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第九十二話 解放











 ――今触れた女の力は羽織のそれと同質であり、狙いは魂魄に封ぜられた魔害物の核である。


「――転移物は魔害物の核」


 そこまで刹那で理解すると、羽織の動きは無意識的に遅れてしまった。

 彼の魂に混ざりこんだ人型の魔害物の核、それは人体魂魄には文字通り害ある異物である。常に羽織の行動、思考、全てを脅かす獅子身中の虫でありバグ、いやウイルスか。

 在るだけで嫌になる。内部を苦痛が這い回り、魂魄が汚染されそうになる。己が己でなくなりそうになる。自分の腹を裂いて楽になってしまえたらと幾度思ったことか。

 それら全てを強靭な理性で抑え込み、苦痛も汚染もひた隠しにして平常を装っていた。それは羽織という人間の意地にも似た魂魄の強さを示している。

 けれども、この刹那でそれが緩んだ。ほんの僅かに、理性の鎧が綻んだ。

 羽織を内から食い破ろうとするこのドス黒い異物を、手放すことができることへの歓喜。泣き叫びたくなるような解放感。一瞬の快楽に堕落しそうになる。このままなにもせず、成り行きに任せて魔害核を棄て去ることができるのならばそれでよし。後がどうなるかなんて知ったことか。そう考えてしまう己がいた。

 弱音の全てを握りつぶす。これは羽織がもち続けなければばならないもの。誰かに譲っては世が危ない。九条様が悲しむ。己の誓いが破れさる。

 だから!


「させるかっ!!」


 しかし遅い。

 淡々と少女は言葉を続ける。能力を完遂する。


「――転移先は九条 緋美華」


 瞬間、羽織は途轍もない解放感を覚える。

 今までずっとずっと脳内を這いずり回っていた虫が消えた。筋繊維一本一本に絡みつき締め付けていた針金が解け、圧し掛かっていた重石が吹き飛んだ。

 壮絶な喜びに快哉を上げたくなるが、堪える。それよりも、あれが転移された先はどうなった。

 

「ふ、ふふ、ふふははははははははははははははははは!!

 やっと、やっとやっとやっと! やっと手に入れた! 遂に手に入れたわぁ!」


 緋美華は羽織の代わりとばかりに喜びに打ち震えていた。四百年の悲願を達し喜色満面、多幸の極み、嬉しくって仕方がない。

 だが羽織はそんな楽観の馬鹿に告げる。なにを浸っていると。


「馬鹿野郎! 笑ってる場合か、早く抑え込め! 全力全霊で中の魔害を浄化して足蹴にしろ! 早くしねぇと呑み込まれるぞ!!」

「あはは、なにをそんなに怯えているのかしら。私はこれでも九条の血筋。魔害物ていど幾ら人型だろうと――」


 停止。

 もはや羽織からすれば案の定と言える展開。大馬鹿すぎて言葉もない。

 緋美華の身体が不自然に膨らんだ。奇怪に歪んだ。


「え?」


 右腕が奇妙に伸びた。右肩が陥没して腹まで垂れた。右足だけ縮んで、鼻が伸びて、胴は風船のように膨らみあがる。

 文字通り、人から外れていく。


「なによ……これ……」


 全身が制御できない。常態維持も、動作も成長も全てがネジれ歪み狂い尽くす。魂が意味不明に悲鳴をあげて暴走し続ける。

 狂って、狂って、狂って狂って狂って――人として狂い死ぬ。


「なんなのよっ、これは!」

「だから、それが魔害物の核を魂に取り込むってことだよ、大馬鹿野郎」


 ため息。

 なんかもー、予想通り過ぎて呆れかえる。

 マッドはまだ賢明だ。魔害の核を自分や娘ではなく、どうでもいい同盟相手に放り投げて経過を観察してやがる。そのマッドとその娘はジャックが相手しているので、羽織は緋美華だけを見る。

 残る雫は状況の激変に困惑しつつも羽織の傍まで下がる。緋美華とマッドの両方に警戒心を向けておく。


「なっ、なんだ、なにが起こっているんだ、羽織」

「おれの中の魔害物があの馬鹿女に転移された」

「は? お前がやったのか?」

「違う。マッドのヒトガタだ。まさかおれが駄目なら新しく造るとか、そこらへん科学者っぽいかもな」


 全くうざったいことこの上ない。

 あんなに乱れ歪み、魂がごちゃごちゃになった状況じゃあ、羽織でも剥がせないだろう。緋美華が完全に呑まれ、魔害物として安定すればもう一度可能かもしれないが……わからない。同じ手があの化け物に通用するのか?

