第九十一話 反撃
「――む」
三条当主は目を覚ます。天井が見える。遠くで戦闘音が微かに聞こえる。畳の匂いがする。この感触は布団に包まれている。
五感が次々に正常機能を再開すると、同時に全身に痛みが襲い掛かる。至るところが痛くて、どこもかしこも苦痛がやまない。だるさ、吐き気を催し気分は最悪だ。
まとめてどうでもいい。彼は目を覚まし、自身の生存に気付き――壮絶なる敗北感に気が狂いそうだった。
「負けたのか……負けた、負けた! オレの負けかっ! くそっ、クソ!」
「おや、生きているのに勝利したとは思わないのですか?」
「っ! くっ、九条か」
傍らにいた女性に気付けなかった。咄嗟に眼球だけを動かせば、九条 静乃は穏やかな顔で三条を見下ろす、手をかざしている。どうやら三条は布団に寝かされ治癒を受けている最中。
静乃は三条が意識を取り戻したことで治癒をやめ、困った顔をする。名残惜しげに手を遊ばせ、膝に戻す。
「ええ。馬鹿なことをしましたね、三条」
「……まったく、お前に言われるほどの馬鹿だったか」
「それはもう間違いなく」
深く頷かれてバツが悪い。笑顔の奥に宿る悲哀が痛々しい。
見せず隠して、静乃は続ける。会話くらいは許されている。
「それで、そのお馬鹿さんはご自分の勝利を信じないのですか?」
「それこそ馬鹿を抜かすな。オレの力が発揮される前に、オレは斬られていた。その直後にオレは死ぬ気で周囲に劣弱を放って――精々が相討ちと思ったが、オレが生きているなら、加減があったということ。なににせよ負けだ」
能力発動の初速――同時に使用を決断し、その発揮の早さ刹那が勝敗をわかつ。一条も三条も、敵を即死させることのできる能力だから、そんな勝負になってしまう。負けは、即座に理解できてしまう。
「それで、一条様に負けたオレを何故治癒する?」
「一条様に頼まれましたから。死なない程度に、動けない程度に、治癒を施してやってほしいと」
「……そうか」
殺さず、情けまでかけられて、ああなんて己は不様か。
泣き出したくなるほどの衝動を堪え、三条は当主としての仮面を被る。今更当主ヅラをするつもりもないが、非常事態だ、できることがあるならしよう。
「一条様は行ったのか」
「ええ、わたくしが治癒をしたら、すぐに出て行かれました」
「外はまだ交戦中か」
「おそらくは。わたくしは運ばれてきた怪我人の治癒をしているだけなので、外の様子は知りません。いえ、皆様を信じて気にはしておりません」
ですが、と静乃は続ける。
「あなたの与えたダメージは深くて大変で、一条様を万全にまで癒すのに苦労しました」
「では、お前はもう……」
「はい。この戦場にてわたくしの治癒はもはや期待できないでしょう。あなたが最後の患者ですね」
「それも向こうの狙い通りか……オレは本当に馬鹿だったらしい」
最大戦力を一時的とはいえ奪い、最高の治癒師の余力を奪った。
これが馬鹿でなくてなんだというのだ。
それでも九条は絶望の面持ちもなく笑う。彼女は前を向いて希望を語る。
「ですが、一条様が万全でもって戦場を駆けておられます。もはや敵はありません」
「だと、いいがな」
もはや動けぬ三条と九条には、盟主たる彼を信じる他になかった。
――安易に誰かに助けを求める奴は嫌いだ。
何故って、他人をアテにして自力での行動を捨て去っているということだから。
――安易に誰かに助けを求める奴は嫌いだ。
何故って、そんな馬鹿げた求めを優しく己を省みない人は助けてしまうから。
助けて、己を犠牲にしてしまうから。
――安易に誰かに助けを求める奴は嫌いだ。
何故って、自分がそうだったから。
だから助けっていうのは自分勝手に誰かに向けてやるくらいで丁度いい。求めなくても、そいつが助けるに値する人間なら、勝手に誰かが助けに入る。
羽織はそう思っていて――けれども自分が助けられるとは思ったことがなかった。
なにせ羽織は、自分が助けられるに値する人間であると思ったことがないから。
