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ずるいです、儚くなったあなたとは勝負できませんから

作者: 弍口 いく
掲載日:2026/07/22

 数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。

「申し訳ない、アリアの具合が悪くなったそうだ、すぐに帰らなければならない」

 よほど心配だったのだろう、デュール様は蒼褪めながら席を立った。


 楽しみにしていた観劇、久しぶりのデートなのに一幕も終わらないうちに知らせを受けて帰ってしまった。


「お嬢様……」

 入れ替わりにボックス席へ入ってきた侍女のフレアが心配そうに私を窺った。

「大丈夫よ、せっかくだから最後まで観劇していくわ」


 デュール様と婚約して一年が経つ。私は三カ月後に王立学園を卒業し、半年後には結婚式を控えているというのに、彼はまた従妹のアリアドネ様を優先した。やはりデュール様にとってアリアドネ様が一番なのだ。


 このまま結婚しても大丈夫なのだろうか? 引き返すのなら今がギリギリかも知れない。



   *   *   *



 私はウェルナー伯爵家の次女フィディス、王立学園に通う三年生。赤い髪に紺碧の瞳、勝気そうに見える十八歳。


 二歳年上のガルディ侯爵令息デュール様との縁談が持ち上がったのは一年前だった。私はその半年前、婚約者に浮気されて破棄した傷物。一方のデュール様も一年前、性格の不一致が理由で婚約を解消していた。お互いに婚約者がいない者同士、両家が事業提携をする縁もあって話が持ち上がった。


「ガルディ侯爵令息、訳有り物件らしいわよ、よく考えた方がいいかも知れないわ」

 そう忠告してくれたのは親友のアーガイル伯爵令嬢シェイラだった。彼女は顔が広く情報通で、早速、新しい婚約者候補の情報を仕入れてきてくれた。


 デュール様は既に学園を卒業している。二歳違いだから一年は王立学園で被っているものの接点はなかったが、見目麗しい侯爵令息は有名人だったので、私の方は彼の存在を知っていた。


「前の婚約者との解消、性格の不一致なんて理由じゃなかったみたいよ。元婚約者の方が愛想を尽かして破棄したいと言ってきたらしいわ。でも、デュール様に重大な瑕疵がなかったから、解消で手打ちになったようよ」


「愛想を尽かされたって?」

「婚約者より従妹を優先し過ぎたらしいわ」

「従妹?」


「婚約が解消される半年ほど前に、病弱な従妹が王都の優秀な医師に診てもらうために領地から出てきて、ガルディ侯爵家のタウンハウスに滞在するようになったのよ。それ以来、なにかと従妹を優先させて、婚約者との約束を破ったり、デートの最中に呼びだされて帰ったりするようになったそうよ。それで元婚約者との仲が拗れたらしいわ」

「なんか、聞いたことがあるような話ね」


 両親はこのことを知っているのだろうか?





「ちゃんと調べたよ、前の婚約者みたいな浮気者のクズだったら、いくら侯爵家からの縁談でも受けたりしない」

 前の婚約者とは父の友人の勧めで婚約した。かなりの美男だったので私は外見に惚れてしまった。しかし女にだらしなく、複数の女性に手を付けていたことが発覚したのだ。


 紹介してくれた父の友人は平謝りで、慰謝料もしっかり交渉してくれた。とは言え、破談になれば悪くなくても瑕疵が付くのは令嬢の方と相場は決まっている。殿方の気持ちを繋ぎ留められなかった魅力ない女のレッテルを貼られてしまった。


 そこへ舞い込んだのがデュール様との縁談、二度も失敗は出来ないと父は慎重に調べて、前回婚約解消になった事情も把握しているらしい。


「ガルディ侯爵もデュール殿も、前の婚約者には申し訳ないことをしてしまったと反省しておられた。件の従妹アリアドネ嬢とデュール殿の関係は親戚以外のなんでもないから誤解しないでほしい。二度と婚約者を不快させるような行動はしないとおっしゃっているから大丈夫だと思うぞ。会ってみて嫌だと感じたら、断るのはそれからでもいいんじゃないか」


 という訳で、とりあえずお見合いをすることになった。


 そしてチョロい私は間近で見た彼の麗しい容姿に魅了されてしまった。

 ダークブロンドにサファイアブルーの瞳、長身でガッチリした体格は頼もしく、学園で見かけた時よりもずっと大人の魅力満載になっていた。前のクズな婚約者で懲りているはずなのに学習能力がないと言うか、私って美男に弱いのよね。


