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第九話 再戦

 戦闘なので、今までと比べるとちょっと長め。








 日が落ち、また昇って――日付は変わる。

 一晩の睡眠と九条の治癒により、雫の体調は万全となる。

 そして。

 六条からも敵の位置を特定したと連絡が入り。

 全ての準備は整った。

 羽織、雫、条の三人は九条の屋敷を出て、武器を扱う魔害物の討伐を開始する。






「羽織さまっ、わたしもいきますっ!」

「浴衣様?」


 大仰な九条家の門をでて、すぐにソプラノ明朗な声が羽織を捉えた。

 声の方向には可愛らしい少女がひとり待ち構えていた。羽織の主のひとり、九条 浴衣。

 どうやら、待ち伏せていたらしい。それに服装もいつもの和服ではなく、動き易い服――雫に倣ってか何故か制服――を着ていて、やる気満々といったところか。羽織はその行動に微笑ましげに苦笑する。


「浴衣様のやる気には感心しますが、いけませんよ。連れては行けません」


 微笑みの反面、声音は断固としていた。

 けれども浴衣は全く効いた風もなく、意志を伝える。意志の強さは母親譲り。


「加瀬先輩を協力するのは九条家です。なのに、九条がいないのはおかしいですよ。だから、わたしがいきますっ!」

「だから私がいるんです。私は一応九条の姓を頂いておりますので、問題ありません」

「じゃっ、じゃあ、戦闘には治癒師がいたほうが生存率は上がるはずですよねっ」

「いえ……確かに回復役はいませんが、浴衣様を実戦の場に連れ込むわけにはいきません」

「実戦になら、もう何度も出ていますよ」

「いつもとは違います。敵の強さ、味方の強さ、それらを考慮してチームを選定された依頼では、まだ危険は高が知れているでしょう。しかし、こう突発的な状況では敵の力量ははっきりしない上に、昨日急遽編成した即席チーム、こちらが負ける可能性だって大いにあるのです。そんな無茶、九条様が心配されます」

「母様には許可をもらっています!」

「…………」


 いや何故許可するんですか。

 頭を抱えたくなる衝動に気勢が削がれるも、羽織は持ち直して言い募る。


「……あっ、そう、そうです。武器を扱う魔害物ですよ? そんな危険な敵と戦うなんて、私が許可できません」

「強い敵との戦いという、抗いの場でこそ強くなれる。羽織さまが教えてくれたことです!」


 羽織は必死になって諭すも、あまり浴衣に効いた様子もなく、口論は続く。いつもなら羽織が退くところだが、流石に命に関わる問題、容易く退けない。

 というか、前日に静乃に言いくるめられたのが記憶に新しく、余計に意固地となる。羽織も羽織で負けず嫌いの傾向があるのかもしれない。

 見かねた条が適当そうに口をはさむ。


「俺は別にいいけどな、浴衣ちゃんは九条様に次ぐ治癒能力の持ち主だし」

「条! 煽るようなことを言うな」


 吼える勢いで羽織は条を黙らせた。必死である。

 そうしていると横の雫も、むぅと思案顔で意見を述べる。


「私は……どちらかといえば反対だな。もしも浴衣が怪我でもしたら、九条様に示しがつかない」

「今はじめてお前がいい奴に思えた! 

