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第二話 再会





 明くる日の朝。

 羽織は九条 静乃(しずの)――すなわち、羽織の仕える九条家の現当主に呼び出されていた。

 九条家――表の顔は、この日本で古くからある財閥一族、条家十門が一家だ。

 財閥、といってもそこそこで、なにも漫画のように凄まじい金持ちというわけではない。

 しかしそうではあるが、九条家含め条家十門は全て古くからあるがために、家は広大な日本屋敷である。

 そして、困ったことに迷うほど広く複雑な構造をしていて、羽織も最初は難儀したものだ。

 慣れきった現在でさえ、使用人の部屋から当主の部屋などは遠く離れており、面倒な構造には変わりない。


「あー、ねむ」


 羽織は長い廊下を、欠伸を噛み殺して歩く。何故、同じ屋敷内で到着に五分以上かかるのか、羽織はため息をつきたかった。

 不満たらたらの体で、けれど歩みは確かに前へと進んで。

 そうして到着、九条家当主の私室だ。

 羽織はスイッチを切り替えたように表情を引き締める。同時に居住まいを正し、礼儀を重んじた声を出す。彼は主の前でのみ、人格が変わったかのように慇懃な物腰になる生物だった。


「九条様、羽織です。お呼びでしょうか?」

「来ましたか、入りなさい」


 恭しく述べた羽織に、答える声はたおやか。

 羽織は両手を使いゆっくりとフスマを開く。室内に入るのに一礼をして、それから頭を上げる。


「失礼します」


 室内は簡素な和室で、畳が敷き詰められた十畳。当主なのだからもっと広い部屋を使ってもよさそうなものだが、本人がここでいいと頑なに主張するのだから仕方ない。

 いつもと変わらず物の少ない部屋に、正座して羽織に静かな微笑を浮かべている女性は、九条 静乃。この九条家当主にして、羽織の主のひとりだ。

 高級そうな和服に身を包み、艶やかな黒い髪には髪留めにかんざしをさしている。嫌味にならないほどに華美で、穏やかそうな笑みがこの女性の全てを物語っているようだった。

 見た目からも雰囲気からも、今や絶滅したとばかり思われていた大和撫子という表現がぴったり似合う――それが九条 静乃という女性だ。

 と。


「ん?」


 静乃に注意のほとんどを投じていたために、今気付いたが。

 彼女の座る傍らには、何故か布団が敷かれ、誰かが眠っていた。

 誰だと思い、羽織は失礼にならないていどに顔を覗きこむ。


「なっ!?」


 使用人モードな羽織でも思わず、驚きに声が漏れ出てしまう。

 その声に、目を閉じ眠っていた人物――少女も気付いたらしく、寝ぼけ眼を開き羽織と視線を交錯させる。最初は不思議そうな顔で、次の瞬間には驚愕一杯の顔で、少女は叫ぶ。


「ん……ぁあ! 貴様はっ!」


 その少女は――目覚めた少女は、昨夜の雨に濡れた少女だった。


「「なんでてめえ(貴様)がここにいる!!」」


 咄嗟に吼えた言葉は、奇しくも両者同じもの。

 そして第二声までも――


「「なっ、それはこっちの台詞――って、真似するなっ!」」


 完全に言動が一致。ふたりはかなり息が合うのではないだろうか。

 羽織はこれ以上の合唱を警戒し口を噤み――同時に少女まで黙って、ふたりの波長は徹底的に類似していることが窺える――思考を回す。

 どうなってる。何故、ここにこの少女が?

 ふたりの態度に、おっとりながら静乃が口をはさむ。


「あら、羽織、加瀬(かせ)さんとお知り合いだったの?」

「加瀬? ……あぁ、こいつか。

 いえ。知り合いというほどでは……ぁ」


 何故、この少女がここにいるのか。一瞬前の疑問に、羽織はひとつの答えを見出した。

 少し頬を引きつらせつつ、羽織は静乃に向き直る。


「あの、九条様?」

「なんです?」

「えっと、今日のお散歩はいかがでしたか?」


 そう――静乃には、毎朝欠かさずひとりで散歩に出かける習慣があった。

 ぱん、と手のひらを打ち合わせ、まさにそれだと静乃は嬉しそうに語りだす。


「そう、そうなのよ羽織。今日、お散歩していたら、傷ついて倒れている加瀬さんを見つけたのよ」


 あぁ、やっぱり。

 羽織は内心ゲンナリしながらも、主の目には居住まいは崩さない。出来た使用人である。

 一応、念のためにわかりきったことを問うておく。


「それで、看病したんですね」

「そうよ。放っておけるはずないもの」

「……ですよねぇ」


 迂闊だった。

 毎朝、九条様が散歩をするのは知っていたはずだ。好奇心の溢れるお方だ、なんとなく魔気を感じる裏路地に行くことだって予測できた。

 そして、倒れたこの少女を見つけてしまうことだって、冷静に考えれば予測できたはずだ。

 悪いのは、間違いなく羽織自身だった。

 九条 静乃という人物の善性はなにも悪くない。困った人がいたら助けたくなるなど当然のこと、静乃は心底からお人よしなのだ。

 全くもって失敗した。あの時。

 あの時――


「あの時、おれが殺しておけば……!」

「最悪か、貴様はっ!」


 思わず、加瀬と呼ばれる少女は叫んでいた。意味はわからずとも、その言葉は最悪だと思ったから。

 横で静乃は母親のように、羽織をめっと叱る。


「ダメですよ、羽織。そんな言葉を使っては」

「……申し訳ありません」


 主に対してのみ、羽織は常時には考えられないほどに素直で、敬虔だった。

 よろしい、と静乃は頷き、次にはあぁそうです、と思い出す。


「それで、ですね羽織」

「つまり私が、この少女の世話役をするんですね?」


 容易に見えた言葉の先を、羽織は内心ため息乱舞で先に述べた。


「その通りです」


 羽織の内心など全く知らぬ静乃は、我が意を得たりとばかりににっこり笑った。

 美しい笑みに気圧されつつも、羽織は無駄な抵抗を諦めない。


「何故、私なのですか」


 ちなみに、羽織は主に対してのみ一人称すら変わる。切り替えの上手い男なのだ。

 羽織の疑問に、静乃は不動の笑みで答える。


「わたくしが羽織を信頼しているからですよ」

「……承知、しました」


 菩薩のような完璧な笑みに、異論など通じるはずがなく。

 いつものように、羽織は頭を垂れる他に道はなかった。






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