最終話 離別は晴天で
それからしばらく雫はぶっ倒れて九条の屋敷で世話になった。
無理な能力の行使、魔益を無理矢理使い続けたこと、それに馬鹿みたいに集めた風の統御。それらの反動である。
似たような無理をした羽織は一週間も経たずに平然と働きだすのだから、ちょっとへこんだ。
さておき――雫が療養中の話。
結局、この事件は多くに知られることはなかった。
表の世界では当然として、裏の世界でさえも、少なくとも国内の噂程度に留まっていた。
ことに深く関わった条家十門と、“黒羽”機関は長がそれに戒厳令を敷いたというのもある。だがそれ以上に、あの悪夢のような害悪のことを、誰もが進んで口にしたくはなかったからだろう。
だがそれでも噂のレベルでは漏れ出ているのだから、人間というのも意外と図太いもので。
その噂によれば、しかしかの悪夢の害悪を打倒したのは条家十門だという。
なにせ真実倒した羽織と、そして雫は、それに関して自分はやっていないなどと寝言をほざいたのだから。
やったのは条家十門。故に最強は条家なりと、口を揃えて打倒者が言い張るのだ。
当の条家十門盟主たる一条は、頭を下げてそのようにしておいてくれと頼まれて困り果てたものだ。
どうしてそんなに勝利を厭う。どうしてそこまで条家に譲ってくれる。
「だって、条家十門が最強で、そうでないと困るだろ?」
羽織の意見に雫も同意して、もはや一条はなにも言えなかった。最強の象徴たる役目をおっかぶされて、また陰でため息をついていたとか。
条家十門は、より一層の信頼と依頼を頂き、今やてんやわんやの大騒ぎである。なにせ人型の魔害物復活のせいで、濃い魔の瘴気が世界に広がってしまった。そのせいで魔害物の出現率が飛躍的に向上したらしい。それを告げた六条家当主は、ちょっと申し訳なさそうだった。
条家十門は忙しくなった。
条は父とともに片っ端から魔害物を倒す日々だと愚痴っていた。
一刀と八坂もコンビで依頼に奔走されて、しかしたまに顔をあわせてもいつも通りだったのだから流石だ。
浴衣は外に出て大忙しというわけでもないが、屋敷にやってくる怪我人をできる限り癒していた。その傍には、常にリクスが寄り添って、穏やかに笑っていた。
リクスの家族たちは、不明だ。
ジャックは“黒羽”総帥を続けているらしいが、マッドは行方不明。あるいはもう亡くなっているのかもしれない。彼は魂を削り過ぎた。
まあ子供たちはそんなわけがないと苦笑していたが。
そして――加瀬 雫は。
「本当に、行ってしまうんですか、雫先輩」
「あぁ、もう決めたからな」
そこは九条家の玄関先。
戦いを終え、治癒を終え、そしてすぐに雫は立ち上がった。なんでも、旅に出るのだという。
「まだまだ、私は羽織に勝てないからな。もっともっと強くなる。なって、あいつをギャフンと言わせてやるんだ」
「また面倒くさい目標立てたもんだな、頑張れよ。俺も負けねぇぞ」
見送りに来た条は、笑って手を振った。
「君ならきっと届く日が来るさ。頑張って」
「終わったばっかりなのに、忙しないねぇ」
一刀は微笑で応援を送り、八坂はやれやれと呆れ気味だ。
雫としても八坂の言は最も。頬を掻いて苦笑する。
「まあ、本音はごたごたしてる内に逃げたかったっていうのもあるからな」
あの人型の魔害物を打倒した魔益師として、なにやら注目を集めてしまったようで。
その面倒に苛まされる前に、逃げようと――理緒姉ぇに誘われた。ほとぼりが冷めるまで遠出しないか、旅でもして世界を見て回らないかと。
武者修行の真似事よ、と理緒は言っていた。
ちょうど雫の目標は羽織に勝利することで、そのためにどうしようかと思っていた。一も二もなく同意した。久しく離れていた姉と旅なんて、嬉しいに決まっているのだから。
「すぐに帰ってくる。だから、そんな悲しそうな顔をするな浴衣」
「すみません……」
「謝るな――こっちのほうこそ、ありがとう」
なんとなく、雫は浴衣の頭を撫でてやった。それを望まれているような気がしたから。
しばしでそれを終えると、最後にもうひとり。
「加瀬 雫」
「リクスか」
「私も、きっと次にはあなたに勝つ」
一瞬、雫は瞠目して声も出ない。あの感情の希薄だった少女が、今は力強く笑んで断言してきた。
すぐに嬉しそうに笑い返して、力強く拳を握り締める。その拳を、リクスに向ける。
「望むところだ。その時は、私ももっと強くなっているぞ」
「ええ、そうでないと」
それに返すように、リクスもまた拳を握ってこつんとぶつけた。それが再戦の約束の証だとでも言うように。
