第十五話 喧嘩
「うわっ、誰だよ、運わりぃのは」
「貴様じゃないのか」
「羽織だろ」
「なんでだよっ!」
六条の予言は、はからずも的中してしまったらしい。
さあ二戦目だと飛び込んだ結界の中で、三人を待ち構えていたのは尋常ではない殺気を放つ獅子頭の魔害物だった。
既に地面には死体が幾つも転がり、衝動の発散をしたらしいが――それでもこの狂気的な殺意、そして絶望的なまでのプレッシャー。
間違いなく。間違いようもなく、本物だ。本物の、武器を扱う魔害物だ。
しかし――
「どーすんよ、これ」
「どうすればいいのだろうな、これは」
「どうするんだ、これ」
三人は困ったように呟いて、視線を前へと向ける。
そこには、
「はははははははははははははははははははははははははははは!!」
「カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ!!」
壮絶な戦いを繰り広げる、四条家当主と獅子頭がいた。
高速機動で翻弄する四条に、獅子頭は両手の小太刀に加えて増幅する腕を複数はやして応戦する。
両者共通として、笑っていた。戦いを心の底から楽しんでいた。命がけの行為を、戯れとして遊んでいた。
つまるところ、先を越されたのだ。四条には連絡が届いておらず――彼が携帯を携帯していないからだ――自由きままに魔害物を遊撃していた所にあたってしまった。
こういう場合を想定しておらず、条たちはどうしようか困ってしまって、とりあえず観戦しているのだった。
雫は解説役っぽく、口を開いた。
「あれが四条の血統に宿る能力“物体の加速”か。確かに、疾い」
雫が目を凝らしても、遠くで眺める分にはその姿はほとんど見えない。掠れてかすかに人の影が映るていどである。相対する獅子頭ですら、精確には知覚できていないようで、広範囲攻撃で対応していた。しかし少しも当たっていないようで、四条の笑い声は続いていた。
本当に速い――条家最速の号は、伊達ではない。
だが。
「速いは速いが……“瞬殺舞踏”? あれが?」
雫は困惑のように眉をへの字にした。
四条の理想、極致。
『踊るように舞うように、足運びは美しく。ただしその足捌き、誰にも知覚できやしない。光を視認できないように、気付けず気付かず瞬殺する』――“瞬殺舞踏”。
なのだが。
「全然、瞬殺してないぞ。本当に理想を目指しているのか?」
というか、理念だけ聞けば華麗なる舞踏家か、暗殺術的な感じかと思ったのだが、その当主は大笑いしながら戦っている。華麗というか苛烈。隠れるどころか、自己主張しながら戦っている。完全にイメージと真逆である。
条は一応、同じ条家十門という義理的な感じで弁明しておく。
「いや、あれは四条様の悪い癖だ。あーいう戦い方をするのは四条家でも当主のあの人だけで、普通の四条は不意打ちか、それかヒット&アウェイが基本だ」
「癖?」
雫が首を傾げて問うと、条が苦笑で口を濁す。
「現行の四条家当主、つまりあの人は……その、なんというか――」
「喧嘩好き」
濁したのに、羽織がさらりと言ってしまう。
とはいえ事実、四条は喧嘩好きで、戦闘狂なのだ。
戦いを娯楽とし、戦闘を遊戯とし、闘争を愉悦とする――魔害物によく似た思考回路をもつ男、それが四条である。
ていうか、総会で言われたことをまるごと無視してやがる。いや、四条が言うことを聞くなどとは、誰も考えていなかったが……。
羽織は肩を竦めた。
「遊んでんだよ、あれは。全力も最高速もまだまだ出してねえ」
「そっ、そうなのか……」
受け応えた雫の表情は、少し引きつる。
確かに全力ではなさそうだなと思っていた雫だが、やっぱりあれより速くなるのか。風により機動力を上昇させることのできる雫をして、その速度は尋常ではない。