 雫は恐々の体で、青ざめた表情で問う。見てるこっちが気分悪くなる。


「どうなるんだ、あれ」

「たぶん、緋美華の自我と魂が消し飛んで魔害物が身体を乗っ取って出てくる」

「それ……凄くまずいんじゃ……」

「まずいな。人類の危機並に物凄くまずい」

「なっ、なんでそんなに余裕なんだ、羽織」

「そうならないように四百年くらい頑張ってたおれとしてはもう笑うしかない……」


 羽織も羽織で解放感と緋美華の間抜けさ加減になんとも言えないテンションになっている。

 これからアレが現れるというのに、緊張感が持てない。これは、ある意味で恐れず立ち向かえるのではないだろうか。前向きに考えることにした。

 その横で、緋美華はひとり己が消えていく恐怖に涙する。恐れ怯えて絶叫する。


「なによ……これ……こんなの、制御とか……そういうレベルじゃ、ないじゃないっ!」


 浄化しようとか、制御してみせるとか。そういう意志の時点で根こそぎぶち壊される。汚染される。緋美華という人格が既に崩壊しかけている。魔害の核を受け入れて、一分足らずでこれだ。

 ボコボコと黒い泡のようなものが緋美華から生じる。肌が黒に染まっていく。魔害に、呑みこまれて行く。

 遂に人の輪郭を失い、漆黒の球体へとその姿を変じる。


「あー、なんか前に見たな」

「武器を扱う魔害物が、進化する時だな」

「魔害物の登場はいつもこれってか……はぁ」


 ともあれ静止してくれている。どれほどかわからないが、即時に暴れられるよりはずっとマシだ。

 この間に羽織は周囲に目を配る――やはり、魔害物どもがいない。条家十門の尽力が遂に多量の魔害物どもを駆逐したのだろう。

 これなら。


『――六条』


 羽織は六条 時久に向けて声を転移する。魔害物のいない魂で発動する魂魄能力はとても容易で、酷く軽い。

 六条からこちらへの声は聞こえない。こちらから一方的に念を送るだけ。了承や否定は聞けない。だが、およそ現状のあらましは理解しているはずで、だから手短に最低限だけを言えばそれで理解してくれるはずだ。


『今からお前の声をこの区域にいる人間全てに向けて転移させる。条家の者にことの次第を全て語り、人型の魔害物の脅威を伝えろ。その上で戦う覚悟のある者だけ、屋敷の西門付近に来るようにと告げろ』


 こればかりは羽織が言っても誰も聞くまい。条家十門で高い地位にある、そして情報というものに関しては最高責任者でもある六条家当主に説明してもらわねば信じてもらえない可能性が高い。