 でも、言いうべきことは最初に言っておかなければ、と。

「私は愛し合う両親を見て育ちました。姉も恋愛結婚で幸せに暮らしています。私も両親や姉夫婦のようになりたいと思っています。政略結婚が多い貴族の結婚において、私のような希望は難しいのかも知れませんが、そこは譲れないのです。最初から無理ならこのお話はなかったことにしたいのです」


「同感だよ、長い人生を共に過ごすんだ、愛のない結婚より愛し合って幸せになりたいのは俺も同じだ。アリアドネのことを気にしているのなら、彼女はあくまでも従妹で家族のようなものだ。病弱だから心配はするけど、誤解されるような関係ではないからね」


 デュール様の言葉を信じた。

 そして程なく正式に婚約が結ばれた。


 最初、私たちの交際は順調だった。彼が約束を違えることはなく、休日の度にデートを重ねた。外見だけではなく、穏やかで優しい彼に益々惹かれていった。





 暗雲が立ち込めたのは二カ月くらい前から、

「アリアが風邪をこじらせて高熱を出したんだ」

 伯爵家まで迎えに来た彼が、深刻な表情でそう言った。

 重篤な状態だと聞き、私は仕方なく楽しみにしていた夜会を諦めて、彼が邸に戻ることを承諾した。


 その後、徐々にそう言った理由で約束を反故にされる回数が増えていった。


 嘘つき!

 アリアドネ様はあくまでも従妹だと言ったくせに、こうも婚約者の私より優先させるなんて……、前の婚約者に誤解されても仕方がないわよ。いいえ、これはもう誤解なんかじゃないわよね。


 残酷だと思った。


 好きになる前に本性を現してほしかった。さんざん優しくされて大切に扱われて、単純な私はどんどん好きになった。そうして私の気持ちが盛り上がったところで奈落の底に突き落とすなんて……。


『彼女を選ぶのなら私は身を引きます』と、さっさと離れられたらどんなに楽か。でも恋に溺れた私は簡単に諦められなかった。

 そもそも病弱で学園にも通えない社交も出来ない令嬢に侯爵夫人としての責務は果たせない。病弱でほとんどベッドから起き上がれないのが本当なら愛人にもなれないんじゃない? 私にも勝算はあると思ったのよ。


 あの瞬間までは……。


 観劇を終えて邸に戻った私は、父からアリアドネ様が亡くなったことを聞かされた。





 風邪をこじらせて肺炎になったことが死因だったらしい。彼女は本当に病弱だったのだ。


 葬儀はアリアドネ様のご実家ドーソン伯爵領の本邸で行われるので、ご遺体は領地へ運ばれる。私はデュール様の婚約者としてお見送りには参列した。王都に来て二年余りだが、ほとんど邸の中で生活していたアリアドネ様には友達もなく、寂しい送り出しだった。


 デュール様の憔悴しきった姿を見て、私は声をかけられなかった。彼も私の存在に気付くことなく馬車に乗り込み、葬儀に出席する為に伯爵領へ向かった。



   *   *   *



 デュール様が戻ったのは半月後だった。ドーソン伯爵領は五日あれば往復できる距離なのに、よほど別れを惜しんでいたのだろう。

 我が家を訪れたデュール様はまだ悲しみが癒えずに疲弊していた。その様子から、デュール様がアリアドネ様を深く愛していたことを確信した。


「申し訳ないが、半年後の結婚式は喪が明ける一年後に延期することになる。まだ招待状を出す前で良かったよ。ウェディングドレスはそのまま仕上げてもらうといい、一年後に使用しても問題ないだろう」


 彼にとって私はあくまでも政略結婚の相手、他の女性に心を残したまま、愛は無くても結婚するつもりなのだろう。

 私は割り切れなかった。たとえ最初は政略でも、ちゃんと愛を育んでいける人と結婚したいと言ったはずなのに!


「問題はそこではありません。この婚約は解消させていただきます」

「なんだって?」


「この半月、私が社交界でなんと言われていたかご存じですか? 重篤な状態に陥っている従妹の看取りも許さなかった狭量な婚約者です」

「誰がそんなことを!」

 王都から離れていた彼の耳には入っていなかったのだろう。彼がすぐに帰って来ていれば、ここまで噂は大きくならなかっただろうが、手遅れだ。


 噂の出どころは侯爵家の使用人たちだ。

 アリアドネ様のご遺体が伯爵領に帰る日、私は聞いてしまったのだ。





「アリアドネお嬢様がお可哀そう過ぎますわ。愛するデュール様に看取ってもらえなかったなんて……せめて最期くらい傍にいていただきたかったでしょうね」

 侍女たちが啜り泣きながらハンカチで涙を押さえていた。


 ガルディ侯爵夫妻に挨拶をして御暇しようとしていた時、中庭のベンチで休憩をしていた侍女たちの話声が回廊から聞こえた。侍女たちは私が通りかかたことに気付いていなかった。


