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第二十一話 見舞い






 魔害を扱う魔害物の討伐がなってから三日後――ちょうど羽織がマッドと対談している頃――ようやく寝こけていた四条家当主は目を覚ました。

 客間にて、九条家当主である静乃が献身的な治癒作業を施したお陰か、すっかり傷もよくなった。後は数日ほど休んでいれば、後遺症もなしで日常生活に戻れるだろう。

 起きてすぐに、四条は自分が気絶した後がどうなったのかを静乃に問い、ざっと丁寧に語られて――ひとこと。


「んん? そーかそーか、おれの蹴りがそこまで効いてかィ。流石はおれってところだな」

「ええまあ、それは否定しませんけど」


 静乃は珍しく、感情をこめずに応えた。

 無表情は、無感情は、努めて自己の感情を抑え込んでいるが故だ。

 とはいえそうして説明を理由に、どうにかいろいろな感情を堪えていたのだが――唐突に糸が切れてしまう。

 静乃は吐き出すようにして、ほとんど涙ながらに四条を責める。


「四条、ダメじゃ……ないですか、死ぬところ、だったんですよ?」

「……悪かったよ」

「なんで……なんで自分を大事に、してくれないのですか。死んでしまったら、死んで、しまったら……」

「あーあー、悪かったって言ってんだろ? 泣くな泣くな、この泣き虫女」

「泣いてなど、いませんよ。ただ、呆れているだけです」


 静乃は強がって言い、その表情を隠すように顔を背けた。

 いつもの態度とはえらく違い、静乃はもう子供のように感情を発露していた。これもまた、九条 静乃の側面のひとつ。


「誰かを庇って死に掛けるだなんて、本当に、呆れてものも言えません、よ」

「あー」


 毎度これだ。

 四条は天井を仰いで、似合わないため息を吐き出した。

 怪我をする度にこうして九条に泣かれて、もうこんなところに二度と来るかと思う。それでも、四条は戦いをやめないのだから、こうしてまた九条を泣かせている。

 静乃は別に、四条だから泣いているというわけではない。誰であれ、彼女の対応は変わらない。四条はそのことを充分に理解している。

 戦場に見送る際には微笑んでいるくせに、帰ってきたら無傷であろうと安堵に泣きじゃくる。傷を負っていれば、無論にもっと泣きじゃくる。死んでたりなんかしたら、それは――死んだことのない四条は知らないけれど。

 確かに同じ一族の親戚同士であるが、とはいえそこまで関係性が築かれているわけでもなかろうに、それでも彼女の涙は尽きることがない。

 優しい、とか四条は全然思わないけれど――ただ厄介な女だと、四条は思う。

 四条は毎回困り果ててしまう。心配されて、それがむず痒い。安堵されて、それがこそばゆい。涙されて、それが痛い。

 こんな気まずい中で寝こけているくらいなら、絶対に魔害物の大軍に囲まれたほうがマシである。むしろそれなら望むトコである。

 四条は心底、九条 静乃が苦手であった。

 もういっそ逃げてしまおうか。四条がそんな思考に思い至った頃。


「すみません、失礼してもよろしいでしょうか」

「よろしいでしょうか」


 凛然とした声と努めた真面目な声が、フスマの向こう側から届いた。

 誰と誰の声だ? と首を傾げる四条を尻目に、九条が涙を指でふき取り易く請け負う。どうやら声で誰だかわかったらしい。


「ええ、どうぞ加瀬さん、条さん」

「「失礼します」」


 フスマを開き敷居を跨ぐ少年は、顔にも名前にも覚えがあった。確か二条ンとこのガキ。

 だが。

 少女は、どこか見覚えのある少女は、名前が思い出せない。おそらく知っているのだが、思い出せない。

 四条が記憶を探っていると、少女――雫のほうから心配色の声を発する。


「四条様、その、大丈夫ですか?」

 