まさか光速くらいいくのか? 雫は馬鹿な妄想だと、内から沸いたその疑問を切って捨てることができなかった。条家最速の当主だ、どれほどの実力――速さかなど、予測できるはずもない。
そんな驚異の戦闘シーンを眺めているというのに、感心なさげに羽織は天を仰いで、無気力そうに呟いた。
「どーする? 割り込んだら怒るぞ、ああいうタイプは」
「だよな」
「というわけで、おれらはゆっくり観戦でもしとこーぜ。よかったじゃねえか、条家当主の戦いを見れるんだぜ?」
「む、確かに」
「あーあ、戦いたかったのにな」
雫は素直に頷き、観戦に徹する。条は唸ったが、それでも四条の邪魔をするほうが恐い、黙って見守る他にはなかった。
三人の視線の先で、観客が観客のままでいることを選択したことなど……いやそもそも存在すらも意識の端にも捉えず、四条と獅子頭の戦いは激化の一途を辿る。
「うは! うわははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
四条は笑っていた。いやもう大爆笑だった。というか呵呵大笑であった。
笑って笑って、楽しみまくりながら戦っていた。
ここまで骨のある奴は久々だ、存分に戦わせてもらう。四条は最高速と決定打を自主的に封じて戦っていた。
四条の具象武具は靴だ。
機動性しか考えられていないスポーツシューズの形をしていて、走ることと喧嘩をすることしか考えていない四条の思想を忠実に反映した武具である。
そしてその能力が為せることはただひとつだけ――それは加速。ただ加速するだけ。ひたすらに加速加速と一辺倒。他の全てを差し置いて、加速にのみ全精力を費やす。
少し応用しようと思えば、そこらの石ころを蹴飛ばし、それを加速することで弾丸のように撃つことなども可能なのだが――四条はそんなこと考えもしない。考えようとすらしない。
四条はただ蹴る。真っ向から蹴り合う。足技のみで喧嘩する。
その力の全てを、速力の向上にのみつぎ込む。
「おらおらァ! おれはこっちだぜェ!? どこ見てやがんだ木偶の坊!」
叫びながら、高速駆動で獅子頭の知覚から外れ、一瞬後には獅子頭の後頭部をつま先で蹴り薙ぐ。
岩をも砕く威力に、獅子頭は前方に吹き飛び――ながらも蹴られた箇所から腕を生やして四条へ反撃。しかし、その伸縮速度は四条に比してあまりにも遅い。腕が四条のいた空間を叩く頃には、その四条は吹き飛んだ獅子頭の正面に。
「カカ?」
「ノロマが!」
罵り、突き刺すような蹴撃。
獅子頭は反射的にギリギリ両手の小太刀を重ねて受け止め――た瞬間には、四条の脚は引き戻っている。そして蹴りの乱打。乱打。乱打。
蹴りは細心の注意を払って手加減し、受け止める小太刀が砕けないようにする。もっと抵抗しろよと手を抜いて反応を楽しむ、四条の悪い癖。
――とはいえ、流石に高速の足裏を数瞬の内に四十二度も連続されては、魔害を形にした武器とはいえ砕ける。
いとも容易く、砕け散る。
砕いた勢い余って、四十二撃目をそのまま四条は獅子頭のがら空きの腹部に蹴りこんでしまった。
「あちゃ……」
直撃したというのに、四条は失敗を感じる。
四条の蹴りがジャストミートしてしまっては、通常の魔害物では消滅必至。こいつでも倒れてしまうかもしれない。
これは終わりかもしれないな……。いやいや、終わらせないでくれよ。
もっともっと喧嘩したい――純粋無垢にして血みどろな四条の祈り、それが通じたのか。
「カタカタ!」
獅子頭は笑って見せた。
即座に蹴り飛ばされる勢いのままに、自らも後方に跳び退き威力を極力殺す。そして、その手に再び小太刀を作製、握り締める。
そんな臨戦態勢の魔害物の姿に、四条は我慢ならずに大口開けて、歯を見せつけて、腹を抱えて笑い出す。
「ふは! ふははは! うわーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!
