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第三十一話 散開




 落下落下。雫は重力の鎖に繋がれ落下する。


「ぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ! ……って!」


 私、風操れるじゃん!

 雫は内心で呆れるような突っ込みを自分にいれて、それから平静になって具象化。刀を顕現する。

 即座に風を制御。浮力を生じさせて、雫は落下に急制動をかける。

 どのくらい落ちたのか、ともかく中空で静止することができて雫は安堵の息を吐く。

 このまま上に戻ることも不可能ではないが……それをやると少々疲れるだろうと判じて、あえて下までゆっくりと降下することにした。

 ――認識の問題として、風で飛行するというのは“なんとなく”簡単にできそうになく感じる雫なのである。そのため、これより戦闘行為を始めるかもしれない身で、関係のない消費は避けたかったがための判断。

 落とし穴の底には針の筵とか剣山でも待ち構えているのかも、と謎の懸念があったが、底は普通に地下室に繋がっていただけだった。

 ふわりと着地。

 反射的に雫は視線をぐるりと回す。

 窓のない小部屋。白い床、白い壁、白い天上。汚れがないとは流石にいわないが、清潔感のある部屋である。とはいえ、ともかく狭苦しくて圧迫感がある、おそらくは物置ではないだろうか。

 まあ、部屋の用途などはどうでもいい。重要なのは、落とし穴に落ちて辿り着いた先がこの部屋なのであるということ。

 部屋には扉が一枚。そこ以外からはそれこそ空でも飛べないと退室することはできない。

 つまりが、敵方に進路を一本に絞られてしまっているのだ。分岐なき一本道。選択の余地なく、選択させられる。

 ならば、この扉の先にはなにか罠か敵が待ち受けているのだろうか。

 雫は少しだけこれからの行動を思案し始め――


『おい、おいバカ雫!』

「っ!? はっ、羽織?」


 いきなり、羽織の声が脳内で響き渡った。

 咄嗟に雫はアタフタと首を左右前後上下に向けるも、声の主の姿は影も形も見えない。そもそも反響のない声であったし、外から耳へと届くような声ともまた違った感じがする。


『なにこんな幼稚な罠に引っかかってやがる、このド阿呆が!』

「ちょ、どこから……!?」


 凄く不思議な心地である。

 振動ではなくて、音ではなくて、声ではなくて、まるで魂に直接意思を伝えているかのようだ。

 なんとも言えず押し黙っていても、羽織のほうは一方的に罵りを続ける。


『落とし穴だぜ、普通引っかかりますかね、落とし穴。超をみっつ頭につけても足りないくらいのマヌケさ加減だと思うんだが、どう思うよ、落とし穴に引っかかった雫さんよ。いや、落とし穴だし引っかかるってのは違うのか? 引っかかるのは罠で、落とし穴は落ちるものなのかね? どうだろうな、おい、落とし穴に落ちた雫さんよぉ。まあでも落ちっぷりは素晴らしかったぜ、見事な落ち様だったよ、うん。これはもういつの日か訪れる大学受験も同じように落ちるんじゃないねえの、ばーかばーか』


 落とし穴と関連付けて、何故か受験の話まで吹っかけられた。

 もう言い返す気にもならない、雫は羽織の罵倒が一通り終わるまで瞑目して聞き流し続けた。

 そうして、ようやく悪口を吐き出し終えたらしい。羽織は大きめのため息をついてから、あっさりと通常運行の語調に戻す。


『――で、まあ察しの通り、これはおれの声――つうか意思? 思考? だけをお前の頭ン中に転移する技法だ。だから一方的にしか喋れん』

「…………」


 察せれなかった。

 それは最低限であるはずの羽織の評価以下の反応をとってしまったということで、なんか雫はすごいショックだった。


『だからお前のお得意の突っ込みも聞こえんからな』

「得意ではないわ!」


 聞こえてないと言われた直後だったが、思わず切り返していた。


『はっ。特技だろうが』

「ちがっ――って聞こえているのか!?」

『いんや、声をお前に転移してるだけだからな、さっぱり聞こえねえ。けどお前の突っ込みは読みやすいからな』

「…………」


 これ、本当は聞こえているんじゃないのか?

