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第二十九話 刀





 誘拐犯――マッドからの脅迫電話。

 羽織が教えた静乃、というか九条家当主への直通番号なので、出るのは静乃。勿論、静乃はその番号が何故割れているのか疑問に思うだろうが、脅迫相手が調べたのだと勘違いするだろう。少なくとも、羽織が教えたとは思いもよらない。

 電話してすぐに、マッドは静乃が平静でないことを理由に、他に冷静な者を出せといい、羽織はそれで電話を代わる。

 代わった羽織は適当にそれっぽいことを軽く話し、通話を切った。

 羽織は沈痛な面持ちで――演技ではない。軽くとは言え主人を騙すことが心苦しいのだ――あるはずのない電話の内容を告げる。


「絶対に、他言はするなと。一族の者であれ、他の条家であれ、使用人であれ、無論に警察であれ、絶対に言うなと。この場の者だけで全ての事を進めろと」

「……でも、それは、」

「言うとおりにするしかありません、浴衣様を人質にとられていますから」


 羽織はやりたくなかったが、静乃の言葉を遮って語気強く言った。同時に思考の隙も与えまいと言葉を並べたてる。

 でっち上げた身代金、嘘っぱちの受け渡し場所と時間、必要のない警戒の言葉。

 全部今思いついた絵空事である。この誘拐という茶番の不自然を隠すため、嘘を嘘で塗りつぶすための作り話だ。

 であるが、それを見抜くことが静乃にはできない。いや、疑うことさえもまずしない。

 そういった澄んだ心に付け入るようで憂鬱となる羽織であったが、それでも最終的には主のための嘘であると割り切るしかなかった。


「受け渡しには私が行きます。それと、念のためこの部屋に条を呼んで、その少女の警戒もしておいてください。目が覚めて、どう行動するかわかりませんから。ただし、誘拐のことは言ってはいけません」


 誘拐のことを他言してはいけない――繰り返し、そこを念押しした。

 そこさえ秘されていれば、面倒が起こることはまずない。


「羽織……その、大丈夫でしょうか」

「大丈夫です。全部、私にお任せください。万時上手くことを運びます」


 心配で満ちた静乃に、羽織は急遽笑顔を作って力強く答えた。

 罪悪感で少しだけほつれてしまったかもしれないが、押し通す。

 それからすぐに顔を背け、羽織はもう静乃とは目をあわせないようにした。そうでもしないと決意が揺れて、嘘を謝り本当を告げてしまいそうだった。

 数度深呼吸を繰り返し、肺の空気を入れ替える。そうして気を落ち着かせてから、玄関へと足を運ぶ。

 やっぱり見送ってくれる静乃とは目をあわせないようにしつつ、けれど出立の挨拶は忘れない。


「では、行ってまいります」

「ええ、気をつけてください」


 ちなみに、身代金に関しては九条家としてかき集めるとなると他方面にもバレるだろうから、羽織が個人的に出すことにした。

 と静乃には言ったが、別に本当に金が必要なわけでもないので、これもまた方便に過ぎなかった。というか羽織はそんなに金を持っていない。

 適当に張りぼてのスーツケースを片手に、羽織は怒りや罪悪感に顔を強張らせながら玄関に手をかける。

 と、


「――待ってくれ」


 さきほどからずっと黙りこくっていた雫が、意を決したように言葉を発した。意志を発した。


「待ってくれ、羽織。私も、私も行かせてくれ!」

「あ?」

「意味はないかもしれない。役にたたないかもしれない。足手まとい、になるかもしれない。だが、私は浴衣を助けたい!」

「…………」


 羽織は僅かに逡巡する。

 マッドはひとりで来いと言った。

 まあ、そんな要求はどうでもいいので連れて行くのはやぶさかではない。そのために雫を駒として成長させたわけなのだから。

 だから羽織の悩んだポイントはそこではなく――こんなザマの雫が、そもそも戦力になるのか? その一点に尽きる。

 とりあえず自分から言い出した点から、少しは落ち込みから浮上したようだが、それでもまだ沈んでいる。

 魂を頼って戦う魔益師にとって、その時々の感情状態は特に重要だ。乱れた心で戦えば、勝てる相手にも勝てやしない。ブレた意志では強者も弱者だ。

 雫は今完全に気落ちしている。落ち込んだ魂が、その力を発揮し切れるわけがない。コンディションは最悪と言えた。

 とはいえ、まあ用心は必要か。羽織はそう結論する。

 相手はあの狂科学者。油断は禁物。手は幾つあっても足りない、というか猫の手でも借りたいといえばそうなので――の割に条家の手は借りられない――雫を使ってやることにする。

