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52.聖女とは

 ――聖女


 聞いた事ある単語だ。ずっとベッド上にいたモニカでさえ知っている存在。

 神の代行人として人々を癒す、世界中で敬愛される人。モニカも体が上手く動かせない時、心の中で何度も「聖女」に助けを求めた。この体を治してください、と。重荷ではない存在にして下さい、と。


 しかし、目の前のウーヴェはそれが自分だと言う。モニカは自分=聖女という事を受け入れる事が出来ず、息を吐き出す事が出来なかった。


 見開いた目も閉じる事が出来ない。動くのは心の中だけだ。あの森の木々の騒めきの様に心が否定と肯定を繰り返す。


 そんな筈はない、でも確かに癒されるという言葉は何度も聞いた――堂々巡りな言葉達。それは収まる事無く、頭に響いた。


「心当たりあるだろう?」


 ウーヴェの発した言葉にモニカは頷きもしなかった。脳が言葉を認識せず、さらりと流したからだ。

 瞬きもせず、そうしているとシルビオの目配せでドミニクがモニカの肩に手を置く。それにビクリと反応したモニカは漸く息を吐き出した。呼吸を再開すれば、鼓動が自分の鼓膜に響く程激しく鳴り始める。


 現実味の無い言葉に、モニカは口元に手を置いた。


「聖女は人を癒す存在では無いのですか……?」


 少なくともモニカの力は人を害する事が出来る力だ。とても、とても恐ろしい制御出来ない力。リンウッドが居なければ今頃他人に酷い怪我を負わせていたに違いない。それくらい恐ろしい力だった。

 モニカの絞り出した質問にウーヴェは首を緩く振った。


「聖女はそれだけの存在じゃないよ。確かにそれが一番有名だけど、そんな優しいだけの力じゃない。聖女1人で国を滅ぼせるだけの力があるんだ。強大過ぎる力は他を圧倒する。先の戦争の時代には聖女がその先導をしていたのは知っているだろう?」


 それはモニカも当然知っている。だが、それは聖女が尊い存在だから象徴として担ぎ出されているだけだと認識していた。


「それは、尊い身だからではなくて」

「違うよ。彼女達は先頭に立って戦っていた」


 そしてウーヴェは言う。聖女は先頭に立ち、仲間を癒し、敵をその溢れんばかりの力で屠っていたと。だから戦争は聖女のいる国がこの世界の主権を握っていたのだと。


「聖女は確かに尊い存在だ。しかし恐ろしい存在でもある。さっき君が言ったようにね」


 モニカの知る聖女は慈悲深い、全ての人間、いや生命に微笑みかける存在だ。しかし、ウーヴェはそれだけではないとモニカへ伝える。


 でも、とモニカはあまり無い知識を絞り出し、震える声を出した。


「聖女はアドマス教の大聖堂にいるのではないのですか? あそこは国ではないでしょう?」


 今、聖女はこの世界に二人居る。そのどちらもアドマス教の総本山、ドゥマンニ大聖堂に居るというのはこの世の常識だ。

 ウーヴェはモニカの質問に軽く頷くと「そうだね」と笑った。


「かつての戦争の後、聖女は管理される事となったんだ。国を滅ぼす事の出来る力など恐怖でしかないからね。それにそんな強大な力を手に入れた国はどう思うと思う? 考えれば簡単な事だとは思うけど」

「管理、」

「そう、管理」


 ウーヴェにとっては軽い言葉なのかもしれない。だがモニカにとっては理解し難く、受け入れ難い。

 

 確かにモニカの作った野菜は「元気になる」と評判だった。でもそれは美味しいからだとモニカは思っていた。だって食べるだけで病気が治るだとか過去の傷が痛まなくなるなんて本当にあるわけないだろう?


「聖女、私が……? そんな訳」


 無い、と言い切りたい。でも他でも無いこの力が体の奥でモニカを肯定させようとした。否定するモニカの声に被せる様に『そうだ』という声が頭を襲う。


 モニカは頭を抱え、身を丸めた。


「モニカ、大丈夫か」


 心配そうな声はシルビオだろう。この人は帰ってきてからこれしか言っていない。


「大丈夫じゃないです」


 シルビオへの緊張よりも「聖女」という言葉の衝撃が上回る。頭を通る事無く口から出た言葉にシルビオが固まったのが空気で分かった。


 モニカは頭を巡る声に呑まれそうになり、痛む頭に眉根を寄せた。顔は俯いてる為、他人には見えない。痛みから深い深い皺を作り、モニカはゆっくりと息を吐く。


「ウーヴェさん」


 吐き出した空気はウーヴェの名を乗せる。名を呼ばれたウーヴェは「なに」と何でもない声で答え、静かにモニカの言葉を待っているようだった。


 モニカは顔を上げる事無く、そのままの体勢で数度深く息を吐いた。心を落ち着かせる行為だったが、息を吐く程に感情が昂ってくる。心の中で「落ち着け」と何度も呟き、込み上げる感情が一定まで下がったところでゆらりと顔を上げた。


 肩口で揺れていた髪が前屈みになっていたせいで、顔に少し掛かっている。だが、モニカはその乱れた髪を直す事なく不安げな瞳をウーヴェへ向けた。


「もし、もし私が聖女だった場合、どうなるんですか」


 桃色の瞳が柔らかい薄茶色の髪の隙間から覗く。揺れている光の中には以外にも強い意志も見える。

 ウーヴェはその瞳から目を逸らさずに、柔らかく微笑んだ。


「教会に保護して貰う事になるだろうね。もう今までの生活は出来ない」


 その言葉にモニカは息を呑む。

 管理されるとはそういう事だ。聞く前から分かっていた事だったが、一度確認しないと納得出来ない自分がいた。


 ショックを受けたモニカは視線をシルビオへ向けた。彼らが知っていたのか気になったのだ。顔は動かさず、視線だけ向ければ厳しい顔をしているシルビオが見え、その顔で彼も知っていたのだと理解する。但し、ドミニクは知らなかったようでモニカと同じく驚きと困惑の表情をしていた。


 最初に家族を捨てたのはモニカだ。

 だが、シルビオが知っていたという事実にモニカはショックを受けた。「捨てられた」と思ったからだ。とても自分勝手な考えだと思う。それでもモニカはひっそりとショックを受け、顔色を無くした。


「でも、まあ」


 真っ白になったモニカを見て、ウーヴェは小さく笑った。


「言わなきゃ分かんないとは思うけどね、聖女だって」


 綺麗に弧を描いた口元はモニカの同意を求めてか「ね?」と楽しげな声を発する。その言葉にモニカは桃色の目を見開き、「ん?」と困惑の声を漏らした。




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