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19(スタンピード)



コット街という場所がある。 国の南に建てられた軍事要塞――その食料を提供する街だ。軍事要塞とは言え、別に辺境の要塞ではないし、むしろ国境からはかなり距離があるため、安全な場所だと言える。


しかも軍隊が常駐しているため、賊も魔女も手を出しにくい。 それ故に商人も多く、軍学校さえ建てられている。


当然、街の中で一番人気な職業、 それは軍人である。 要塞に入って軍役を果たせば、ぬくぬくと余生を過ごせる。この上なく安定した仕事だ。


国はもうかれこれ百年の間、南の国とは揉めていない。仮に揉めたとしても、要塞勤めなら前線に行くことは稀だ。


そんなコット街に、一人の少年がいる。 名前はフェン。歳は17。 ひ弱な体つきで、頭もあまりよくない。


彼は過酷な軍学校など、ちっとも興味がなかった。なのだが、家庭の事情(親がうるさい)ゆえ、フェンは軍学校の試験を受けに行った。


手応えはゼロ。受からないだろうと思っていた。


試験の二ヶ月後、 家で昼寝していると、母親がいきなり 「フェン! 受かったわよ!」 と叫びながら部屋に入ってきた。


寝ぼけた目では、母の顔の輪郭がよく見えなかった。彼はひどい近眼である。 小説の読み過ぎでこうなった。


眼鏡をかけ、母が持っている紙切れを見る。 それは軍学校への合格通知書だった。 ご丁寧に成績表まで同封されている。


合格通知よりも成績が気になるフェン。 さっそく成績表を見てみるが、体力テストは百点中三十点、戦術科の試験もやはり五十点未満だった。 合格に最も重要な試験がこの様だ。


それもそうだ。 彼は受からないだろうと思っていたし、そもそも勉強も運動もしていない。 毎日家に籠もっては小説を読み、妄想に浸る。 いわば陰キャ。 陰キャに群れがあるなら、彼は紛れもなく陰キャの中の陰キャだ。


「あれ、じゃあオレは何で合格したんだ?」


独り言を呟き、合格通知書と新入生への手紙を奪って、母を部屋の外へ追い出す。 手紙を開けると、空白だった。 前も後ろも、字がない。


フェンは少し考えて、蝋燭に火をつける。 手紙を火に近づけると、空白だった紙に文字が浮かび上がった。


『未来の新入生 フェン へ: さぞ戸惑っているでしょう。 無理もありません。 本来、貴殿のようなポンコツは即不合格。 しかし運良く、君の試験用紙に点数をつけたのはシュアルチェ様。 彼女は貴殿の最後の一問の解答に興味を持ち、さらに貴殿を軍学校へ入学させることを推薦した。 くれぐれも、一生に一度あるかないかの運をドブに捨てるなよ』


最後の一問?


フェンは頭をかきながら悩んだ。 試験でやった内容は、はっきり言って全部出鱈目で書いたものばかりだ。 そんな調子だから、いくら考えても、自分が何を書いたのかまったく思い出せない。


ベッドの上に寝転んだまま、フェンは手紙をゴミ箱に放り込んだ。 入学に関しては、やはり予定通りやめることにした。フェンにとって、軍学校など地獄でしかない。


親の言う通りに適当に試験を受けたら、たまたま受かっただけだ。


「アホくさ。 さっさと寝よ。明日は仕事だ」


フェンは試験当日に、入学するという希望を捨てていた。


今は街の外れにある魔法屋の婆さんの手伝いで金を稼いでいる。 幸いにも、彼は魔力量に恵まれていた。 魔法屋の仕事は主に、呪文を紙に書き、魔力を流し込んで呪符を作ることだ。 複雑なものはなく、頭が悪くてもいい。


“初めて”やった時、彼は一度に三十枚もの呪符を作れた。 お婆さんの全盛期は一度で三十二枚。


魔法屋のお婆さんは、フェンの意地の無さと才能の片鱗を見て、魔法屋を彼に継がせることにした。 英雄にはなれない。大事な役割には相応しくない。やる気もない。しかし魔力量はある。 これは魔法屋にぴったりな人材だった。