 今、問題となっているのは雫が精神的に参っていることにある――ならば、どうにか使えるまでに雫の精神を持ち上げることにする。かなり面倒だが、それで使えるようになるならば贅沢は言わない。

 とりあえず、短く言う。


「勝手にしろ」

「! すまない、勝手にする」







「実はな」

「む?」


 屋敷を出て数分。黙したまま歩き続けていた羽織がいきなり口火を切り、備えてなかった雫は面食らう。

 気にせず羽織は続ける。


「実は九条様には黙ってたが、誘拐した野郎はブチ殺す予定だ」

「は?」


 さらっと物騒極まりないことを告げる羽織。雫は目を瞬かせ、言葉を噛み砕いて理解せんと咀嚼する。して、返答に物凄く困る。


「ころ……すのか?」

「たりめえだろうが、浴衣様を誘拐したんだぞ? 殺す以外にねえよ。九条様に言うと、心配されるから仕方なく嘘ついた」


 それこそ嘘ではないが本当の部分を隠す言い方。羽織はそういうのが得意だ。

 そして、さりげなく囁いた殺すという単語は、今の雫なら聞き逃せないだろう。魚釣りの要領で、羽織は言葉の針を垂らしたのだった。

 案の定、単純な魚はその針にかかる。


「……相手は、人間だぞ。魔害物じゃない、私たちと同じ人間だ」

「そうだな。で、だからなんだ」

「なにも、その……殺すことは、ないんじゃあないのか?」


 消極的でいて弱弱しい物言い。それが、少し羽織の癇に障った。

 いつもの凛とした態度はどこへやら、自信もなく言葉を紡ぐなど。

 羽織は雫の無様に苛立たしささえ覚えて、思わず語気が荒れる。


「甘ェよ。殺すのに、人もそれ以外もねえ。浴衣様を害した、それで殺すべき対象だ」


 羽織にとっては、本当にそれで割り切れてしまう。主を害したという理由だけで殺人も辞さない意志力。

 雫とは、大きな感覚の差があった。

 とはいえ、これは必ずしも羽織の残虐性を示すわけではない。

 魔益師の世界において、表側の法から外れた犯罪者を打倒することは合法とされている。何故なら、魔益師に警察はないし、それに類する機関もない。これは魔害物を敵とし、人間に対してまで戦力を割いていられないからである

 そのため、『魔益師の力をもって罪を犯した者が出た場合、その他全ての魔益師が処断にあたるべし』と、機関に一度でも属せば規則として告げられる。

 そして魔益師犯罪者は同じ魔益師の手で捕らえられ、その裁量で裁かれる。どうするかは、捕らえた魔益師に完全に一任されることとなる。まあ大概の魔益師は処理を機関に任せる形をとるのが普通だが。

 だから誘拐犯――マッドを殺しても、そう大きな問題はなかった。むしろ見逃せば魔益師としての信用に関わる可能性もある。

 とはいえ、それは理屈。感情とは相容れることのないものである。

 そういった経験のない雫には、羽織のように軽く割り切ることはできなかった。

 雫は髪で目が隠れるほど俯いて、大地ばかりを見つめ言う。


「私は……」

「あ?」

「私は人は殺せない」


 今までの様子を見てれば、そんなことは一目瞭然だったが、羽織は空っとぼける。


「なんでだよ、なんで殺せねえ。なんでできねえと思う、その根拠を言え」

「それは、」


 深く問いかけられ、雫は少し思い悩む。自分の心の内を鑑みる。それから、拾い上げた曖昧な感情を、乾いたノドでどうにか言語化する。


「すごく、嫌な感じがする。人は殺してはいけないと、ずっと言い聞かされてきたし、殺すということは悪いことだと常識として考えるからだ」

「そりゃそうだな」


 至極真っ当な感性でなによりだ。

 特にトラウマがあるだの、常識的忌避以外に理由がないのならそれでいい。丸め込むのは、不可能ではない。


「それに……」

「あん?」


 雫は何時の間に震えていた右手を、左手できつく押さえる。押さえ込む。


「未だに手には人を斬った感触が残っている――肉を斬り、骨を断ち、命に触れた。あのおぞましい感触が熱をもって私の手の中にあるんだ!」


 汚らわしく、おぞましく、罪深い。

 血は赤いのだと、まざまざと頭に叩き込まれた。肉や骨は刃に比べて随分と脆いのだと、実地で理解させられた。人は実は殺せるものなのだと、知識ではなく認識できてしまった。

