第4話「過去回想と訓練と初対面と恋」
「咲良、咲良、さーくーらー。はやく起きないと、もう授業始まっちゃうよ」
ていうか移動教室だから――と夕夏の声。
私はぼうっとする頭を抑えて、顔を上げる。よだれが出ていたので、夕夏に見られる前に袖でぬぐった。幸い、バレてはいないみたい。
「おはよう夕夏……時間やばいね。先に行ってていいよ」
「えー、一緒に行こうよ。なんなら、つぎの時間サボってもいいし……」
「それはダメ。授業は真面目に出ないとね」
「ずっとねてたくせに……」
文句を聞き流し、私は次の授業の準備をする。教科は音楽だった。
「あっ、リコーダー忘れちゃった。……夕夏、お願いがあるんだけどいいかな」
「リコーダーはかさないから」
「そんな……」
私はため息をつきながら、教科書と筆箱を持って重い腰を上げる。すると、そんな私を嘲笑うかのように授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「……ゆっくり行こっか」
「怒られたら咲良のせいっていうから」
「手厳しいね」
そう言って笑うと、夕夏も控えめに笑った。
咲良の固有魔術は、『視点移動』という名前だった。
相手の視点を操る――たったそれだけの魔術。もちろん、対人相手にはかなり有効だ。しかし、視覚ではなく感覚で相手を認識するモンスターを相手するには、少々役立たずな能力でもある。
どうして咲良があの時――殺される時、その固有魔術を使用しなかったのか、私はずっと不思議に思っていた。
あれさえ使えば、自分一人でも逃げることは可能だったんじゃないか――いや、咲良にそんな選択肢がないことは重々承知の上であるが。しかし、魔術を使ったからといって逃げなきゃいけないわけではないのだ。とりあえず相手に『視点移動』を試してみる――それぐらいは、しても良かったんじゃ?
と、ついさっきまでは思っていた。
「はぁっ、はぁっ……っ!」
「おい、反応しろよ」
最近やっと完治した私の体に、また傷が増えていく。
しかし今回は切り傷ではなく、擦り傷や裂創、挫創などだ。傷は深くない。
「魔力で進行方向を『反転』させろ。全部イメージだ」
反転――それが私の固有魔術である、らしい。
魔力の使い方が分からない私があの男を殺す時、一体どうやって魔力を扱ったのかといえば、それは桜牙さんにも分からないそうだ。当然私にも分からない。
ただ、桜牙さんはその時現場にいたらしい。なら真っ先に助けて欲しかったのだけども……まぁ、咲良に関してはどの道手遅れだったらしい(桜牙さんが現場に到着したのは私がお腹をぶち抜かれたあとらしいが、お腹をぶち抜かれていたってどういうことだ……?)ので、この際どうでもいい。
つまり私は、意識がない状態――即ち無意識状態で固有魔術を発現させたことになる。
今回は、それを意識的にやろう、という訓練である。
桜牙さんが魔力の使い方を付きっきりで教えてくれるそうだ。わーい!
「そんなこと言われてもよくわかんないんですけども!」
「イメージだっつってんだろうが!」
分かんねぇつってんだろうが――と返した所で、何も解決しない。
私が頑張るしかないのだ。
「魔力を得て抱いた体の違和感――それを意識しろ。オレの投げた魔力込みの小石が自分の体に当たるタイミングで、それを跳ね返すようなイメージをしろ。多分それで……まぁ、多分合ってる!」
「多分ってなんですか!?」
「魔術の発動方法は人によってちょっと違ったりするんだよ! 夕夏ちゃんの思う一番良いイメージを発現させるんだ。ほら、早くしろ!」
無茶言いやがって。
桜牙さんの投げる魔力込みの小石。極めて剛速球なうえ、私は縛られているので身動きも取れない。その『反転』とやら(この名前は私考案だが)もまだ全然使えないので、さっきからずっと小石が体だったり頭だったり顔だったり足だったり……もはや石打ちじゃん。
このまま死のうかな。
私だって努力はしている。
しかし、全然つかめない。
何をどうすればいいのか。
どこをどうすりゃいいか。
考えても全く分からない。
恐らく、咲良は固有魔術を使うのが苦手だったのだろう……。
モンスターと戦う時、咲良はいつも体中に魔力を込めていたらしい。その理由がやっと分かった……固有魔術を使うのが難しかったからか。だから滅多に固有魔術を使わなかったのか……失敗する可能性が高かったから。
こうなると、単純な体術だけでレベル4、しかも探索者順位の第六位にまで上り詰めた咲良の異常性がはっきりと分かる。そういえば、この前の体力テストで握力を計った時、計測上限値を軽々と超えてたけども、アレって魔力使って不正してたんじゃ……。
