第三十三話 干渉
「めんどくせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええ!!」
羽織は悠然と五階から階段をのぼっていた、わけだが。
その余裕は二階分しか続かなかった。七階に踏み込んだ時点で、また獅子頭の集団に出くわしたのだ。というか待ち構えられていた。
今回は流石に下から来るようなことはなく、挟み撃ちでもなければ数も半分だったわけだが……にしたって多い。
先の戦法はもう使えず、下の階に戻っても意味はなく、羽織はまたもだだっ広い廊下を――今度は七階のだが――逃げ回っていた。
「ていうかあいつ! あの獅子頭! 最近出張りすぎだろ!」
『カタカタ!』
羽織はよくわからない部分に突っ込みだか文句だか判別つきにくいことを叫ぶ。
いや、複製できる最上位の魔害物が獅子頭なのだろうから、それを量産するのは当然といえば当然なのだろうけれど。
などという、そんな解答は羽織だってわかっていたが、もうとりあえず叫びたかったのだ。もしかしたらマッドが監視カメラだの“彼我の対話”だのなんだのでこちらの声を拾っている可能性もあったので、一応はマッドに向かって思いの丈をブチまけていた。――たとえ本当は聞こえていなくとも、聞こえている可能性があり、その気分で悪口や文句を大声であげつらっているとかなりストレス解消になる。
しかし、走りながら叫んだりしたら余計に疲れるのではないだろうか。
そういう細かい事は視野にいれず、羽織は大口あけたままで駆け回る。よほどに鬱憤が溜まり溜まっていたらしい。
「大体なんだよ、この建物! 似たような構造しやがって、二階から七階全部同じ内装じゃねえか! 達成感的なモンが欠片としてねえよ!」
『カタカタカタ!』
羽織はよくわからない部分に突っ込みだか文句だか判別つきにくいことを叫ぶ。もう既にイチャモンの領域である。
そもそも通常ビルを建てる場合、達成感を考慮にいれて建築したりは誰もしないのだが。
委細気にせずやっぱり明後日の方向に愚痴を喚き散らす。
「それになんだってんだ、あのマッドサイエンティストは! なぁにがゲームだ、ふざけ腐りやがって! 手間ばっか取らせてなにがしてぇんだよ! 体力削った挙句にやるこたぁ、結局が会話だろうが! いちいち走らせてんじゃあねえよ! というか、この状況でおれが死んだらとか一瞬でも考えねえのか!? なんで自分の確信をそんなに妄信できんだよ、もうちょっとは慎重になれよ! いや、まずもってからして科学者なら検証実験繰り返してから結論出せや!」
よくわからない部分――いや、今回はある程度まっとうな突っ込みだった。
まっとうが故、
「ふふん、アレは科学者の前に狂人だからねぇ。そういう常識的な話は通用しないさ」
答える声が現れる。
「! 誰だ!?」
気付けば走る羽織の正面に、待ち構えるようにして艶笑する少年が立っていた。
容姿だけなら雫よりもさらに幼く見え、十四、五歳ほどだろうか。背は歳と比して高いが、顔は童顔に近かった。童顔であるのに、浮かべる表情は変に大人びていて違和感が強い。
艶のない黒塗りの髪は男にしては長めで、なんだか不自然にくすんでいた。その髪色の割に肌は陶磁器のように白く、東洋人のそれではない。
白人さん、である。
何故こんなところに。羽織の表情はそう語っていたが――黒髪の異邦人と思われる少年はそれを読み取りつつも無視、訛りなく歯切れのよい日本語で勝手に言い放つ。
「こっちだよ」
ダンスのように華麗にくるりと身を反転、さっさと先に進んでしまう。
「……。」
羽織は瞬間迷うが、ピンチの状況においては変化に乗っかるのが吉である。
後になにかがあるかもしれないが、しかし現状がどうしようもないのだから、どちらかと言えば変化に乗ったほうが良き目の可能性はある。出たとこ勝負ではあるが、サイコロを振らなければいつまで経っても出目は低いままなのだ。
羽織は素早く決断し、とっとと走る少年の背を黙って追いかける。
「へえ……」
言葉のひとつもなくついてきたのが意外だったのか、少年は奇妙な笑みを浮かべる。
と。
羽織は、その笑みに何かを感じ取った気がした。
違和感と言うと誇張になり、気のせいと言うと過小となるくらいに微妙なそれ。言語に表現し辛いそれが、なんとなく気になった。
だが、その微妙な感覚は追及する間もなくすぐに霧散してしまう。いやそれとも少年が意図して覆い隠したのかもしれない。
なんだか気を揉みすぎかもしれないが、それでもなんとなく気になった。そしてなんとなくとは、これで中々馬鹿にできないものである。
