第三話 条家
説明回。
「ではわたくしはもう失礼しますね。
加瀬さん、羽織は頼りになる人です。じゃんじゃん頼ってください。
羽織、頼みましたよ」
最後まで信頼の微笑みを浮かべ、静乃は部屋から退室した。
ていうか、ここはあなたの部屋では……?
加瀬は思ったが、なにかを言えるような立場でもないので口を閉ざした。
そして、平身低頭を絵に描いた様子だった羽織は、静乃が退室した途端に相好を崩した。
「あーもー、だりぃ。毎度ながら、九条様の善行には困ったもんだぜ」
礼を尽くす相手の不在で、羽織はこうも簡単に堕落する男だった。まあ、逆に言えば主が常に近くにいれば常時出来た使用人となるわけだが。
ぽんぽん、と緩く自分の肩を叩く。気を張っていたので、少々肩が凝った。
はぁー、と主の手前、我慢していたため息を全力で吐き、少女に目を遣る。
「ち。しゃーねえ、主の命だ。世話してやるよ、嬢ちゃん」
「私の名前は加瀬 雫だ! 嬢ちゃんではない!」
「はいはい、雫な。おれは羽織だ。呼ぶなら羽織様と呼べよ」
「呼ばん!」
威勢よく叫ぶ様子から、昨日の怪我は大分治ったようだと羽織は判断した。
これはおそらく――いや、間違いなく九条家当主自ら治癒を施したな……。
羽織は乱暴に頭を掻く。
正式な依頼では、九条家当主の治癒など八桁は金を積まねば無理だろう。
それをこの少女――
「運のいいガキだ」
聞こえないようにぼやいて、羽織はさてどうしようと考える。
静乃の治癒を受けたのなら、おそらくもう一晩ほど休めば完全に回復するだろう。
ならば、ガキのお世話も一日の我慢だ。
精神の安定を図る羽織に、雫は険しい表情で口を開く。
「よくもまあ、私の前にその姿を現せたものだな、羽織とやら」
「はっ、好きで現したんじゃねえよ。てめえが九条様の視界に入るとかいう、ラッキー現象起こさなければ一生無縁ですんだ」
「そうか。だがな、私は貴様に会いたかったぞ」
「あん?」
「とりあえず、礼を言おう。私は貴様に見捨てられ、逆に絶対に生き延びてやると思えたよ」
言葉と雰囲気が全く噛み合っていなかった。
どこにもお礼を述べるような表情はなく、それどころか殺意まで滲んでいる。
全部理解した上で、羽織は謙遜してみせた。
「いや、そんな礼を言うことじゃないぞ? 当然のことをしたまでだ」
「皮肉が通じんのか! 当然のこと? 最悪か、貴様は!」
雫は激憤を押し殺しつつ、あともうひとつだけ言いたいことを言う。
「もうひとつ会いたかった理由がある」
「へえ、感謝の品か?」
羽織のにやけた態度に、雫はもう我慢の限界だった。言葉は怒りとともに吐き出される。
「必ずこの手で貴様を殴ってやると、そう誓ったのだ! そのために、絶対に生き残るとも、同時に誓ったわ!