「じゃあ、みんな。また会おう!」
そして雫は九条の屋敷を出て、姉の待つ病院へと向かう。今日はちょうど退院の日であり、そのまま旅に出ようと話し合っていた。
病み上がりで大丈夫か、とも何度も聞いたが、問題ないとしか言ってくれない。たまに頑固な姉である。それはまあ、雫の言えたことではないが。雫だって復帰初日だ。
「……」
ふと、いつかの路地裏に差し掛かった。
全てのはじまりである――羽織と出合い、そして見捨てられた場所である。
無言のまま口元だけが笑みを形作って、雫はその路地裏を通ることにした。別に遠回りにはならない、むしろちょっとだけ近道だろう。問題はないはずだ。
思い出すように、道を行く。あの日は雨で、今日は快晴ではあったけど、思い出すのはすぐだった。
ここであったこと――ああおい、思い出すに貴様は最低な男だったよ。
今まであったこと――まあまあ、お前に助けてもらったりもしたけどさ。
最近にあったこと――そうだな、あなたは私の無二の人になった。
「なーにこんなところで物思いに耽ってんだ、不良かお前」
「……なんとも、計ったように現れる男だよな」
雫があまり驚くことなくその声に応えることができたのは、なんとなくここにいるとわかっていたから。
屋敷ではちょうど出ているとか言われた。たぶん別れ際とか苦手でわざと避けたのだろうと誰かが言って、みなは納得していた。
雫も最初は納得したが、羽織が最後に悪態もなしなのは不自然な気がして――ここにいた。
雫は先に口を開いた。最後まで悪口を投げつけられても面白くないし、それに言いたいこともある。
「なあ、羽織」
「なんだよ」
別れの際だというのに、羽織の声音には常となんらの変化もなし。
逆に雫は、動揺が滲み出て声が震える。ちょっと恥ずかしいことをこれから言うから。
「その、なんだ……お前も、一緒に来ないか?」
「あ?」
「理緒姉ぇと私との旅、お前も付き合わないか?」
羽織は目を瞬かせ、小さく笑った。ちょっと予想外の提案だったのだ。
「はっ、お前もジョーク言えたんだな」
「冗談のつもりはないが」
「阿呆、お前、おれを倒すための武者修行でもあるんだろうが、そのおれが一緒じゃ色々とバレバレになるだろ」
「む」
「それに、おれは九条の使用人だぜ? ここから離れるわけにはいかんさ」
あっさりと棄却し、しかしそこで一息吐いた。
いつもならここで悪口が幾らか飛んできそうだが、今日は違った。どころか薄く笑っていた。
「まあ、割と面白い提案だったのは認めるがな。そういうのも、ちょっと心惹かれたよ」
「……そうか、残念だが、その言葉だけでも満足しておくよ。次会った時には覚悟していろ? きっとお前に届くくらい強くなって帰るからな」
「やってみろ。おれだって次にはあれが抜けた後の魂に慣れてるだろうぜ」
雫は膨大な風の制御に一度成功した。その経験を忘れず噛み締め努力すれば、きっとこれからまだまだ強くなる。
羽織は魔害物の核が除かれ本来を取り戻した。その状態は実に四百年ぶりで未だに軽さに戸惑ってしまうが、それを修正できればまだ強さを増すだろう。
まだ強くなるのかこいつ――なんて、両者は奇しくも同じ感想を抱いて沈黙した。
気が合っているのか、それとも似ているのか。
ふと、先に口を開いたのはやはり雫。もうそろそろ行かないと理緒姉ぇとの待ち合わせに遅れてしまうから。
だからこれが、正真正銘最後の言葉になる。それを自覚して――できれば綺麗に笑ってみせる。
「羽織」
「おう」
「なにかあったら、言え。どこに居たって、なにがあっても、きっと私があなたを助ける」
助けを求めるのが苦手なあなたを、私が勝手に助けてやる。
だから。だからさ。
もしも私になにかあったら。
「私も、あなたに助けは求めない――どうか勝手に助けてくれ」
「ああ、おれの刃」
「うん、私の担い手」
「――また会う日まで、さよならだ」
――陽光が、ふたりの再会を確約するように燦々と輝いていた。
了
これにてようやく完結です。
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。
同時に、最後の駆け足具合は申し訳ありません。
自分の中で継続しようという糸が切れ、終わらせられるかすら不安で、しかもこれは最後の形を考えずに書き始めた話でしたので、最後は強引にでもまとめにいきました。
でないと完結できたか怪しいので。これからは終わり方を考えてから話書くことにしようと思いました。
本当に、こんな最後まで読み終えてくださり、ありがとうございました。