第三話『目頭が熱くなった日』
その魔物は鋭い爪でトラップを破壊し、大きな目を見開くだけでうさぎのぬいぐるみを静止させた。
――強い・・・助かった・・・え、味方・・・かなー?
数メートル先にある窓から脱出する算段をつけ、必死に心を落ち着かせる。怯えているフリが有効な内に――魔物の意表を突いて逃げきってみせる!
――命優先!また生きていたい!
私が混乱と冷静の振り子に揺られている間、魔物はぬいぐるみを腹の中に取り込んだ。そして爪をしまい、こちらへと腕?を伸ばす。
――ヒイィ無理無理っ逃げ・・・。
『ポン、ポン』
魔物は私の肩部分を優しく叩き、手の平っぽい形をした手?を差し出してきた。
――『1人でよく頑張ったね。お疲れ様』・・・え。え?
紅い文字で彫られたメッセージを読み、弾かれたように頭上を向くと――魔物が血走った目を僅かに細めた。
「・・・」
12歳で世界の悪性に加入し、性別も年齢も関係ない環境で3年過ごした。徹底的な実力主義の中で、私は目標の為に沢山の地雷を設置した。紛争地域、街中、線路の下――あらゆる場所に魔法を仕掛け、沢山の人を傷つけてきた。
『運命の輪は無差別に人の幸不幸を振り分ける。まるでシーグリッドの地雷みたいだね。どこに潜んでいるのか、いつ爆発するのか分からないんだから』
心の中にいる師匠は、病みそうになる私をいつも励ましてくれた。地雷を踏んで人生が狂った人のことを一々考えたってしょうがない。私だって偶然によって1度、人生が終わりかけたんだ。その当時は何も悪い事してなかったのに。普通に生きてたっていうのに。
上層部は私の魔法の威力と汎用性を評価してくれた。それでも――ソニア師匠が褒めてくれる時の方が何倍も嬉しかった。一体どうして?
――ただの文字じゃん。得体の知れない魔物にそんな心配?されたって・・・。
まるで目の前に師匠がいるような感覚。仄かな暖かさがじんわりと胸に染み渡り――私は魔物の手の平にそっと触れた。
「・・・ありがとうございます」
5年前、とある魔物が私を丸呑みにした。このままだとよくない。魔物は巨悪という概念が――たった二言の労いで瓦解してしまいそうだった。
――そうだよくない。知性がある魔物が一番厄介でしょ。価値観が違う。友好的なフリをしてまた私を・・・。
「ありがとうレヴェナント。これで『残酷な詰め物たち』の回収完了です。とっとと撤収しましょう」
ハース様は呆けている私からステッキと任務書を取り返し、土埃がついた服を手で払った。
「・・・この魔物、さんってハース様が召喚したんですか」
「その前に言うことがあるでしょう・・・レヴェナント。6番目を拘束してください」
「え――きゃあぁっ!」
突然扉が無くなった部屋に連れ込まれ、古びた椅子に座らされる。レヴェナントと呼ばれた魔物さんは瞬く間に私の腰と足を黒い鞭のようなもので緩く固定した。
――痛くない・・・し、組み伏せるんじゃなくて椅子に座らさしてくれた・・・。
レヴェナントさんの奇行はまだ続く。私の前に丸テーブルと欠けたティーカップ(多分洗浄してくれる)を置き、複数ある目から液体を『ゴポポ・・・』と放出した。
「!?」
「はぁ・・・レヴェナント。私は彼女をもてなせとは言ってません」
私は恐々とティーカップに注がれた謎の液体を見る。レヴェナントさんの目から出たそれは、瞳の色と同じ鮮やかな深紅色だった。おまけに湯気も出ている。
――え。これ目・・・え?血涙?
「・・・」
状況はどんどん進み、感情は置いてけぼり。ちらっと横を見ると――レヴェナントさんの瞳は全て期待に満ちていた。
――飲め。ってことかぁ・・・。
これで両手を拘束されなかった謎が解けた。私は目を閉じ、昔師匠が私の誕生日に作ってくれた緑色のケーキを思い出す。どう見てもケーキにカビがついてるようにしか見えなかったけど、泣く泣く一口食べたら――未知の美味しさが私の味覚を支配した。
――あのケーキもこの液体も、臭いはそこまで嫌じゃなかった。なら・・・!