 雫の言うとおりです、浴衣様、あなたにもしものことがあったら、私は――」

「だいじょうぶです!」

「はい?」


 どんな根拠か、浴衣は一寸の迷いもなく断言した。


「私にもしもはありえません! 羽織さまが、護ってくれますからっ!」

「っ!」


 的確に羽織の弱点をつくのは九条親子の共通スキルだった。

 羽織は、真っ直ぐな信頼というものが心底苦手だった。特にこう純粋さを前面に押し出されたら、いつもはよく回る舌も停止してしまう。

 そして痛烈なるトドメの一言。


「羽織さま、お願いです! わたしは羽織さまが心配なんですっ! 加瀬先輩とも仲良くなりましたし、条さんともお友達です――わたしは、助けになりたいんですっ!」

「…………」


 本当に、この少女は九条 静乃の娘だった。意志の強さも、優しさも、まるきりそっくりだ。

 連敗――羽織は苦渋に満ち満ちた表情で、血を吐くような悲痛さで、涙さえ流しそうになりながら、頷かざるをえなかった。


「わかり……ました。絶対、私から離れないでくださいよ」

「うんっ!」


 浴衣は静乃と同じように、満面の笑みで頷いた。

 いい人とは、かくも理不尽なものなのだ。






 特定したその場所まで、四人は急ぐ。追加の情報で、戦闘が始まっていると伝わったからだ。どこぞの退魔師が、あの魔害物と遭遇してしまったらしい。

 羽織は駆けながら、六条に電話をかける。情報は逐一変化するもの。今朝ではなく、先ほどでもなく、現在の情報を聞き出したかった。


「現場はどうなってる?」

『現在、標的は複数の退魔師と交戦中――既に退魔師たちの敗戦色は濃く、もって数分ほどの足止めにしかならないでしょう』

「急いだほうが、いいってことだな」


 羽織も六条も、負けている退魔師の安否など一切考慮にいれず、ただの足止め扱いである。

 後ろで走る雫や浴衣に聞かれては面倒になる非情な会話なので、声量を抑えてふたりは会話する。


「退魔師どもは、敵に損害を与えたか?」

『……いえ、遊ばれていますね。おそらく殺す気があれば、一瞬でできる』

「ち。いつ飽きるかわかんねえし、やっぱ急ぐべきだな……」


 ここでさらに移動されては、また探し出すのに厄介だという、その一点にのみふたりは焦点をあてていた。

 目的以外の全てを排泄しつくした、世には冷酷と呼ばれる人種であること――羽織と六条はそこを共通点として交友を深めていた。

 羽織は通話を打ち切り、振り返る。


「急ぐぞ! 逃げられちまう」

「そうじゃないだろう! 早くしないと被害者が増える……!」


 雫は毅然と否定し、羽織にはない心配色を覗かせる。できるのなら、死者などだしたくなかった。

 一方、いつもなら同意するであろう浴衣は、そういう余裕もなくやや苦い顔色だ。


「うぅ、みんな速いですよぉ」

「ま、退魔師の速度は治癒師にはきついか。おぶろうか?」

「ふざけんな、条! 浴衣様になに色目つかってやがるっ! おんぶならおれがする!」


 条の言葉に羽織が即反応、剣呑に叫ぶ。親馬鹿丸出しの反応速度である。

 当の条は笑い出す。


「はっは、冗句だ」

「くすくす」


 浴衣も口元を手で押さえ込むも、笑みは隠し切れていなかった。

 走りながらも、よくよく余裕のあるメンバーである。

 そうこうしている内に、雫は眼光を鋭角とし呟く。


「……そろそろか」


 頷き、羽織は指をさす。


「そこを曲がった路地――って、今回の魔害物は路地裏好きなのか?」

「知るかっ! ともかく、踏み込むぞ」

 






 魔害物の作り出した異相空間――そこは死臭漂う、血塗れの世界。

 足を踏み入れれば、視界にあるのは血色のみ。戦場だったそこは既に惨状となり、生ける者はただのひとりもない。

 戦っていた退魔師は負け、既に殺しつくされていた。ただひとつ、黒塗りの肢体に頭頂部は獅子を模す頭、両手に握るは小太刀――すなわち、武器を扱う魔害物だけがそこには存在していた。

 羽織はつまらなさそうに目を細め、すぐに視界を塞ぐように浴衣の前を陣取る。条は無音で腰を落として構える。

 雫は険しく眉を歪め、即座に臨戦態勢――右手で虚空を掴み取る。

 なにもなかったはずなのに、右手は何時の間に刀身の長い日本刀を握り締めていた。

 その刀は、刀剣美とでもいおうか、人殺しの凶器であるのに、いやそれが故なのか――心を溶かすほど美しかった。

 一点の曇りさえなく、刀身は澄み渡っている。銀色の刀身はそれそのまま魂の輝きを映しているのか、見る者を無条件で惹き付ける美しさを誇っていた。鍔は単純な円形で黒色、柄も特に凝った作りとは言わないが、それでも雫が握るとまるで一個の絵画のように似合いすぎるほど似合う。

