第三十五話 宿敵
選択肢など、はじめからひとつしかない。
羽織はジャックとやらの思い通りが心底嫌だったが、それでも行くしかなかった。
浴衣がいるというなら、行くしかなかった。
仕方なくマッド側のビルに背を向けて、“黒羽”支部に足を進める。だが侵入がバレたら洒落にならないので隠密行動に徹しようと極限まで気配を薄め、魔益を抑え込む。
得意分野である。
とはいえ気配以外の明確な五感では無論にバレバレなわけだが、そこは抜き足差し足忍び足。音を殺しつつ、人の気配を感じたら隠れたりでどうにかやりすごす。
これでなんとかなるもんだなー、とか楽観したかけた四階の廊下に。
差し掛かった。
時。
いきなり、鮮烈強壮なる殺意を叩きつけられた。
バレたか、と反射的にナイフを手元に転移。襲い来る殺意のほうを振り向く。
殺意――それは振り下ろされた斬剣だった。舌打ちしつつ、必死に腕を上げて刃をどうにか受け止める。
ガキャアア、と耳裂く金属刃同士の激しい衝突音。
そして、金属音以上の大声でもって不機嫌を全開に、斬りかかって来た男が叫ぶ。
「――クソバカ羽織! ここで会ったが百年目! ぶち殺してやる!」
「って、てめえかよ!」
長身で、その長身と同じくらいにバカデカくて長い剣を握る青年。ツワモノな雰囲気を醸し、面構えも戦士のそれだが、隠そうともしない表情は素直というか単純な性格をアピールする。
その忌々しい顔を視認するや否や、羽織は一瞬前までの思考を全部金繰り捨てて隠密もクソもなく思わず叫び返していた。
「かー! めんどくせえ! 死ぬほどめんどくせえ! そういやお前も“黒羽”だったなあ! 春バカ 春!」
「春原 春だ! そんなことも覚えてねえとは、さてはお前の脳みそはスライムだな!?」
「単細胞生物ごときが舐めた口きいてんじゃねえぞ、バカ原 バカ!」
「それじゃ誰かわかんねえーよ、ミジンコ犬畜生が!」
「ミジンコか犬かどっちかにしたらどうだ、エテコウ! というかもう死ねバカ!」
言いながら、羽織は蹴りをかまし、春は避けるように跳び退く。
華麗に着地し、すぐに春はビシッと羽織を指差す。まるで少年のような純粋な瞳を燃やし、宣言のように叫び散らす。
「死ぬのはてめえだ! この最悪バカが! 何故ってここでオレが殺すからなぁ!」
「あーもー、喋んな! 頭悪いこと喚きやがって、二酸化炭素が増えるだろうが! 地球温暖化の根源はてめえで間違いねえなぁ! 死ね、死んで地球温暖化を解決しろ!」
「かっ、そんなこと言うくらいなら、てめえのクズカス能力で地球温暖化をどうにかしろや! お前が空気を転移できるようになれば解決だろうが! ほら、空気と軽器って似てんじゃん」
「アホ過ぎて話になんねえー! なにこの現代に生きる類人猿! 全然似てねえし! 全く欠片も似通ってねえし! 語感でテキトーぬかすなボケ! そもそも空気を転移してどうやって解決すんだよ!?」
「え? だって、空気ができれば、もう二酸化炭素も転移できんじゃねーの? それで二酸化炭素を減らす、とか」
「空気への認識がテキトー過ぎる!」
「うっ、うっせえよ! バカ! バカがバカみたいなバカげた揚げ足とりしてんじゃねえーよ。二酸化炭素を自分の脳みそン中に転移して変死しろ!」
「できねえっつってんだろうがアホ! もうとりあえず小学校から国語と理科の勉強やりなおしとけ! あー、違うな。類人猿なんだから、その前に進化して人間になってから出直せ猿バカ 猿!」
「もう名前の名残もねえよ! 春も原もねえじゃん! そんなこともわかんねえーのかよ、このミジンコ生命体はよ! てめえこそ一回、前世に戻って悪行を悔い改めろ、この諸悪の権化が!」
「アホ、マヌケ、オタンコナス、デブ、クズ、トンチキ、カス! バカ!」
「バカ、アホアホ! バーカ、バーカバーカバーカアーホアーホアーホ!」
罵りあいは、もう子供の口喧嘩へと成り果てていた。ふたりして発言が幼すぎる。
「バカって言うほうがバカなんですぅ、バカ! 死ねバカ!」
「バカって言うほうがバカって、言うほうがバカだよ、クソバカ春!」
「バカって言うほうが――って、もうめんどくせえ! とりあえずバカはてめえだ、アホマヌケ羽織!」
「あーもー!」
「だーくそ!」
埒が開かねえ――奇しくも同時にふたりは判断し、
「「死んだほうがバカだ!」」