『時間がない。おれの目の前にはいつ動き出すかわからん敵がいる。すぐにはじめるぞ』


 そして、羽織の力を経由して、結界内の人々に、六条の声が響いて届く。












「――ようやく再会できて、うれしいよ、くそ親父殿」

「おや、これは意外な子が混ざりこんでいるじゃないか。久しいねぇジャック、我が息子よ」


 緋美華が己の中にある魔害物の核を制御できずに狂い果てるその時に、ふたりは遂に邂逅を果たしていた。

 マッドサイエンティストと呼ばれる父親と。

“黒羽”総帥にまで成り上がった、ジャックと名乗る息子。

 親子の再会ではあるが、両者は歓喜など一切なくただ冷ややかな風情で言葉を交わす。敵意と悪意を潜めた言霊を打ち合う。


「息子と呼ぶな! 僕に父などいない!」

「おいおい、事実を否定してどうするんだい。そんなことではよい大人にはなれないよ?」

「ふざけた父親面はやめてくれないかな、殺したくなるじゃないか」

「おや、これはやさしいことを言うじゃあないか。まさか殺さないなんて選択肢が、今の君にあったのかい?」

「ないね――死ね」


 左手をかざし、“空間の歪曲”を発動。憎き父親のその顔面を捻り潰さんと力を走らせる。

 が、歪みは何故か正され、空間は不動。マッドは変わらぬ笑みを浮かべたまま健在である。

 すぐに理解した。同系統の力――否、まったく同じ力で相殺されたのだ。ちらとジャックはマッドの傍らに控える少女に目を向ける。


「あぁ、それか……それが母さんを侮辱した粗大ゴミか」

「よくできているだろう? 君の発した今の力も、既に模倣済みさ」

「まさかそれが母さんの代わりだとでも言うつもりじゃあないだろうね。それと姉さんと僕で、家族ごっこでもしたいのかい」

「そんなわけがないだろう? ローズはいずれ私が生き返らせるとも。家族ごっこはそれまでお預けだよ。この子は、私の娘のひとりに過ぎない」

「……」


 それでそんなにも似た姿となるのか。

 ありえない。マッドの中にある妻への想念と妄執があってこそ、リーレットはあそこまでひとりの女性に酷似している。

 マッドの妄念の結晶にして、最後最終の狂気の産物。

 ――世界が波打つ。

 咄嗟に視線を横向ければ、漆黒の球体が完成していた。つい先ほどまで人間だったものが、今やあんな醜悪なる物体に変容している。なんてことだ。

 吐き気を催すジャックに引き換え、マッドは実に楽しそうに笑う。


「見たかい、ジャック。あれは魔害物の進化の際に発生する卵と同じものだ。繭、と呼ぶ者もあるが、私は進化のための生まれ変わりと考え卵と呼ぶね。

 核だけで存在する魔害物、それが人という寄り代を得て進化、いやあれは肉体を己のものへと変質させるための変貌としたほうが正しいかもしれないね。

 人に近づき続け、外見まで紛うこととなった人型の魔害物が、肉体まで人のものを使う――ああそれはもはや」


 人と一体、どう違うのだろうね?

 ジャックは答えない。そんなことはどうでもいいから。ただその暴挙を引き起こした男に怒りを向ける。

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、なんでまたこんな馬鹿な真似を?」


 羽織の中にあったという人型の魔害物の核。それがどれほどの脅威かは推し量るしかないが、仮にもあの羽織が恐れ、条家十門に単独で挑みかかる阿呆がいるくらいの力だ、舐めてはかかれまい。もしかしたら、想像すらできないほどの脅威かもしれない。

 それをまさか解放するなんて、愚かしいにもほどがあろう。


「ん? いやいや、本当は彼女が制御してくれるのがベストだったんだけどねぇ? それで不老の観察ができたのに、まさかああも簡単に呑まれるなんて。いや、ここは羽織を褒めるべきかな?」


 緋美華では一分も耐えられなかった魔の暴威に、四百年間も忍んできた男。その精神力はいかほどのものか。尋常ならざるものと言わざるを得ない。

 まあ、けれどこうなってくるとあの魔害物の核に対してマッドは興味を失っていた。


「特定の強者だけに許された不老じゃあ意味がない。あれは私の求めた生の支配ではないね、つまらない」

「それで話を終わらせる気かい? これだからクズはいけない。やらかした責任をとるつもりはないのかい」

「なぁに、条家十門に、それに“黒羽”総帥までいるんだ、なんとでもなるだろう?」


 確かにと、マッドの言には納得してしまいそうになる。条家十門の強さは前回の“黒羽”との抗争で明らかだ。この現代において頭ひとつ飛びぬけている退魔師四大機関の一角を、数的劣勢のなか平然と打ち倒し、まだ底を見せていない。四大機関からも頭ふたつは飛び越えた強さと言える。そんな集団の本拠地で、たった一匹の魔害物が現れて――勝てないはずがない。

 常識的に考えてはそうであって、だが敵は常識の範疇に納まるような者なのか。

 ジャックは、マッドの楽観とも言えない意見に首を振る。今まで羽織の近くにいたがために、否定を口にできる。


「それはどうなんだろうね、楽観視しすぎじゃあないかな。人を四百年生き永らえさせるほどのエネルギー。四百年前とはいえ条家十門を打ち負かしたという事実。そしてあの、不吉な魔の臭い」

「……なにが言いたいんだい」

「お前はとんでもないものの引き金を引いたんじゃないのかってことさ、愚かなパンドラ」


 ジャックは告げる。弾劾する。お前は災厄を引き起こしたのだと。


「忠告を告げる間もなくこんな災厄を引き起こしちゃってさ。まあ、これで世界が本当に滅んだりなんかしたら、腹をかかえて笑うとするよ――お前の目的は一生果たせないということになるからね」

「…………」


 その言葉になにを感じたか、今この空間を包み込む魔害になにを感じたか、冗舌なマッドがその口を閉ざす。まさか、という思いが捨てきれずに腹の底で渦巻いているからだ。

 そのザマに、ジャックはほんの少し溜飲を下げて、肩も下げる。やれやれと自嘲するように息を吐く。


「まあ、けれど僕もやっぱり馬鹿だね。世界を滅ぼしかねない災厄がそこにあるのに、それよりも個人的な怨敵を優先してしまう」

「ふふ。ジャック、君は本当に、私に似ているねぇ」

「ふざけろ、誰が似てるだくそマッド野郎。全霊賭して――殺してやるよ!」

「リーレット!」


 そして、人類の存亡がかかった舞台の袖で、無関係な親子喧嘩ははじまった。













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