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53.家に帰りたい


 ウーヴェの声は内容のわりにはあっけらかんとしていた。先に話していたのは比較的重い内容だった筈だ。人間が「管理」されているという事実に少なくともモニカは衝撃を受けた。それなのにウーヴェは何でもないように「言わなければバレない」と言う。


 もしかしたらモニカを安心させる為に言ったのかもしれない。


 だが、それにしては意地の悪い笑みにも見え、モニカは見開いていた瞳を細めた。どこか満足げにも見えるウーヴェの顔。その顔に既視感を覚えたモニカは一瞬思案した後、その既視感の正体がリンウッドだと気付き、「あ」と小さく声を出す。


(そうだ、リンウッド……。どうしてるんだろう、まさか怪我してないよね)


 最後に見たリンウッドの姿を思い出し、モニカはキュウと胸が苦しくなった。自分を守るように、宥めるように抱き締めてくれていたリンウッド。その彼の温もりが鮮明に思い出され、更に胸を締め付けていく。もう残り香もない。その筈なのに鼻腔にハーバル系の爽やかな香りが蘇った。

 

「あの!」


 モニカはどうしようもない気持ちを振り払うように声を張り上げる。もう聖女の事よりもリンウッドの事が頭を占めていた。もしかしたら現実逃避に近いのかもしれない。だが、例えそれでもリンウッドの事を聞きたかった。

 彼らはモニカを此処へと戻した。そうなのだとしたら、リンウッドに会っている筈なのだ。モニカは此処にリンウッドがいないと確信している。


 ――あの時信じる事が出来なかった心が、今更ながら彼を信じている。


 モニカの声にシルビオは驚いていた。そんな義兄の代わりに口を開いたのはやはりウーヴェだった。


「どうしたの?」

「私の家に、薄桃色の髪をした男の人がいたと思うんです。一緒に暮らしていたんですけど……。彼は大丈夫そうでしたか? 私、あんまり記憶がないけど魔力……聖力か、それが暴走して家が酷い事になっていたと思うんですよね。彼、私を守ろうとしていて……怪我とか」


 しどろもどろとなったのはリンウッドの事をどう思われるか不安になったからだ。若い男女が同じ家で暮らしているといえばそういう関係だったと思われかねない。


 キスはしていた。しかし、恋人かと言われたらそうではない。用心棒な同居人だ。


(……キスはするけど恋人じゃない、か)


 考えればおかしな関係だが、初めから少しおかしかった関係だ。今更そこを考えたところでどうしようもない。それにもし追及されてもキスの事を言わなければ良い話、そう頭では考えていても自分の頬に触れるリンウッドの意地悪な顔がふっと鮮明に蘇り、顔が上気していく。


「リンウッドの事?」

「知っているんですか!?」


 しかしそれもウーヴェの言葉で吹き飛んでいった。彼がリンウッドを知っている事に驚き、思わず前のめりになる。食い気味のモニカに対してさして驚きもせず、ウーヴェは言葉を続けた。


「彼も以前、魔塔に所属していたんだよ。だから顔見知り。でもまさか君と暮らしているとは思わなかったけど」


 彼って何処かに一か所に留まる性格じゃないと思っていたからさ、とウーヴェは言うと面白そうに笑みを深め、「ねえ」と弾んだ声を出した。


「どういう経緯で一緒に住み始めたの? まさか」


 楽しそうに一層目元が三日月型を描いた時、シルビオがそれを遮った。


「彼は無事だ。怪我もしていない。もうモニカも疲れただろう、今日の話はこれで終わりだ」


 会話をぶつりと切る冷たい声にモニカは目を瞠った。シルビオの声は冷たさの他に怒りも孕んでるのか酷く部屋の空気を重くした。


 モニカはリンウッドの言葉の続きが気になりはしたが、元々苦手な義兄の言葉に逆らう事など出来はしない。すぐに瞼を下げ、困った顔で頷いた。


「わかりました」


 ウーヴェは笑みを湛えたまま、隣のシルビオを見ていた。そして小さく声を出して笑うと口元を覆い、モニカと同じく「わかった」と答える。しかしその声は馬鹿にするように震えており、シルビオは目を細め横目でウーヴェを見た。


「じゃあ、お義兄さんが煩いから行こうかな。あと話を戻すけど、聖女云々の話はよく家族と話し合って決めて。結果がどっちでもこちらは協力するから」

「あ、ありがとうございます」


 よいしょ、とウーヴェが立ち上がるとそれに釣られるようにシルビオも立ち上がった。既に背中を向けているウーヴェの後を追うのかと思いきや、シルビオはソファーから立ち上がった位置から動かずモニカを見ていた。その何か言いたげな視線にモニカは戸惑い、ぎこちなく微笑んでみせる。


「モニカ」

「はい」

「……父上が帰ってくるのは5日後になる。その時に改めて話をしよう」


 視線をモニカと合わせたシルビオ。しかし、言い終わるや否や直ぐに視線を逸らし、モニカに背中を向けた。その後ろを申し訳なさそうなドミニクがペコリと頭を下げ、歩いていく。


