぅわ、今お前そんだけかよ雑ッ魚って思っただろ?」
「おっ、思っておらんわ!」
叫び言い返したが、それは図星をつかれた者の反応であった。