 それは魂魄能力を具象化したもの――魂の具象武具。

 魂の力という曖昧なものは、こうして物質化しなければ酷く不安定で、簡単に暴走してしまうのだ。安定化のための技法が、具象化というわけだ。

 安定化とは束縛とも言え、全ての能力の始点が武具からとなるが、そこは致し方ない。

 今も昔もいつの時代もどこの場所でも、魔益師は魂魄能力を具象化してその武具を行使する戦法が主流である。

 ブゥオン、と雫は露払いのように己が魂の刀を一振りし――


「貴っ――様ぁあ!」


 ダンッ! と一足跳び。堪え切れずに雫は獅子頭に踊りかかった。


「って、おい!」


 一拍遅れた羽織の制止も届かず、雫と獅子頭の距離は既にゼロ。

 頭蓋へ落とす真っ直ぐ過ぎる太刀。


「カタ?」


 獅子頭は小首を傾げつつ、右腕を掲げる。ちょうどそこに雫の斬撃が落ち、巧みに小太刀で防ぐ結果。ついでのような気安さに、雫は舌打ちしかける。している場合でなく。

 雫は刀を翻し、腰を沈める。深く深く沈みて狙いは獅子頭の細い脚部。両足を絶つかの横薙ぐ一閃。

 獅子頭は軽く跳躍、避けられた。同時に低い体勢の雫を踏み潰さんと、着地点を決定。雫は刀を手放し――瞬間に具象化が解ける、刀が消失する――両手を地につき横っ跳び。

 ドスン、と獅子頭の両足が雫の元いた大地を踏み締め、雫は両手両足で着地しどうにか体勢を維持する。止まることなく雫は再び両手で大地を叩き、その反動で上体を起こす。その頃には振り被られた獅子頭の小太刀が唐竹割に雫の頭頂部に振り下ろされ――具象化は済み、手の内には刀――水平に構えた日本刀が小太刀の一撃をどうにか受け止める。

 ガギャァア!!

 と。

 刃音響き、火花散る。

 噛み合う刃と刃――さらに追撃とばかりに、獅子頭は逆の手の小太刀を水平の刀に叩きつける。


「ぐっ」


 激しい衝撃が刀へ、そして全身へと伝い、雫はグラつく。

 そして再び掲げられる獅子頭の小太刀――単調な動作に、雫の目が計略に細まる。

 片腕を振り上げているがために、もう片方――刀と組み合っている方の小太刀の力が微かに減じている。馬鹿みたいな大振りが原因だ。そこを見逃さず、雫は具象化を解きながら後方へ一歩だけ退くことに成功。たちまち獅子頭は支えを失いバランスを崩す。

 さらには振り下ろした小太刀のいく末も失う。剣閃が歪み、剣筋がブレる。一歩分による紙一重、刀尖が退いた雫の鼻先を通り過ぎる。短い小太刀が相手であるからこそできた対処法。

 対処により生じた隙、穿たぬは阿呆――素早く具象化、刀を顕現。

 袈裟懸けに振り下ろす、必中を期した刀刃。

 だというのに。体勢は最悪だというのに。獅子頭は右の小太刀を無様ながらも振り上げる動作での投擲する足掻き。

 雫は咄嗟に身体ごと回転。舞い回るように小太刀を軽やかに避ける。そのまま遠心力を乗せて刀を横薙ぐ。今度こそ直撃を確信し、

 獅子頭は下品に大口を開く。そして。


「っ! なにっ!?」


 来たる刀身に、喰らいついた。生え揃う歯牙が、ガチンと刀を捕まえ噛み締める。

 勢いの全ては殺され、刃は停止。押しても引いても、獅子頭の顎の力に敵わず動かない。ぴくりとさえ、刀は動かない。

 しかし小太刀は止まらない。

 風切り喉狙う剣線。

 主導権を奪われ、武器を握られ、タイミングを逸した雫に回避などできやしない。

 自分の勝機は相手の勝機、簡単に天秤は傾く。雫に傾いていた勝機は一瞬で獅子頭へと傾き、それに対する悪態すら吐けずに死だけが迫り――


「ちょっとごめんよ」


 そんな軽い声と、ゴガンと重苦しい打撃音が嫌に耳に染み渡る。

 刃が喉裂く直前。

 獅子頭を、条が殴り飛ばしたのだ。

 ボールのように吹き飛ぶ獅子頭を尻目に、条は僅かばかり責めるように話しかける。


「雫、先走りすぎ」

「すっ、すまない」

「たくっ――ま、気を引き締めろよ、敵、来るぞ」


 壁に叩きつけられようとなんのその、獅子頭は幽鬼のように起き上がる。そして投擲してなくしたはずの右の小太刀を瞬く間に再生し、どうだとばかりに滲む狂喜を雫と条に突きつける。