 モニカの返事は必要ないのか、誰一人として返事を気にすることなく部屋を出る。残されたモニカはソファーに腰掛けたまま、誰にも聞こえない返事をポツリと溢した。


「……わかりました」


 声は何処となく寂しげだった。それは先程まで居た人達が居なくなったからなのか、それとも返事を求められなかったからなのか、それはモニカにも分からない。


 1人っきりの部屋で返事をした後、モニカは体が沈みすぎるソファーから立ち上がり、窓辺にある椅子へと移動した。

 木製の硬い椅子に腰掛け、小さい円形なテーブルに両肘を付く。


「どうして戻されたのか……」


 ぼんやりと敢えて言葉を発したのは、ごちゃごちゃな頭を整理する為。モニカは瞬きも少なめに外を眺めながら、自分が戻された理由を考え始めた。


「嫌われていると思ってた」


 そう最初から思っていた。しかし、何だかそれは違うように思えてきた。嫌いであればあんな気遣うような視線は遣さないだろう。視線だけではない、何度も自分へ「大丈夫か」と訊ねてきた。嫌いであれば、そこまで気を遣わない筈だ。


 では何故あんなにも冷たい視線を向けてきたのか。


「……それはわからない、な」


 朧げな記憶でもあの冷たい視線だけははっきりと覚えている。嫌っていないのだとしたら、どういう気持ちであんな目をしていたのか。


 モニカはテーブルに付けていた肘をぐにゃりと倒し、倒した片方の腕を枕代わりにする()()()()()格好で外を見続けた。


 他人の感情など考えても分からないものだ。それに義兄はそうでも、父は分からない。それを裏付けるようにモニカの父であるユディス伯爵は家出した娘が帰ってきたというのに5日後でないと帰ってこないという。


「別に私だって、帰ってきたくて帰ってきた訳じゃ」


 ぼやいた声は静かなせいか、部屋によく通る。


 モニカだって本当はあの家でずっと過ごしていたかった。野菜を育て、売り、そんな平和な生活をずっと続けていたかった。

 でも頭の何処かでそれは無理だと分かっていたような気がする。こんな楽しい生活がずっと続くわけがないと。

 

 それに自分は魔力の制御が出来ない。リンウッドがいるからどうにかなっていた。


「リンウッド……本当に大丈夫かな」


 それにうさぎと家は無事なのだろうか。家はどうにか出来るかもしれないが、うさぎの事はリンウッド以上に心配だ。魔獣だというが、モニカからしてみれば可愛い愛玩動物である。怪我一つで弱ってしまう姿が浮かび、きゅっと眉間に皺が寄る。


「家に帰りたい……」


 勿論それはこの家ではなく、あのリンウッドと暮らしていた森の家だ。あそこにはこの家以上に自分の全てが詰まっている。


 モニカには聖女なんてもうどうでも良かった。

 家族がどう思っていても、モニカはあの家にただ帰りたかった。



 翌日、ウーヴェはユディス伯爵家から魔塔へと帰って行った。

 帰り間際、見送るモニカへウーヴェは薄桃色の石がはめられた華奢なブレスレットをくれた。


「これである程度は暴走を抑える事が出来ると思うんだ。この石が君の感情に反応して力を制御してくれる。元々魔力向けに作ったものだから聖力にどのくらい効くかは正直分からないけど、付けないよりは良いと思う。是非付けていて」


 かちゃりと手首に付けられたものはとても軽い。おもちゃのような陳腐な作りに見えるが、本当にそんな効果があるのだろうか。ブレスレットを見た後、上目遣いでモニカはウーヴェを見た。不審に思う気持ちが顔に出ていたのか、薄く笑われる。


「女性が身に着けるのにごっついのは嫌でしょう? だからこんな形にしたんだよ。それともリンウッドが作るみたいな少しごつい方がお好みだった?」


 リンウッドの名前にふるりと胸が揺れた。彼を知る人物がいるというだけで少し心が解けていく。モニカはリンウッドの耳を飾るピアス達を思い出し、首を横に振った。


「これで良いです」


 リンウッドの装飾品は悪趣味では無いが、モニカの趣味ではない。確かにモニカはこういう何のこだわりも無さそうなシンプルなデザインの方が好みだ。変にひねりがあると少し恥ずかしくなる。


「そう、良かった。じゃあ、またユディス伯爵が戻る日に来るから」


 そう言ってウーヴェは手を軽く振った。何でもない動作だと思ったのだが、次の瞬間シュンと一瞬の内にウーヴェの姿が消える。どう発動したのかは分からないが転移したのだろう。


 モニカはウーヴェへ振っていた手を下ろし、自身の手首のブレスレットをじっと見た。そしてはまった石を撫でる様に指を滑らす。


 視界の端のシルビオが眉間に皺を寄せたのが見えた。




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