 そうでも思わなければ、雫としてはやってられない気分になってしまう。

 なんでここまで完璧に読みきられているんだよ!

 雫の内心の猛りまでも透けて見えているのかどうか、羽織は一方的に言い放つ。


『ともかく、目指すは最上階だから、急げよ』

「ちょ、何故だ? 下の階にもいるかも……」


 言いながら、雫は気がついた。

 そんなわけがない。

 なにせ今回の事件は、マッドが羽織に興味を抱いたことを発端とする。ならばこそ、マッドは羽織と対面したいはずだ。

 どうしてすぐに対面しなかったのだ、と言えばおそらくは羽織の体力気力を削っておいたほうが話しはしやすいし、先ほど言っていた殺してみるという言葉で説明がつく。

 で、対面したいというのに、もしも適当なところで目当ての浴衣を見つけてしまえば、羽織は間違いなく即行で撤退するだろう。対面などせず、羽織は浴衣を連れて逃げるだろう。

 それではダメだ。マッド的には意味がない。

 だからつまり、浴衣の捕まった部屋にはマッドがいる。もしくはマッドのいる部屋を通過しないと浴衣のいる部屋には辿り着けないであろう、と考えるのが自然である。

 マッドの宝探しだとかいう発言は、こちらを撹乱するための戯言もしくは演出の一環なのだろう。……たぶん。

 そう考えればこの落とし穴もわかるというもの。少しでも下の階に落として体力を削ぐための仕掛けというわけだ。おそらくは、この建物に落とし穴はこれひとつではあるまい。

 全てをわかりきった口調で、羽織は嫌らしくわざとらしく言う。


『流石のド阿呆雫ちゃんでも、最上階を目指す理由くらいは……わかるよなあ?』

「とっ、当然だ!」


 聞こえないのだろうけど、思わず叫び返していた。

 雫の突っ込み精神は骨身に染みていた。


『ま、おれはお前を待ってやる気はないんで、精々敵を引き付けておいてくれや』

「なっ!」


 囮か、私は囮か!

 

『ひとりでマヌケな罠に落ちた奴がわりぃ』


 なんて、雫の反論にも先手は打たれていて。

 雫はうな垂れた。







「……これ、届いてるよな」


 羽織は落とし穴の深みを眺めながら、ひとりぼやいた。

 意思の転移。とはいえ、それがしっかりと届いているか一抹の不安があった。雫へと転移はできている。それはわかる。だが、雫が死んでいた場合は死体の脳みそに向かって転移していることになる。転移はできている。だが、転移先が生命活動を続けているかまでは知りえないことなのだ。

 なので、もしかしたら薄ら寒い行為をしているのかもしれないという危惧があった。

 落ちた先は、針の筵だとか剣山とかかもしれないわけだし……。

 なんて、雫と同レベルのことを考える羽織であった。

 まあ、考えていても仕様がない、というか時間の無駄だ。

 羽織は素早く切り替えて、さあ行こうとエレベーターへと一直線に向かった。エントランスの右側に三個ほど並んであるエレベーター。だったが、停止していた。たぶん、マッドがわざわざエレベーターを停めやがったのだ。ショーカットは許してくれないらしい。