底知れず言い知れぬなにがしか――まあ警戒くらいはしておこう、羽織は含むように目を細めた。
追い走って少しでわかるが、どうやら方向性は確定しているようだ。先ほどから少年は分かれ道に差し掛かっても、迷わずひとつの道だけを選んでいる
横にも広いこのビルの中を、あっちへこっちへ明確な道筋を辿って、
そして。
「渡り廊下?」
マッドのビルと“黒羽”支部のビルとを繋ぐ空中渡り廊下に辿り着く。
そういえば七階辺りにあったな、と羽織は下から見上げたさっきを思い返す。
少年は言う。嫌にわかりきった口調で。
「あの偽物はこの廊下を通れない。いや、正確に言えばこっちの建物から出ることができないようにされている」
少年によれば、“魔の複製”により複製した魔害物には、複製した時に簡易に命令を与えることができるという。命令とはいっても二、三言だけだし、なにもかも操ることはできない。また、後から命令の変更もきかないらしいのだが。
「で、今あのビルに犇く魔害物どもに課せられた命令は『この建物から出るな』と『特定の人物を襲うな』くらいだと思う。
まあ、細部までは違うのだろうけどね? この建物じゃなくて、あの男がいる建物とか。特定の人物じゃなくて、最初に目にした数名の人物とか。そこらへんの細か事は知らないよ。でも結果は同じだし、これ以上の考察は意味がないよね。
ともかく、流石にあのイカレた科学者でも魔害物を外にだして大パニック、なんてことのないように配慮はしているわけさ。そして、スポンサーである“黒羽”に危害がいかないようにも、ね」
だから“黒羽”の領域にまで逃げ込めば奴らは追ってこない。その身に刻まれた命令により、立ち入ることができないのだ。
はい安全地帯、と嘯き少年は“黒羽”支部の領域にまで踏みこんだ。そうして完全に足を止め、警戒心を緩めて息を吐き出す。
羽織もそれに続いて渡り廊下を超え“黒羽”領域に侵入したが、そう容易く割り切れず警戒は続ける。
もしやこの少年の言葉は全て嘘で、油断させようとしているだけかもしれない。自分の目で見るまでは信じない。そのような思考が働いた。
半信半疑で振り返る。
『カタカタ』
杞憂だった。
紛い物どもは、まるで明確な線が引かれているがごとくマッド側のビルから出ることはなかった。必死に手を伸ばしながらも、羽織や少年に射殺さんばかりの殺意を向けていても、決してこちらの領域に侵入しやしない。
安全地帯、である。
羽織は少なからず安堵して、それでも警戒は緩めずに別の脅威に案件を移す。
別の脅威――目の前の少年だ。
マッドの手先である紛い物を知り尽くしたような言動、それに先ほどから気になっていた外見――おそらく白人であるという共通点――も込みで、羽織は問う。
「……お前、誰だ、マッドの関係者か?」
正直に答えるタイプではなさそうだが、とりあえず反応を引き出すために極力軽い調子で言った。
少年は視線を天井にまで上げて唸る。
「うーん」
それから、困ったような表情を浮かべて眉を落とした。
「誰、と言われればジャックという名前を返すし、マッドの関係者かと問われれば……まあイエスと返そう。おっと、そう怖い顔しないでよ、関係者ではあるよ? でも君が思っているような関係性じゃあない。ボクは“黒羽”の構成員だから、一応は同僚っていう関係さ。ただし同じ組織に属している同僚だからといって仲良し小良しというわけではないよ? ボクはあの男が大嫌いだ」
「あ? それを信じろってのか? 組織が同じなら、少なくとも敵は共通のはずだろ。敵を討つ時は私情を捨てて協力するのが当然だ」
「協力? なんて気色の悪い言葉を使うのさ、やめてほしいね。それに残念だけど、あのマッドサイエンティストに協力するような人間は、“黒羽”にはいないよ。ひとりもいない。ふたりもいない。全くいない。みんなアレのことを嫌っている。だってイカレてるだろ?」
「…………」
やっぱり嫌われていたか。羽織は凄く納得してしまう。
ジャックと名乗る少年はマッドをよほど嫌悪しているのか、本当に嫌そうに語る。
「どこの組織も一枚岩ではないじゃないか。こうして身内同士で嫌いあい、疎ましく思うのは何も不思議ではないだろう? 特にあれは人に忌み嫌われる性質の人間だよ、間違いない。ああいうのがいるから人類同士の争いは絶えないのさ」
ある程度以上に組織が肥大化すれば、分裂や派閥の形成はどうしたって避けられるものではない。
学校という小単位でさえもグループは形成されるものだし、イジメなんてものも絶え間ないわけだし。
どうやら、マッドははぶられているらしい。ざまァみろ。
とはいえどうせ本人は意にも介しちゃいないのだろうけれど。
