第八十七話 黒幕
「じゃ、やること説明するぞ」
羽織はたゆたう空間の境に触れないギリギリに手を寄せ、結界の具合を確かめつつ言う。観察は怠らない。一瞬の揺らぎが好機ともなりうるのだから。
応えてジャックが続く。
「まず僕が“空間の歪曲”を使ってこの亜空間に穴を開ける」
「で、その穴を通しておれがお前を中に転移する」
びしりと指差した相手はリクス。
本人は無表情にも疑問を浮かべる。問う。
「……何故、私」
「そりゃおれらは能力行使しなきゃだからな。おれの能力じゃあ、おれ自身は転移できねぇし」
「それに姉さんは純粋に強いからね。僕じゃあ無事に内部で動けるかわかったもんじゃない」
先ほどまで壊滅的な仲の悪さを示していたはずのふたりは、息もぴったりリクスに言い含める。底意地が悪い同士、組み合わせると酷い。
「って、そういやジャックよぉ、お前やっぱおれの能力はバレちまってるよな」
「そうだね。あのクソ親父のビルディングの片付けには参加してたからね。ちょうど音声記録とか見つけちゃって能力は知ってるね。ああ、大丈夫、独断で報告はしてないし、僕が生きてる間は誰にも話すつもりはないよ」
「けっ、毎度ウゼェ奴だ」
と思ったらまた険悪。よくわからないふたりである。
「で、リクス、お前はこの隔離空間に侵入して……十五分だ。十五分後にまたジャックに穴を開けさせる。その短時間の内にメールに中の状況をできるだけ簡単明瞭に記載して送れ」
通話では時間がかかってしまうが、文章ならば先に書いておいて十五分後のぴったりに送信すれば一瞬で大量の情報をもらえる。
とはいえ、時間の流れすら歪められていた場合は意味がないのだが。まあ、メールがない、という事実が時間の歪みを確信させる材料になるくらいか。
リクスは簡素に、だが内心では些か緊張気味に頷く。羽織は気付かないが
「了解」
「うし、じゃあジャック、やれ」
「はいはい。まったく、これでも僕は“黒羽”総帥なんだけどね、そう気安く使わないで欲しいね」
そんな感じで、リクスは戦場に参入することとなる。
そして、結界内に送り込まれたリクスの目の前には――魔害物。魔害物。魔害物。
溢れでるような魔害物の群れ。むせ返るような死のにおい。
ここはどこだ。自分は一体どこへやって来た。
一条の屋敷は、今どうなっている。
「きひきひ」
「っ」
反射で具象化。巨大銃砲の顕現、振り被る。
飛びかかってきた魔害物を薙ぎ払う。爆発で吹き飛ばす。
爆撃に仰け反る魔害物は、だが足から着地。消滅せずに笑みを浮かべる。手に持つノコギリのような刃を構える。
「……武器を扱う魔害物」
どうしてそんな大物が。それも、周囲に目を配れば多数無数にいるではないか。
魔害物の襲撃? 馬鹿な、奴らが徒党を組むか。そもそも結界は人為的なもの。羽織は七条を候補に挙げていたが、他の誰それの可能性もある。いや、違う。犯人などはどうでもいい。リクスにとって、必要なのは浴衣の安否の情報のみ。
「早くっ! 戦えない者はこちらへ!」
「急げ、死にたいのかっ!」
ふと声が聞こえた。生存者はいる。条家十門は屈さずに未だ抗戦している。
ならば浴衣もきっと生きていよう。
がちゃりと銃口を前へ。ささやかな苛立ちを銃爪に乗せて、引き抜く。
「シュート」
轟音。射出。撃ち破る。
景気のいい爆音が結界内に響き、魔害物の集団をぶっ飛ばす。広域殲滅ならば得意分野。敵が無数に並ぶ戦場では火力が物を言う。
一撃で終わらない。連射、乱射、焼き払う。
