第二十六話 追撃
「っぅ。時間差で爆発するとは……」
けほっけほっ、と爆煙にむせながらも雫は周囲を見渡す。もうひとりの安否を慮る。
「奈緒、無事か」
「なーんとかねー」
のそりと立ち上がる奈緒の姿に、少々の火傷以外に外傷は見られない。雫は安堵に息を吐く。
どうやら、範囲や見た目に反して爆撃はそこまで大した威力ではなかったようだ。
手加減をしたのか――なぜ? 疑問に思ってもしょうがない。雫は去っていった少女の方角を定める。眼光に、鋭角なる輝きが宿る。
「そうか、よかった。じゃあ、気兼ねなく私はあの少女を追うことにする」
怯んでなどいられない。
浴衣がさらわれたのだ、助けなければ。雫は即決即断していた。
先輩として、友人として、恩返しとして――絶対に助ける。
決意を胸に、雫は立つ。
そんなやる気を漲らせる雫とは逆に、奈緒は酷くバツが悪そうに目をそらす。
「雫、あたしは――」
「わかっている。奈緒は手を貸さない」
「ごめん。でも、あたしは……別に雫や浴衣ちゃんのことが嫌いとか、友達と思ってないとか、そういうんじゃなくて――」
「お前は戦わないと決めているのだろう? だったら謝るな。それで友情を疑うようなことはしないさ。……いってくる」
清清しいほどきっぱりとそう告げ、雫は少女を追いかけるために迷いなく屋上から飛び降りた。
風を御す魔益師たる雫ならば、この程度の高さは怪我をするレベルではない。
風による浮力で落下速度を軽減し、着地の衝撃を和らげる。着地と同時にそのまま全力で走り去っていく。
そんな勇ましい雫の背を眺めながら、奈緒は苦笑のように息を吐き出した。
「ほんとに、雫はカッコよくて困るなー」
それは、追いかけることをしない自分に対する、自嘲も混じっているのかもしれなかった。
雫は金髪の少女の去っていった方向へと駆けていた。
一旦見失ったため半ば以上に勘だったが、雫は少しも迷わずに全力疾走していた。その愚直さ、決断力は見事だが、選んだ道が間違っていたらどうするつもりなのだろうか。
とはいえ、どうやら今回はその愚直さが功を奏したらしく、ほどなくして金髪の少女の後姿を発見した。金髪だとわかりやすい。
「こっちか!」
雫はその後姿を、もはや視界からも逃さないようにとさらに速力を上げる。ここで一気に捕らえる腹積もりだ。
追いかけて、追いかけて、追いかけて。
何時の間にか、ひらけた場所にでた。
何時の間にか? 違う。
「……わざと追わせることで、ポイントに誘導された、か」
呟き、気付いた時には遅かった。雫は周囲を見渡す。
工場地帯、倉庫街。人目はなく、多少の音も届かない。なんとも、絶好の戦場ではないか。
既に少女の姿はないが、かわりにその空間にはなんとも刺すような殺気が充満していた。
足止め、ということらしい。
誰か別の仲間がここにいて足止めをする。浴衣をさらった少女はその隙に逃走する。そういう手筈が出来上がっていたのだろう。
思考がそこまで至り、消していた具象武具を再度具象化――その時。
ひゅんひゅん、という風切り音とともに、こちらに向かってくるこげ茶色の物体を雫は見た。
「ぶっ、ブーメラン!?」
全面木色で板状、への字形をし回転しながら飛行する飛び道具。
大昔は狩猟用として、現在においては玩具の一種として有名なそれは、確かにブーメランだった。
こんなところに何故そんなものが――思考は即座に戦闘中であると叫ぶ――ああ決まっている。これは敵の具象武具だ。
と。
そんな雫の考察思考をぶった切るようにして、
ブーメランの飛行、その軌跡から――いきなり拳銃があった。
「――は?」
黒光りする、よくテレビの向こう側でお目にかかるあのデザインである。
種別は門外漢な雫にはさっぱりわからないが、それが拳銃であることはわかる。自動拳銃、ピストル、オートマチック――ともかく人殺しの代名詞のような殺人武具であることはわかる。
だが意味がわからない。何故、拳銃がいきなり虚空より現れいでた――?