一口飲み、すぐに嚥下することで舌へのダメージを軽減させる。しかし思いの外平気だった。
――毒とかではない・・・?というか普通に飲める部類かも。
酸味は強いけど、甘みも少し感じる味。香りもよくよく嗅いだらフローラルでフルーティーで・・・紅茶とは違う未知の飲み物だった。
「・・・美味しい。ちょっと酸っぱいですけど・・・癖になる味ですね」
何となく・・・これを就寝前に飲み続けると身体の内側からキレイになっていく気がした。
「・・・まさかそれを飲み、あまつさえ美味と述べる人は初めてです」
対面の椅子に腰かけたハース様は、私を見てドン引いていた。あんたの相棒?が振舞ったものですよ!
「うん・・・今まで飲んだことない味ですけど、でも普通に美味しいです。あの・・・あ、ありがとうございます」
『・・・』
「え・・・!?あれ私も・・・っ」
体中にあるレヴェナントさんの目から濁った液体が零れ、床の一部が音と煙を出して溶ける。私はそれを彼の涙だと解釈し、思わずもらい泣きしてしまった。
「はぁ・・・再度問います。私に何か言うことはありませんか?」
「・・・ステッキ盗っちゃってすいませんでした。舐められたく、なくて。そのままだったら師匠の評価まで下がっちゃうんじゃないかって・・・死、死ねとか言われたし。多分師匠はっ、ハース様に私の実力を知ってもらいたくて・・・今回の任務を交代してくれたんだって・・・ごめっ、ごめんなさい・・・」
「死ねとまでは言ってません。私の許可なく勝手に行動すれば危険だと忠告しただけです」
――じゃあそう言えぇぇぇぇい!
「じゃあそう言ってくださいよ・・・」
と叫んでしまいたかったが、濡れた声ではどう頑張ってもしおらしさが拭えなかった。
「6番目の魔法は把握済です。空中戦の対策はしているようですが、やはり屋外で地に足付けた敵と戦う時が一番やりやすいでしょう。狭い密室での接近戦を苦手とするのは――貴女だけではありません」
ハース様から陰険さが消え、私から視線をズラして口ごもる。隣を見るとレヴェナントさんがじとーっとした目で彼を睨んでいた。
――床は・・・うわ。溶けて穴空いてる。どんだけ強力な酸なんだろ。
「命日のくだりは少々言い過ぎました。これで顔を拭いてください」
「・・・いらないです」
不愛想な顔で吐き捨てるように言われたって逆効果だ。あんな人のハンカチを使うより服の袖で拭いた方がマシだと思った。
『・・・』
代わりにレヴェナントさんが受け取り、ハンカチをそっと私に差し出してきた。
「・・・」
会釈して受け取り、目元に当てる。ハンカチからはレヴェナントさんのオーラと同じ暖かさを感じた。
「何故レヴェナントが渡したものは素直に受け取るんですか・・・まあいいでしょう。本題に移りますけど、6番目は先程ソニア嬢と一体何の話をしていたんですか?」
「え」
「疚しい内容だったんでしょう。全て話してください。単刀直入に、包み隠すことなくお願いします」
――私がこの組織に文句ぶつけてた。なんて言えない・・・。
「別に・・・ただ師匠からお祝いの言葉をもらって、3年ぶりの再会を喜んでた・・・感じですけど」
「嘘ですね。私には分かります」
「っ!」
――流石ナンバー2。私に愛社精神がないことを見抜いている!?
お茶を飲み干してすぐまた喉が渇いていく。大した弁舌能力もない私ではとてもハース様に敵わない。残された手段は――謝罪からの逃亡しかなかった。
「6番目とソニア嬢はわざわざ私が歩く道に立って――私の陰口を言っていたんでしょう!」
「・・・え?」
遠くの方で大きめの地雷を爆破させ、そちらに気が向いた隙を狙って脱出する作戦が――巨大なクエスチョンマークで潰された。