撃って、撃って、撃って。ひとしきり撃って、最後に一発。爆煙を大量にまき上げる種類の爆撃を撃つ。煙に紛れてともかく屋敷へ。どうやら皆は屋敷のほうへと移動している。そこを拠点にして戦っているのだろう。バラけて戦うのは愚か、当然の選択だ。
広い庭を駆け、魔害物の群れを跳び越え、時に爆煙をまいて撹乱しつつともかく屋敷へ。
走る。走る。屋敷がそこに、
「リクスっ!」
「っ、加瀬 雫」
真横を駆け抜ける真空の刃。音なく接近していた魔害物を斬り飛ばす。
そして刃を放った少女が隣に降り立つ。即座に多量の言葉を投げ込まれる。
「お前、いたのか! 浴衣が心配していたぞ、今までどこに――!」
「違う。外から侵入した」
「侵入? この結界を――羽織の手引きかっ」
「肯定」
すぐに察する辺り羽織の存在感は雫の中でも大きいらしい。
雫はリクスと背中合わせになりながら言葉を続ける。情報を共有したい。
「ではやはり羽織は外。それにお前だけを入れたということは」
「彼は自身を転移できない」
「……そうだったな。アイツ抜きか」
「こちらも問い。どうなっている」
襲い来る魔害物どもいなしながら、じりじりと屋敷に近づきつつ問う。
雫もまた斬り伏せながら答える。細々とした情報を。
「わからん。突如結界が張られ、突如魔害物どもが降って来た。即座に応戦したが敵も上位種、一筋縄ではいかない。今は屋敷に集まり防衛戦の構えで戦っている。当主の方々は外で殲滅に取り組んでいるが」
「浴衣は?」
「私や条と一緒に屋敷に逃げ込んだ。だがお前を見つけて助けてきてほしいと頼まれてな、来た」
「そう」
若干嬉しそうな声音に思えたのは気のせいか。雫はリクスの感情の読み取りは得意ではない。
「ともかく屋敷にまで戻るぞ、話は全部それからだ」
「把握した」
「――お話なら、ここでできるわよぉ?」
「っ!?」
そして割り込む声とともに世界が切り替わる。
魔害物の坩堝と化した屋敷が失せ、目の前にあるのは静寂の屋敷。突如、魔害物が消え去ったと言うのか。今までの全てが夢まぼろしだったとでも言うのか。違う。場所が違う。空間座標がズレている。空間系統の能力の体験の少ないリクスでも把握できる。ここは先ほどと違う。別の場所、別の空間だ。
雫としては風の具合の変化で理解。先ほどまで上空に集めておいた風がない。周囲に流れる風のにおいが違う。故にここは似ているだけの別の場所だと。
驚愕を抑え込み、ふたりは空間の移動を把握。慌てず騒がず、声のした方角を睨みつける。おそらくは――今回の敵。
慎重に、リクスが問う。
「誰」
「誰? さてさて、誰かしら。誰に見えるかしらぁ? くすくす」
見ればいるのは妖艶な女性。歳は三十代前半か、それより下にも見える。和装で身を包み、口元を押さえて上品に笑う姿は大和撫子と評すべきか。
だが笑みに暖かみなどなく、滲み出るのは悪意の腐臭。全てを睥睨し見下す氷の瞳をして、なにもかも嘲笑っているかのような女。魔女。悪魔。そんな言葉が即座に連想させられる。
一目で理解できる。一瞬で判断できる。否、理解させられる。暴力的なまでに伝わってくる。見た人間の脳内に直接叫んでいるかのよう――ヤバイと。
ヤバイ。ヤバイ――心が絶叫して拒否している。
感情表現の薄いリクスでさえもが冷や汗をかき、微かに身体を震わせている。こんなヒトの形をした異形を見たくもないと全身が訴えている。
女は笑う。相対しただけで震えだす小娘どもの不甲斐なさが可愛らしくて、可愛さ余って壊してしまいたくなって、笑う。