己が獲物を振り被った。
――春原 春。
果て無き剣の道を歩む剣士。魔益師ではなく、剣士を志す異端。
長身で、一般的な魔益師よりも引き締まった戦士の肉体をし、手が人より大きいのが特徴的。基本的には二枚目とはいえない容姿で常におちゃらけているが、応用的に真剣になると別人のような面魂を見せることもある。稀だが。
そんな“黒羽”所属の春と、九条家使用人の羽織の初邂逅は九条の屋敷でだ。
いつだったかの雫のように、魔害物に負けたか深手をおわされたかで倒れていたところを、発見されたのだ。春の場合は静乃ではなく、見つけたのは浴衣であったが。
浴衣はいつも通り、それはもう誠心誠意治癒を施し懸命に介護し、優しく優しく手当てした。
そう――いつも通りの対応をとったのだ。
そして、春は浴衣に惚れた。
いや、よくあることなのだ。浴衣や静乃に助けられて、それでその外見的内面的双方の美しさに惹かれる人間は。
雫だってある意味ではそうであろうし、九条の世話になったことのある条家の人間だってそうだ。
だが、今回の問題点は、春原 春が男であったということだ。
また、身内ならよく知る彼女らの献身がいつも通りの行動であるということを知らなかったということだ。
さらに言えば、偶然にもその時に羽織が不在だったことも関係して。
春原 春は困ったことに、本気で惚れ抜いてしまったのだった。
その後、羽織が帰宅し春とまみえることになる。
すぐに羽織は危険性に気づき、即刻春を追い出したのである。それと念のため浴衣に近付かないように注意を促しておいた。が、無駄だった。春はストーカー紛いの行動にまで及び、その度に羽織と衝突。武力交渉に発展することも珍しくはなかった。
また春は馬鹿だが、根は悪い人間ではなく素直で真っ直ぐな男。浴衣も強くは拒否できなかった、というよりはしなかった。ただし、浴衣からの視点では、あくまで友人のレベルだ。
羽織はほとほと手を焼いて、もういっそぶっ殺してやろうか、と物騒極まりないことを思案し始めた頃に。
唐突に、春は属している組織“黒羽”での人事異動により転勤、どこかへと消えた。
浴衣は普通に友人が減ったことを残念がったが、羽織は最高に笑ってやった。ざまぁみろと。
しかし春は帰ってきた。
何故かは知らないが、帰ってきた。
それは圭也から聞かされていたから、羽織は大きく驚かなくて済んだものの、出会ってしまうと――勃発するのは喧嘩しかなかった。
羽織にとって春は、浴衣を狙う――それがどのような意味であれ赦さん――要注意人物。というかできれば殺しておきたいような輩で。
春にしてみれば羽織は、浴衣との恋路を邪魔し、あまつさえ当の浴衣からかなり懐かれているという羨ましくて妬ましい、できれば殺しておきたいような輩である。
要するに、ふたりは壊滅的に仲が悪かった。
雫と羽織の仲のほうが、よっぽどマシだ。
仲が壊滅的に悪いので、視界に入ればまずやることは奇襲で、それは防がれそのまま喧嘩となるのが常である。
だからこの状況は、至極当然の成り行きといえた。
先手をとったのは、リーチの長い春。
「死ねぇい!」
裂帛の気合とともに振り下ろされるから竹割りの斬撃。
フェイントとか繋ぎとか、一切が思慮の外の初撃からして全力断ち。
春の単純一辺倒の戦法は把握している――羽織は最初からわかっていたように、ナイフを持った右腕を掲げていた。
ガキィ! と撃音が空気を震わし噛み合う二刀。
振り下ろす大剣。受け止める小剣。
全腕力が注がれての振り下ろし。斬撃には重力も加算され、速度が衝撃を倍増させている。
――とか、そういう部分を抜きにしても信じられない拮抗。
大剣の一撃を受け止める小剣。自分のおよそ十倍ではきかないであろうサイズの大剣をこうもしっかりと止めるなど、羽織のナイフは一体全体どんな強度を誇っているというのか。
流石は――この日本で五本の指に入る刀工、藤原 圭也作の刀剣ということか。
とはいえ、
「ち」
「はっは、ハーハーハー!」
ぴしり、と羽織のナイフに罅が走る。ぐぐ、と大剣が押し込まれていく。
ただの具象武具であるならば、相手がどんな巨大さをもっていようと関係なく打ち合え、斬り合えることはまず間違いない圭也の刀剣。
だがしかし、
「刃ッ!!」
砕かれるはずのない刀剣。
その相手が――相手の刀剣がまた、同じ藤原 圭也作のものであれば?