ああ、感謝の品だな! 私の全力の拳を見舞ってくれる!」
怒り爆発正拳突き。
起き上がりと同時に放たれた、鋭く速い拳の一撃。
「たくっ、まだ一日しか経ってねえのに、積年の恨みみたく言うんじゃねえよ」
それを、羽織はやれやれと肩を竦めながら、なんとも容易く回避する。
そのまま、雫の伸び切った腕に手を添えて――次の瞬間に雫は浮遊感を感じた。
「え」
「怪我人が暴れんな、ボケ」
気付けば、雫は布団に再び仰向けに倒されていた。なにが起こったかは理解できなかったが、ともかく羽織になにかをされたことだけはわかった。
「なっ、なにをした!」
「うるさい。そんな動いたり叫んだりと、傷に響かないのか? てめえ、九条様直々の治癒で傷が開いたら、おれが怒るぞ」
雫を全く無視し、羽織は話を挿げ替える。
「うっ」
替わった話内容は雫に効果的だったようで、小さく呻いた。
流石に、自分の怪我の深さを自覚はしていたようだ。それを癒した、九条の技の凄さも。
ぽつり、と雫は言う。
「……ここは、本当にあの九条家なんだな」
「ああ。お前も魔益師ってんなら、なおかつこの町に住んでんなら、条家十門くらい知ってるだろうよ」
「無論だ、この業界で知らずにいられるわけがない」
条家十門。
それは益なす魔の者――魔益師の中でも、最強とされる一族のことを指す。
そも。
魔には二種類が存在する。
害なす種類――敵対者の核を構成する魔。
益なす種類――生命体の魂を構成する魔。
害なす魔に構成された敵対者のことを魔害物といい。
益なす魔で構成された魂を活性化し、魂の力を行使できる人間のことを、魔益師と総称する。
魂の力とは、平たく言えば超能力や魔法といった領域の異能だ。常識を覆す、超常の力である。
魂はひとりひとり構造が違うため、発現する魂の力もひとりひとり全く異なる。魂の構造の差異により生じる個人特有の能力――それは魂魄能力と呼ばれている。
例えば誰かは、風を制御するような魂の構造をしているかもしれない。
例えば誰かは、剣を精製するような魂の構造をしているかもしれない。
例えば誰かは、拳を強化するような魂の構造をしているかもしれない。
そして。
世に潜み、表側からは秘匿された多数の魔益師の中でも、最上級の名家がある。歴史、能力、実績、血筋、様々な観点から見ても、比類する者なき最強の一族――それが条家十門の裏の顔だ。
一条を頂点とし、二条、三条、四条、五条、六条、七条、八条、九条、十条の十家から構成され、総じて条家という。
十家はそれぞれ特有の魂魄能力を保持し、それは血筋によって受け継がれている。
――ちなみに、魂魄能力が子に受け継がれるなどという現象は、条家でしか確認されていない特異なことである。それは魂が受け継がれるということを意味しており、常識的――そもそも常識外れの魂魄能力なので、その言い方も妙だが――にはありえない現象だ。
その中で。
九条の魂が保有する魂魄能力は“存在の治癒”。
つまり九条家とは魔益師の中でも、治癒師とされる者たちの集団なのである。
「条家十門――“瞬間再生”の九条か。名に偽りなしだな」
己が身を撫でるようにし、雫は完治した傷を思い起こす。
数分の治癒で、痛みすらほとんどなくなっていた。一般の治癒師では考えられないほどの治癒力。そしてそれだけではない。生物のみに飽き足らず、雫の纏う制服まで新調したように破れ、擦り切れ、ボロも治っていた。
まさに“瞬間再生”――理想である。
条家十門にはそれぞれ原初からの理念を持つ。
それは掲げる理想とも、目指すべき極致ともいい、あり得るはずのない人間の夢だ。
例えば、九条の掲げる理想は“瞬間再生”。
『どんな傷でも、どれほどの深手でも、瞬く間に全てを癒して再生させる』
そんな、誰もが求める治癒師最高峰の理想。
羽織は、些か硬い声音で言う。
「それを九条様の前で言うなよ」
「? 何故だ」
「あの人は、本気でそれを目指していらっしゃる。そして、それに至れていない自分をいつまでも責め続けている」
そんな理想、人間に叶うはずがないのに。
雫は少々驚いたように目を見張る。
条家といえば名門だ。その当主が未だ自分の力に満足していないとは。飽くなき向上心、強者の条件のひとつと言えた。たとえ戦闘者ではなくとも、九条 静乃は強者なのかもしれない。
それ以上の言及は避け、羽織はまたさくりと話を切り替える。今度は、素性を探るために詰問の姿勢で。
「お前は、退魔師だな」
「ああ、この町に住むフリーの退魔師だ」
退魔師――魔益師の中でも、特に魔害物を退治することを生業とする者の名称である。