割って入り、宣言して――直後に雫は風を飛ばす。
九条 緋美華に。九条 浴衣に。躊躇なく。
「なっ」
「てめっ!」
さしもの緋美華も羽織も驚愕し、一手を許す。
その動揺が収まる頃にはブッた斬る。緋美華と浴衣に風の刃が食い込み、斬線を刻み込む。ブラフでもなく本気で斬ったのだ。
咄嗟に緋美華がのけぞる。足が離れる。踏みつけていた浴衣が自由になる。そこにすかさず斬りかかる。
「っ!」
緋美華は反射で己の能力を使用。雫の刃を空間的に捻じ曲げて逸らす。
だが、雫は直後に風を吹かす。刃が跳ねて軌道が踊る。舞踊る花びらのように。
「なっ!?」
逸れたはずの刃が、奇怪な動きをして帰ってくる。真っ直ぐ直線であるべき剣筋が、ゆれて曲がって無軌道変幻。
振り下ろす際に力を捨てて奇策に走ったか。否。刀の刃、峰、腹、そのすべてから適宜風を排出して推進力としたのだ。
これでは空間を歪ませて逸らすにしても、捉えられない。右かと思えば下から振り上げ。突きはいつの間に袈裟懸け。斬りかかる瞬間と斬り裂く瞬間で斬撃の軌道が違う。これでは対処が間に合わない。
当然だ、風に吹かれて落下する花びらを掴み取ることなどできはしない。
「くぅ」
変幻自在の撹乱斬撃の乱舞に、緋美華は致命だけを逸らして斬り刻まれる。気を抜けば首をとられてしまう。
無論、痛みに堪えて逃げ延びた浴衣など意識の端にもありはしない。逆に雫はまだ冷静。
緋美華が戦闘に慣れていない事実に気づき、浴衣の撤退も風で感知し、役目の全うを把握する。
一旦、退く。己は刃、その威を示すは担い手の意志とともに。
斬りかかる、と見せかけてバックステップ。緋美華から距離を置く。羽織のもとにたどり着いた浴衣を確認し、そこに戻る。
強引極まるが――
「これでよし、浴衣を回収したぞ」
「なにがよしだ、馬鹿野郎! 浴衣様まで傷つけやがって、殺すぞ!」
「だが、生きて取り戻せた。それは事実だ。傷なら、浴衣、自分で癒せるな」
「はっ、はい。はおりさま……このくらい、大丈夫ですから」
加減は薄いが角度的にもそこまで刃は届いていないだろう。深く食い込んでもいないだろう。軽傷ではないにしても重傷でもない。死にはしない。雫がそのように刃を放ったのだから。
「生かすか殺すか自分で選べ、刀の如く――羽織、あなたの言ったことだろう」
「っ」
「迷わず斬るのが私なのだろう? 私は私らしく、私の決断をし、そして助けた」
結果論だ、と言えば反論はできた。反撃の言葉ならいくらでも用意できた。
だが――だが。
あんまりにも雫の言葉が真っ直ぐで、その眼光が羽織の魂にまで貫くから。
「羽織、あなたの苦難は想像を絶する。ただ人から聞いたていどで全てを理解したなどとは到底思えない。だから」
だからと、雫は真っ直ぐ愚直に、要はいつも通りに言うのだ。
「教えてほしい、あなたの言葉で。
なにが辛い? 除いてやるぞ全力で。
どうしてほしい? 助けてやるぞ魂の限り。
どうすればいい? あなたのために、我が刃はある」
「あなたが曇って動けないならそれでいい。過去のなにがしかに足をとられるなら仕方ない。ただいつも通りに指示してくれ、私はきっとその期待に応えてみせる」
「…………」
羽織は言葉を絶し、眩いものを見るように目を細める。
地の底に沈みこみ、ずっとずっと日陰にあった羽織には、まるで少女は太陽で。直視なんてできなくて。
それでも羽織は目を逸らさず、真っ向から言い返してみせる。
「――雫の分際で、なに言ってやがる」
長い沈黙の果てに、羽織から出てくるのはやはり悪態だった。けれど重荷が外れ安堵に溢れたその悪態に、いつもの棘などありはしない。
そんなことを言ってくれる奴なんて、いなかった。いるはずがなかったから。
雫としては堂々不敵。鼻で笑って胸を張る。
「私だから言えるのだろうが」
「はっ。大言壮語の代価はきっちり払ってもらうぜ。いいだろう、加瀬 雫、てめぇの刃はおれが使う。精々キリキリ働けよ」
「上等!」