「ち……階段とか、めんど」


 真面目に嫌そうに吐き捨ててから、また嫌そうに広々とした階段を一段一段ダルそうにのぼりはじめた。

 やる気ない歩き具合に反して、警戒心はキチっと締め付けて急がずに階段を上っていたのだが……別になにもなかった。

 足音が確かに聞き取れるほどに静かで無人のビルディング。いっそ不気味なほどに誰もいなくて何もなかった。

 のは五階まで。

 静寂は、五階についた時点でその姿を消す。

 代わりに、笑い声が現れた。


『カタカタ』


 階段で反響する、沢山の沢山の笑い声。合唱して重唱して斉唱する哄笑。それは吐き気を促して、それは苛立ちを教えて、それは嫌悪感を植えつける。

 嫌な――本当に嫌な笑い声だった。

 しかもそれが重奏しているのだ、相乗効果で人の精神を擂り潰すことさえ可能かもしれない。

 笑い声は、上のほうからした。下のほうからもした。


「ち」


 羽織がその意味に気付いた時には少し遅かった。

 視線を先ほど上ってきた階段に向ける――獅子頭の紛い物がいた。

 視線をこれから上がろうとしていた階段に向ける――獅子頭の紛い物がいた。

 いや、それはそこまで驚くポイントではない。以前にも複製してバラ撒いたのだから、新たに複製された獅子頭がここにいるのは道理だ。眉を動かす価値もないほどわかり切ったことだ。

 問題はその数。

 一、二、三、四五六七、八……。

 数えるのをやめた。どうせ数え切れない数だったから。

 沢山、沢山沢山。一杯一杯。大量に無量に千万無量に。

 数え切れないほどの紛い物が広い階段を埋め尽くし、蠢く虫のように群れて集まって犇いて、そして一様に笑っていた。


『カタカタカタ』


 上にも下にも獅子頭。

 挟み撃ち、にされた。罠、に嵌められた。

 おそらくある程度の階数では、窓から逃避が可能と考えられた。上から押し寄せただけでは下に逃げられると考えられた。

 だからこそここまで上らせ、そして挟み撃ちにした。


「…………」


 これでは上れない、これでは下れない。

 なら横へ。

 羽織は焦らず騒がず逡巡なく、即決走り出した。和風羽織りを翻し、すたこらさっさ逃げ出した。スーツケースを背負いなおし、えいこらさっさと遁走開始。途端に追いかけるように多数の獅子頭が階段を駆け上がったり、駆け下ったりしてきた。

 振り向かずに五階、その通路へと駆け込む――挟み撃ちに気付いたのが五階に辿り着いた時だったのが幸い。

 通路はまた広く、真っ直ぐと伸びる。片面は全面ガラス張りで、もう片面は白い壁と並ぶ扉の数々。

 それらを深く観察している暇はなく、羽織は足幅広げて走り抜けた。しかして重たいスーツケースを背負っているせいで走力は通常時の三割引。走りにくくてしょうがない。そんなことを気遣ってくれるはずもなく、すぐ後ろからは黒い影が追い縋る。雪崩のように押し寄せてくる。

 

「うおーい! なんだこの理不尽はゴラァ!」


 なんて、なんてデタラメな数の暴力だ。

 というかマッドの野郎がヒトガタはそんな多くないよ、とか言うもんだから紛い物もそんなに多くないのかも、という幻想を生じさせてくれやがったせいでかなり衝撃でかいんですが!

 羽織は内心、長文で絶叫していた。いや、勝手な勘違いでマッドを責めるのはお門違いなのだが、それでも誤解を意図したとしか思えないタイミングでの発言だったのだ。

 この野郎!

