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55.父戻る


 その日から苦手意識は消え去り、モニカは以前よりも気を抜いて過ごす事が出来た。まだ少しシルビオを目の前にすると緊張してしまうが、この家に戻って来た日と比べたら自然体に近いものだろう。


(毎食一緒だからかな)


 きっとそれも緊張感がなくなった理由のひとつだ。家に帰って来てからというものの初日以外は毎食共にしている。一人で食べられるとドミニクを介し、伝えたのだがシルビオはモニカへ気にするなとわざわざ直接、しかも日中に言いに来た。


「モニカが嫌でなければ、だが」


 という言葉と共に。不機嫌そうな声は緊張しているものだとドミニクに教えて貰った。まさにその声で言われ、モニカはクスリと笑ってしまった。勿論、嫌なわけない。


「嫌じゃないです。一緒に食べましょう」


 気を許したように頬を緩ませれば、同じような笑みで返される。


 少しづつだが改善されていく家族の形にモニカはむず痒さを感じていた。



 そして書庫での勉強。自分の力の制御に関係するもの、過去の聖女に関する書籍を読み漁った。力の制御は置いといて、聖女に関する書籍はどれも彼女らの偉業を称賛するものばかりで、モニカが知るものと同じだった。もっと違う、ウーヴェが話していたような物が読みたいとそれらしい本を探したが、やはり一般的な物ではないようだ。見つける事ができなかった。

 本棚を端から攻めれば見つかるかも知れない。しかし、この蔵書の量だ、一週間やそこらでは見つける事は出来ないだろう。


 本を斜め読みし、パタンと閉じる。もう何回も繰り返した動きだ。もうお腹いっぱいな話にモニカは大きく溜息を吐き、天を仰いだ。


「無いなー……」


 これだけ無いとウーヴェの話が嘘に感じる。だが、彼がそんな嘘を吐く理由もない。モニカが察する事が出来ないだけなのかもしれないが。


「うー」


 机に突っ伏し、足をジタバタと動かす。どうしようもない気持ちを発散するように動かした足は勢い余り、向かい側の椅子の足を蹴り上げた。


「いて」


 椅子は蹴られた勢いでガコンと音を出し、定位置より僅かにズレる。それを見てモニカは足を摩り、また溜息を吐いた。



 そして迎えた5日目の朝、モニカはいつもと同じようにシルビオと朝食をとっていた。

 会話は少ないが、もう気まずさはほぼない。二人お互いのペースで食事をし、どちらかが先に食事を終えれば紅茶を飲みながら待つという穏やかな時間だ。


 モニカの中では今日で全てが終わる予定である。なのでこの穏やかな食事も今日か明日、遅くとも明後日にはお終いだろう。

 モニカの家はあの森の家だ。聖女の件は誰にも報告せず、ひっそりとあの家で暮らすつもりである。勿論うさぎとリンウッドも一緒だ。出来れば、だが。


「今日はウーヴェさんもいらっしゃるんですよね」

「そのようだな」


 モニカの質問にシルビオは自然に答える。以前のような不安そうな視線も、戸惑いも見えない。モニカが心の壁を撤去した事が分かったからなのだと思う。


「ウーヴェさんが言っていた聖女の話は本当なんでしょうか。全然そういう事が書かれた本が見つからなくて」


 シルビオは少し考える素ぶりを見せた後、手に持っていたグラスを置いた。


「……題名は思い出せないが、それらしい本は読んだ事がある。場所は分かるから後で持ってこよう」

「良いんですか!」

「ああ」


 あんなに探しても見つからなかったが、どうやらあるらしい。身を乗り出さんばかりに喜べば、その姿を見たシルビオが口角をほんの少し上げた。


「この後直ぐに持ってこよう。父上が帰ってくる前に読みたいだろう」


 別にそんな事は無かったが、嬉しそうな顔のシルビオに対してわざわざ否定する気も起きない。それにきっと大丈夫だと遠慮しても今のシルビオは本を持ってくるだろう。モニカはムズムズとした心のまま頷いた。


「ありがとうございます」


 モニカの言葉にシルビオは目元を更に緩ませると、直ぐに席を立った。確かに彼のテーブルにはもう皿は一つもない。今も食後の飲み物を口にしていたところだった。


 あまりに早い行動に呆気に取られ、モニカは食事中だというのに口をポカンと開いたままシルビオを桃色の瞳で追う。幸いな事に口の中には何も入っていないので事故にはならない筈だ。しかし、それでも行儀の良い行動とは言い難い。