同じだけ強く砕かれるはずがないと、斬り裂け得ぬはずがないと、そんな認識を保有しているとすれば?
その上に、また別の魂が強化を施しているとしたら?
――この結果は必然。
悲鳴のような金属音が鳴り渡り、羽織のナイフは砕かれた。そして、それによって進行を抑止されていた大剣が落雷のようにして羽織へと落ちる。
「――ふん」
「けっ」
もうなにも遮るはずがないと思われた春の斬撃は、しかして羽織を裂き殺すことが叶わなかった。
なにせ、羽織には羽織の武具が存在しているのだから。
「――その羽織り、マジでセコイよな」
「はん、自分の実力不足のせいだろうが」
卑怯をそしるような春の言葉を、羽織は嘲笑してやる。卑怯に見えるのは、それだけ実力に差があるのだと。
そう、春の大剣を受け止めたのは、羽織が身に纏う羽織りの具象武具。まるで刃がないように、春の大剣は布地でしかないはずの羽織りを繊維一本分も斬れやしない。
刃の一寸も通さず、衝撃の一部も漏らさず、ダメージの一点も逃さない――羽織の膨大過ぎる武具認識により、その羽織りはもはや鎧と呼んでも足りないような代物と化していた。
「にしたってお前の認識強度強すぎるだろ、どんな最悪だよ、てめえ」
春の悪態に勢いがないのは、斬り裂けぬことへの畏怖か。前より知っていたはずなのに、目の当たりにするとやはり信じがたい。春の頬に嫌な汗が一筋伝った。
春が言葉を失くすのも当然だ。この現状を知れば、通常の魔益師でも驚愕に絶叫する。
なにせ、羽織は“ふたり分”の認識をただひとりで打ち負かしたということになるのだから。
ふたり分――春の使用している大剣は、圭也作の創製武具である。故にそこには圭也の認識が付与されており、その強度威力などなどは具象武具に匹敵する。
その上で、春は圭也の大剣を――“媒介武具としている”。
だから、春にとってもその大剣は具象武具なのだ。無論に、春自身の認識がそこには追加されて、具象武具に匹敵する創成武具を、さらに春の認識分だけ強化している。
つまるところ、圭也と春、ふたり分の“強い剣”という認識が、春の持つ大剣にはあるのだ。
これは尋常なことではない。
ひとり分の認識でだって随分な性能を誇る具象武具が、およそ倍の存在強度を獲得するのだから。大概の具象武具同士のぶつかり合いにおいて間違いなく優位に立つことができ、先ほどの羽織のナイフのようにして砕かれることだって珍しくはないだろう。
認識の倍加――これもまた媒介技法の強みのひとつである。
そうなのだ、媒介技法による認識の倍加がはかられ、凶悪極まりない殺傷力となっているはずの大剣。通常の具象武具を砕いてしまうほどの切れ味を誇る春原 春の魂の形。
それを、
――羽織は単独の認識でもって、打ち負かした。
この剣ならばいかなるものも斬り裂くというふたりの意志の強さよりも、この羽織りに耐え切れぬ攻撃はないというひとりの意志が勝利ということだ。
羽織はここぞとばかりに勝ち誇る。
「はっ、バカの斬撃をどれだけくらっても、おれには効かねえよバーカ」
「ち」
春はしかめっ面で刃をひき、思い切り後方に跳び退く。
あまり長いことぶつかりあっていてずっと斬り裂けないでいると、『自分の刃ではこれを斬り裂くことはできない』と認識してしまう可能性があるのだ。無意識で、強く。
やがてその認識は増長し、『自分ではこの相手に勝てない』という認識にまで発展してしまう。
そして本当に、勝てなくなる。それが魂の戦いだ。
春はそこらへんを自覚はしていないが、それでもなんとなくダメなのは理解していた。知略には縁遠く、センスと勘で戦う男、春原 春である。
先刻までを振り切るように、春は声を張る。
「はっ、だけどよぉ、だったらその羽織りのねえ部分をブッた斬りゃいいんだろうがよ」
「アホが。誰でもそう考えるからこそ、それを防ぐ方法にゃ自然と長けてるおれだぜ?」
なんて、余裕をかましてはいるがこのままいくと負ける。