 それはなんて――恐ろしいことだろうか。

 ほとんど泣きそうにまで顔を歪め、絶叫する。


「もう、人を斬ることなんてできない――っ!」

「…………」


 羽織は感情的過ぎる言霊を受けしばし口を閉ざし、主相手以外には珍しく困ったように眉を落とす。

 軽く目を泳がせ、慎重に言葉を選び、それから重たそうにため息を吐く。


「はあ……。

 おれは、お前が少しだけ、うらやましい」

「なにを、」

「バカにしてるように聞こえるかもしれんが――つまり、その程度でそうまで落ち込めるほどの真っ当な魂が、本当に――本当に少しだけだが、うらやましい」

「それ、は――」


 それは、一体全体どういう意味だ。

 言葉にして問うのは憚られた。言葉の裏には、とんでもないものが秘められているような気がして、雫は沈黙するしかできない。

 そこで羽織はハッとして、


「……間違えた、今のは忘れろ」


 羽織は思わず漏らしてしまった本音を取り繕うように、頭を乱雑に掻く。話をすっぱり切り替える。


「いいか、お前は全然ダメなんかじゃねえよ。何故って、まだ殺してねえだろ? まだお前は汚れてねえじゃねえか。それに、殺したくないんだろ? なら、お前はまだまだ一般的な高校生だ。大丈夫だ、問題ねえ」


 慰めの真似事なんて、羽織は物凄い勢いでやる気を失くしていくが、それでも口車だけは回し続ける。雫をどうにかして使える程度に持ち上げんとする。

 雫は思いのたけは存分に吐き出した――気持ちを言葉にしたことで整理がつき、吐き出すことで感情の起伏が僅かなりとも落ち着いたであろう。羽織は迷いなくそこを突く。


「それに別にお前に人殺しをしろだなんて言わねえ。殺す必要性はねえ。そういう汚れ仕事はおれがやってやる。だが、戦いはしろ」

「それでも! 殺そうとしなくても、今回のように何かの拍子で殺してしまうことは、ある!」


 雫が最も恐れているのは、そこだ。

 本気の殺意を向けてくる人間に対し、こちらが殺意なく応戦して打倒できるものなのか。殺す気で戦わなければ、勝てないのではないか。そして、殺す気で戦ってしまえば、弾みで本当に殺してしまうのではないか。

 そういった不安だ。足元がぐらぐらと揺れているような、自分が今立っているのかすらわからないような、それほどの強烈な不安感。

 羽織は、それをばっさり斬り裂く。


「はっ、そこはてめえの意志次第だろうが」

「……私は、弱い。殺したくなかったのに、殺そうとしてしまった。咄嗟に刀を返して、」

「じゃあ、次は返さないようにすりゃいいだけの話だろうが。ウダウダさっきとか以前とか言ってんじゃねえ。知らねえよ、んなもん。大事なのは次どうすっかだろうが。次は殺さない、次こそは上手くやる――そうやって開き直っちまえ」


 遮って断言。

 それでも俯き悩む雫に、羽織は隠すでもなく大きく舌打ち。

 ここまで言って悩むというなら、この論法では納得しないということ。ならば少しやり方を変える。ちょっと特殊な、説得論法。

 不安を乗り越えられないなら、不安を制御させる。


「……おい、武具認識を知ってたんだ、“役割認識”も知ってるだろ」

「え? あっ、ああ、それは知っているが……」


 突然で意味のわからない問いかけ、どうにか雫は首肯し答える。


 役割認識――自己認識、武具認識、能力認識と並ぶポピュラーな認識のひとつ。

 自分の能力や具象武具から、自分の役割が“そういうものである”と認識することで、その役割に見合った力を知ってか知らずか行使しているという現象である。

「こういう能力、武具をもつならば、自分はこういうことができるはずだ。こういう役割の存在なのだ」――そういう曖昧な認識であり、自己認識と少々領分が被る。その曖昧さから、認識の中でも自己改革度合いは低めである。