 視線で追われている事を理解しているシルビオはダイニングの扉を閉める一瞬、モニカと視線を合わせた。


「直ぐ戻る」


 ふっと緩められた顔に「あっ」と返事をする間もなく、シルビオは廊下へと消えて行った。

 ダイニングに一人残されたモニカは暫く義兄が出て行った扉を見ていたが、呆気に取られた顔を戻しながらゆっくりと体勢を戻す。側から見れば空回り気味に見えなくもないが、シルビオの気遣いは素直に嬉しいと感じた。


 モニカは止めていた手を動かし、スープを掬う。音も少なく口へ運べばジャガイモの旨味が口の中に広がった。


(リンウッドもこれに似たの作ってたな)


 これも勿論美味しい。滑らかな舌触りは丁寧な仕込みがされているに違いない。繊細な味はプロにしか作れない味だろう。


(でもリンウッドの方が私の好みだわ)


 また一口スープを口に運ぶ。美味しさに頬が緩むが、心の何処で「これじゃない」と我儘な自分がリンウッドを欲した。



 食事を終えたモニカは自室で一冊の本を眺めていた。それはシルビオが食事中に取りに行った本である。あの後、シルビオは「直ぐ戻る」という言葉通り、モニカが食事を終える前に本を片手に戻ってきた。本を渡された時に触れた手が少し火照っていたので、顔には出ていなかったが急いでくれたのだろう。


 そんな本をペラリペラリと瞬きも少なめにモニカは捲っていく。捲る手が微かに震えてきたのはウーヴェが話していた事が事実だったと突き付けられたからなのかもしれない。


 だが、意外な事にモニカが今まで読んでいた本との共通点もあった。

 モニカは一般的ではない聖女の真実が書かれている書物には、聖女を讃える内容は書かれていないのだと思っていた。しかし、この本には聖女の言わば表の顔の事も賞賛と共に事細かに書かれている。もしかしたら複数人の論文のようなものを一冊にまとめた本なのかもしれない。だいぶ古そうな本なのでそういう記載はなかったが、その証拠の様に奥付には複数人の名前が羅列されていた。


 そしてこの本、内容もそうだが言い回しがくどく、とても読みづらい。到底1日で読めるものではなかった。モニカは短時間で疲弊した目をほぐす様に目頭をつまむ。グニグニと指を動かすが、正直これでほぐれた気はしない。


「兵器、兵器ね……」


 溜息混じりな声を出したモニカは言葉と共に肩を落とす。そして垂らしていた紐の栞を読んでいたページに挟むと静かに本を閉じた。


「聖女なの?本当に?」


 小さいテーブルに突っ伏し、モニカは伸ばした手をグッパグッパと動かしてみる。

 えい!と何か力を使ってみようと思うが、何も出てこない。実は書庫で魔力制御の本を読んだが、全く理解出来なかった。だから変わらず自分の意思ではあまり出来ない。


「うぅ〜ん」


 正直に言うとモニカは自分が聖女だという事を疑ってはいない。だが「聖女じゃなければ良いな」と思う自分がいる。だって多分とても面倒臭いだろう?


 公にするのであれば楽かもしれない。しかしモニカは秘匿にする事を既に選んだ。一生隠し続ける事は至難の業だと自身でも理解している。きっとあらゆる事に気を付けて生活せねばならぬのだ、生きにくい人生となるだろう。


 それでもモニカは自由に暮らしていきたかった。

 籠の中ではなく、大空の下暮らしていきたいと。


(父様が帰ってきたら諸々相談しよう)


 そう考えモニカはむくりと上体を上げる。そして閉じた本を横にし、紐を見た。後どのくらいで読み終わるのか確認したのだ。


「まだこんなにある」


 紐の位置は半分よりも前にある。まだまだ先の長い本の表紙をひと撫でし、モニカは椅子から腰を上げた。


――――トントン


 ちょうど腰を上げたタイミングで扉がノックされる。


「どうぞ」


 もしかしたら父が帰ってきた事を侍女が伝えにきたのかもしれない。モニカは返事をしながら時間を確認した。時間は11時を少し回ったところ。昼には戻ると言っていたので、帰ってきてもおかしくはない時間だ。


 モニカは椅子の背に両手を置き、扉が開くのを待った。返事をしてから少し間が空いているのが気になる。いつもであれば返事の一拍後には開くものなのに。


(幻聴だった?)


 確かに聞こえた気がしたのに反応がない。モニカは部屋の前を見ようと入り口まで歩き出す。その間も扉は物音ひとつたてなかった。


 恐る恐るという風に扉の前に立ったモニカは取手に触れると、ゆっくりと力を込める。そろりそろりと開く扉の隙間から茶色い靴が見えた。とても侍女のものには見えないし、義兄やその側近の靴とも違うデザインだ。同じ革靴でも先が少し丸い。


 モニカは開きながら視線を下から段々と上げる。


「あ、」


 そこに居たのは記憶よりも白髪が増えている父だった。




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