って、そんなこと考えている暇はない。
そもそも私には体中に魔力を込めることすら難しいのだ。やはりここで頑張らなければお話にならない。
「一回休憩しませんか……私、トイレにいきたいです」
「駄目だ。どうしてもと言うならここでしろ。勿論、男の前で漏らすのには流石のお前でも抵抗があるだろう? 凜音か静凛と交代してやるよ。琴葉は友達と焼肉を食いに行ってるから、今はいないけどな」
同性だろうが異性だろうが人の目の前で漏らしたくはないし、なんなら一人でも嫌なんだけども。
ていうか、流石のお前でもって何? 私、いつからそんな『私男の前でも余裕でごにょごにょ』系のキャラになったの? そんな下品な人間じゃないし。ていうか別にトイレにも行きたくないし……。
「冗談です。はやく続きしましょう」
「だよな。そう言うと思った」
そう言って桜牙さんはニッコリと笑った。うわぁ、桜牙さんの笑顔初めて見たかも。いや、初めてじゃないけども。
「『反転』、か……」
桜牙さんが見た状況を大まかに伝えられた時、私の中で一番ピンと来たのがこの名前だった。
反転――『反転』。
ミラーなら反射だろ、という突っ込みにどう返せば良いのか分からないような名前だが、しかしこれが一番合っているように感じる。
これ以外にない、と直感的に思った。
「反転」
反転して映る。
一秒間に一回のペースで投げられる小石を、どう反転させるか。
……普通に考えれば、向きだろう。
「『反転』……」
口に出してみたが、ダメだった。
一体何が足りないのだろうか。
愛かもね。
「まさかベクトルを操作するとか、そんな科学みたいなやつじゃないよね……?」
加速器――とかそういうんじゃない。
ついでに言えば科学も物理も苦手なので、出来れば簡単な奴がいい。
そういえば、咲良は芸術が苦手だったけども、私は得意だったんだっけ。
……芸術。芸術、か……。
芸術に必要なものって、なんだろうか――。
「――創造性?」
答えはすぐに見つかった。
私はふと浮かんできたイメージを再構築し、それを基に創造してみる。
「『反転』」
小石が跳ね返った。
「魔力で指を作って、小石をつまんで、飛んでくる向きをかえたんです。真反対に」
「……はぁ?」
はぁ? ってなんだよ。
どうやってコツを掴んだんだ――と桜牙さんが言うから、丁寧に説明してあげたのに。
「オレですら十二時間かかったんだ。お前が三時間ちょっとで出来るようになるとは思わないだろ……」
そういえば、魔力を使いこなせるようになるには最低でも一ヶ月はかかる――と咲良が言っていた。
私はもうほとんど魔力を使いこなせる、といっても良いぐらいだから……三時間か。私、もしかして天才かも?
「黙れ第五位。クソったれが」
「はぁ……」
口悪っ。それに強いのは依然として桜牙さんの方なんだから別に良いでしょ。男の子ってみんなこうなのかしらん?
というか、咲良って魔力を使いこなせないままレベル4の最上位だったのか。私の才能よりもこっちの方が気になってきた。
「才能、か。言っておくが、魔術なんて所詮はただのメンタルだぞ」
「メンタル?」
「メンタルが強い、とかのレベルじゃないような奴ら――メンタルが無いような奴らしか、レベル5にはなれないんだよ。例外は琴葉ぐらいさ」
……またバイアス込みのご教示が始まっちゃった。
静凛さんと日常的に接しているのに、未だそんな偏見を持っているだなんて。どれだけ天邪鬼なんだ、と思わず突っ込みたくなってしまう。
「静凛さん、やさしかったですよ」
「……あ?」
何の話してんだよ、と桜牙さん。
「例え優しかろうが性格が良かろうが、静凛は殺人者で、普通じゃない側の人間なんだよ。性格と性質は違う――そんぐらい、何となく分からないものか?」
「はい。全然わかんないです」
ていうか、どうでも良いです。
オレは少し用事があるからお前は昨日行ったレベル5用の部屋で待ってろ、と言って桜牙さんがどこかに行ってしまったので、どうせならこの施設を探検しよう――と思った所で、そういえば私って結構な有名人なんだった、と思い出す。
咲良の配信に出た影響か、よく知らない薄い繋がりの偽善者達から心配のメールが届いていたし(全員ブロックしたけども)、ネットでは『相浦夕夏こそが真犯人』だとか、『足手まといの大戦犯』だとか好き勝手言われているので(事実だが)、即座にSNSを消してネットから距離を置いた。
誰かに見つかったらちょっとまずいし、ここは大人しく地下室まで向かおう――とした所で、私は人とすれ違った。