「カタカタカタ」

「はっ、楽しそう戦う魔害物だな。それも進化の結果か?」


 雫と条、そして獅子頭の三者から離れた位置。一歩も動かず、羽織は浴衣を背にして笑う。


「って、羽織! 貴様も動け戦えこっち来いっ!」

「やだね」

「なっ!」

「浴衣様がいる以上、おれは浴衣様の護衛をする」


 決定事項の通達。羽織に動く気配も曲げる様子もなかった。

 労働意欲が皆無なのか、使用人の鏡なのか。判断に迷うところである。

 流石に忍びないのは浴衣。


「あの……羽織さま、わたしのことはいいですから、戦ってください」

「いえダメです。治癒師はパーティの要です。治癒師を失ったパーティは瓦解するのみ。ですからこのメンバー唯一の治癒師である浴衣様を誰かが護るのは当然です。そしてそうなると、一番の適役は私かと」


 羽織は懇切丁寧意に理路整然と諭す。

 戦闘のセオリーを語りつつ、それは浴衣の安全確保と自分を戦闘行為から外すための言動に他ならない。

 羽織としては、浴衣が無事ならそれでいい。なので前線にはださず、ついでに自分も護衛の名目で戦闘回避。一石二鳥である。

 浴衣は正論――正論っぽいもの――をそれらしい口調で言われては、強く言えなくなる。戦闘に関して、羽織の方が経験豊富で、判断力も上なのは明らかだったからだ。

 羽織はダメ押しに雫と条にも、この状況を正当化する策を告げる。


「前衛ふたり! ダメージがきつくなったら、片方は一旦こっちに退け。浴衣様が治癒する。それを繰り返してけば削り勝てる」

「貴様の役割だけ、随分ラクそうだなあ!」

「お、来るぞ、前向け」

「っ!」


 雫は文句の暇もなく、敵に視線を戻す。確かに、獅子頭はゆっくりとこちらへと前進していた。

 はあ、と条がため息を吐いてから、視線を獅子頭に、声は雫に向ける。


「雫、諦めろ。別にそこまで悪い作戦でもないんだし、羽織に乗るしかない」

「むぅ……心底不本意だが、わかった」


 不承不承を前面に押し出しつつも、雫は刀を構えなおす。羽織を意識から追いやり、獅子頭にのみ注視する。

 獅子頭は向けられるふたつの戦意に、ぶるりと身を震わす。人間でいうところの、それは武者震いなのだろうか。なんにしても不気味だ。

 がぱり、と大口を開けて、


「カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ」


 獅子頭は高速で歯を打ち鳴らす。大笑を上げる。狂笑を轟かす。

 転瞬。


「!」


 雫の視界から、獅子頭は消え失せた。

 背を走る悪寒。這い寄る恐怖。

 咄嗟に、雫は身を引いていた。

 ガチン、と噛み鳴らす歯音。一瞬前まで雫の存在した空間を、いつの間に接近した獅子頭は噛み千切っていた。

 続く銀刃の津波。避けた直後の雫に、小太刀双刃が振りかかる。咄嗟の回避動作であったため少々無理な体勢となってしまった雫は、それでも刀でもってどうにか迎撃。攻め立てる小太刀、弾き防ぐ刀――斬り斬り、裂き裂き、突き突き、薙ぎ薙ぎ――連続で響き渡る金属音。交わる刃と刃、その十四合目になって、遂に雫の体勢は本格的に崩れる。


「くっ!」


 その隙を突く、獅子頭の小太刀一閃。

 だが――雫の口元は、笑み形作る。

 先ほどと、なんら変わりない状況だったから。


「そこぉ!」


 隙を突くのは獅子頭ではなく条。

 攻撃動作の真っ最中の背中へとぶちかます、渾身の拳撃。

 条の拳が獅子頭に突き刺さる――はずが、受け止められる。


「「なっ!?」」


 驚愕は雫と条の同時。

 それは、背から生じた第三の腕。その黒腕が条の拳を止め、さらに生えた第四の腕が素早く条の腹を打つ。


「がっ!」


 衝撃と苦痛に呻き、条はよろめきながら数歩下がる。

 気にしている余裕は、雫にはない。

 一瞬だけ止まった小太刀は、次瞬に起動。驚愕のせいで雫は体勢を立て直すタイミングを逃した。身を捻っても斬撃は避け切れず、


「っっ!」


 雫の右腕を、鮮血散らして裂く。

 痛みに声さえ出ない。だが、足だけはバックステップを踏んでいて、追撃を逃れる。

 ――それら全てを眺めることしかできなかった浴衣は、我慢ならず絶叫していた。


「条さん! 加瀬先輩! 治癒しますっ! 一旦、退いてくださいっ!」


 だがそれは浅慮。

 ふたりの前衛が揃って後退してしまえば、後衛に魔の手が届く。たとえば治癒の途中で襲われれば、まとめてやられる。そうでなくとも隙を晒す。

 つまるところ、パーティ全体の敗北を意味している。浴衣だってわかっているが、感情は抑えられなかった。走り出す寸前で羽織に肩を掴まれ、浴衣は唇を噛み締める。

 無論、雫も条も理解していた。だから黙殺し、立ち塞がるように立ち止まる。

 とはいえ雫の傷は浅くなく、下手に動けば腕がとれてしまうのではないかというほどだ。血も目を背けたくなるほどに右腕を染めている。控えめに見えても、右手は使い物になるまい。