よく耐えた! こりゃ楽しくなってきたぜ! 楽しいなァ、おい! お前もそう思うだろう? ええ、魔害モン!」
「カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ!」
獅子頭も応えるように歯を鳴らし、狂笑を轟かす。
楽しいのだと、高揚感を笑い声にかえて世界に放出する。
両者の笑い声が響き、重なり、世界を揺るがす。世界を嘲笑っているかのように、笑い止らない。
ああ。それは、その光景は、まるで魔害物同士の殺し合いのよう。
ああ。そこは、その場所は、まるで戦闘に狂ったモノどもの最高の遊戯場になってしまったよう。
いち早く笑いをおさめたのは、四条。早く戦いたくて、笑いをがんばって収めたのだ。
右足を後ろへ、駆ける準備をなす。
「いく――」
言うがいなや瞬間移動のような唐突さで、
「――ぜ!」
四条は獅子頭の直前まで踏破していた。
脚が振りあがり、膝を曲げ――構えた獅子頭を高速の最中で認識、四条は笑みを刻む――瞬間、思い切り軸足を折り曲げた。
上段にフェイントをいれガードを誘い、下段に本命を叩き込む。
それは完全に無警戒の脚部への脚払い。雫では小揺るぎもしなかった攻めだが、四条の技は獅子頭の足を容易く刈り取る。獅子頭が中空に浮かび上がる。
四条の脚は軽やかにうねり、浮いて死に体の獅子頭を狙い打つ。獅子頭は咄嗟に腕を生やして両足の代わりに腕で立つ。死に体から脱する。そして、なんと退かずに前進。
四条の蹴りに、自分から向かう。
小太刀を煌かせ、首を狙いながら突貫する。
肉を斬らせて骨を絶つ――そんな難しい言葉を魔害物が知る由もないだろうが、確かにその言葉の通りの戦法だ。
「ひは!」
思わず四条の口から笑みが漏れる。
楽しい愉しい命懸けの勝負に、感情が膨れ上がってしまった。
四条は喜色のせいで、無意識の内にさらに加速していた。獅子頭に合わせて抑えていた分が、少しだけ表に出た。
加速した脚は、三度決まっていた。
一度目――獅子頭の右の小太刀を蹴り砕き。
二度目――獅子頭の左の小太刀を蹴り砕き。
三度目――獅子頭の腹部を蹴り叩いた。
肉を斬らせず、骨を絶つ――それほどの速度。条家十門最速、四条家当主の最速の蹴り。
「まだだ! まだ死ぬんじゃあねェ!」
獅子頭が蹴りの勢いで吹き飛ぶ――それよりも尚速く追撃、蹴りを叩き込む。こもうとした。その直前で、
「カタリ」
獅子頭から腕が爆発のように生えた。
その身体中一部も余すところなく、黒の腕が生えて生えて、そして伸びた。
それはそう、針千本がその身を護るように、身体中の端から端まで区別なく、腕が生えまくる防衛本能。
ただし千本などという極小の数など置き去りに、数え切れない膨大数にまで増殖。爆伸。世界を黒く押し潰す。
しかも、その腕の一本一本全てが小太刀を握り、刺突のように構えあまねく裂き貫こうとしている。
それは周囲全域への攻撃という名の防御。
腕を棘として、触れんとする四条を阻む攻性防壁。
しかし四条は放った蹴りを制止することもなく、そのまま腕の一群を砕き、第二陣が迫る直後にバックステップで距離をとる。
ただの後方跳躍でも、四条の能力“物体の加速”により高速となる。腕などよりもずっと速く、四条は後退した。
……後退。真っ向勝負を信条とする四条が退いたのは、非常に珍しく、性質的には死んでもありえなさそうな行為であるが、何故そんなことをしたのか。それは黒き腕の奔流、その全容が見たかったからだ。
全貌が見える位置まで、四条は文字通り瞬く間に退く。
急増と伸張を繰り返し押し寄せる腕は、しなるように走る黒の蛇の群れのよう。そんな直接的な死を想起させる、全人類に等しく畏怖と戦慄を植え付けるような情景だったけれど、四条には笑みしかなかった。
「面白れェ。全部蹴り砕いてやんよ!」
加速。再び前方へ。黒い腕が密集してできた針の壁へ。
一足跳びで音の域を乗り越え、迫る壁のまん前に四条は陣取る。
そこにいては膨大なる腕の奔流に呑まれ、裂かれ、砕かれてしまうことがわかりきっているだろうに。
それでも、四条は一切臆さず焦らず。
いっそゆるやかに腰を落とし、膝を軽く曲げ、右足を一歩だけ退き、構えを整える。深呼吸する。
「すぅ――はぁ」
息を吐き出すと同時に――四条は蹴り放った。
なんの工夫も細工もなく、真っ直ぐ前方に足を突き出した。蹴りという行為の内、最もスタンダードと言えるほどの型どおりの蹴り。
その蹴撃は小太刀を砕き、腕を薙ぎ、黒を蹴散らす。そして蹴った反動を活かして、足は引き戻り、再び構えをとる。
そして、再び全く同じ動作で足を突き出す。
蹴りを、また放つ。まだまだ放つ。幾らでも放つ。速く多く、蹴りを放つ。
速さは数にも直結する。速いが故に莫大な蹴り数となって、膨大な量の腕を蹴破り、蹴り抜き、蹴り砕く。
