54.その量は溢れる程の愛だった
本当だったら直ぐにでも帰りたかったが、此処まできたら父と会ってから帰った方が良いだろうとモニカは考えた。それにブレスレットを貰ったとはいえ、自分の力は自分で制御出来た方が良い。以前は部屋をあまり出られなかったので活用した事は無いが、この家には書庫がある。そこで聖女の関連書籍や魔術の事を調べようと思った。
「此処が書庫……。思ったよりも広い」
初めて足を踏み入れた書庫は想像以上の広さだった。それはそうだろう、屋敷内にあると思って居た書庫は屋敷の北側にある別館の中に入っていた。いや、入っているとはおかしな表現かもしれない。別館全てが書庫となっていた。
「以前は本館の方にあったのですが、些か増えすぎたのでこちらへ」
「そうなんですね」
案内してくれたのは初日に着替えを手伝ってくれた侍女だった。名をヘルタという。ヘルタは五年前からユディス伯爵家に勤めているらしく、モニカが元は病弱な事を知っていた。初日はあまり会話が出来なかったが、翌日からはモニカが元気になった事を涙ぐみながら喜んでくれた。正直ほぼ知らない人であった為、反応に困ったが元気になった事を喜んでくれるのに対して嫌な気分はしない。素直にお礼を伝えた。
「おひとりで大丈夫ですか?」
そんなヘルタにあとは大丈夫だと伝え、モニカは書庫の本棚の間を彷徨い歩く。視線を上や下に動かし目当ての本を探した。
広い書庫ではあったが、きちんと棚毎に分類分けされており棚の端には分類名が記されている。余程几帳面な人物がいるのだろう、木彫りの名札には癖のない綺麗な文字が彫られていた。いくら貴族の屋敷とはいえ、此処まで整理されているのは中々無いに違いない。我が家ながら恐ろしいものだ、とモニカは背表紙の文字を次々と追っていった。
長丁場を覚悟していたが、きちんと整理されているお陰ですんなりと目当ての本を見つける事が出来た。モニカは数冊の本を手に取ると備え付けの机に本を置く。椅子を引き、座ろうとしたところでふと頭を今まで見ていた背表紙の文字がよぎった。
(そういえば)
椅子を元に戻し、記憶を辿りながら早歩きで棚の間を抜けていく。此処に絨毯が敷かれていなければ軽やかな靴音が響いただろう。大股で狭い通路を行けば、記憶通りの場所にその本はあった。
モニカは自分の目線の高さにある本へ手を伸ばす。その背には『魔力回路異常における対処療法』と書かれていた。中を開けば勝手にペラペラとページが開かれる。何度も読み込んだのか、折り目が付いているページ。手でなぞりもしたのか、他のページよりも少し紙が毛羽だっていた。
「魔力過多症……」
モニカもその文字をなぞり、並ぶ文字を目で追う。その症状はモニカにとって覚えのあるものだった。
「そうか、私……」
自身の病弱さの元凶を知り、モニカはなぞる指を止めた。聞いた事もない病名、症状、特徴を深く理解しようと何度も読む。頭の中で反芻し、一つ理解しては「ああこれは」と自分の症状に当てはめた。
この本が此処にあるのは決して偶然ではないだろう。くたびれた紙がモニカの心を乱して仕方ない。自分が否定してきたものが全て覆る予感に胸がざわつく。
モニカはまだ受け入れられない事実から目を背ける様にページを一枚捲った。呼吸を止めている事にも気付かず、思考を消し去る様に文字を辿る。しかし、その文字達はモニカに現実から目を背けるなと言わんばかりの言葉を綴っていた。
「……死ぬ、魔力に呑まれて」
そこには何故モニカが塔へ閉じ込められたのか、その理由が書いてあった。
膨大な魔力は心身を蝕む。そして魔力発現時に3割の人間が命を落とすのだと。燻っていた魔力が膨らみ、内側から弾け飛ぶ、そんな恐ろしい最悪な最期が待っていると書かれていた。
勿論書かれていたのはそれだけではない。それを防ぐ方法も書かれていた。確率が下がるだけで0では無いとも注意書きされて。
「密室にして、魔力を吸い込ませる……」
熱で浮かされるぼやけた視界で自分を引き摺るように塔へと押し込めたシルビオ。ぼやけていた筈なのにその出来事がモニカの脳裏に鮮明に蘇った。
次々と瞼に浮かぶ絵はモニカがあの時に感じた「何故」を解いていく。