ジャックは続けて軽やかに弁舌をふるう。どうにも、口数の多い少年だ。
「まあその中でも、ボクは特に嫌っている部類だけどね。大抵は無視とか消極的に嫌っているけれど、ボクは積極的に嫌っているのさ。どうにも無性に苛立たしくて腹立たしい。いつもは温和穏当で通っているボクが、ここまで人を嫌うのは生まれて始めての経験だよ」
「そりゃお前の口ぶり聞いてりゃわかるがよ」
「おやおや、そんなつもりじゃあなかったのだけれど、嫌っているということが伝わっていたなら良しとしよう。こうしてボクの感情が伝わったんだ、じゃあボクが今からなにを言いたいのかもわかるかい?」
「あ?」
「ボクと! アレを! 一緒くたに扱わないで欲しいね!」
メチャクチャ力強く言われた。いままでどこかあった児戯的な感を拭い捨て、真摯なまでに断言した。
羽織でさえ一瞬、その迫力に圧されてカクカク頷いていた。
「まっ、まあ、マッドの関係者じゃねえってのは、一応は頷いておいてやる」
そうしないと話が進まない。とにかく形だけでも納得しないといつまで経ってもうるさく言い募るのだろう。一緒に見られるのがそこまで嫌とは、どんだけ嫌ってるんだ。
「それは重畳。ありがたいね。心底、猛烈、甚だ、そこばかりは否認したかったからね」
いや。というかこの意固地加減は子供っぽいな。って子供か。
そんな子供の好悪感情に付き合ってもいられない。さっさと話を修正する。
「……けどよ、おれがどうしてここにいるかは、知ってんのか?」
「いや、知らないよ。全然なんにも知らないし、知ろうとも思わない。だからそんなに怖い顔しないでおくれよ、冤罪も甚だしい。ボクは無実だよ。無実なんだから、罪も罰もなしさ」
「けっ」
心得てはいるか。
条家と“黒羽”の抗争だなんて、誰も望んではいないのだ。
白々しく空々しく、ジャックは言葉を重ねる。
「まあボクは君のことを知らないし、知るつもりもないけれど――とはいってもアレには失脚してもらいたいからね、君に助言でもしようか」
「助言だ?」
このガキ……。
「嫌いな野郎を消したいからって、よく知りもしない侵入者に手を貸すなんてのは組織への謀反に入らねえのかよ」
「さて? ボクはこれから独り言を呟くだけさ、なにも誰かに協力するわけじゃあない。あの男にも、君にも協力なんかしないさ」
とぼけるように肩を竦め、ジャックは唇の端をやや吊り上げた。
胡散臭いことこの上なく、胡散臭さではマッドといい勝負な少年であったが――羽織はこういう手合いは嫌いではなかった。
目的のために手段を選ばず、味方も敵も構わず利用できるならば利用するという、その悪っぽい根性。
それに……どうやらマッドが嫌いだというその一点にだけは、真実まったく嘘はない。それ以外はどことなく胡乱な感があるが――多弁によって装飾することで、核心をぼかして秘している――そこだけは真実と断ぜられる。
――嘘つきは嘘に対して目端がきく。
相手の言葉を信じるのではなく、自分の眼鏡を信じてとりあえず話を続けてみる。
「とか言ったってよ、なにを助言する気だ? 有用性をセールストークしてみせろよ」
試すように羽織は腕を組んで言った。
一片の遅れも気後れもなく亀裂のように笑って、ジャックはその歳に似つかわしくない悪意をチラつかせ応える。
「誰だか知らないけど……あの男が連れてきた女の子の場所、知りたくない?」
「…………」
ほとんど反射的に、羽織の表情が消える。
それを見てジャックはくつくつといかにも楽しげに笑う。
「あ、やっぱり知りたいみたいだ」
からかうような笑みがなんかイラっとする。とはいえガキに腹を立てるのも大人気ない。雫になら悪口のひとつふたつ言う場面で、羽織は正論だけ口にする。
「……マッドのビル、その最上階じゃねえのか?」
「と、誰でもそう考えるよね? じゃあ、裏をかくのも簡単だ」
「……。」
黙ったのは、なにも意表をつかれたからではない。そのような思考は無論に羽織にだってあったし、得意げに語るほどのものでもない。
ただ、続きがあるというのなら、興味深い話題ではある。
「マッドの連れてきた見ず知らずの少女は、こっち――“黒羽”支部のほうに軟禁されているよ。部屋は、一応こっちにもあの男に部屋があってね、三階の一番奥の部屋さ」
「っ」
それは、盲点であった。マッドの住まう側だけを全てと考えてしまい、勝手に思考を偏らせていた。
いや……完全に思いつかなかったわけではない。ただ、“黒羽”側のビルに入るのはそちらの構成員と出会う可能性があり、こちらが部外者とバレれば侵入者と扱われてしまう。その果てに、条家の人間であることが知れれば最悪の結末が訪れかねない。