そういうわけで、晩ご飯の時にフェンは親と揉めたが、最終的に 『学費がいくらするか知ってるか?』 と親に聞いた。


親は『知らない。でも、いくらでも払う!』と言ったので、フェンは学費の金額を告げた。 それは二年たらふく食っても余るほどの金額だった。


さっそく顔を青ざめさせた両親は、フェンの主張を尊重し、好きにさせると言った。


満足したフェンはベッドに潜り込み、眠った。


入学式当日、フェンはいつも通り遅れて魔法屋に入った。客は列を作っている。


全盛期には三十二枚だったお婆さんも、老いた今では一度に三枚、良い時で四枚といった具合だ。 だが一枚一枚の質はかなり良く、列ができるほど買い手はいる。


目を擦りながら、お婆さんの後ろに立つ。


「また遅刻かい。そんなに遅くまで本を読んでたのかい?」


お婆さんはフェンが惰性で生きていることを知っている。ゆえに、彼が勤勉になることはないと割り切っていた。だから、いくら遅刻しても責めることはなかった。


「うん」


その一言だけ。 フェンは机に広がる呪符に魔力を流し込んでいく。慣れた作業で、秒単位で終わらせた。


初めてやった時でさえ、腹ぺこでやる気もコツもない状態で三十枚をこなしたのだ。


今では机の上に最低でも百枚、それがフェンは表情一つ変えずに魔力を流せる。 最近は、下手だった呪符の書き方もかなり安定してきている。


性格が性格なだけに、お婆さんはフェンが才能を無駄にしているとはまったく思っていない。 仕事をしない英雄より、仕事をする凡俗の方がよほど使い道がある。


長い列は十分ほどで消えた。 昼休みの時間だ。


お婆さんがご飯を作っている間、暇つぶしにフェンは店の裏で呪符を書いていた。 すると、コンコンと扉を叩く音がした。


フェンは無視した。 面倒だからだ。厄介な客とは、注文の多い客ではない。休憩を邪魔する客だ。


だが、ノックは止まらない。 二分ほど続き、ついにご飯を作っていたお婆さんが、ゆっくりと厨房から出てきた。


「こら、開けてあげなさい。困ってるじゃないか」


フェンは舌打ちし、扉を開けた。


扉の向こうには、軍服を着た女性が立っていた。厳しい眼差しでフェンを睨んでいる。


「あ、えっと、どちら様です? 今は休憩中です。依頼なら午後で」


女性は何も言わず、フェンを睨み続ける。 フェンはドアノブに手をかけ、閉めようとした。だが、女性はフェンの手首を掴んだ。


「フェン・アステルで相違ないな?」


「そうだけど。離してくれないかな」


「そうはいかない。私は特待生、フェン・アステルを迎えに来た。今日は何の日か、分かっているか?」


「うーん、軍学校の件?」


「そうだ。フェン・アステル、貴様に聞きたい。なぜ入学式に来ない」


「行きたくないから。 金もないし、そんな厳しい所に行く気はない」


「そうか。なら命令通り、無理やり連行する」


女性はフェンの手を引き、軽々と地面に組み伏せた。 フェンはぼんやりしていて、抵抗する素振りすらない。関節技を極められて痛いはずなのに、声一つ上げなかった。


それを不審に思った女性が、フェンの髪を掴んで顔を覗き込む。


そこには、無があった。


微かな感情の起伏すらない。 糸の切れた人形のような、無機質な顔。 あまりの不気味さに、女性は関節技を解き、後ずさった。


「……痛っ。何すんだよ」


ゆっくりと立ち上がり、フェンは空を仰ぐ。


青がかった空だ。


「そうだ。思い出した。

スタンピード。

解答をスタンピードって書いたんだ」


試験当日。


最後の問題。


問題:なぜ空は緑色をしているのか?


フェンは空を見上げ、呟いた。


解答:一年後の今、スタンピード。


十七歳にありがちな中二病的思考。 破滅を織り交ぜた解答だ。 ほとんど願望であり、あるいは直感がそう告げたのかもしれない。


その解答を見た試験官シュアルチェは、予知と呼ばれる魔法の使い手だった。


彼女はその答えを目にして凍りつき、フェンの存在を軍事の上層部に報告した。


何故なら彼の解答は、寸分違わず、彼女の予言と一致したから。


五三週後にて。空は緑に輝き。

獣は群れで襲来。


ーーー 一年後に、スタンピード。


「アホくさ、そんなこと、あるわけない。」


軍服の女性を見て、フェンは鼻で笑った。

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