 条は確認し、グッと拳を握り締める。


「ふう……羽織の作戦通り、雫は一旦退いて治癒してもらえ。俺は奴をひきつけておく」

「なっ! しかし、条ひとりでは――!」

「大丈夫だ」


 ニッ、と条は不安感を殺すように笑った。まるで問題ないと、そう告げるように。

 雫はそれでも渋ったが、羽織がうざったそうに急かす。


「いいから、お前は退けっての! 手負いじゃ足手まといだ!」

「アレ相手にひとりだぞっ!?」

「うるせー! 条はそんなでも一応、戦闘特化条家の二条、その直系だぞ! お前に心配されるほど弱かねえ! それにっ!」


 ビシィ、と条を指差し、羽織は非難を織り交ぜ叫ぶ。


「そいつはまだ、具象化すらしてねえ!」


 ちなみ羽織が必死なのは、戦略的に見て雫が戦えなくなると困るからであり、気遣いの類ではないことをここに明記しておく。

 そう、気遣い。その気遣いが、敗北に繋がることもある。不本意ながら雫は理解し、後方に思い切り跳び退く。

 獅子頭が追撃をしようとしたが、条が遮ったことで断念。かわりに条にターゲットを絞ったらしく、渇いた笑みを鳴らす。

 条は揺るがず、たったひとりで獅子頭と相対する。

 ひとえにその自信の源は、条が具象化していないことにある。


 ――条は具象化をしていない。

 具象武具は人それぞれ、魂魄能力と同じで姿かたちが違うため、実は一見しただけでは具象化中か否かはわからないことが多い。

 たとえば雫のようにまるきり戦闘向けの武器が具象武具であることは退魔師には多いが、それ以外にも戦闘のイメージのないアクセサリーが具象武具であったり、単に着用している服自体が具象武具であったりするのだ。

 これもまた、魂の構造。千人千色である。

 だが――ともかく具象化をせずに能力を使うのは極めて無駄だ、非効率的にもほどがある、不便に過ぎる。それは体力をやたら消費するし、力が拡散し上手く指向性を保てないし、暴走の危険性をも孕む。暴走させてはいけないので、必然的にほとんど力を発揮できない――しない。

 いうなれば素の状態であり、戦闘状態である具象化とは性能に天と地ほどの差があるのだ。

 つまり――条はまだ、全然本気をだしていない。


「よっし、全開でいくぜ」


 無論、条だって具象化せずに戦う不利は重々承知している。今回は単に、雫がいきなり突っ込んだりするから、具象化の暇がなかっただけだ。まあ、彼自身がスロースターターだというのも起因してはいるかもしれないが……。

 条は速やかに具象化――音もなく、条の両手には黒い指貫グローブが物質化、装着していた。

 漆黒をそのまま手に塗りつけたような、本当に黒一色のグローブだ。それは条の性格を表しているといっていい。

 戦いに格好いいも悪いもいらない、そんなものはただの欺瞞で、戦いとは単なる卑しい殺し合いでしかない。戦闘という行為を一切美化せず、率直にそれが汚く忌避されるものだと弁えている。故に、武具にも飾りや彩りは不要。ただ、用途を満たせばそれでいい。

 それこそが二条 条の考え方であり、それがために具象武具は全くの質素。

 そしてその能力は――


「ぅぅらッ!」


 跳び掛り、なんの躊躇も考えすらない拳を獅子頭へぶちかます。

 獅子頭は低能ながらも先と同じ対処で充分と判断。未だ生えていた第三の腕で条のパンチを受け止め


 ――切れずにブチ抜かれる!


「カヒッ!?」


 二条の血統に受け継がれる魂魄能力――それは“一撃の強化”。

 条家十門、その中で最も単純にして明快な能力。インパクトの際に、威力が倍増するだけの強化系能力。

 単純ゆえに強力――その一撃は、どんなものでも遍く砕く!