 マッドへの怒りが増長の一途を辿っているが、まあ今はその怒りを無視して――今日一日鬱憤は溜まりまくりだゴラ――冷徹に思考を働かせる。

 羽織は全力疾走しながら、ちょろっと後ろを振り返る。


『カタカタカタ!』


 呵呵大笑の渦。数え切れない黒い津波。

 冷や汗たらして前に向き直る。

 正直、勝負にならないほどの兵力差だった。

 数の上では圧倒的に不利――当初に考えていたことだが、現状にそれが繰り広げられるととても困る。

 というか羽織としては暗殺したかったのだが、なんと待ち構えられていた。これでは暗殺は無理だ。誰が好き好んで警戒心全開の相手を暗殺したがるのか。

 このように城砦を築かれ、戦陣を敷かれ、兵士を参集されては真っ向から挑む他に手はない。

 今回のも、のらりくらりとはしていられない状況だ。

 マッドはわかっているようだ――羽織のように飄々とした相手を仕留めるには、真っ向勝負せざるを得ない状況を設定するのが有効手だと。

 飄然としている分、口八丁手八丁で誤魔化すのは得意でも、直接的な力に訴えられるのは苦手だ。

 そう、たとえば数の暴力とか。そういう誤魔化しのきかないものが苦手だ。

 まず個人が集団を相手取るのは困難極めるというのに、羽織に苦手な戦況というわけである。

 悔しいことに、現状逃げの一手が精一杯手一杯。

 必死に足を回転させ、通路を右に左に駆けずり回って逃げ倒す。

 しかし、限界はある。

 視界の先には、遂には行き止まりが発見される。もう十歩もなく壁に行き着くこと確実。

 このままでは文字通り数に押し潰されてしまう。壁と紛い物に挟まれぐしゃりと潰れる。

 痛々しい未来予想に羽織は歯を軋ませ、乱雑に音高く舌打ちする。

 そして。


「ちくしょ、仕方ねえ――」


 用意していた奥の手一本、ここで使うことを決定する。というか使わざるをえない。

 羽織は何故かずっと持ち続けていた、その手のスーツケースを――

 今になってようやく投げ捨てた。勢いよく窓に向かって放り投げた。

 無論、スーツケースは激しい音を響かせガラス窓を突き破り、中空に晒される。直後、重力に従い五階の高さから地へと引きずり下ろされる。

 その落下の最中に、あらかじめ開けておいたスーツケースが自然と中身を吐き出すように大口を開ける。スーツケースに収められていた物がバラバラと外へと散らばる。

 中身は、勿論金などではなく――目一杯詰め込まれた数多無数の、ナイフだった。

 全てのナイフは重さの比率が高い刃が下を向き、重力の助けを得て加速して。加速して。加速して。

 加速しきった絶妙のタイミングで、消え去った。

 否――転移した。

 そうして。


 斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬。


 そうして数多の紛い物どもを、膨大数のナイフが貫いた。

 いきなり現れた運動量をもつナイフが豪雨のごとき量で降り注ぎ、散弾銃のごとき威力で放たれ刺し貫いた。

 小剣豪雨。

 銀剣散弾。

 刀刃散々――斬斬降り。

 それは圭也にもらった出来損ないにして失敗作のナイフ。

 あれで完全主義者な圭也は、一本の作品を創り上げる際に習作を多量に創成してしまうのだ。それを、全部譲り受けた。習作ということで格安で買い受けた。……まあ、結局ツケだが。

 その夥しい数の刃を重力により勢いづけ、まとめて転移、敵の頭上から降らせるという技だ。

 出来損ないであっても圭也の刀剣。その切れ味は紛うことない一級品、紛い物など容易く突き崩す。

 銀色の雨がやむ頃には、紛い物どもは遍く消滅していた。

 予想通り、複製の魔害物は随分と脆かったのだ。失敗作のナイフでも突き崩せる程度の強度、オリジナルと比較すれば脆弱過ぎた。

 まあこれほど多くの数を複製しては、一体ごとの精度が低いのは当然のこと。町にバラ撒かれた時も――二十体足らず複製した時も、未熟な二条の一撃必倒を許す程度だったのだし。


「ふう」


 一時的とはいえ危機回避。羽織は今までの焦りをそぎ落とすように息をついた。

 しかし。

 この奥の手は一回こっきりの虎の子だった。それを使い切ってしまったのは、少々気落ちする。

 余裕とはまだ手札が残っているからこそ醸し出せるもの。切り札が手札から失われると、余裕は繕わなければならなくなる。

 とはいえ、余裕の演出もまた、手札の一枚であると言えるわけだし。


「ま、精々へらへら悠然と行くかぁ」


 少しも表情を変えずにいつもどおり不敵に笑って、羽織は上を目指して歩き出した。







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