 役割の例として、たとえば五条は“狙撃手”の役割を保持している。その認識により、気配遮断能力や視力向上など狙撃手には不可欠――と本人が思っている能力が簡易にだが上昇するのだ。雫が先ほど打ち倒したブーメランの狙撃手も、おそらくはリクスも同じく。

 一条や雫もまた、刀を具象武具としているのだから、自分は“剣士”なのだと無意識に役割を確定している。そのため剣士としての能力が僅かに上昇している。ただし、個々人が剣士に必須と思うスキルは違うので、上昇しているステータスは一条と雫では別だろう。

 浴衣や静乃、九条はその能力から“治癒師”と役割を自然と考えているし、条たち二条は“拳士”だと自負し役割とする。


 羽織は決め付けるように、びしっと雫に指を突き立てる。


「じゃあ、お前は刀だ」

「かた、な?」


 意味がわからない。雫は戸惑い惑う。

 惑わせることで心の隙間を生じさせ、判断力を低下させた上で丸め込む魂胆もあったりする。なので羽織は舌の根の乾かぬ内にまくし立てる。


「そうだ。刃があり、峰がある――片刃の剣。殺人も活人も併せ持つ鋭き刃金。自在に人を殺せると同時に、人を生かせる稀有な凶器のことだ。

 殺したきゃ殺せ、生かしたきゃ生かせ――そのどちらかを、お前が選べ。刀の如く、意志をもって選べ」

「選ぶ……」

「てめえの具象武具はなんだ? 刀だろうが。そりゃ魂の形がそれだってことだ。じゃあ、てめえにはできるはずだ、できてしかるべきだ、できないほうがおかしいことだ」

「できる。選ぶことが、できる」


 マジでおれはなにを言っているんだろうか……。考えたら負けな気がして、羽織は天を仰いだ。

 というか、具象武具が刀だから魔益師も刀だとか意味不明だし、刀であることができないとおかしいとか、論理的には破綻しまくっているのだが、こういうのは要は勢いなので問題ない。

 芝居がかった風な語彙選択もまた、雰囲気作りである。

 ここまで言ってダメなら、もう本当にダメだ。別な説得案もないので、雫を手駒にしようってのは、全てご破算となる。ていうかもういらん。

 羽織はそのため、後は静かに返答を待つ。これ以上重ねるような言葉はない。

 雫は言われた言葉を反芻するように何度も口の中で弄び、魂によって判断をする。

 魂にある巨大な不安。それと向き合う。

 そして魂は――選ぶ。


「羽織、」

「おう」


 どうなるか、羽織は固唾を呑んで続きを促す。


「――すまない、面倒をかけた」


 どうやら今回は羽織の勝ち――というか雰囲気と勢いの勝利――らしい。

 雫はいつものような、凛とした表情を取り戻す。ハキハキと、思いを言葉にかえる。


「まさか貴様にここまで言われるとは思ってもみなかった。だが、貴様に言われたからこそ、前を向けた気がする」


 まあ、それも狙いのひとつだ。

 いつも貶してくる者からの慰め。そのギャップによる効果も勿論、羽織は考えていた。ただし、意図したわけではなくていつもの態度から自然にそうなるのだろうな、という程度の想定である。

 幾重もの策により、雫は説得されたのだった。

 当の雫はなにも知らずに続ける。


「私はな……私は、別に不安が除けたわけではない。今でも不安感で一杯で、人と戦うと――もしかしたら殺してしまうかもしれないと、そう考えるだけで震えそうだ。これは一朝一夕で拭えるほど軽い嫌悪ではない。

 だが、貴様は選べと言ったな。私は刀だと、言ったな」

「ああ」

「私は、だから貴様に騙されようと思う」

「へえ」


 そういう、納得の仕方だったのか。言い包めておいてなんだが、羽織は感心していた。

 嘘をつき続けたせいで、どうやら雫は騙されることに慣れたようだ。それが、こう作用するか。


「貴様に騙されて、私は自身を刀と定義する。そして、私は絶対に人は殺さないと、今ここで選ぶ。選び確定したのだから、これで私に不安はない」


 最後のは、確実に強がりだろうけれど。

 その単純で実直で、素直な様は加瀬 雫だ。羽織が刀と称した、高潔なる魂だ。

 見事に立ち直った雫を眺め、やれやれと羽織は息を吐く。

 そして、もう二度とこんなことはしねえと心に誓うのであった。

 






 設定が変に煩雑で申し訳ない……。

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