 その問いに、条も身を乗り出して興味を示す。

 なんで心配してんだ、とか思いつつも四条は誰であれ弱みを見せるのを是としない。強気に勝気に笑う。


「あ? だいじょうぶに決まってンだろ? おれを誰だと思ってやがンだ」

「それは、よかった」

「ああ」


 その返答に、ふたりして物凄く安堵を浮かべて、いよいよ四条には意味がわからない。


「なあ……二条ンとこのガキはわかるがよ、お前誰だっけ?」

「えっ? あっ、あー。私は――」

「自分が庇った人の顔くらいは覚えておくものですよ、四条」

「おれが、庇った……?」


 静乃の割り込みに、四条は真剣に考え出す。基本的に使用することのない脳みそを稼働させて、四条は庇うという単語と目の前の少女とで検索してみる。

 …………。

 …………。

 …………あ。


「あー、思い出した出した。確かえー、雫か」

「はい、加瀬 雫です。その節は、本当にありがとうございました。四条様に庇っていただけなければ、おそらく私は生きておりませんでした」

「俺もです。ありがとうございました」


 雫と条は、ふたり揃って頭を下げた。というか条は静乃がいるのでかなり控えめだった。

 そういうことをされると居心地が悪い、四条は照れ隠しのように素っ気なく言う。


「ンな礼なんざいらねェよ。頭あげろ、ガキども」


 おそらくは、こういう真っ直ぐな礼には慣れていないのだろうから、逆にこの行為は不愉快か。ふたりはそう結論し、苦笑しながら言われたとおりに頭を上げた。

 しかし用事はこれで済んだことになる。雫と条はさてこれからどうしようと、少しだけ困ってしまう。

 と。不意に、四条が笑った。それも危険な雰囲気をかもし出した、獣のような笑み。

 ――雫は死ぬほど嫌な予感がした。


「――そうだ、雫。確かあの魔害物を倒したのは、おめェだそうじゃねェか」


 どうやら先ほど静乃にされた話を思い出したらしい。


「あー、まあ、一応はそういうことになっていないこともないですが……」


 思い切りバツが悪そうに、雫は言葉を濁す。嘘などつきたくはないが、本当を語ることができないのでそこを否定できないのだ。

 その明確な否定のない言葉に、四条はあらゆる意味で物騒な、それでいて純粋な笑みをさらに深め。

 ――嫌な予感だったものが、そこにきて確信へと成長してしまった。


「お前、強くないだなンて言って、ホントは強かったンじゃねェかよ。そいつはいい、今からおれと――」

「――四条」

「っ!」


 もうなにを言い出すのか誰しも予想できただろうが、その言葉は静乃によって断ち切られる。

 静乃はいつものようにその表情こそは微笑みを浮かべていたが、目はこれっぽっちも笑っちゃいなかった。

 そんな静乃を初めて見た雫は何故か震え上がり、呼ばれた四条もどうしてか冷や汗を流していた。

 いや、非常に矛盾した感覚であるのだが、恐いというわけではないはずなのに恐い。逃げ出したいような恐怖ではなく、逆らってはいけないような恐怖である。

 静乃は本当に一切の感情を交えずに淡々と続ける。


「今あなたは絶対安静ですよね、四条?」

「おっ、おう」

「それでまさか、はい? 今から、なんですか?」

「なっ、なんでもねェ。なんでもねェよ悪かった!」

「ならばよいのです」


 ふっ、と張り詰めた空気は霧散し、恐くないのに恐いという謎の感覚は消失した。

 即座に雫は条に視線を送り、ちょうど雫に視線を送ろうとしていた条と目を合わせる。

 無言で、頷きあう。

 強烈な危機感がふたりにアイコンタクトを可能としていた。


「ええと、そろそろ私たちは退散させてもらいます!」

「四条様、養生してください。では失礼!」


 四条でも静乃でも、どっちにしたって長居はヤバイ。ふたりは直感的に悟っていた。そそくさと足早に、ふたりは逃げるようにして退室――

 する直前、四条が声を上げる。


「おい、雫」

「なっ、なんですか?」


 ビクっと雫は肩を震わせ、それでも無視などできようはずもない。ゆっくりと振り返る。

 すると、四条はあっけらかんと秘されたその名を告げる。


「おれの名前な、四条 矢継(やつぎ)ってんだ」

「――え?」

「名前だよ、名前。おれの名前。いずれ喧嘩する相手だ、真っ当に自己紹介くらい済ませとかねェとな」


 あっはっは、と四条はなんも考えてなさそうに笑った。








「条家において下の名前は特別な意味をもってる。条家の退魔師が外で仕事を行う時だって、大概は名乗らない。姓で呼ばせる。名を伏せる慣例があるんだ。特に当主ともなると、滅多に名乗ることはないぞ」