膝を使い、カカトを使い、足裏、足の甲、つま先まで、脚のあらゆる箇所を用いてただただ蹴って蹴って蹴りまくった。
それは、増殖速度よりも自身の脚のほうが速いと――四条の確信ゆえの回りくどい選択。
実際は、四条が全力全霊全開で、助走込みの突撃キックをかませば、おそらく腕の群などものともせずに吹き飛ばし、魔害物を消滅せしめていただろう。一撃で、勝敗を決せれるだろう。
だが、四条はそれをしなかった。
相手に全力を出させておいて、真っ向から捻じ伏せる。自分の力を信じて真正面から打ち砕く。
しかも自分は全力をださずに、相手に実力をあわせて、さらには最も面倒な方法で。ともかく自分を不利に追い込む。
そして、勝つ。
それは誇り高い戦士を相手取った場合は、最高峰の侮辱にも等しい行為。
だが、戦闘を楽しむための行動。
四条が楽しみたいがためだけの、相手の自我を完璧に無視してともかく我に走る、四条の精神性からくる暴挙。
そうして、確かに四条の盲信の通りに、増殖よりも蹴りのほうが速かった。
千を累乗し続ける増殖速度に対し、ただ単純に百ずつ引き算していくような絶望的な一過程の差を、速度だけで覆した。
やがて黒の全ては蹴散らされ、しかし四条は止まらない。あまりの速さに制御が効かない――わけではない。ちゃんと制御した上で、四条の意志でもって止めないだけである。
「カタ?」
「おれの、勝っちィ!」
ドガン、と大砲の炸裂音と聞き違うほどの打撃音を響かせ、獅子頭を蹴り飛ばした。
それこそ蹴りと同速ほどの勢いで獅子頭は吹き飛び、弾け飛び、最終的には壁が陥没するほどに叩きつけられ、ずるりと落下。
獅子頭は倒れ、もうピクリとも動かなかった。獅子頭は、動かなかった。
あっけなく、決着である。
喧嘩の終了すらも、四条の気分次第なのであった。
「ありえんな……」
雫は決着を見て取り、表情を引きつらせながら思わず零していた。
なんという戦い方をするのだろう。無駄ばかりで乱暴粗暴に過ぎる。力任せで、戦術作戦などの知の欠片も見当たらない稚児の気ままのような戦い方だ。
それは遊戯であって、戦いとは言いがたいものだ。楽しむことのみに専心し、勝利は二の次で、打倒はさらにその後にしか考えていない。
究極的に言ってしまえば、
「なんて馬鹿まるだしの戦い方だ、あんだけ強いくせしてアホ過ぎる」
「…………」
四条家当主に向かっての酷い暴言だったが、羽織のその発言には、雫も条も肯定して頷くことを止められなかった。黙して小さめに頷いたのは、せめてもの礼儀である。
と、
「ん、なんだ、てめェら見てたのか……お? 九条ンとこの補佐に、確かお前は二条ンとこのガキか」
「っ!?」
「ぅわっ」
「ンだよ、驚くなよ」
忽然と三人の正面に四条が現れた。
瞬間移動のレベルの唐突さに、接近にも気付けなかったので驚きもひとしおである。
そんなこともお構いなしに、四条は馴れ馴れしくも話かけてくる。
「お前ら、なにやってンだよ、こんなトコでよ」
「え、いえ、俺たちはここの魔害物を討伐しに来た、んですけど」
二条はしどろもどろになりながらも、なんとか敬語を使って正確に事情を告げる。
四条は意外そうに目を広げる。
「なに、そうなん? じゃ、よかったじゃねェか。おれが倒しておいたぜ?」
「はい、そのよう、ですね」
それはそれで残念。条は肩を落とした。
そんな機微にも四条は反応し、軽く笑い飛ばす。
「はっは、なんだ? お前も戦いたかったか? そりゃ悪いことしたな――あ、ん? 嬢ちゃん、誰よ」
「えっ、は? 私?」
話が飛び回る人だ――いきなり振られて、雫は慌てる。
「えっと、えーと、私は……九条の客人、です?」
条以上にしどろもどろになりながらどうにか口を動かすも、そういえば自分でもどう説明すればいいのかわからず、疑問系となってしまう。
四条は露骨に不機嫌をあらわにし、再度問う。
「あ? ンなこと訊いてねェ、名前を言えよ」
「しっ、雫です。加瀬 雫」
「雫。はァん、強ェのか?」
「え? ……いえ、全然強くありません」
「そぅかい」
まさかとは思うが、頷けば即戦闘となっていたかもしれない。雫は肝を冷やした。
というか初対面の挨拶が「強ェのか?」って、どんだけ戦闘狂だ、この人は。
やかましい会話、その傍で。
羽織は、なにかどこか違和感を覚えていた。
「――?」
どこに違和感があるのだろうか。自分でもわからない。だが、決定的になにかが――
「!」
そうか。
魔害物が消滅していない、のだ。
確かに魔害物は倒れ伏し、微かも動かない。完全なる敗北を喫した様だ。
しかしならば――なぜ消滅しない?
なぜ、その身が残っている?
ドクン――と、なにかが脈動、否、胎動した。
それは急転落を告げる、誰も望まぬ足音なのかもしれなかった。