パニックの思考は、けれど次の瞬間に吹き飛ぶ。
何故かひとりでにその小銃の引き金が――脳よりも身体が反応した。全力で射線から身体を外す――引かれた。
けたたましい破裂轟音。射出される鉛弾。
咄嗟に射線から外れたことが幸運して、その弾丸は雫には被弾せず壁を撃つ。
雫は回避体勢のまま連射を恐れたが、それは杞憂に終わった。銃は一発放ったすぐ後には、嘘のようにその存在を失くしていたのだ。
どういうことだ、雫は奇妙な現象に少しだけ思考を走らせ――ああ、ブーメランはどうしたと思い出す。
残念ながら思い出した頃にはブーメランは姿を消しており、周囲には緊迫の空気だけが張り詰めていた。
「…………ふぅ」
待ち伏せされたことによる動揺。浴衣を追わなければという焦燥。いきなり銃撃に狙われた衝撃。もう少しで銃弾に晒され、死んでいたかもしれないという恐怖。
それら全てを飲み込んで、雫はいつもの通りに目を閉じる。落ち着けと呪文のように胸中で呟く。大丈夫だと暗示のように胸中で囁く。
様々なことが一挙に起こって、それでも自分を統御しなければ負けることは――死んでしまうことは目に見えている。だから落ち着く。
雫は、目を開く。
戦況の確認に移る。
お前の事情なんぞ知るか。そう言われた気がした。
ひゅんひゅんという独特のリズムを奏でて、向かい来るブーメラン。
雫のシンキングタイムなんて、考慮してくれるはずもなかった。なにをのん気に構えているのだか。
ブーメランの軌道は、雫を中心にして弧を描く。そして――だから雫を中心として拳銃が八丁、魔法のように出現、円形に配置された。
慌てずに雫は大きく身体を沈める。
連続して発砲音が立て続けに八度響く。だが全ての銃口は前方のみを指していたのだから、下方は範囲外。雫の頭上を弾丸が通過したのがわかる。
次撃には修正されるだろうが、この回は容易に全弾を避け切ることに成功。そして、雫には次撃は与えるつもりが全くない!
左手を地につき、右手で刀を大きく振り被る。その視線の先にはブーメラン。
ブーメランはブーメランであるが故に、投擲手の手元へ再度帰還せんと回転を続けており――
「はッ!」
だから雫は、刀を思い切り振るった。
ブーメランは投げ放った者の手元に戻る――ならば、ブーメランが帰還するその先には
「魔益師が、いる!」
刃は振るわれ、空気は揺れる。空気の揺れは風、雫がその風を増幅し鋭化。結果、岩をも断ち切る風刃となって奔る。
その速度はまさしく疾風。ブーメランを追い越して、その先の空間――ブーメランの帰りを待つ魔益師のいるであろうそこを断ち斬る。
――だが、手ごたえはない。
「?」
雫は刃を振り切った体勢のまま疑問に眉を寄せる。
どういうことだ。まさか外したのか?
相手もこちらの反撃には警戒していただろうが、風には色もなければ実体もない。つまりが不可視の斬撃だ。それが高速で殺到して、仮に警戒していたからといって避け得るものなのか? それに相手はこの戦法から見ても遠距離攻撃型の魔益師だ。攻め手に回れば本領だろうが、攻め手を敵に明け渡してしまえばたちまち押し切られると思った。
だが避けられた。
遠距離攻撃を仕掛けるような奴は、普通は狙撃ポイントから動かない。動いたとしても、風の速さに反応できるほどに素早くはないだろう。
それでも避けられたということは、単純に考えて相手は雫よりも上の実力者だということになる。
最近はそういう手合いばっかりで困る。雫はため息と吐いた。
それからとりあえず、相手の視界からその身をどうにか隠そうと、雫は手近なドラム缶の群を背にして一息つく。
下手に動けばブーメランが再び飛んできて、唐突にでてくる拳銃に撃たれてしまうだろう。隠れて相手の出方を窺うことにする。
ついでにさきほど中断させられた思考を引っ張ってきて、戦況を浮かべる。戦闘に必要な情報を整理する。
まずはおよそ一番重要なこと――相手の魂魄能力はなんだ?
