やっぱりわからない……パクリの何が悪いのか
NIRVANAの有名な曲、『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』、もちろんご存知ですよね?
グランジの代表曲。
でもNIRVANAのギターボーカルのカート・コバーンさんはライブでぶっちゃけたそうです。
「これ、ボストンの曲のパクリなんだ」
ボストンというバンドのその曲を聴いてみると、確かに有名なあのイントロのフレーズがそのまんまでした。
曲調は全然違うけど、超有名なあのギターリフは、先にボストンのトム・シュルツさんが演奏していたものでした。
これ、なんか悪いのでしょうか?
トム・シュルツさんがNIRVANAを訴えたという話は聞きません。
NIRVANAのほうは堂々と「ボストンの曲からパクった」と公言しています。
NIRVANAに限らず、日本のたとえばB'zなんかは、洋楽曲からパクリまくっています。
これ、なんか悪いのでしょうか?
NIRVANAがパクらなければ、私はボストンというバンドのその曲を聴いてみることもなかったと思います。
パクリはいわば元ネタのプロモーションだともいえます。
B'zの言う『オマージュ』にしても、そこからエアロスミスやレッド・ツェッペリンを知ったというB'zファンは多いのではないでしょうか?
だとしたらそこには立派な拡散効果があるのではないでしょうか?
明確にパクったわけでなくても、作ったものが過去の何かに似ているということはいくらでもあることでしょう。
何しろ世には既に公開された作品が多すぎます。
昔に摂取した誰かの作品を、自分でも気づかずにパクっていたなんてこともありがちです。
無意識のパクリ、意識的なパクリ、あるいはオマージュ、パロディー……現代の創作はどうしてもそのどれかに当てはまってしまうものだと思われます。
AIさんが生成するのは過去の作品群から再構築したものです。
いわばパクリでしょう。
でも、それの何がいけないのか、私はわかりません。
著作権著作権──
先に投稿していたのは自分、自分のアイデアだ──
そんなことを言っていては、そのうち日本語で書かれた作品はすべて『日本語じゃなく、自分のオリジナル言語で書け』ということになってしまいそうな気がします。
既に自分が何を言いたかったか、忘れてしいましたが──
アイデアは有限なもの。
小説も、じつは限られた言葉の組み合わせである限り、有限なもの。
過去の創作という名の宝物は、みんなの財産だと思います。
面白いと思ったもの、自分の感性に刺さったものは、積極的にパクリましょう。
パクリの何が悪いのか?
それは資本主義の下における『商品』としての問題、そしてオリジナルの作者の『これは自分のものだ』という自尊心みたいなものに触れるからに他ならないでしょう。
そんな作者さんが『自分のオリジナル』だと思っているものにも、必ず元ネタがあるというのに。
ボストンのトム・シュルツさんは、NIRVANAのカート・コバーンさんにパクられて、どう思ったのでしょう?
そんなの私にわかるわけはありませんが──
少なくとも私はパクられたら、そしてその作品が大ヒットなんかしようものなら、ものすごく嬉しいです。
私の作品がその大ヒット作品の元ネタになってるんだな、と思うと、心から誇らしいです。
ただ、元ネタ使用料は請求します。
収入の30%でどう?