 砕かれた第三の腕は木っ端微塵、獅子頭は立て続けに第四の腕で条を襲うも。


「無駄だっ!」


 まるでなんでもないように、条は走りながら、襲い来る腕を軽く左手で薙ぐ。それだけで獅子頭の腕は吹き飛ぶ。

 獅子頭は本能の警鐘に従い、残った両腕を交差し防御を構えて。


「求めて曰く――“一撃必倒”!!」


 大砲のような条の全力拳撃に、それこそ砲弾よろしく殴り飛ばされた。

 さきほどとは比べものにならない重い拳。強すぎる衝撃に、獅子頭はなんの備えもできずに凄まじい勢いで壁に激突、ずるりと倒れ伏した。もしもここが通常の空間ならば、激突した壁もぶち抜き、さらに遠方まで吹き飛んでいただろう。




「なん、て……威力だ」


 雫は浴衣の治癒を受けながら、愕然としたように呟く。

 今、殴り飛ばされた獅子頭が、消えたように感じた。それほどの速さでぶっ飛んだということだ。それほどの威力でぶん殴られたということだ。

 

「これが、二条家直系」


 二条家の理念にして理想、極致――“一撃必倒”。

『一撃のみで打ち砕く。一撃のみで打ち倒す。一撃のみで打ち滅ぼす。そこに次撃は不必要。何故ならその一撃に、全ては篭っているのだから』

 条の一撃はまさにその理想を体現したかの威力といえた。少なくとも、雫はそう強く思った。

 しかし、理想とはそう甘くはない。


「はっ。まだまだだな。一撃必倒できてねえ」


 羽織が口にした厳しい評価の通り、確かに獅子頭の魔害物は――


「カタ、リ」


 生きていた。

 しっかりとその両足で大地を踏み締め、再び立ち上がり、笑う。


「カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ」


 笑う。笑う。笑う。

 まるで壊れたように。まるで狂ったように。

 笑う。

 それはまるでこんな程度では満足しないと、不敵に語りかけているようで。

 羽織はほんのり目を細めた。




「ちっくしょ、硬えな」


 ショックを隠しきれずにぼやく条。今の一撃は確かに全力全開の、必倒をこめた拳だったのだ。

 その威力は鉄塊をも粉砕する――それを直撃して、笑うか……。


「バケモンだな」


 もうこっちも笑えてしまう。

 そして。


「カタ――リ」


 笑みはやみ。


 魔害物が炸裂した。


 ――否。


 その全身から黒い腕が爆発のように生え、生え、数え切れないほど生えた。


 腕。

 腕腕。

 腕腕腕。

 腕、腕だ。

 黒い、腕である。


 総身余すところなく、魔害物のどこからも、新たなる黒の腕が生えた!

 顔からも、手からも、足からも、胸からも、背中からも、腹からも――どこからも腕が生えて、生えて、生えた。

 腕は距離を埋めるがごとく伸長し、伸びた腕がさらに枝分かれ、鼠算式に増量する。増大する。激増する。

 大量膨大の腕の群は爆伸と増殖を繰り返し、全てを塗り潰す。染みが浸透して広がるように、着実静かに世界を侵蝕する。

 増えて増えて、黒を広げて増進する腕の奔流――それはまさに腕の津波か、はたまた黒き瀑布。

 そしてその全てに狙われる退魔師一同は。


「――!」


 そんな馬鹿げた光景に驚愕し、声さえ失う。

 常識外れの魔害物――それを超越した異常な攻撃法。視界一杯は黒、黒、黒。常軌を逸した黒一色。

 この異なる世界を埋め尽くすようにして、魔害物の腕が増えて伸びる。四人の小さな人の子らを押し潰さんと迫る。迫る。迫る。

 脅威が迫っているというのに、しかし身体は動かない。大自然に対するような本能的戦慄に、身体が震えて動かない。思考の活動が一足先に殺され、無となる。思考が無では、身体が動こうはずもない。

 魔害物を滅ぼすための存在であるはずの魔益師たちは、死の確信に呑まれてしまう。死の行進に蝕まれて、瞬きもできない。文字通り死の腕に捕まれ黄泉へと直行す――

 そこに。


「止まるな、動け! 死にてえのか!」


 硬直を解く叫び。

 唯一、動じずいた羽織の声。

 そこでようやく全員がハッと我にかえり、現実と直面することになる。

 だが、我にかえったとて、こんな現状でマトモな思考が回せるはずがない。それは年齢を考えるに当然過ぎる経験の浅さ。逆境への対処法の不明。経験は、直接的な強さとはまた無関係、積み重ねた年月のみで獲得するもの。いくら雫が一流の退魔師でも、いくら条が二条家直系でも、年若きは如何ともし難い。

 それ故に思考の無から脱しても、次に思考は真っ白となる。結果、一瞬前と大差なく意味ある行動はなにひとつとしてできない。

 やはりただひとりを除いて……だが。


「ち――馬鹿どもが」


 毒づき。

 羽織は苛立たしげに指示を飛ばす。


「条! お前は全力で一点を穿て!