「こんなことになるなら、前の婚約が解消された時、愛し合うお二人を結婚させてあげればよかったのに」

「それは無理よ、デュール様は侯爵家の跡継ぎ、健康な奥様を迎えて子を儲ける義務があるでしょ」

「じゃあ、今の婚約者様も子供を産むための道具ってわけ? それはそれでお気の毒だわね」


「いいんじゃない、両家が事業提携することに託けて、強引に縁談を持ち掛けてきた政略結婚だし、アリアドネ様がご病気で苦しんでおられるのに、デュール様を束縛するような人ですもの」


 なんで強引に縁談を持ち掛けたことになっているの? ガルディ侯爵家の方からの申し込みだったのに……。我が家は伯爵家と家格は下だが、領地は豊かで事業も順調でかなり裕福だ、今後の支援を期待しているのが見え隠れしていた。しかし侯爵家のプライドから、使用人たちに向けてはそう言うことにしていたのだろう。


「そうね、デュール様も本当はいつ容態が急変するかわからないアリアドネお嬢様の傍にずっと付き添ってあげたかったでしょうけど、婚約者様は約束を違えると凄く機嫌が悪くなるから行かないわけにはいかないと、いつも憂鬱な顔で出かけてらしたものね」


 私……仕方なくデートしてもらっていたの?

 そう言われると思い当たる節がないでもない。彼の笑みは優しいけど、どこか無機質のように感じていた。整い過ぎた容姿のせいでそう見えるのだろうと思おうとしていたが……。


 陰口と言うには声が大きかった。フレアが思わず中庭に飛び出しそうになったのを私は慌てて止めた。


「あの日もフィディス様が強引に誘われたそうよ。アリアドネお嬢様の具合が悪いのは知っていたはずなのに呑気に観劇だなんて、自分だけ楽しめればよかったのでしょうね」

「そんな薄情で我儘なご令嬢が嫁入りされるなんて、先が思いやられますね」





「あの日はデュール様からのお誘いでしたわよね。前回、約束を破ってしまったからお詫びにとチケットを用意してくださったのでしたわよね。それなのになぜ私が看取りも許さなかった狭量な婚約者になっているのでしょう」


「なにか誤解があるようだ」

 デュール様は慌てたが、あの日、侍女たちから聞いた話は憤慨したフレアが両親に伝えた。父も立腹してガルディ侯爵に婚約の解消を申し出ている。まだデュール様には伝わっていないのか、それとも、デュール様が私と話をすればなんとか回避できると思っているのか?


「なぜ教えてくださらなかったの? アリアドネ様の容態がそこまで重篤だとは思ってもいませんでした」

 本当にそうだったのなら対応も変わったはずだ。私も重病人の想いを無下にするほど冷淡ではない。


「前の婚約者に打ち明けた時、嘘だと決めつけられたんだ。そんなに具合が悪いならわざわざ空気の良い領地から騒がしい王都に出てくるのは不自然だ、と。田舎の領地に名医はいないし、少しでも良い医者に診てもらうために来たのだと言っても信じてもらえなかった。彼女は俺とアリアドネの関係を疑い、結婚前から愛人が居座っている家に嫁ぎたくないと言われた。だから、君にも誤解されたくなくて」


 前の婚約者が誤解するのも無理はない。侍女たちが言っていたようにアリアドネ様を愛していますよね。


「アリアドネ様が生きておられたら、誤解を解くことも出来たかも知れませんが、もう遅いです」

「そんなことはない、俺が戻ったんだ、俺たちが仲睦まじいところを見せれば噂もなくなるさ。俺たちは今までうまく行っていただろ? ちゃんと君を尊重していただろ?」


「もう無理していただかなくても結構です」

 政略結婚の相手だから無理していたことを知ってしまったもの。仄かな希望も打ち砕かれてしまったもの。


 最初から私が入り込む余地はなかったのだ。彼の心はアリアドネ様に、そして私は侯爵家を支えて跡継ぎを産む、まさに政略結婚相手に過ぎなかった。貴族の娘ならそんなの当たり前のことじゃない、と人は言うだろう。でも、私に無理、最初にそう言った時、バカにして笑ってくれればよかったのに。


「……私はデュール様をお慕いしておりました。だからこそ、あなたの心がアリアドネ様にあることにも気付いていました。でも時間をかければ私に心を向けて下さると希望も持っていたんです」