だから、どこか無意識に選択肢から弾いていた。
しかし、こうして言われてしまえば、無意識から意識にまで上ってしまえば、ありえなくもない話ではある。
……それにしても、そんなマッドが現状最も隠しておきたいようなことを、何故このガキが知っているのだ。
マッドだってこの手の人間に嫌われているのはわかり切っているはずなのだから、それ相応の警戒くらいはしておいて然るべきだ。していないと、考える楽観のほうがおかしい。
なのに。
「何故知っている……っていう疑問の顔だね。いや、警戒かな?」
やはりくすくすと無邪気を装った風に笑って、ジャックは何も珍しいことはないと言って捨てる。
「何故知ってるかって? 嫌いな男の素行は調べているものさ――いつミスをして、失脚の材料になるかわからないんだから」
「信用できねえな。てめえが知ってるのは、てめえで調べたことだってどう証明すんだ。嘘じゃねえって、どうやって証明する?」
「別に証明なんかしないさ。うん、いくらでも警戒していいよ。事実は事実としてあるし、それに君が信じなくても別に手は打ってある。ボクへの問題は瑣末なんだからね。いわばこれは保険でしかないよ?」
君が信じても信じなくても、ボクの事情には全くなにも変わりがない。少年は本当に困った様子もなく言ってのけた。
「てめえ……」
「さて。伝えるだけ伝えた、後は好きにしてよ。
……そんなに悩まなくてもいいじゃないか、どうせ答えなんて決まっているんだろう? みんなそうさ、答えは最初から決まってる癖に、無駄に時間をかけて悩む。決断するために、時間を無駄にする。なんて非効率的で非生産的なことか。
――そうだね、そんな悩める君にもうひとつ助言を贈ろう」
ジャックは歪に表情を崩し――それが笑みだと、すぐには気付けなかった――陶酔したような酩酊したような、信仰揺るがぬ預言者が如く告げる。
「したいようにすればいい、
やりたいようにやればいい、
生きたいように生きればいい、
ただし――あくまで責任は自分もちで、ね」
くくく。あはは。くははは。あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!! と四段階で笑い声を変調させて、ジャックは去っていった。
現れた時と同じく、本当に唐突に去っていった。
「ち」
忌々しい奴への舌打ち。
なんとも悪夢のような奴だった。悪意と邪悪と奇妙を一杯に詰め込み、捏ね上げ、失敗してできたような奴だった。
正直関わり合いになりたくない種類だ、あれは。
ある意味ではマッドよりも尚、関わりたくない。あの顔を覚えていたくなし、自分のことを忘れてほしいとさえ思う。
だから去ってくれたなら、それはそれで十全である。追いかけようとか、もう少し話を聞こうだとか、まして殺しておこうとかは一欠けらも思わない。
どんな形でも、関係性をもちたくないのだ。
とはいえ口にした情報は有用だ。
疑う余地は様々ある。
嫌いだからって、そんなに素行を調べておくものか? マッドより上回って情報を手にできるもんなのか? 情報の確度は高いのか? というか羽織に教えることが、どう奴に有利するっていうんだ? 本当にマッドと敵対しているのか?
しかし――
「嘘、じゃあなかったんだよな……」
困ったことに、羽織はそれを理解できてしまった。
嘘つきだから、嘘がないことを把握してしまった。
所在なさげに羽織は天を仰ぎ、天井が視界を遮り空は見えなかった。
どうしたもんかなぁ。
迷子になって途方に暮れた子供のように、羽織はため息を吐いた。
◇
「……ま、嘘はついてないよね?」
人目がなくなったのを確認し、ジャックはそこはことなく狂的な容貌を浮かべる。先の会話には、その片鱗くらいしか表にはださなかった。
感情や表情を隠すのは、割と得意なジャックである。演出をこなすためには、それくらいはできないといけないのだ。
そしてどうやら彼は独り言体質らしい。誰もいない廊下をひとり歩みながら、大きな声で独り語る。
「これで、さてどうなるのかなぁ? あの情報がこのくだらないゲームをどう掻き乱すのかなぁ? どうでもいいといえば、どうでもいいけど」
ただ、ひとつどうでもよくないことはある。
どこまでも不愉快そうに顔を引きつらせ、ジャックは汚物でも吐き捨てるように独語する。
「ふん、自分の演出を至高と勘違いしているあのクソ科学者に教えてあげないとね。
本当の演出家は、他者の演劇さえも呑み込み自分の思い通りに進めるってことを。ゲームには、横槍をいれる干渉者がつきものだってことを」
はてさて、裏方は大変だ。ジャックは呟き、携帯電話を取り出した。