その子は綺麗な黒髪をしていた。顔立ちも整っていたけども、美しさ、という点では舞沢姉妹に分があるだろう。しかし、可愛さ、という点ではどうなのか分からない。身長は、私(百四十八センチメートル)よりだいぶ大きい――とはいっても、恐らく百六十五くらいだろう。馬鹿みたいに高いわけではない。しゅっとしていても、体の凹凸ははっきりと分かる。年齢は、私と同じくらいだろうか。
「……」
その少女とすれ違ったのは、地下室へと向かう階段の前あたりだった。
私は、訊いた。
「あなたが、柊琴葉さんですか?」
友達と焼肉を食べている筈の第一位――柊琴葉。
私は何となく、そう直感した。
そしてその直感は――。
「うん」
当たっていた。
「私は、相浦夕夏です。昨日からレベル5に加入しました。これからよろしくおねがいします」
「……う、うん。よろしくね」
それじゃ、と柊さんは去っていった。
なんだかそっけない対応だったなぁ、と気持ちが沈む。
もしくは謎に血だらけの私にドン引きしていただけなのかもしれないが。
部屋に入ると、中にいたのは凜音さんだけだった。
「こんにちは」
「あら、夕夏さん。こんにちは」
血だらけの私を見ても特に何も反応しなかった凜音さん。流石、経験が違うね。
でも、驚かせるために血もそのままにしてきたのだから、出来れば何か反応して欲しかったのだけども……。
「そういえば、ここに来る途中で柊さんとあいましたよ」
特に話題も無くて気まずいので、とりあえずとして私はそう切り出した。
「あら、じゃあすれ違いだったのね。琴葉は、どちらかと言えば明るいタイプなのだけれど、それでも初対面の人には結構人見知りしちゃうタイプなのよ。そっけない反応だって、ちょっとは思ったんじゃないかしら?」
「よ、よくわかりましたね……」
本当に経験が違う。経験というか、知識というか。
この人の前だと、何やら全てを見透かされたような気分になってしまう。まぁ、それは悪くない気分だけども。
見透かされるのは好きだ。手間が省けるから。
「……夕夏さん、ちょっと……」
「夕夏でだいじょうぶですよ。どうしましたか?」
そう言って、ちょっと偉そうだったかもなと私は自分の発言を悔やむ。しかし凜音さんは全く気にしていないようだ。
「夕夏、今からする話は桜牙さんに言っちゃダメよ」
「桜牙さんに? わ、わかりました……」
桜牙さんに言ってはいけない話――恋愛相談とか? それとも猥談かしらん?
後者は確実に違うのだけども、しかし前者は結構的を得ていた。
「琴葉、桜牙さんのことが好きなの」
「……え?」
予想通り、恋愛相談――が、しかし。頭の処理が追い付かない、というか止まってしまった。
お、桜牙さんのことが、好き――?
「正気ですか」
「あなたって時々失礼よね」
ごめんなさい。
「ダンジョン災害によって家族を失ってボロボロだった琴葉を拾ったのが桜牙なのよ」
「……そういう話って、本人の居ない所でしてもいいんですか?」
「夕夏って陰口が嫌いなタイプかしら。それならちょっと嫌に感じちゃうかもしれないけれど……でも、これは結構重要な話なのよ」
「そうなんですか?」
陰口が嫌い――私は確かに陰口が嫌いだ。というより、ひそひそ話が嫌いなのだ。そういうのは、するのも聞くのも大嫌いだ。
例えそうしなければ生きていけない、という状況だったとしても……陰口をする気にはなれないし、する奴の気持ちは分からない。
でも、重要な話っていうのは……?
「現状、琴葉の好意に気付いていないのは桜牙さんのみなのよ。私達はどうにかしてあの子達をくっつけたいと思っているのだけれど……」
あぁ、なるほど。
協力してほしい、とでもお願いするつもりだったのだろうか。
しかし、それはとても……。
「……それは、よけいなお世話でしょう」
私ははっきりとそう言った。とてもじゃないが協力する気にはなれない。
人の恋愛に関わろうだなんて、出しゃばりにも程がある。
百合に挟まる男みたいなものだろう、そんなの。
しかし、先輩に向かってそれはいくらなんでも失礼じゃないか。と私は自らの発言を悔やんだ。
凜音さんは、
「あなたならそう言うと思っていたわ……」
とだけ言って、それから黙ってしまった。
「あらら?」
私は思わずそんな声を出した。
突然の過去回想。これからも時々入れると思います。幸せな気分になれるように。
四谷入りと申します、初めまして。
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