 雫! その穴をお前の能力でさらに掘って道をつくれ!」


 空白の思考に、まくし立てるような命令は染み渡る。

 自身の思考回路がマヒしているために、ふたりは反抗の言葉も忘れて素直に頷く。

 その身体は指向性を得て、ようやく起動を開始。真実思考なく、命ざれるままに稼働する。

 拳を握り、条は黒の津波に真っ向から立ち向かう。それは思考が働かないがための、恐怖なき立ち回り。


「ぅ、ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 雑念全てを封殺しただ一念――全力で、という言葉だけを頭に響かせ、条は雄叫び己が力を解放する――魂魄能力“一撃の強化”!

 極限まで強化された条の拳が誤魔化しも、小細工も、牽制もなく――ただ思い切り黒の奔流をぶん殴る。

 思考が回らなくてもそれ以前の魂の底で、条は理解し切っていた。

 二条の一撃に、誤魔化しも小細工も牽制も必要ない――なればこそ、無心で放たれるのは愚直なまでのストレート!


「――!」


 ああ、そうだ。

 条はそこでようやく自分の思考を取り戻していた。空白を抜け、自身の色を思い出す。

 そうだ、腕など一度打ち抜いた。それが束になろうとも――


 打ち抜けぬ道理はない!


 ズガン! と爆裂にも等しい景気いい大音を響かせ、幾重にも寄せ集まった腕々をなぎ倒し、なぎ払い――小さな条の拳は、腕の津波に大穴を穿った。

 拳に残るは心地よい痺れのみ。見事、打ち克った証明。たったひとつの拳が、何百ほどにもなる腕の群に打ち克ったという証明。

 それを見届け、羽織はニヤリと邪悪に笑って次撃の指示を叫ぶ。


「次、雫!」

「あっ、ああ!」


 条のその真後ろ。

 浴衣の治癒の成果。雫はダメージに顔色が翳ることもなく、痛みで動作に支障がでることもなく、慌てながらも握る刀を限界まで振り被る。条の崩した黒い大波を見据える。


「――――!」


 指示から一拍開いてしまったが故の、圧倒的な黒への恐怖。雫は痛みを思い出してしまい、身が竦みそうだった。

 息を吸い込み――雫は刀を振り被ったままに目を瞑る。

 落ち着けと呪文のように胸中で呟く。大丈夫だと暗示のように胸中で囁く。

 痛みは幻想で、自己は万全だ――浴衣を信じろ。

 カッと目を見開き、溜めた呼気を怖じ気と一緒に吐き捨て、


「破ぁあッ!」


 渾身の――

 斬撃を――


 放つ!

 