「まあどうでもいいでしょう。私はただの傍観者よぉ」
「なにが、傍観者だ。貴様だろう、この空間を作り、魔害物をばら撒いた奴は」
雫がどうにか言葉を形作る。羽織とあって、羽織の暴威を直視し、羽織に鍛えられたが故の胆力。
だがそれはつまり、この女は羽織と同格の存在であることの証左。威圧の質は違えど、その量と鋭さは同等だ。今の自分では――リクスがいたとしても――絶対に勝てないほどの超越者であるということだ。
空間を隔離されて、今はリクスとふたりだけ。助けも期待できない。状況は最悪、気分も最低。このまま殺されて終わってしまいかねない。
雫が懸念していると、やはり女は笑みだけ送る。そう構えなくてもいいと。
「言ったでしょぉ? お話ならここでできるわよって。別にとって食べたりしないわぁ」
「話だと。どういうことだ」
いきなり隔離しておいて、することが会話だと。信じられるはずもなく、警戒は解かない。反して女は余裕というよりも無警戒。特になんということもなく、本当に話をするくらいの構えだ。だが、既に相手の掌の上なのだ、油断とは思えない。いや、本当に油断であっても、食い破れるようなそれではないだろう。実力の差がでか過ぎる。
「んー、そうねぇまずは挨拶――久しぶりかしらぁ、加瀬 雫」
「え――は?」
久しぶり? なにを言っている。雫の記憶にこんなヤバイ女は存在しない。してたまるか。いや、覚えていたくないから脳が無意識に忘れていると言われれば、納得してしまいそうではあったけど。
しかしそんな事例はそうはないはず。面と向かってもちっとも思い出せない。だから、やはり初対面のはず。
そう結論付ける雫に、女は笑う。その表情しか知らないとばかりに、一切笑みが崩れない。
「あら、覚えていないのぉ? 悲しいわねぇ。じゃあ、こんな言葉はどうかしらぁ?」
「?」
「『そちらの町で、獅子頭を被った奇妙な魔害物を発見したのだけれど、打倒してくれないかしらぁ?』」
「!」
その言葉は!
その依頼は!
一番最初の事件の依頼。獅子頭の魔害物を討伐して欲しいという、雫が羽織と出会う切っ掛けとなった事件の依頼!
「その通りよ、あの時あなたに依頼をしたのは私。この町で個人で退魔師なんて酔狂やってるのは、あなただけだったらねぇ」
「なっ……何故、どういう、ことだ」
「いやねぇ、現代の条家十門がどれほどのものか知りたくてねぇ。当て馬として放った魔害物だったのだけど、突然に姿を消しちゃってねぇ、あなたに探して欲しかったのよぉ。探して、戦って、死体を残して欲しかったのぉ」
後から知ったことだが、獅子頭の魔害物は今の彼女の協力者に捕獲され、利用されたらしい。
そこで反応するのはリクス。その獅子頭を捕獲した際の立役者のひとり。
「つまり、最初の原因も、あなた」
「あら? あらあらあなた、あの博士の娘ね。くすくす。お人形さんにそっくり。彼も哀れな男ねぇ」
「っ、やはりお前が父の協力者か。奴はどこにいる」
「さて。どこか遠くに、いえ? やっぱりすぐ近くかも。ああ、また遠のいちゃったかな?」
「別の空間か」
この女、一体いくつの亜空間を作り維持しているというのだ。
最初の条家十門が戦っている場所、ここ、そしてもうひとつだと? 亜空間の作成などひとつでも困難で、並行してふたつも維持できれば七条ですら破格の使い手だろうに。羽織クラスで、同時に当主クラス。なんなんだこの女は。七条なのだろうが、雫もリクスも見たことも聞いたこともない。ここまでの腕前を保持して、無名なんてありえるのか?