羽織は熱暴走した思考回路を戦闘によってどうにか冷やすことに成功し、そう結論していた。
戦り合うまでもなく、“軽器の転移”を魂魄能力とする羽織では、春に地力で勝てない。善戦はできるだろうし、手傷を負わせることもできるが、最後に立っているのは春となるだろうことはほぼ確定している。
バカではあっても、いやバカだからこそ春原 春の実力は本物。敵にするには、厄介極まりない。
一刻も早く浴衣の元へと行かなければならないのに、春が邪魔では手間だ。どうにかして手早く春を退けなければ。
……しゃーねー。
「――浴衣様が、」
「なにっ!?」
ぼそりと、本当に小さく囁いた名に、春は急激に反応する。
すぐに構えが散漫となり、視線は泳ぎだす。
「ゆっ、ゆゆゆ浴衣ちゃんがどーしたんだよ」
目をそらして、別に興味ねえけど。とか装っているが、興味津々であることは一目瞭然。
その様はとても笑えたが、羽織は必死に噴き出さないようにして真剣な顔をつくる。だまくらかす時は、雰囲気が重要なのだ。
「浴衣様が誘拐された」
「なぁあにぃいいいいいいいいいいいいい!?」
うるさい。
羽織は辟易しつつも、言いくるめるため舌を働かせる。
「そもそもおれがなんでここにいると思ってやがんだよ」
「え? いや……なんとなく?」
「お前は――っ! ……。」
本当に馬で鹿な奴だなぁ!
とか、またも絶叫して罵倒してやりたくなったが、堪える。
ここでキレては先ほどの二の舞、大喧嘩が始まるだけである。それでは意味がない。というか時間の無駄過ぎる。
どうにか決死の思いで感情を抑えて、真面目な顔色を保つ。物っ凄い大変な作業である。
「いいか、だから今お前と争ってる暇はねえんだ」
「む。誰が犯人かはわかってんのか?」
「マッドとかいう奴だよ、あっちのビルの」
「ああ、あの変態か……」
「知ってんのか?」
「おう。オレ、こっちに戻ってきたばっかだけどよ、他の奴らがちょくちょく悪口言ってるから名前だけな」
「…………」
本当にイジメられっ子みてえな状況になってんのな……。
なんかいい気味ではあるけど、“黒羽”ってなんか小学校みてえだな。バカな春もいるし。
まあともかく、それは好都合だ。もとから良い感情をもっていないなら、話も運びやすい。
「それでだ。それで――」
意図的に言葉を切る。タメをつくって意識を注目させ、言いよどむ仕草をとり不安感を煽る。
簡単に煽られて、神妙に息を呑む春。
「なっ、なんだよ……?」
くわっと目を見開き、さも重大な事実を告白するが如く厳かに羽織は言った。
「おれは――おれは浴衣様のためならば、大嫌いなお前とでさえ手を結ぶのもやぶさかじゃあねえ」
「なに!? ……そっ、そりゃオレだっ、オレだって! 本当は嫌だが、嫌過ぎて死にそうだけど、マジで嫌だが! オレだって浴衣ちゃんのためなら大大大嫌いなお前とだって手ぇくら――ぃがッ!?」
照れ隠しに頬を掻き、そっぽを向いた――その瞬間を狙っての回し蹴り!
俊敏かつ華麗。見事なまでの体捌きでもって、春の意識を一撃で刈り取る。
「ハッ! 他愛もねえ」
ふふんと何故か羽織は誇らしげだった。騙し討ちを恥じた様子は欠片もない。
春と手を結んで浴衣様を助ける――などという選択肢は羽織にはありない。絶対絶対ありえない。
助け出す時に、春に対し好意的な感情が浴衣の中に芽生えてしまうかもしれないからだ。それは、嫌過ぎる想像だった。
いや、というか浴衣を春の半径十メートル以内には近づけたくない。
こうして隙を作るために浴衣のことをダシにしたことさえも羽織にとっては痛恨であったが、背に腹はかえられない。
なにはともあれ、これで春はしばらく目を覚ますまい。本音で言えば息の根を止めておきたかったが……ここは“黒羽”のビル、流石に死体を転がしておくのは不味い。というか、騒いだせいで気配が幾つかここに近付いてきていた、長居は無用。
ち、命拾いしたな、などとなんとも三下な台詞を吐いて、羽織はぶっ倒れたままの春を捨て置き先を急いだ。