「そう、なのだよな……」


 条の説明に、雫は噛み締めるようにして頷いた。

 四条がいきなり名乗るもんだから、雫はどうすればいいのかわからないでいた。

 いや、光栄ではあるのだ。条家の当主が、自分を認めてくれたのだから、嬉しくないはずがない。だが……なんだ、その、畏れ多い。

 これどーすればいいんだ、という顔をして雫は悩ましげに頭を抱えていた。

 頭を抱えたまま、雫は言う。


「でも、条や浴衣、それに九条様はすぐに名乗ったじゃないか」

「俺はそういうの気にしないし、浴衣ちゃんや九条様は、ほら、ああいう性格だから」

「むっ、むぅ」


 説明として全く不完全であるのに、何故か物凄く納得できる言い方である。

 条の適当さ、ふたりの善性。

 それだけで、納得できてしまう。

 いや、で、あるならば、四条家当主も性格的に納得できるのではないか?

 条も言ってて気付いたらしく、加えて意見する。


「四条様もあんま考えてなさそうだったな……」

「確かに。喧嘩する相手になら誰にも名乗って当然という風だったな」


 そこまで真面目に考えなくてもいいか、雫は安堵なんだか苦笑なんだか落胆なんだか、よくわからない曖昧な表情をして息を吐いた。




 雫は魂に根付いてしまった魔害の療養のために、九条家によくよく訪問するようになっていた。

 そのため最近は客人という身分に慣れてきたのか、雫は結構気安く九条の屋敷に遊びに来られるようになっていた。魔害が刻まれた魂ではおちおち退魔師の仕事をしてはいられず、だから暇を弄んでいて、そこを浴衣に誘われたりするのだ。勿論、自分から足を運ぶこともあったが。

 それで今回は、まあ四条のお見舞いが目的だったわけだが、それで帰るのも味気ない。少し縁側で条と雑談を交わしていた。




 条が適当に話題をふる。


「にしても、あれだよな」

「それではなにが言いたいか全くわからんぞ」

「あれだ、あれ。ちょっと前までは暇だったってのに、最近は忙しいよな」

「……私はその暇だった時期の条を知らないのだが、ふむ、まあ武器を扱う魔害物なんて危険な敵手、その複製をばら撒くなんてイカレた人間。物騒なものだ」

「他人事みたいに言うなよ。そのイカレた人間を、条家は今全力で探し回ってる」


 条家でも未だ見つけることができていないその男と、ほんの少し前まで羽織がお茶していたと知ったら、雫は一体なんと突っ込むだろうか。

 そんな事実を知る由もなく、雫は遠くのどこかを定めることもなく眺めながら、疑問する。


「マッド、だったか。一体どんな目的があってあんなことをしでかしたのだろうな」

「さーなー。オヤジも意味がわからんって言ってたし」


 思想に関しては、未だに僅かも不明。条はお手上げとばかりに両手を挙げた。

 いや、“生”を支配するとか言っていたか。とはいえ、意味不明度合いは大差ない。どのような意味なのだろうか。


「まあ、目的がなんであれ、探し出して処断しないといけない。条家の名にかけて」


 これでも二条家直系の条。言葉は少々硬く鋭い。

 ここまで条家を掻き乱したのだ、それ相応の報いをくれてやらねば条家の名折れなのである。

 そういった事情もあり、今回は三条家が特に精をだしているとか。三条は最も条家の名を――いや、強さを重んずる一家なのである。

 そんな風に軽々しく結構な内情を軽く語る条に、雫はいささか表情に困り問う。


「というか、そういう情報は漏らしていいのか? 私は一応、部外者だぞ」

「え――ぁ、あー! そういえばそうだった……。すっかり忘れてた。気分的には条家の関係者な感じで喋ってた」


 適当だ適当だとは思っていたが、そこまで適当だと雫は呆れてしまう。


「だっ、誰にも言わないでくれ! 俺が叱られる!」

「いや、勿論、言うつもりは元よりないが」

「助かる」


 本当にありがたそうに、条は両手を合わせた。

 自分でバラしておいて、自分で口止めしていてはどうしようもない。

 条は何か思いついたようにして指をたてる。

 

「んー、そうだ、会話はやめにしよう」

「は?」

「いやだってほら、俺がまた思わず情報漏らしちまうかもしれないだろ?」

「あー、そうか」


 なんて秘密に向かない緩い口元なのか。いや、羽織なんぞと比べると好感をもてる性格であるのだが。

 条は子供のような無邪気さで続ける。


「だからさ雫、四条様じゃないけどさ」

「ん、なんだ?」

「一回、軽ーく戦ってみないか?」








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