ああ、あれ? そうなると羽織もそういえばそうだ。条家十門当主並の超越者で、無名。全くどこにも聞いたことのない男。魔害物を打倒していれば名は知れる。他の魔益師と協力したり敵対すれば腕も知れる。そういった強さ故の必然たる知名が皆無。わけがわからない。
雫は不明にしか至らぬ思考を横に置き、わかりやすいところから訊いてみる。この女の雰囲気から言って、おそらく秘密主義ではない。ぺらぺら語るマッドに似ていると思った。
「死体が欲しいとはどういう意味だ」
「そのままよぉ? 町中で退魔師の死体が落ちていれば、六条が調べだすでしょお? そして条家全体に回る」
「はじめから、私の敗北と死が組み込まれていたということか」
「そぉよぉ。なのに、あのお節介の九条のせいで台無しだわぁ。血は争えないわねぇ。まあ、結局は博士の大暴れで戦力を測るという目的は達したのだからぁ、よいのですけれどねぇ」
「っ」
言葉を失くす雫に代わり、リクスが口を開く。訊かねばならぬこと。
「それで」
「なにかしら」
「それで結局、条家を試して、どう判断した」
その問いに、女はにやりと笑みの質を嘲弄へと変える。嘲り罵る、嘲笑だ。
「――現代の条家は相手にならないと判断したわぁ」
「馬鹿なことを」
絶句から立ち直った雫が打って出る。阿呆の妄言斬り捨てる。
「条家が相手にならないだと? なにを見てきたんだ貴様は。いや、傍観者の限界か」
「へぇ? 違うと? 条家十門は未だ強壮たると、あなたは言うのかしら、加瀬 雫」
「ああ、そうだ。そうだと断言してやるさ。だって私はずっとともにあった。ともに戦い、助け合い、時には助けられ、強敵たちを打破してきた。
見上げる強さを教えてもらった、強者への恐怖を教えてもらった、強さとは能力や魔益量だけでないことを教えてもらった。
彼らはきっとどんな困難強敵悪意にだって屈せず立ち向かう。立ち向かって果てには勝利をもぎとる。私はそう信じているし、信じるだけの根拠をずっと見せ付けてくれた」
浴衣も、条も、一刀も、八坂も。
当主の方々、特に接した九条様や四条様、手を合わせた一条様。
誰もが皆、強くて強いだけでなく強かった。真実の強者たちと断言できる。
「貴様などがなにを判断したというのだ――高位の魔害物の群れ、恐ろしいな。狂気の科学者の協力、厄介だろう油断はできない。当主に匹敵する強力な術者、ああ難敵だ。
だからどうした、負ける要素などひとつもない!」
清清しくも凜冽なる雫の啖呵。友を信じる少女の魂の確信。聞く者の魂を震わせるほどに思いが込められた言霊。
だが、相手は人であって人でなし。悪辣なる魔女。嘯き誘う悪魔である。
女は笑う。哂う。嗤う。
「くすくす。くすくす。
いいことを言うわねぇ、加瀬 雫。怖気に鳥肌が立つわぁ。
くすくす。くすくす。
けれどねぇ、それは言葉。言葉は言葉。力の宿らぬただの言葉よ。
くすくす。くすくす。
ねえ、ほら――そこ、誰がいると思う?」
ゆらりと指が指し示すは雫たちの後ろ。一瞬、なにかの罠かと勘ぐるが、そんなことをせずとも彼女は雫らを殺し尽くせる。意味がない。
ふたりは一刹那、目線を合わせて頷きあう。なにか嫌な予感があった。確認しておいたほうがいい気がした。引力に引っ張られるように後ろを向きたいのだ。
目の前の女への警戒を継続させつつも、体を開いて――ちらと後ろを見遣る。一瞬だけのつもりだった――釘付けにされた。
だって。そこには。
「なっ――!?」
「――にっ!?」
――そこには、倒れ伏した一条と三条当主の姿があったから。
別に新作を投稿しだしたので、よければ読んでみてください。(宣伝
まあ、だいぶ毛色も違うので読みづらいかもしれませんが。
あ、こっちも勿論完結させる予定ではいますので。