消えない落書き
六月の終わり、教室の机に細い文字が残っていた。
『昨日の夢は、知らない駅に立っていた。』
いたずらにしては静かすぎて、俺は一行を添えた。
『改札を抜けたら、誰かが手を振っていた。君?』
翌朝、返事。
『ちがうよ。でも少し、羨ましかった。』
放課後、窓際の彼女が文字をなぞる。
「ときどき昨日が抜けるの。だから、ここに置いとく」
指先の温度だけが確かだった。
備品移動の紙が貼られ、机は来週には消えるという。
その日、彼女は強い筆圧で書いた。
『昨日の夢は、あなたと並んでいた。』
小さな名前が、光にほどけた。
机は運ばれ、夏が来て、彼女は来なくなった。
数年後、別の町の駅で人波を抜ける。
誰かが手を振る。もちろん俺にじゃない。
呼べば届く気がして、呼ばない。
ガラスに映る自分の口だけが、かすかに動いた。
そのとき、ポケットの中の指先に、書きかけの一画が触れた気がした――
どこにも文字はないのに、読み終えていない文だけが、胸の内側で続いていた。