 なまじ希望を持っていたせいで、デュール様の演技にすっかり騙されてしまったのね。


「でも、相手が儚くなってしまわれたのでは勝負になりませんわ。だって美しい思い出だけが残るものですもの。そして、私と会っていたせいで今際の際に間に合わなかったと言う事実も、いつまでも残るものです」

 心に愛する人の面影を抱いたままの人と結婚しても、幸せになれる未来は見えない。


「一生、アリアドネ様の影に嫉妬しながら生きていくのは辛すぎます」



   *   *   *



 結局、婚約は白紙に戻された。

 解消ではなく婚約そのものが無かったことになった。事業提携も家と家との関係も全ての縁がなかったことになった。


 王都にいる限り、顔を合わせることは避けられないが、もう二度とデュール様と言葉を交わすことはないだろう。




「あなたの悪い噂もようやく下火になってきたし、良かったじゃない」

「でも、一度流れた噂は人々の記憶に残ってしまうわ。あーあ、私、結婚出来ないかも知れないわね」


 私はお昼休みも学生食堂で参考書を広げていた。私の結婚事情は前途多難、だから上級文官の試験を受ようと慌てていたのだ。ギリギリ補欠試験に間に合う。幸い成績は悪くないので頑張ればなんとか合格できるだろう。


「でも、よく決心したわね、フィディス」

 シェイラは急に声のトーンを上げた。


「卒業間際になって結婚を取りやめるなんて、ウェディングドレスもオーダーしていたんでしょ? 適齢期の令嬢にとって致命傷になるのに、なかなか出来ることじゃないわ」

「えっと……」

 今更なにを言っているの? 戸惑う私を他所にシェイラは芝居がかった口調で続ける。


「死が二人を分かつことになっても消えない愛を尊重することに決めたのよね。デュール様はこの先、永遠に亡くなったアリアドネ様だけを想って生きていかれる、そのお心を慮ったのね」

 シェイラは瞳を潤ませながら、参考書を持つ私の手を握った。


「あなたが婚約を解消にするために悪役を買って出たお陰で、デュール様も心置きなくアリアドネ様との思い出の中で生きることが出来るわね」

 いやいや、買ってないけど……。


 その時、この小芝居の意味がわかった。近くに学年一のお喋り令嬢が座っていたのだ。彼女に聞かせようとしたのね。

 シェイラは向こうからは見えないように軽くウインクして見せた。


 こんなわざとらしい芝居で私の悪評が塗り替えられるかどうかは疑問だが、デュール様を一生亡くなったアリアドネ様を想い続ける男に仕立て上げれば、私のように結婚に愛を求める令嬢との縁談はないでしょうね。最初から政略と割り切っている令嬢なら、私のように傷付くことはないだろう。


「コレ、私付きの侍女と、うちで一番のお喋りメイドの前でもやったのよ、使用人連絡網も侮れないから、そちらからも広まるわよ」

 シェイラは小声で悪戯っぽく言った。


「あなただけが悪者にされたままじゃ悔しいじゃない」



   *   *   *



 私は王立学園を卒業し、文官として王宮勤めをはじめて、アッという間に一年が過ぎた。


 両親はわざわざ働かなくても家にいればいいと言ってくれたが、なにもしないでいると余計なことばかり考えてしまい気が滅入る。慣れない環境で気を張って忙しくしていた方が、気が紛れるからイイのよ。

 それに弟が結婚する時にいつまでも小姑が家にいるのはよくないだろうと入寮を選んだ。


 シェイラ情報によると、一年経った今でも彼女が小芝居で流した『死が二人を分かつことになっても消えない愛、デュール様は永遠に亡くなったアリアドネ様だけを想って生きていかれる』が社交界に浸透しており、デュール様は新たな婚約者捜しに苦労しているようだ。


 思いのほか、令嬢たちは愛ある結婚を望んでいるのだろうか? と思ったら、それだけではなかった。

 ガルディ侯爵家には夜な夜な、成仏できなかったアリアドネ様の霊がデュール様の寝室を訪れるという噂が流れているそうだ。誰が言い出したのやら……。


 一方、私の実家には釣書が届いているらしいが、我が家の経済力目当てなのは見え見えだ。私はまだ愛し愛される結婚の夢を捨て切れない、半分は意地になっているのかも知れない。現実的ではないと言うのなら、もう結婚は諦めて仕事に生きるわ。


 ちなみに、結婚相手の最低条件は、浮気をしないこと、病弱な従妹や幼馴染がいないこと、その二点だけだ。


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 ☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。


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