これは二度攻められたがために見当がつく。
「“銃器の作製”」
確認のように口のなかで呟いた。
雫を取り囲むようにして銃器を複数作製、発砲。そして銃器は重力に従って大地へと落ちる、前に存在が歪んで消滅していた。
作製系最下級位階であるところの“作製”では、魔益師がその作製物と接触していないと、すぐに消滅してしまうのだ。次の位階になれば既にその問題は解消され、一個の物質として作製物は固定されるのだが、そうなっていないのだからこの相手の能力位階は“作製”であることは間違いないだろう。そして銃器を作製したのだから、能力推察の結論として“銃器の作製”。これはもう確定していいと思われる。
で、次。
具象武具は、さっきから鬱陶しいあのブーメラン。これもほぼ確定的だ。
というか。しかし全く。
ブーメランなんてはじめて実物――魂が具象化されたものだけど――見たぞ、雫は心の中で突っ込んでいた。
ブーメランが具象武具なので、そこを始点に銃器が作製される。だから飛行の軌道に銃器が設置されたのだ。そうなるとその変則的かつ、囲むような飛来軌道は厄介と気付く。
先ほどのように複数の銃器に囲まれては被弾しないでい続ける自信は、雫にはない。
なにせ相手は銃器だ。
雫は銃器に一切全く詳しくはないが、それでもその銃弾が目に見えぬほど速いということは知っている。“銃弾は速くて、人間生物には知覚できないもの”であると、そういう認識が普通はある。つまり、そういう認識が相手にだってあり、ただでさえ速い弾丸がさらに加速を重ねているに違いない。その上で周囲を囲まれ弾幕をはられたりなんかしたら、もう回避などできようはずもない。
せめて作製と発砲の間にラグがあるのが救いだろうか。そのおかげで、どうにか先の二撃はかわせたのだし。
敵の能力についての考察は、まあこの程度。
次に考えるべきは、というか一番考えるべきことは、この相手をどう打倒するかということ。
相手の姿が見えない。それは戦闘においてかなり不味い状況といえる。それも、能力から推し量って相手は遠距離攻撃を得意とするタイプだ。このままでは勝ち目はない。
狙撃手を相手取るにしてなさなければいけないことは、敵の潜伏場所を探し当てること。そうしなければいつまで経ってもワンサイドゲームのままだ。
そう、通常の遠距離攻撃ならば、およそ敵の位置の把握が最初の問題となる。だが、今回の相手はブーメラン。投擲後に、また手元に戻るという玩具。その手元に戻るブーメランが、相手の場所を教えてくれる。
場所の特定は不可能ではない。不可能ではないはずが、手ごたえがなかった。
こういう場合のセオリーとして、敵の遠距離攻撃と同じラインを通る遠距離攻撃を返せば、それで命中するものだが。今回の場合は、ブーメランの帰還のラインに合わせて遠距離攻撃を放ったというのに。
その、手ごたえがなかった。
回避されてるんだかなんだか、どういう理屈か知らないが、手ごたえが全くなかった。ともかく、当たってはないらしい。
その理由がわからないので、対処も無論にわかるはずがない。
どう打倒する――わからない。
「くっ」
見えない敵。それは随分と敵対がやり辛い。というか、それ以前に同じ土俵に立てていない。相手の手のひらで踊らされているようなものだ。
ここはじっくりと腰を据えて、敵の位置を炙りだすべきか。
いや、いつまでもこんな所に留まっていては、浴衣をさらった方の少女を逃してしまう。
ああもう、どうすればいいのだ。
対処法が思いつかず、板ばさみになった雫は苛立ち舌打った。
――仕方ない。
これだけはやりたくなかったとばかりに心底から嫌そうにため息ひとつ。そして、先ほど没収した浴衣の携帯電話を取り出した。