帰り道への布石
もう数十年前になる。あれは小学生の頃だった。
あまりにも遠い夏の想い出になる。
いったい何の帰り道だったのかを思い出せないのに、この時期になるといつも不思議と蘇ってくる。
「そこの石で、生きてみな」その声に救われていまの僕がいる。
夏休みになると近所にある川沿いを歩いて金魚やフナが泳ぐのを見つけると、とても清々しい気持ちになり心が弾んだものだ。
友達と遊ぶ約束をしてしまうと、その日はそのささやかな楽しみが得られない。だから早朝から川へ出かけて誘いを受けなくても済むように先手を打つのだ。
何故そのように手を打つ必要があるかと言えば、引っ込み思案な性格で誘いを断れなかったのだ。誘いを受けたからと言って友達との楽しい生活が待ってるわけでもない。
そう、僕は言わずと知れたいじめられっ子だった。
そうして毎日夏休みに入ってまでいじめを受けるわけには行かないと、朝からどっぷりと日が暮れるまで川遊びに没頭していた。
とある朝、空模様が険しい顔を覗かせていた。
構うもんか。決して川の中に入れるわけではなかったが、清涼な水の音と魚が元気にたわむれる姿に癒されるのなら、嵐が来たって引き下がれない。
そんな純真な心の晴れ模様が今でも胸から離れないでいる。
自分の胸の内だけは勇敢でいたかった。
だが午後から雨足はどんどん激しくなった。
水かさを増し、濁流に変わると川の魚も姿を隠した。
一応傘を差していたが、強い風にあっけなく持って行かれてしまった。
親の反対も聞かず自分勝手に飛び出してきたから、昼食などない。黙って持ち出してきたビスケットの長箱を脇に抱えていた。豪雨を凌ぐ手立てがなく、自分の服はおろか、ビスケの箱もずぶ濡れになりあっという間によれよれになった。
このままでは中身も濡れてしまう。
駆け足で川沿いの木の下に避難して、箱からまだ濡れていないビスケを取り出し、夢中で頬張る。
飲み物なんてないけど食べ盛りだ。ビスケを噛みしめるたびに唾液が口内を潤してくれた。雨は一向に止む気配はない。急流に変わった川の傍はとても危険だ。
一気に走り出して家路に着いても今日は誰も訪ねては来ないだろう。
天気予報は大雨だったのだろう。通りすがる人の波など在りもしなかった。
一本の大きな急流の川が目の前に横たわっている。しかし流れる水の音は激しく地面に叩きつけられる雨の音に遮られて、嘘のように聞こえはしなかった。
晴天の日もまた嘘のように透明感のある井戸水のようなのに、目に映る光景も信じられないぐらいだ。
お金の持ち合わせもないけど、ふと通りに目をやる。
タクシーでも通りかからないかと。
優しいおじさんが現状を憐み、家まで送ってくれればな。家に帰ればこってりと絞られるに違いないと思う気持ちが通りかかった車をついつい見送ってしまう。
いや実際は、いじめの告げ口すらできない自分がタクシーなど呼び止められる訳もなく、代金は親がなどと大人と交渉をし、助けを求められるはずもないのだ。
心の中では勇敢ぶっていた。
いつも、いつも独りぼっちで心細かった。
雨の音しか耳に入って来ず、耳障りで不安だった所にピカッと稲妻が光るのを垣間見た。光の先が心臓に突き刺さったのかと思うほど、胸が高鳴るのを覚えた。
びっくりした。頭を抱えるより早く身震いがして動けなかった。「うわっ!」と条件反射で口から飛び出した声も、空しく雨音にかき消されていた。
真夏とはいえ、ずぶ濡れのままこうしてここにいつまでも居れば、体温は下がり続ける。蒸し暑さにより湿度も容赦なく上がる。水分補給もままならず脱水症状を引き起こすのも時間の問題だった。
たかが雨なのにそれはまるで遮蔽物。
神隠しにあったように世界から僕一人だけが木の下に隔離されたが如くだ。
早くここを脱しなければ。
家までの道のりは、わずか3kmである。たとえ前が見えなくとも毎日通い続けた道だ。易々と迷子になる筈もないし、そのうち誰かとすれ違えるだろう。
ビスケの長箱の入り口をくるくると巻いて閉じると、握りしめて走り出していた。
どれほど走ったのか考える暇はなかったが、いくら何でもそろそろ見慣れた町内に差し掛かっても良い頃なのに。