あの閉じられた空間はモニカを生かす為のものだった。監禁など酷いと憤った感情が今、全て恥ずかしさと罪悪感へと変換されていく。
きっとあの部屋に内側から溢れる魔力、聖力を吸い出す仕掛けがあったのだろう。もうそれは塔が崩壊してしまった今は確認する事が出来ない。しかし、きっとそれは絶対にあった。
だからこそ今、モニカは此処にいる。
「わたしは、」
嫌われているのだと思っていた。何度でも言おう、家族から嫌われているのだと思っていた。だが、それはモニカの誤りだった。
義兄は嫌っていないのかもしれないと今回の事で思っていた。でも父はモニカの認識通り嫌いなのだろうと、そう思っていた。
何故ならモニカは母を犠牲にして生まれてきたのだから。
しかし、それは違ったのだ。
モニカは涙が出そうになるのを堪え、気持ちを落ち着かせる為に開いたままのページを見続ける。文字は読まない。まるで絵でも見ているかのようにそのページを見ていた。
そうしていると文字では無い、微かな違和感を感じるヨレを見つけ、モニカは咄嗟に顔を上に向ける。
それは一度濡れたのが乾いたかのような紙の歪みだった。
(あ、もうだめだ)
押し寄せる感情の波がこれまでの固定概念を押し流していく。ポロリと流れた雫から守るようにモニカは開いていた本を閉じ、元の場所に急いで戻した。出来るだけ涙が溢れないよう、顔を上に向けたままの動作だった為か何度か引っかかったが、吸い込まれるようにその本は本棚へと戻る。
あの紙のヨレはきっと誰かの涙の跡だろう。
飲み物を溢したという選択肢もあるかもしれないが、モニカには涙の跡のように思えた。
それは誰の涙かと言われたら、きっとこの書庫を大きくした人物、父だと思った。
父は恐らく、きっと、いや絶対にモニカを愛している。
「とうさま」
その事をモニカはもう疑いもしなかった。此処に来る前は反対の事を信じていたのに、だ。
(だって)
モニカは本棚に並ぶ背表紙の文字をぼやける視界で見た。そこにあるのはこの病の本、沢山の医学書、この国の文字では無い本も並んでいる。しかもそれはこの本棚だけではない。いくつもの本棚にモニカの病を治そうとした痕跡があった。
世界中から集めたのだろう。だからこそ、この量なのだ。
モニカはもう机に戻る事など忘れ、その場に座り込んだ。顔を覆いながら過去の自分を恥じて涙を流す。
何故この愛を知ろうとしなかったのだろう。初めてモニカは父の事を考え、理解しようとし、そして深く後悔した。
結局この日は何も調べられず1日が終わった。
ただボーッと本棚を眺めていたら、ヘルタが夕食の時間だと迎えに来たのだ。気が付けば外はもう薄暗く、時計を見れば18時半を指していた。
その頃には涙も引いていた。しかし、泣いていた事は分かったのだと思う。迎えにきたヘルタは驚いた顔をした後「お化粧をしましょうか」と提案してきた。その顔は何処かホッとしているようにも見え、モニカは少し気不味くなる。
この蔵書を見ればモニカが何を思うのかヘルタには分かっていたのかもしれない。
一度部屋へ戻り、ヘルタによって化粧を施される。特に目元を重点的に手を加えられ、鏡に映った自分は通常時とさほど変わらないだろう。赤い目は化粧前にホットタオルで温めたせいか、これもあまり分からない程度になっている。
「これで大丈夫でしょう」
満足げなヘルタに連れられ、ダイニングへと入室すると既にシルビオが着席していた。
椅子を引かれ、強制的に向かい側に座られる。
「書庫はどうだった」
向かい側のシルビオから声を掛けられ、モニカは「へ」と間の抜けた声を出した。腰を掛けたばかりだというのもある。突然の声掛けに少し驚いた。
モニカは書庫での事を思い出し、反射的に父を思い出す。泣きそうな気持ちを押し込め、モニカは「そうですね」と微笑んだ。
「とても広かったです」
当たり障りのない、無難な答えを口にしたモニカを見てシルビオはフッと目元を緩めた。
「そうか」
その笑みを見て、やはり自分は嫌われていなかったのだとモニカは目尻を下げる。勿論口元に笑みを浮かべたままだ。しかしその口端は何かに耐える様に僅かに震えていた。
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