表沙汰にはされていないが、この世界には無数の魔害物どもが犇き、多数の退魔師たちが奔走している。
雫もその内のひとりであり、無論、条家もそうだ。
「で、お前はじゃあ、魔害物に負けて死に掛けてたんだな?」
「……そうだ」
苦々しげに、雫は頷いた。負けた己が情けなく、その身は微かに震えていた。
羽織は震えを見取り、ニヤリと悪の笑みを浮かべた。
「ははぁ、大したことねえんだな。全く。ザコが粋がって過信して、そのザマとはな」
「なっ! 貴様、愚弄するか!」
「事実だろうが。なんだ、認めないのか? それはそれで小物だなぁ」
悪辣に言葉を連ね、羽織は憂さ晴らしをしていた。普通に嫌な奴だ。
「くっ」
根が真面目らしい雫は、上手く言い返せないようで言葉を詰まらせる。
それから、不意に真剣な面持ちになる。
「?」
羽織も口を止め、眉を顰める。いきなりの一変に、怪訝さを感じた。
雫は真剣な面持ちのまま躊躇うように、いや、体験した自身すら信じられないというように。
「武器を――使っていたんだ」
嘘みたいな真実を、告げた。
「……は? 武器?」
「ああ。私が戦った魔害物は、小太刀を自在に操り、通常の魔害物などとは比較にならない強さだった」
「そんな……馬鹿な。武器を扱うほどの知能を持った、魔害物が現れただと?」
魔害物とは闘争本能の塊。知能なき暴走者。荒れ狂った魔。
一切のコミュニケーションはとれず、知能は獣以下。ただ戦を求めて彷徨うケダモノである。
しかし、奴らは進化する。
戦って戦って、進化する。殺して殺して、進化する。暴れて暴れて、進化する。
進化を経る毎に知力は増し、その姿は人に近付き、中身さえも人を模す。だからこその、紛い物という名だ。
とはいえ、そこまで進化を果たした個体などそうは存在せず、その前に魔益師たちが潰していることが多い。
それが現代の常識。現代の、魔益師たちの常識。
だというのに。
――武器を扱う魔害物だと?
人が人として、獣に勝る点とはなんだろう。
体力や腕力、俊敏性、反射神経もろもろ、肉体性能では勝ちの目のない獣たちを征し、この地を覇すことができたのは何故だろう。
答えは様々にあるだろうが、とかく重要なのはふたつ――知恵と手だろう。
肉体的に優れたモノを倒すために巡らす知恵。知恵により生み出される道具、それを扱うに適した手。
そのふたつがあってこそ、人は自身を超える存在に勝ち得たのだ。
魔害物とは獣で、魔益師とは人。
魔害物が武器を扱いだせば、人にとってはそれだけで戦慄催す脅威といえる。
何故ならそれは著しい知能の上昇の成果であり、つまり幾重もの進化の結果ということなのだから。
そこまで進化した個体、ここ百年では見られたためしがない。
そんな脅威が、現存するというのか。
この時代に、この世界に、この町に。
「……それが本当なら、条家の上層部にも伝えとかなきゃならん」
深刻さを帯びる口調。世の魔益師全ての驚愕をもたらすであろう事態だ、羽織でさえ、ことの重大さに小さく焦りが見える。
その呟きを理解し、理解しながらも雫は過剰な反応を示す。
「なっ、だが私の請け負った仕事だぞ! 条家は確かに名門だが、それに頼るつもりはない!」
「知るか。ことはそんなに小さいことじゃねえんだよ」
正論を口走りながらも、実際羽織の内心ではどうでもよかった。武器持ちの魔害物などどうでもよかった。
確かに驚きはしたが、それだけだ。そいつの処遇がどうなろうとも知ったことではない。
しかし、九条家が救った少女が、武器を扱う魔害物の存在を知っていた。このことが問題だ。
そのことが露呈してしまえば、「九条家はそんな魔害物が出現したことを知って何故対処しなかった」と他の条家に九条家が叩かれる恐れがある。条家同士、必ずしも一枚岩というわけではない。
九条家の――いや、九条 静乃の使用人としては、それは避けたかった。
そんな本音を告げるよりも正論を述べた方が、こういう真っ直ぐな少女には効くと羽織は知っていた。
畳み掛ける。
「武器を扱う魔害物だぞ? どれほど進化したのか、お前、見当がつくか?」
「いや、それは……」
「しかも、強かったんだろ? そんな奴を野放しにして、なにが条家か」
おれは条家ではないが――それは口の中でしか言わない。雰囲気を壊すし。
「お前が死ぬのは勝手だが、他人を巻き込むなよ。魔害物は、お前だけを狙うわけじゃないんだぞ」
「ぅぅ」
雫は、結局やり込められる。彼女は、口八丁にとっても弱い少女であった。
羽織はほくそ笑み、雫はうな垂れた。