直後、電撃的反応。雫と羽織はその場から退く。浴衣を連れて離れる。そして斬撃が結果する。
斬象を引き起こした方向、緋美華に向けて羽織は笑う。
「は、当たり前だが一条ほどには精度が高くねぇな。これならかわせるぜ」
「ふ、ふふ。いいのよぉ、ただの牽制だからねぇ。ただちょっと驚いちゃったわぁ。まさか人質ごと攻撃してくるなんてねぇ」
「それについては後で雫をシバいておく」
「えっ、そんな」
「うるせ、問答無用だ」
調子が戻ってきた。いつもの自分を思い出してきた。
ああ、そうだ。九条 羽織はこうしてふてぶてしく不敵にあげつらっていればいい。
口端を吊り上げ笑う羽織に、やれやれと緋美華は説得を諦める。言葉での解決を放棄する。
「まあ、仕方がないわぁ。どうせ私は戦闘に向いていない。こうなるとも思っ――」
「――死になよ」
不意に空間が歪み、緋美華を捉えて握りつぶす。無形の力が噛み千切る。
それは遺魂能力“空間の歪曲”による攻撃。
「って、おい、ジャック」
いまからおれがぶっ飛ばそうとしたのに。
そんな風にジト目な羽織に、ジャックは肩を竦めて笑う。
「僕は部外者だからね、無視してくれて助かるよ。こうして簡単に不意を討てる」
「ひっ、卑怯だ」
「関係ないね、この女にはとっとと死んでもらわないと」
まこと正論。
であるが空間系統の能力者に、同系統の力は威力を減ずる。
緋美華は“空間の隔離”という攻撃的でない力でジャックの歪曲に抗する。確実に顔面を狙った一撃を逸らす。
「ち、まだ生きてたか」
「しぶといな、とっとと死ねよ」
「なにを言うのかしらぁ? 人質をなくしても、こちらには一条と三条の媒介武具が――」
「んなもん知るか」
「え?」
転移。転移。
緋美華の手から、一条の刀と三条の小剣を奪い取る。あっさりと。
にやりと笑って手元の刀と小剣を見せ付けて、すぐに羽織は空いた右手でびしりと敵を指し示す。
「で、行け雫」
「任せろ!」
だん、と地を蹴り速攻。間合いに踏み込む。
刃を振るい、裂帛の気合と思いを乗せて、刃は担い手の敵を――長き因縁を――
「断ち斬る!」
斬。
と、対処もなにもできず、緋美華はぶった斬られた。肩から斜めに一直線の斬線が深く刻み込まれ、死に掛け瀕死。ぶっ倒れる。殺しはしないが、もはや動けまい。
それでも雫は油断せず、間合いを調整しつつ観察を続ける。
こんな呆気なく終わるとは、どうも思えない。倒れ死に掛けた女から、しかし悪魔の如くに恐ろしく滲む悪意が、一切衰えていない。
緋美華は血を流しつつ、それでも凄惨に笑う。滴る流血さえも彼女にとっては美しさを際立たせる装飾でしかないのか。
「あなたから魔害物の核を奪い取るため考案できた方法はみっつあったわぁ」
「……あ?」
いきなり、なにを言い出す。
およそこの場にそぐわない態度。血を流し倒れ伏し、瀕死の状態には似つかわしくない言葉である。
「あなた自身に能力を行使してもらい、私に移植してもらう。まあ、これは無理でしょうけれどねぇ」
なんだ、なにが言いたい。どんな意図がある。
こちらにお構いなし。緋美華はひとり勝手に語り続ける。
「なので第二案。あなたの媒介武具を奪い、遺魂能力をもって私が能力を使う」
「それも、駄目だったな。貴様の負けだ」
雫は慎重に言い、じりじりと間合いを詰める。そっ首叩き落す――のは自分にはできないので、意識を奪う。
次の一歩で行――
「えぇそうね。でも、まだみっつ目があるじゃない?」
「どうしたっててめぇはここで死ぬ。終わりだよ、九条 緋美華。四百年も無駄な徒労をご苦労だったな」
「ふふ。それは、どうかしら?」
――そして刹那で状況は三転。
転移。
マッドとリーレットが唐突に現れ。
それが自身と同等の力によるものだと羽織は理解し驚愕。二名を目にしてジャックは激怒。距離が空いていて雫は振り返るだけ。
そんな三者の動揺の隙を突いて、リーレットは優しく撫ぜるように羽織に触れて。
「――転移」
終わりの引き金が引かれた。
短くてすみません。ここで切りたくて。