第一話 雨の日の邂逅
雨の日に外にでるものではない。
ため息とともに、男はひとりごちた。
それは猫背でダルげな表情。弛緩しきった頬肉に弛んだ瞳。なんとなく小物っぽい、テキトーを絵に描いたような十代後半の男だった。
服装もテキトー極まりなく、安物のジーパンに無地のTシャツ。その上から袖丈の長い和風羽織りを身につけているのが他とは奇異で、だから印象的である。
ついでに手にもつ傘も、和風装飾が施され高価であると視覚に訴えるものであり、男に似つかわしくない。逆の手にはコンビニの袋をもっているのだが、こちらは異様に似合っていた。
彼の名は、羽織。
一応、現在暫定的に姓は九条となっているが、実際のところこのご時世には珍しく姓はない。
別段それで困ったことはないが、姓がないと不便だろうと、現在仕えている女性に言われては、断れるはずもなかった。
ということで。
男の名は、九条 羽織。
九条家という名家の、単なる使用人だ。
そんな彼は今、機嫌が悪かった。現在状況に苛立っていた。
ざぁざぁ降りしきる雨は傘だけでは防ぎようもなく、服がところどころ濡れてしまって鬱陶しい。雨が地面に水溜りをつくり、それを踏んでは足を汚す。足が湿って気持ち悪い。歩くだけで、大変ムカつく状況の繰り返し。
だから、雨の日に外に出るのは嫌だったのだ。
それも現在の時間は深夜だ。足元が見えなくて足が汚れる汚れる。濡れる濡れる。
だが、仕えている九条家の当主に頼まれたお使いだ。無下にできようはずもなかった。
たとえ唐突にコンビニでお茶を買ってきてという、パシリ的な頼みであっても、だ。
面倒ながらもお使いは済ませ、現在は帰宅中である。
「だる」
呟いて、羽織は羽織った上着の袖の袂に左手を突っ込む。コンビニの袋を、突っ込む。羽織の着る服の袂は大きく、ペットボトル一本くらいなら易々入るのだ。
どうせなら右手も突っ込み、似非中国人ごっこをしようかとも考えたが、傘をもっているため断念した。
だから、雨は――
と何度目にかになるため息を吐こうとして。
気付く。
「ん?」
進行方向、近道として毎回利用していた裏道。
その裏道に、何故か結界が張ってあった。コンビニへ行く時は別の近道を使ったので、気付いたのは本当に今だ。
強い結界ではない。簡易で、一般人を弾くためのものだった。
それは魔害物が作る類のもので、戦好きの魔害物が獲物とサシで戦り合いたい時に使う種だと、羽織は一瞬で看破した。
「ふーん?」
羽織は左手を袂から出し、顎におく。些か考える。
おそらく魔益師と魔害物が戦っているのだろうが、ここは近道だ。
安全だが、遠回りになってしまう通常の道とは屋敷に辿り着く時間は数分だが、確実に違う。まあ、他にも近道はあるにはあるが、少々道順が違い、現在においてはこの裏道が一番の近道となっている。
となると。
結論は、ひとつだった。
「めんどぃ」
言って、羽織は躊躇なく結界に割り込み、その内部へと侵入した。
外部干渉に強いものではないので、ちょっとチクチクする抵抗感はあったが、容易に割り込めた。
すると。
「……んあ? 逃げた、か。こいつはラッキーだな」
無音で、結界が解けた。
どうやら侵入を感知して、結界を張った魔害物は即座に逃げたようだった。
これで戦場を突っ切るような面倒をしなくてよくなった。
羽織は少し機嫌を良くして道を進んだ。
と。
どれだけか歩んで。
ようよう魔気が強くなってきた辺りで、ひとりの少女が倒れているのを発見した。
身体中ズタボロで、流れ出す血を雨に洗われる、もう生きてはいないだろう少女。
「ふん? そうか、おれが入った時、ちょうど殺したってわけか」
だから、魔害物はこの場から去ったのだ。戦闘欲求を満たし、闖入者の相手が面倒になったのだろう。
羽織は思いついた自説に頷いた。
そんな気安い機微や、死体を目にしての冷静な思考回路から、羽織にとって血や戦闘は日常なのだとわかる。
だからか、倒れ伏した少女を見やる羽織の目は冷め切っていた。
「ま。弱い嬢ちゃんがわりぃ」
冷徹に言い放って、羽織は気にせず足を動かそうとして、
「…………」
「あん?」
感じた。
それは呼吸音か、心臓の鼓動音か、微かな気配か。なにを感じたのかわからない。
だがともかく死んだと思っていた少女の、生きている証明を、羽織の鋭い感性は感じ取ったのだった。
少女は、微かに口を動かす。
「……けて」
喉が潰されてしまったのだろう、声とは呼びがたいしわがれた音しか鳴らなかった。
少女は構わず羽織に訴える。
「……たす……けて」
痛いだろうに。辛いだろうに。
それでも少女は助けて欲しいと告げる。
まだ死にたくはないから。まだ、生きていたいから。
だから、決死で声を絞る。
「たす……けて……」
「なんだ、生きてたのか」
まさに命を懸けた少女の助命嘆願。
それを受ける羽織は、どこかかったるそうに頭を掻き、そぐわない感想を述べるだけ。
そこからは、感情が動いた様子は一欠けらさえ感じ取れなかった。
死に瀕した少女には、それが気付けない。ただ助けを求めることしか、できない。
「たすけ、て……ださい。たす、け」
「……ち」
うるさそうに、舌打ちを一発。
そして。
羽織は、その命乞いの一切を無視して通り過ぎた。
「……ぇ?」
「全く……助けてだと? 知るか、勝手に死ね――おれに助けを求めるな!」
振り返って、怒ったように冷徹傲然と言い放つ。そして本当にそのまま通りすぎ、羽織はその姿を消した。
雨と血に濡れた少女は、ひとりその場に取り残される。
――雨は、より一層の激しさを増すばかり。
一応、主人公はこいつのはずです。