 裂帛の気合をこめた雫の一閃は空気を震わせ、震えた空気は風を呼び、風は加速し鉄槌となる。


 ――この戦いの直前、四人は自分の魂魄能力について説明をし合った。仲間の能力も把握せずに、共に戦うなどできるはずもないのだから。

 そして、その説明にて聞いた雫の魂魄能力は――“風の制御”。

 この世界に満ち満ちた空気をそよがせ木葉を揺らす、吹き荒れる烈風を御して岩さえ砕く――雫は刀を振るいて空気を乱し、風を起こす退魔師なのだ。


 雫の振るった刀、その延長線上から烈風が発生する。

 周囲広域から掻き集めた風を統合し制御することで黒の津波、その穿たれた穴を目指して清廉なる旋風が吹き抜ける。

 ひゅるん――風が囁き。

 轟! ――風が叫んだ。

 一拍遅れて凄まじいまでの轟音を引き連れ、大穴をさらに竜巻がごとき螺旋回転する風が貫く。掘削機がトンネルを掘るように――黒の波濤に抜け穴が開き、道となって拓ける。

 ちなみに条は、風が上手く制御されていたので無事である。


「よっしゃ! 走れ走れ! 穴を駆け抜けろ!」


 間髪いれずに叫び、羽織はアタフタしている浴衣を抱きかかえ、スタコラ走り出す。

 穿ち貫通させた穴は、しかしゆっくりと動画の巻き戻しのように塞がっていく。

 当然だ。腕は増殖を続けているのだから。増えて伸びて、侵食を続けているのだから。風の残響で塞がる速度が緩やかなのは唯一の救いか。

 そのことに気付いてビックリ、条と雫も羽織に倣って駆け出す。出口を目指して全力疾走。

 走って走って。

 さして長くもない道のりの果て、確かに見える。

 穴の出口、黒の終わりに立つ異形が。


「! 魔害物!」

「あれを潰せばいいんだな」


 魔害物は全身から腕を生やしており、さらなる異形と化していた。そしてその姿は、この腕の中心を意味する。

 中心とはつまり、奴さえどうにかすれば、腕は消え去るということ。

 羽織は理解とともに獰猛に犬歯をむき出し、けれど一切の仕事を他人に押し付ける。


「雫、その場で遠距離攻撃! 条、その直後にトドメ!」

「「了解!」」


 他人任せという真実――雫と条はそれに気付けず、単にその指示の的確さに頷くのみ。

 自分が動きたくない分、羽織は指揮官向きなのかもしれない。

 雫は指示通り急停止――左足を前に踏ん張り、身体ごと刀を振り被り。


「風よ舞え。嵐よ踊れ。刃の歌を聴きながら!」


 右足で踏み込むことで行き場をなくした疾走の勢いを刀に乗せ、全霊を込めた太刀を放つ。

 斬! 

 必滅の意志を込めた斬撃は、同時に必勝の威力を宿す颶風と化す。

 高速で距離を踏破し、刃が如く鋭利に研がれた風が獅子頭へと殺到。

 斬り――


「カヒッ!?」


 ――裂く!

 あまりの速さに回避も防御も間に合わず、ズパンと見事綺麗に獅子頭の身に斬線が刻まれる。

 蓄積された分も含めてダメージは深刻へと至ったのか、莫大に激増していた黒の腕が――嘘のように全て消え去る。黒が一点残さず晴れる。

 それでも死なない――否、生存を続ける、死を拒絶する、そのための増殖の停止だ。

 攻撃に叩き込んでいた魔を、自分一個に集約したのだ。そうしたことにより、腕を構成していた魔を再生に充てられる。死の淵からも再生可能。

 腕は二本に戻るが、刻まれた刀傷は修復される。蓄積されたダメージをある程度回復する。

 魔害物の生命力は驚嘆に尽きる――とはいえ、存在を保ち構成する魔は確実に減少しているのだが。


「!」


 刹那で癒えた傷を見て、退魔師たちは瞠目。動揺。

 する前に、


「ブレんな条! お前はなんも考えずに拳を握れ!」


 引っ叩くような羽織の号令。それは、こんな土壇場で躊躇いなど不要だと告げる。

 揺れそうな精神を無理やり停止。条はできる限りの無心を努め、拳を握り締める。


「カタカタ」


 獅子頭は、小太刀を構えて迫る条を迎え撃つ。

 条は、疾走しながら拳を引き絞る。

 接近。

 接近。

 近接!

 先に、小太刀の間合いに入る。

 拳士にはまだ遠いその位置で、獅子頭が両手の小太刀を振るう。近付くなとばかりに、切っ先が届くギリギリの場所でもって振るう。それは先ほど、条の拳に対する防御は無意味とこっ酷く思い知らされたがための選択だろう。

 そんなもの委細構わず。

 条は斬撃乱に飛び込む。

 致命になるものだけを辛うじて避け、けれどそれ以外に斬り刻まれ。

 それでも条は止まらない。

 肉が裂け、骨まで軋ませ、鮮血が派手に散る。

 だが、右腕だけは無傷。

 右腕だけは身体全体で隠し庇い、条は乱剣と血煙の中を真っ直ぐ進む――吼える。


「この一撃だけはっ!」


 肉体に刃が食い込む、肉が刃の進軍に抵抗する――それが微か一瞬すらない、しかし確かな剣速の遅れを生む!

 一瞬遅れた剣速をつき、命へと銀刃が届くその直前に拳を――


「そのふざけたツラに叩き込む!!」


 拳をブチ当てる!

 ズガンッ! と。

 衝撃は衝き抜け、否、衝撃は獅子頭の中で一切無駄なく弾けて。

 故に吹き飛びはせず、獅子頭は数歩ふらつきながら後退し、数秒だけ棒立ちになる。すぐにふらつき、全身で震えて、やがて膝を折った。


「かた……か、た」


 ぱきん、と乾いた音を響かせ、獅子頭の頭部は砕け散り――その存在は静かに消滅した。







 主人公なのに戦わないという。

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